靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

醫家同類皆相忌

 紀昀『閲微草堂筆記』灤陽消夏録より
内閣學士永公諱寧,嬰疾,頗委頓。延醫診視,未遽愈,改延一醫,索前醫所用藥帖,弗得。公以為小婢誤置他處,責使搜索,云不得且笞汝。方倚枕憩息,恍惚有人跪燈下曰:公勿笞婢,此藥帖小人所藏。小人即公為臬司時平反得生之囚也。問藏葉帖何意,曰:醫家同類皆相忌,務改前醫之方,以見所長。公所服藥不誤,特初試一劑,力尚未至耳。使後醫見方,必相反以立異,則公殆矣。所以小人陰竊之。公方昏悶,亦未思及其為鬼。稍頃始悟,悚然汗下,乃稱前方已失,不復記憶,請後醫別疏方。視所用藥,則仍前醫方也。因連進數劑,病霍然如失。公鎮烏魯木齊日,親為余言之,曰:此鬼可謂諳悉世情矣。
  嬰疾:病にとりつかれる。
  頗:たいへん、よほど。
  委頓:衰弱したさま。
  延:招待する。まねク。
  遽:にわかに。
  索:もとめる。
  倚:よる。よりかかる、もたれる。
  藏:かくす。
  臬:きまり、法度。
  臬司:按察使。按察使は明清代、省(=地方行政区画)の司法をつかさどった。(この項は、菉竹氏の指摘により補う。)
  平反:誤った判決をくつがえし、無実の罪をはらす。(この項は、菉竹氏の指摘により補う。)
  陰:こっそり。
  竊:ぬすむ。
  鬼:人の死後、霊魂が形をなして現れたもの。
 以上は、おおむね『漢辞海』による。注意すべきは「嬰疾」、嬰児の疾病ではない。後の「則公殆矣」を見て気付いて、『漢辞海』を引きました。病気だったのは永公その人です。
 これはもともと辞書を引くことの勧めです。嬰疾は、引かないと誰が病気なのか間違えかねない。臬司や平反は、引かなくてもまあこんなような意味だろうということはわかる。わかるけれども、ちゃんと引けば、ちゃんと分かる。

芥子酢

 落語の佐平次だったか、映画の幕末太陽伝だったかに、猫じゃあるまいし下地無しで生の魚が食えるか、という啖呵が有ったように思う。しかし、刺身に醤油と山葵というのは、元禄ころでもまだ無かったようで、ではどうしたか。炒り塩か芥子酢か、中でも初鰹は芥子酢が常識だったようだ。武江年表の正徳四年の条に、生島新五郎が八丈に島流しになったという記事があって、その「釣鰹からし酢もなき涙かな」という句が載っている。当時は醤油の生産がまだ盛んでなかったからなんだろうけれど、たしかに醤油と山葵で鰹の刺身というのを、あまり美味いと思った記憶がない。鰹は当然タタキだよと思っていた。で、このかつては芥子酢という知識を得て試みたんだけど、確かにこのほうが美味いようだ。本来は刺身だからといっておきまりでなくて、魚によって下地も工夫すべきなんでしょうなあ。

 話は全く変わるけど、この武江年表には尚歯会の記事がいくつかある。ようするに長寿の祝いなんだけど、正徳五年の尚歯会の発起人が八十歳というのはともかくとして、最年長の志賀随翁が百六十七歳というのは如何になんでも。この人、享保十五年に百八十三歳で没したことになっている。逆算すると天文年間の生まれですか。織田信長がまだ尾張のうつけ者をやってたころですよ。享保といえば八代将軍・徳川吉宗のころです。

行之又逆人情

 友人が送ってくれた書物に「東漢魏晋南北朝房中経典流派考」という文章が有る。中に紹介されている巫子都が漢の武帝に答えた中に、「陰陽之事,公中之私,臣子所難言也,又行之又逆人情,能為之者少」と言う。君主のプライベートなことについて、臣下としてつべこべ言いにくい、というのは良い。「これを行うのは人情に逆らう」とは、如何なる意味か。かの貝原益軒の戒めのことばかりではなさそうである。『医心方』房内篇に引かれた青牛道士の説に、「數數易女則益多,一夕易十人以上尤佳。常御一女,女精氣轉弱,不能大益人,亦使女瘦痟也」とあると紹介されている。つまり、他人の精気を奪うのである。女をやせ衰えさせて、自分だけが不老長寿を得ようとするのである。他を傷なって己の生を養うことには、仙人でさえも「行之又逆人情」と言う。内心忸怩たるものは有ったらしい。巫子都自身はそう言いながら実行しているですがね。要するに愛情が伴う、互いの健康を気遣うような行為では実効を伴わないと言っているらしい。
 移植医療というものも、切羽詰まった状況にないものがつべこべいうべきではないけれど、提供されるのを期待して待つというのは、やっぱり「人情に逆らう」ことではあると思う。

韋編

 竹の簡を横に並べて、紐で綴りあわせて冊とする。例えば上端と下端と真ん中の3箇所で綴るとすると、真ん中の紐が通るところには文字を書かない。そこまでは良い。実は丁寧に仕上げる場合には、紐の通るところに切れ込みを入れて、紐の掛かりを良くすることが有った。例えば上端と下端は右端に、真ん中は左端に入れる。ほんの数ミリだけど、もともとはば1センチほどの竹の簡だからそれなりに目立つし、写真で見ると黒ずんでいて、ちょうど墨鈎◤にそっくりなんです。ということは文章の区切りに入れた墨鈎が之あるいは也の草体と見間違われる他に、切れ込みを見間違えて墨鈎として復抄するというのは有り得ないんだろうか。仁和寺本『太素』の場合は、得体の知れない之や也はいずれも楊上善注の末に出現すると思っていたけれど、ひょっとするともっと得体の知れないものも有るのかも知れない。

称頌

 頌むべきことは、中国古代の書籍が伝入した後、人民がそれを重視し愛好し、さらに心をこめて保存してきたことである。中国で失われた後に、政府が別の書籍と引き替えにその書籍を中国に送り返したことなんぞは、頌むべきことでも何でもない。その送り返された書籍を、中国人民が現代まで心をこめて保存し続けてきたことは、やはりまた頌むべきことである。

なんてこったい

 道路に横たわっている人がいるという110番通報をうけて、パトカーが駆けつけて、その横たわっている人をひいてしまう。漫画のギャグか、ドタバタ喜劇映画のワンシーンで、見たことが有りそうな……。
 でも、これは実話なんです。だから笑いごとじゃない。
 パトカーはこの辺だろうと速度を30キロに落として近づいていって、向う側の30メートルくらい先に車を止めていて合図した人に気を取られて、横たわっている人に気付くのが遅れたんだそうです。真夜中ですからね。警察は何をしている、けしからん、では済まないような気もする。では合図する人は、横たわっている人のこちら側で合図すべきだったのか。無茶を言ってもらっては困る。こちら側に車を持ってくるには、横たわっている人を乗り越えてくる必要が有ったかも知れない。第一、パトカーがどちらから来るか、分からなかったかも知れない。かと言って、倒れている人のそばに付きそっているなんて、そんな気味の悪いことできますか。そもそも、どうして道路に横たわっていたのか。この少年の談によると、仕事帰りに眠くなったから横になったんだそうです、しかも道をふさぐように長々と。ね、気持ち悪いでしょう。
 で、人の命にかかわるようなことがギャグでありえたのは、そんなことは起こりっこないと、誰もが思っていたからです。だけど起こってしまった。なんてこったい。プロのくせに、には違いないけれど、プロだから大丈夫、じゃなくて、大丈夫だったからプロだった、でしょう。こんな想定外のことばかりおこる世の中じゃ、大丈夫でありつづけるのも容易なことではない。
 あんまり奇矯なふるまいはやっぱりそれはそれだけ危険です。

みんな馬鹿

 『自分以外はみんな馬鹿』とかいう新書がベストセラーだそうです。断っておきますが、買ってないのは勿論、手に取ってすらいません。本屋の平積みを眺めただけです。だからこれは批評ではない。
 「自分以外はみんな馬鹿」、当たり前じゃないですか。青春のある時期に、そんなことを考えた一瞬は有るでしょう。少なくとも、「とんでもない」という人は、私とは違う種類の人です。ただ、悲しいことにほとんどすぐ次の瞬間には、「自分を含めてみんな馬鹿」と変更せざるを得なくなる。そんな必要がなかったごくごく僅かな人を、天才と呼ぶ。
 「おれはやるぜ」
 「何を?」
 「何かをさ」
 紛れもない馬鹿である。しかし、このあと一呼吸おいてニヤリとしていたら、人生という茶番劇の科白としては、そんなに悪くもないかも知れない。みくだしているのではなくてふてくされている

阿斗

 蜀の後主の劉禅は、社稷をむざと献じたということですこぶる評判が悪い。しかし、劉禅だって自分が親父の劉備のようにはいかないことくらいは知っている。ましてや関羽も張飛も諸葛亮もいない。だったら、蜀の民のためにもさっさと降参するのが賢い。正義を振りかざしてぼろぼろになるのは、格好いいかも知れないけれど、かなりはた迷惑なはなしだ。
 洛陽での宴会でのふるまいを、当時はまだ晋公だった司馬昭に「こんな阿呆では諸葛亮が生きていたって補佐しきれなかったろう」とあきれられたというけれど、じゃあどうふるまえばよかったというのだろう。下手をすれば警戒されて誅殺されたかもしれない。阿呆をよそおった、あるいはちょいと誇張してみせたのだとしたら、案外くえぬおとこだったかも知れない。少なくとも、鼻毛を伸ばしてみせた百万石の殿様よりは、やることが上品である。

女将

 『三国演義』の関羽には、史実にはいないらしい関索という三男坊が唐突に登場し、これがメチャクチャに強い。まあ架空の人物で、強いのを登場させたかったんだから当然だけどね。他に『花関索伝』というのも有って、そこには出生譚も載っているんだけど、これもメチャクチャ。先ず劉備と関羽と張飛が桃園で義兄弟の契りを結んだ時、関羽と張飛は後顧の憂いを断つために、互いの家族を殺すことにしたんだそうです。でも、張飛は関羽の妻を殺すに忍びないで見逃してやった。それが実家に逃げ帰って生んだ子供が関索というわけです。関羽が張飛の家族をどうしたかは知らない。
 で、成長した関索は親父の関羽を尋ねて旅に出るんだけど、途中の鮑家荘の入り口に「鮑三娘は自分と戦って勝った者を夫とする」と記してあった。美人で豪傑というやつです。首尾良く生け捕りにして娶る。次いで通りかかった蘆塘塞とかいうところにも、王桃と王悦という姉妹の豪傑がいて、これとも戦って次妻にする。勿論、二人とも美人です、小説なんだから。ね、いい気なもんでしょう。
 でも、これは「自分と戦って勝った者を夫とする」という古典的なパターンです。中国の俗文学には、この上を行くやつが有る。『楊門女将』、日本ではあまり馴染みがないけれど、中国では『三国演義』に匹敵するか、ひょっとするとそれ以上の人気が有る。私も京劇の舞台では何度も観た。宋朝のために戦いに明け暮れる楊業とその一族の物語です。その楊業の孫の宗保の話がすごい。穆桂英という女山賊を退治にいって逆に生け捕りにされて、でも彼の美貌を惚れた穆桂英に求婚される。勿論、穆桂英だって美人なんですよ、小説なんだから。この夫婦の間に生まれた文広というのも、女山賊の杜月英に奪われた宝物を取り返しに行くんだけど、彼女は文広の美貌を前もって知っていて、生け捕りにして結婚するつもりでいる。ところがうっかりと義姉妹のこれも女山賊の竇錦姑というのに話したので、横取りされる。当然、杜月英はむくれる、喧嘩になる。で、どうするか。仕方がないので両方とも女房になる。さらにもう一人女山賊の鮑飛雲というのにも生け捕りにされて、やっぱり求婚される。勿論、三人とも美少女なんですよ、小説なんだから。楊文広だってそんなに弱いわけはないんです、何たって楊家の跡継ぎなんだから。でも、つぎつぎと美少女に負けて、生け捕りにされて、逆に惚れられて求婚される話にした。つぎつぎに生け捕りにして女房にする、妾にするでもよかったろうに。古典的なパターンのパロディのつもりなのか、行き着くところまで行ってしまう大衆文学のパワーなのか。

禅問答

 禅の公案に、「狗子にかえって仏性有りや又無しや」というのが有って、答えは「無」で、でも「む~っ」と大きな声で答えないと合格しない。模範回答集にそう書いてあるらしい。
 私なんぞは合格しませんね、きっと。「有。狗子に仏性無くんば、何処に有らん」なんて言っちゃいそうです。しかも、本気でそう思っているわけじゃなくて、人と違うことを言いたいだけです。正解を記憶して、言い方を練習するほうが、まだましだ。
 でもね、「老師に仏性有りや又無しや」の正解も「む~っ」だと思いますよ、きっと。
 あるいは、「一切衆生は清浄なるがゆえに、我もまた清浄なり。」
 あるいはまた、「ほとけもむかしはぼんぶなりわれらもつひにはほとけなり。いづれもぶつしやうぐせるみをへだつるのみこそかなしけれ。」
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