靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

使煖氣内聚

『太素』21九鍼要道
按而引鍼是謂内温血不得散氣不得出
楊上善注:以手按其所鍼引之煖氣内聚以心持鍼不令營血得散外閉其門令衛氣不得洩出謂之補也
 、缺巻覆刻は「後」に作り、『黄帝内経太素校注』も何ら疑いを抱いていないようだが、これはむしろ「使」ではあるまいか。

少陽戌也

『太素』8経脈病解
少陽所謂心脇痛,言少陽戌也,者心之所表也。
楊上善注:手少陽脈胳心包,足少陽脈循脇裏,故少陽病心脇痛也。戌為九月,九月陽少,故曰少陽也。戌少陽脈,散胳心包,故為心之所表。
 この戌を成と見た人がいるが誤りである。戌を『太素』原鈔のような形に書く例は、碑別字などにいくらも見える。一と丿を続けて書いたに過ぎない。
 ただし、この字を成と見誤るのは古くからのことのようで、『素問』はさらに盛と誤り、王冰注の「心氣逆則少陽盛」もそれにそった解釈だろう。
 なお、例に出した字より上に最初に登場する戌は、さらに成に似ているようだが、仔細に検討すれば、はらいは塗抹されているのが判かる。

第三輸ふたたび

 第三輸は第五輸の誤りという説が有るそうです。その説の内容が分からないので、本来は何とも反論のしようが無い。だから、以下は想像しながらの難癖です。
 そもそもここのところの楊上善の注には変なところが多いのだけれど、先ず最初に第三の輸が特別な価値を有していると言っているのは良い。つまり、五蔵にあっては井滎輸経合の三番目の「輸」が即ち原穴となる。ただし、六府にあっては「井滎輸経四穴之後,別立一原」と言い、「六府以第四穴為原」と言う。これがそもそも変で、四穴の後に別に立てるのであれば、第五穴を以て原と為すと言うべきでしょう。本輸の記述からすれば「井滎輸経四穴之後」が「井滎輸三穴之後」の誤りのはずです。
 また、楊上善が第五輸という詞語を用いるのはここだけで、そもそも五輸は五つの輸であって、五番目という意味で言われた箇所は無いはずです。当然、五番目だから大事であるという発想も無さそうです。
 勿論、第五輸であると言っただけで、別に特別に大事だなどとは言ってない、という考え方も有り得ます。「疾高」だから本輸の一番上を指示したんだと。でも、そうだったら「而内者」のほうは「太陰第五輸陰陵泉」で良いとしても、「而外者」のほうは「少陽第六輸陽陵泉」と言うべきではないのか。

第三輸

『太素』21諸原所生
疾高而内者,取之陰之陵泉。
疾高而外者,取之陽之陵泉。
楊上善注:
所病在頭等為高,根原在脾足太陰内者,故取太陰第三輸陰陵泉也。
所病在頭為高,其原在膽足少陽外,故取足少陽第三輸陽陵泉也。
 この「第三輸」は不可解である。
 12營衛氣行「氣在於心者,取之手少陰經、心主輸」の注には、「輸とは手少陰と手心主の二経の各々の第三輸である」と言っている。どうも楊上善においては「第三輸」という詞は、井滎輸経合の三番目の「輸」つまり原穴と同義のようである。しかし、陰陵泉は足太陰の輸穴ではないし、陽陵泉も足少陽の原穴ではない。「特別に重要な輸」の意味と解する他はなさそうである。もっともここの解釈はそもそも前後に矛盾があって、「氣在於肺,取之手太陰滎、足少陰輸」が、手太陰の滎(魚際)と足少陰の輸(太谿)であるなら、気が心に在る場合だって、手少陰の経(霊道)と心主の輸(大陵)であるべきだろう。本当は心のほうは「手少陰心主輸」であって、大陵を指示しているだけなんだろうと思うが。
 楊上善の解釈を離れて考えれば、この前には「陰有陽疾者,取之下陵三里」が有る。つまり、もともとは五蔵の原穴を述べた資料の後に、府の病に使い分ける膏と肓の原を加え、さらに、同様に重要な穴として、三里と陰陽の陵泉を持ち出してきたということではないか。楊上善の説明は不可解ではあるが、原穴並であることを主張するという点では正しい。
 三番目に在る穴が重要であるから、ただ第三輸と呼んだだけで重要な穴という意味を持つようになる、というのはまあ良い。しかし、現に三番目ではない位置に在る穴のことを、重要であるから第三輸と呼ぶ、などということは修辞の方法として許されることだろうか。

如蚊虻止

 銭超塵教授の『黄帝内経太素研究』p.245に、『太素』の韻の位置を論じて、入韻字が虚字「之」の前、「止」の前に在るものを説明するのに、巻二十一・九鍼要道の
隨之隨之,意若忘(陽)之,若行若悔,如蚊虻(陽)止。
を挙げて、この「止」もまた句末の虚詞であると言っている。ところが、今度の『黄帝内経太素新校正』前言の草稿中には、『太素』の押韻を利用して諸書と『太素』の正誤を判定できる例として、
『太素・巻二十一・九鍼要道』に「隨之隨之,意若忘之,若行若悔,如蚊虻止」とあり、『霊枢・九鍼十二原』では「悔」を「按」に作るが、誤りである。「之」「悔」「止」は古韻の同部であり、「按」にしたのでは韻を失ってしまう。
と言う。これは前説を訂正したのであろうか。
 そもそも、ここの「止」を虚詞と言うのには納得しがたいものが有った。確かに「止」を文末に置き、確定や決意を表すということは、学生用の小漢和辞典にも載っているけれど、ここでは、行くがごとく悔いるがごときさまが、蚊や虻のごとくであると言うのではなく、やはり、蚊や虻が「止まる」がごとくであると解するのが当たり前だろう。智者の千慮の一失であろうか。『黄帝内経太素新校正』本文中の説明がどうなっているか、楽しみである。
 またそもそも、ここは本当に押韻しているんでしょうか。対になるべき写の文章は、
必持而内(物)之(之),放而出(物)之(之),排陽出鍼(侵),疾氣得洩(月),按而引鍼(侵),是謂内温(文),血不得散(元),氣不得出(物)。
なんですよ。そんなにちゃんとした韻文でもないような気がします。それに、この部分は『霊枢』小針解や『素問』針解の解釈の対象にはなってません。古くから経典としては扱われてなかったのかも知れない。

血氣之精

『太素』巻27七耶
筋骨氣之精而與脉并為系上屬於腦後出於項中
楊上善注:氣之精并脉合為目系其系上屬於腦後出項中
『黄帝内経太素九巻経纂録』も、『霊枢講義』も、蕭延平本も、黄帝内経注釈叢書『黄帝内経太素校注』(科学技術出版社)も、『黄帝内経太素校注』(人民衛生出版社)も、何も言わないのは不審である。残念ながら杏雨書屋蔵の原本も、「四」に作るけれど、これはやっぱり変でしょう。

入則抵深

 『太素』巻27耶伝に「是故虚耶之中人也,始於皮膚,皮膚緩則腠理開,從毛髮入,入則柩深。」とあり、楊上善注に「柩,久也。」とあることになっていて、銭超塵教授は「就是唐初楊上善亦偶有誤辨誤訓者」の例に挙げられるが、必ずしもそうでは無いのかも知れない。原鈔の傍らの「ヒ ク」はさておき、鼇頭に「丁礼反久也」とある。そこで、古字書を漁ってみると、『玉篇』に「觝 丁礼切觸也 或作抵」とあった。してみると原鈔者は、この字が「柩」ではなくて、「抵」あるいはその俗字「𢪔」であると、正しい判断をしていた可能性が高い。つまり、楊上善は誤ってなかったわけであり、原鈔者もそれを正しく読んでいたことになる。それでは「久也」はどうしたことか。あるいは「及也」であれば、大過ないのではなかろうか。
 臆解として、『太素』にはもともと「𢪔」はさらに「柩」に近い形にくずして書かれていて、楊上善の注は「及也」であった。それを、内容的には正しく判読していたはずの原鈔者が、誤って模写してしまった。そいう字形も有りうる、そういう字義も有りうる、と思ったのかも知れない。乃ち罪は楊上善にではなく、我らがご先祖さまに在る。オリエント出版社が影印した模写には鼇頭の注と旁書は無い。

眉本ふたたび

 下の眉本の項を少し修正。肩本の誤りではないかという臆測はそのままですが、噫に「一曰補眉本」というのは、恐らくは次の嚔に「補足太陽榮眉本,一曰眉上」と有るのに影響されて衍したのだろうと思います。だから、篇末の治法だけまとめた中には、噫に眉本はない。
 クシャミを攅竹穴で治そうというのだって充分に突飛だと思うけれど、ややこしいことに、『甲乙』に「風頭痛,鼻鼽衂,眉頭痛,善,目如欲脱、汗出寒熱,面赤,頰中痛,項椎不可左右顧,目系急,瘈瘲,攅竹主之」というのが有る。この『甲乙』の、もとは『明堂』からきた情報も、ひょっとすると『霊枢』口問の誤解に発しているんじゃないかと、窃かに疑ってはいるけれど、こういう具合に『明堂』まで疑い出すと、ほとんど信じられるものが無くなってしまう。それもまた困ったことである。
 ちなみに『甲乙』には、「風眩頭痛,鼻鼽不利,時,清涕自出,風門主之」というのも有る。風門なら肩の本あるいは上と言えなくもないだろうし、状況によっては風門より下の穴を取ったって悪いことはないだろう。

眉本

『太素』巻27十二邪(『霊枢』口問)
黄帝曰:人之噫者,何氣使然?岐伯曰:寒氣客於胃,厥逆從下上散,復出於胃,故為噫。【寒氣先客於胃,厥而逆上消散,復從胃中出,故為噫。】補足太陰、陽明,一曰補眉本。【脾胃府藏皆虚,故補斯二脈。眉本是眉端攅竹穴,足太陽脈氣所發也。】
 いくら口問だ秘伝だと言ったって、げっぷ、おくびを攅竹穴で止めるというのは奇抜すぎやしませんか。実は仁和寺本『太素』では「眉」という字は右のように書かれている。すなおに眺めればこれはむしろ「肩」に近いとは思いませんか。肩口のどこかを使って、げっぷ、おくびを止めるというのは、まあ何とかできそうじゃないですか。『甲乙経』で「噫」を検索したって何もひっかかりませんがね。でもそれは攅竹だって同じこと。
 楊上善自身は、「眉端攅竹穴」と言っているんだから、「眉」のつもりで書いたのは間違い無いんですよ。ただ、もとは「肩」に近い字で書かれていたのを模写して、でも「眉」だと思って注釈したのかも知れない。そもそも「一曰」とあるのも、楊上善が拠り所としていた本とは別にそういう説も有って、棄てるのは勿体ないから残したけれど、実は内容を理解してはいなかった、とまあ推理するわけです。
 実は他にも「眉」か「肩」か、水掛け論をやっている箇所って有りましたよね。

五色篇

 『霊枢』五色篇に、五蔵六府肢節を顔面部に配当する記述が有るが、なんとも錯綜していて描きにくいことおびただしい。
庭者,首面也。闕上者,咽喉也。闕中者,也。下極者,也。直下者,也。肝左者,也。下者,也。
方上者,也。中央者,大腸也。挾大腸者,也。當腎者,臍也。面王以上者,小腸也。面王以下者,膀胱子處也。
顴者,也。顴後者,也。臂下者,也。目内眥上者,膺乳也。挾繩而上者,也。循牙車以下者,也。中央者,也。 膝以下者,也。當脛以下者,也。巨分者,股裏也。巨屈者,膝臏也。
此五肢節之部也。
 で、よく考えてみると、これはもともと五蔵と六府と肢節などの、三枚の図の説明だったのではあるまいか。もっとも胆などは五蔵の図、腎は六府の図のほうに入るのかも知れない。まだ、単なる思いつきなんですがね。
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