靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

危険な中国製品

中国製のペットフードの問題が,アメリカで騒ぎをおこしているくらいだったら,中国本土だって無事なわけはない,と思っていたら案の定,有りました。食品管理当局者の話として,「一部の業者が利潤追求第一の商売を続けている。二酸化硫黄を多く使えば,(キクラゲやシイタケの)色つやなどが良くなるからだ」というのが新聞に載ってました。そう言えば,平凡社・東洋文庫『東京夢華録』の訳注に,『清波雑志』に「淮河流域で取れた蝦米が薦包みで都に届くと,みな黒く干からびて無味だったが,小便に一晩つけて水洗いすると,新品のように赤いつやが出てきた」というのを引いてありました。むかしから,変わってないんだねえ。多分,何処の国も。

循臂内上骨下廉

右は『明堂』に手太陰の脉の流注を述べるうちの,「循臂内上骨下廉」の「循」です。誤って「脩」と書いていると言って良いと思う。

循環

仁和寺本『太素』では,「循」と「脩」は極めて紛らわしいけれど,「循」が「脩」のようになってしまう過程の例を,永仁本『明堂』の序文の中に見つけました。「循環」だから「循」で間違いない。仁和寺本『太素』の「循」にも亻に従って「偱」と書かれているものは有る。
先ず,ノが丨に変わり,十はナに変わり,さらに目が月のように(月の末筆が大きくはねたように)書かれたら,もうこれはほとんど「脩」です。チか攵(末筆はさらに一となる)かの違いだけです。分かりますか。本当は右半上部は「脩」のほうが一画多い。本当は,ということです。実際の例ではチと書くべきところを,攵(末筆はさらに一となる)のように書いた例が多い。だから,新校正は一律に「循」の俗字と言い,時に「脩」の誤りと言うけれど,むしろ逆に,ほぼ一律に「脩」の俗字と言い,時に「循」の誤りと言ったほうがましなような気がする。

無という字の下部はレッカ(灬=火)かと思っていたら,違うみたいですね。『説文解字』にはそもそも無は載ってないようで,𣞣に「亡なり。亡に従い、無の声。无は奇字。无は元の通ずるものなり」と言うけれど,その篆体を見ると「亡に従い、橆の声」のようなんです。だから,無の下部はむしろ林。
魚という字の下部も火ではなくて,しっぽの形みたいです。だから,むしろ「𩵋」のほうが正しいのかも知れない。
なんでこんなことを言い出したかというと,『太素』巻21に,無の下部を炏と書いたものが有るんです。おいおい,レッカの四点は火の四画の変化じゃないのか,と思って調べたら,それどころではなかった。

なんじゃもんじゃ

ちょっと盛りはすぎてしまったけれど,金神社の「なんじゃもんじゃ」です。
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金神社の主祭神は景行天皇の皇女・渟熨斗姫命で,伊奈波神社の祭神である五十瓊敷入彦命の妻ということになっているけれど,神社の由緒書には、成務天皇の時代に物部臣賀夫良が国造として赴任して、ここに国府を定めて金大神を篤く尊崇したとも伝えられているらしい。金大神とは何か?ひょっとすると,新羅の金姓と関係が有るんじゃないか。渡来して定住した土地に祭祀の場を設けた。
そもそも朝鮮を蔑視するなんてことは,ごく歴史が浅い。江戸時代の通信使は人気のまとだったみたいだし,秀吉の侵略だって憧れの裏返しだったかも知れない。おおよそ侵略というのは憧れの地を求めて,ではなかったか。だから元寇も黄金の国ジパングを求めて,というのは,でも本当は違うみたいで,実は当時の地理認識に誤りがあって,日本列島はもっと南に偏在していると思われていたらしい。だから,日本を取れば元・朝鮮とで南宋を挟み撃ちにできると考えたのだ,という説を読んだことがある。つまり,本当は南宋の文化に憧れての侵略だった,というお話。

「なんじゃもんじゃ」は,朝鮮半島には多いらしい。ひょっとすると,渡来民が携えてきたんじゃないか。

考えてみれば亜米利加の中近東への侵略だって,憧れの地を求めてなんだろうけれど,石油という富に憧れてだからより下品です。元が宋に求めたのは文明,少なくとも高度な文明によって生み出された洗練された富だったであろう。少しは可愛げがある。侵略される側にしてみれば同じことですがね。

郡上八幡・探鳥記

5月の連休に,古くからの友人と郡上八幡まで行ってきました。まだ郡上鮎は解禁前だし,牡丹鍋の季節は終わってしまったから,いま時分に行く物好きなんてそうはいまいと思っていたら,あまかった。高速八幡線も大渋滞で,予定の倍以上の時間がかかったし,で,だからまあ,到着後すぐに昼飯。どこもかしこも結構込んでいて,第三候補くらいに考えていた店に入りました。出てきたものには別に不満は無い。
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街中もかなり混み合っていて,いったい何をしに来るんだろう?って新緑と清流を観るに決まっているんですがね,怠惰な私としては旧庁舎の川沿いに設けられたデッキからぼーっと眺めていれば満足です。
たぶん鷺だと思う。獲物を狙っている。静かに待ちかまえていて,いきなり飛びかかるつもりみたいだけど,行動を起こしたのはただの一度,それも見事に失敗して,両翼を大きく開いてあやうく体勢をたてなおしてました。けれども場所を移動したりはしません。やっぱりずーっとその場でかまえています。そのへんは,ジタバタしがちな私なんぞよりはずっと賢い。清流はまあこのくらい,のあとは慈恩禅寺の新緑です。池に大きくはりだしていた楓の大枝は,切られていました。これにはちょっとがっかり,かなりの減点です。で,寝そべる位置をいろいろに工夫して,いろんなアングルを試みるとか言いながら,じつは昼寝。新しい参観者があるたびに放送される庭の紹介テープを十数回聴いて,耳にたこができる,とノソノソと起き出して,はやばやと今宵の宿へ。ご夫婦だけでやっている一日限定一組の民宿です。二階の部屋にあがると中央のへやには朝晩は冷えることがあるということで一応炬燵が用意されていて,その他に多分4つの部屋がある。少人数では申し訳ないみたい。
で,炬燵のへやで寛いでいると,下で女将さんの子供を呼ぶような声がして,はて子供なんていたかしらと思ったら,階段づたいに手乗りの文鳥が飛び込んできました。なんでも,お客さんが大好きとかで,ちょっと油断すると挨拶に来てしまうとのこと。こちらも嫌いじゃないからとお相手していたら,このおじさんたちは遊んでくれると思ったらしい。容易には下へ帰ろうとしない。かなりのやんちゃ坊主でね,寄って来るくせに不用意に指を近づけようものなら噛みつかれる。(つつかれるの間違いじゃないよ,つつかれもするけどね。)要するに,僕のやりたいように遊ぶのっ!ということ。食事は一階の囲炉裏のへやで,山菜を中心に盛りだくさん。酒は青竹のかっぽ酒と岩魚の骨酒。我々は大満足なんだけど,文鳥くんは,なんで僕を仲間に入れないのか?!と,廊下でご不満のご様子。
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と言うわけで,郡上八幡まで行って,鷺の漁を観察して,文鳥の坊やと遊んできました。

しょうがい

お役所で,「障害者」を「障がい者」と書き改めるのが流行っているそうです。「害」という字がマイナスの意味を持つことを嫌ってのことだそうです。なんだか変だと思いませんか。医学領域で「しょうがい」といえば,「身体や臓器の機能が一部または全部損なわれた状態」で,本来の用字は「障礙」または「障碍」なんでしょう。その漢字を見慣れないことを嫌って書き改めて,今度は漢字のイメージを嫌ってひらがなですか。それはまあ「礙」(碍は異体字)も「さまたげる」という意味ですから,マイナスの意味を持つでしょうがね,「障」だって,この場合「さしつかえ」という意味でしょう。こっちのほうは気にしないんですかね。

かんかんのう

落語の「らくだ」にでてくる「かんかんのう」が,明清楽「九連環」の替え歌であることは,インターネットのおかげで容易に知れた。(九連環は知恵の輪。)
看看兮 賜奴的九連環 九呀九連環 双手拿來解不解 拿把刀兒割 割不斷了也也呦
青木正児先生の訳では,
見やしやんせ 妾が貰うた九連環 両手に取り持ち 解けども解けず ホーカイ 小束で切ろうか 切れはせぬ 切れはせぬ
これが「かんかんのう」では,
かんかんのう きゅうれんす きゅうはきゅうできゅう さんしょならぇ さぁいほう しいかんさん びんびんたいたい やぁんろ めんこがこかくて きゅうれんそ
ところで,これの解説に「情緒的な歌詞とは似つかぬ卑猥な歌に変わった」というのが,どうにも分からない。そこでさらにいろいろ調べた結果,『曲亭雑記』に「かんかんのう踊唱歌の訳並ニ評」および「再評再訳附」を見つけました。そこに文句は少し違うが「かんかんのう」に漢字を当てたものが載っている。
看看阿 久阿恋思 久久恋思 久阿久恋思 三叔阿 財副 二官様 戒指大大 送你 面孔不好的 心肝 男根大 陰門好好
たしかにまあ......。

このあと,例によって滝沢解(曲亭馬琴)の考証癖が繰り広げられているわけだけれど,「再評再訳附」の末尾は依田百川の次のような評で締めくくられている。なるほど。
曲亭の博覧なるも,原文を見ざりければ,又さらに推量を加へて,その説益密にしてその訳ますます謬れり。これによって考れば,古の文章などに力を極めて考証を述るも実に中れりや否らずや,いとも危きことなりかし

もとうたの全文は:

看看兮。賜奴的九連環。九呀九連環。双手拿來解不解。拿把刀兒割。割不斷了也也呦。

誰人兮。解奴的九連環。九呀九連環。奴就與他做夫妻。他門是个男。男子漢了也也呦。

情過河。在岸的妹住船。妹呀妹住船。雖然與他隔不遠。閉了雙門難。難得見了也也呦。

變個兮。鳥兒的飛上天。飛呀飛上天。唭哩呱嚧落下来。還有一個春。春相會了也也呦。

雪花兮。飄下的三尺高。三呀三尺高。飄下一個雪美人。落在懐中抱。懐中抱了也也呦。

一更兮。好奴的爹爹呦。爹呀爹爹呦。二更等你不來了。三更鼓兒敲。敲不斷了也也呦。

四更兮。金鶏的報曉天。報呀報曉天。五更三點天明了。害得奴家想。想思病了也也呦。

泰山山頂はいつも工事中

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実はむかし,多分1988年か1989年の夏に一度,泰山には登ったことがあるんです。そのときは麓から中天門まで歩いて,力尽きてロープウエイに乗りました。その時の山頂の宿はたしか岱頂賓館,工事中でした。今回は,中天門までは登山バスでいって,全山停電でゴンドラが運休だったから,仕方がないから,先に歩いて登ったものを追いかけて,中天門から南天門までを歩きました。今回の山頂の宿は神憩賓館,やっぱり工事中でした。この二つの賓館,なんだか似たような位置に在る。で,インターネットでいろいろ調べてみると,あるWEBで玉皇廟を紹介した中に,「いま殿宇完好,辟して岱頂賓館と為す,1982年に宫の西に賓館楼を建て,1989年に改造,1990年に重新開業,神憩賓館と改称する」とあるのを見つけました。やっぱり,と思ってさらに調べたら,「神憩賓館は高いから,岱頂賓館に泊まった」という紀行文も見つけました。何が何だかさっぱりわかりません。
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上はむかし飲んだビールと今回飲んだビールのラベル,やっぱり時代は移り変わってますねえ。どちらも泰山啤酒です。

関帝聖迹図

曲阜の新華書店で買った本のなかに,『関帝聖迹図』というのがあります。なんで曲阜で関羽かというと,孔子は「文聖」,関羽が「武聖」なんだそうです,というのは嘘で,本当は偶然です。古い木刻画にひかれただけです。
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ところが仲間に,華陀が格好良くないと言われてしまいました。図は華陀が関羽の矢傷を治療中で,主役は勿論関羽なんだけど,華陀だってまあ良い役回りだと思いますよ。この図だって結構いい感じなんだけれど,『四大奇書第一種』(明羅本撰 清毛宗崗評 江南省城敦化堂刊本同志堂蔵版)に比べると,好みにもよるけれど,やや拙なのかなあ。
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こちらには,曹操の侍医になるのをこばんで,捕らえられたところもある。これは場面としては,あんまり格好良くないねえ。
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