靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

櫟窓

 江戸の考証学者の多くは、号の一字に植物を用いている。先ず伊沢蘭軒がそうであるし、その子の榛軒と柏軒、榛軒の養嗣の棠軒、みなそうである。多紀家でも、元簡は桂山、元胤は柳沂、元堅は茝庭。茝が、セリ科の香草でヨロイグサというのが、具体的にどんなものか知らないが、みなまあまともな植物を選んでいる。森立之の枳園は皮肉れていて、『晏子春秋』の「橘は淮南に生ずれば橘と為り、淮北に生ずれば枳と為る」をふまえて、在るべきところに居ないとうそぶく。無論、橘のほうが価値が有るという常識に従えば、であるが。
 問題は元簡の別号の檪窓である。これは、おそらく『荘子』人間世篇の次の話をふまえていると思う。右上の絵は櫟にとまる鸚哥。
 匠石齊に之く。曲轅に至りて櫟社の樹を見たり。その大いさ數千牛を蔽い、これをはかるに百圍あり、その高きこと山を臨む。十仞にして後に枝有り、その以て舟を為るべきもの旁に十數あり。觀る者市の如し。匠伯顧みず、遂に行きて輟まらず。弟子つらつらこれを觀て,走りて匠石に及びて曰く、「吾れ斧と斤を執りて以て夫子に隨いてより、未だ嘗って材の此くの如くそれ美なるものを見ざるなり。先生肯て視ず、行きて輟らざるは、何ぞや?」と。
 曰く、「已めよ。これを言うこと勿れ!散木なり。以て舟を為れば則ち沈み、以て棺槨を為れば則ち速やかに腐り、以て器を為れば則ち速やかに毀れ、以て門戶を為れば則ち液をふきだし、以て柱を為れば則ち蠹まる。これ不材の木なり、用うべき所無し。故に能くかくの若く壽し」と。
 匠石歸る。櫟社夢に見れて曰く、「なんじは將になににか予を比さんとするや?なんじは將に予を文木に比さんとするか?それ柤梨橘柚果蓏の屬は、實熟すれば則ち剝れ、則ち辱しめらる。大枝は折られ、小枝はなだめらる。これその能を以てその生を苦しむるものなり。故にその天年を終えずして中道に夭す。自ずから世俗に掊ち擊かるるものなり。物はかくの若くならざるは莫し。かつ予は用うべき所無きを求むること、久しきなり。幾んど死せんとして、乃ち今これを得て、予が大いなる用を為せり。予をしてまた用有らしめば、かつこの大なるを有するを得んや?かつまたなんじと予はまた皆物なり。柰何ぞそれたがいに物とせんや?なんじは幾んど死せんとする散人なり、また惡んぞ散木なるを知らんや!」と。
 匠石覺めてその夢を診す。弟子曰く、「すすみて無用を取るに、則ち社と為れるは何ぞや?」と。
 曰く、「密にせよ!なんじ言うこと無かれ!彼また直だ寄せしのみ。以て己を知らざるものの詬り厲しむると為すなり。社と為らざるも、またあに翦らるること有らんや!かつまた彼その保つ所は、衆と異なれり。しかるを義を以てこれをはかるは、また遠からずや!」と。
 これをもって思えば、檪窓もまた世をすねた号である。彼が幕府の医官であったことも、「すすみて無用を取るに、則ち社と為れるは何ぞや」に対する「彼また直だ寄せしのみ」が弁明になっている。その保つ所は、衆と異なれり。

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