芥子酢
- 雑事
- by shenquzhai
- 2006/06/06
落語の佐平次だったか、映画の幕末太陽伝だったかに、猫じゃあるまいし下地無しで生の魚が食えるか、という啖呵が有ったように思う。しかし、刺身に醤油と山葵というのは、元禄ころでもまだ無かったようで、ではどうしたか。炒り塩か芥子酢か、中でも初鰹は芥子酢が常識だったようだ。武江年表の正徳四年の条に、生島新五郎が八丈に島流しになったという記事があって、その「釣鰹からし酢もなき涙かな」という句が載っている。当時は醤油の生産がまだ盛んでなかったからなんだろうけれど、たしかに醤油と山葵で鰹の刺身というのを、あまり美味いと思った記憶がない。鰹は当然タタキだよと思っていた。で、このかつては芥子酢という知識を得て試みたんだけど、確かにこのほうが美味いようだ。本来は刺身だからといっておきまりでなくて、魚によって下地も工夫すべきなんでしょうなあ。
話は全く変わるけど、この武江年表には尚歯会の記事がいくつかある。ようするに長寿の祝いなんだけど、正徳五年の尚歯会の発起人が八十歳というのはともかくとして、最年長の志賀随翁が百六十七歳というのは如何になんでも。この人、享保十五年に百八十三歳で没したことになっている。逆算すると天文年間の生まれですか。織田信長がまだ尾張のうつけ者をやってたころですよ。享保といえば八代将軍・徳川吉宗のころです。
話は全く変わるけど、この武江年表には尚歯会の記事がいくつかある。ようするに長寿の祝いなんだけど、正徳五年の尚歯会の発起人が八十歳というのはともかくとして、最年長の志賀随翁が百六十七歳というのは如何になんでも。この人、享保十五年に百八十三歳で没したことになっている。逆算すると天文年間の生まれですか。織田信長がまだ尾張のうつけ者をやってたころですよ。享保といえば八代将軍・徳川吉宗のころです。
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