靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

如蚊虻止

 銭超塵教授の『黄帝内経太素研究』p.245に、『太素』の韻の位置を論じて、入韻字が虚字「之」の前、「止」の前に在るものを説明するのに、巻二十一・九鍼要道の
隨之隨之,意若忘(陽)之,若行若悔,如蚊虻(陽)止。
を挙げて、この「止」もまた句末の虚詞であると言っている。ところが、今度の『黄帝内経太素新校正』前言の草稿中には、『太素』の押韻を利用して諸書と『太素』の正誤を判定できる例として、
『太素・巻二十一・九鍼要道』に「隨之隨之,意若忘之,若行若悔,如蚊虻止」とあり、『霊枢・九鍼十二原』では「悔」を「按」に作るが、誤りである。「之」「悔」「止」は古韻の同部であり、「按」にしたのでは韻を失ってしまう。
と言う。これは前説を訂正したのであろうか。
 そもそも、ここの「止」を虚詞と言うのには納得しがたいものが有った。確かに「止」を文末に置き、確定や決意を表すということは、学生用の小漢和辞典にも載っているけれど、ここでは、行くがごとく悔いるがごときさまが、蚊や虻のごとくであると言うのではなく、やはり、蚊や虻が「止まる」がごとくであると解するのが当たり前だろう。智者の千慮の一失であろうか。『黄帝内経太素新校正』本文中の説明がどうなっているか、楽しみである。
 またそもそも、ここは本当に押韻しているんでしょうか。対になるべき写の文章は、
必持而内(物)之(之),放而出(物)之(之),排陽出鍼(侵),疾氣得洩(月),按而引鍼(侵),是謂内温(文),血不得散(元),氣不得出(物)。
なんですよ。そんなにちゃんとした韻文でもないような気がします。それに、この部分は『霊枢』小針解や『素問』針解の解釈の対象にはなってません。古くから経典としては扱われてなかったのかも知れない。

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