靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

九霊

 古代の書籍には、まともな名前がついてなかったものが多い。我々の世界でもそうで、中でも今いうところの『霊枢』などはひどい。分量が9巻だったから『九巻』なんだって。そういう分量の書籍なんて他にも有ったろうに。ましてや9というのは聖数なんですよ。そこで別名がどんどん付けられた。『鍼経』なんていうのは、内容にそったまともなものみたいだけど、これだって九針十二原篇の初めにある「先立鍼経」から取ったんで、別に全体の内容を吟味して鍼の経典として名づけたものじゃないみたいです。だから、「鍼に関することばかりじゃないのに」と批難するのも的外れかも知れない。
 魏晋南北朝から隋唐にかけては、道士たちが自分たちの価値観にもとづく名前をつぎつぎと生み出したようです。『九虚』、『九霊』、『霊枢』など。別に特に道教徒の気に入るような書物じゃないと思うんですがね。いつの時代もファンの大部分は誤解して熱狂している。
 で、『九霊』は、『唐志』に「黄帝九霊経十二巻 霊宝」とある。だから「九」は昔の巻数であったにせよ当時は違うし、「霊」は霊宝の一字を取ったというのは言い過ぎだろうけど、霊宝と名乗ったのと、『九霊』と名づけたのは同じ発想なんでしょう。
 九霊は、枢の略であるという説も最近見たけれど、確かに文献に登場する順番と実際に呼ばれていた時代は微妙に食い違っているかも知れない。
 と、ここまでは前置きで、一寸おもしろいものを見つけたので紹介しておきます。
……また一説、初めの三皇の時には玄中法師となり、次の三皇の時には金闕帝君となった。伏羲の時には鬱華子となり、神農氏の時には九霊老子となり、祝融氏の時には広寿子となり、黄帝の時には広成子となり、顓頊氏の時には赤精子となり、帝嚳の時には禄図子となり、堯の時には務成子となり、夏の禹王の時には真行子となり、殷の湯王の時には錫則子となり、周の文王の時には文邑先生となった。あるいは王室文庫の司書であったともいう。越の国では范蠡となり、斉の国では鴟夷子となり、呉の国では陶朱公になったともいわれる。……
 だから何なんだ、なんですがね、『神仙伝』(晋・葛洪)の老子の項に載ってます。もっとも『列仙全伝』に引く混元図は「神農時為太成子」です。他にも少しづつ異なるものが有る。ちなみに『列仙全伝』は漢・劉向の『列仙伝』とは別で、仙人の伝記の集大成として明代の編輯です。
 彭祖が師匠から承けた著述の中にも『九霊』が有るともいうが、これは文字の誤りの可能性が高いらしい。

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