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Cecily Saundersは第2次世界大戦中にナイチンゲール学校とセントトーマス病院で看護教育を受け、ナースとして働いていたが、持病の脊椎障害が悪化して、ナースを続けることができなくなった。オックスフォード大学でメディカルソーシャルワーカーの資格を取得し、病院で患者のために献身的に働いた。セントトーマス病院で、末期がん患者の看護に従事したとき、これらの患者の諸問題を解決するには、医師になる必要があると痛感して、ロンドン医学校に入学し、医者になった(1957年)。St. Joseph's Hospiceでホスピスケアとその心を学び、シスター達の働きに大きく啓発され、終末期患者のケアへ精力を注ぐようになった。ソーシャルワーカーをしていた時(1947年)に、初めて受け持った末期がん患者David Tasma(ユダヤ系のポーランド人、Warsaw ghettoから逃れて、ロンドンに亡命してきた40歳の男性)との間に友情関係が生まれ、自分が思い描いているホスピスの構想を話した。「I’ll be a window in your home. 僕は、君の家の窓になるよ」という言葉と遺産の500ポンドが、ホスピス設立の動機と最初の寄付金となった。 St. Joseph's Hospiceで臨床と研究を重ね、がん末期患者に対するモルヒネ鎮痛方法を研究した。同僚のRobert Twycrossと一緒に、死を前にした最後の数週間、不安な修羅場で痛みに支配されるようになったがん患者に苦痛のない安楽をもたらすため、現代の薬物と昔からのやさしい愛のこもった介護を組み合わせて、1967年に、近代ホスピス第1号のセント・クリストファーズ・ホスピスを設立した。 |
ホスピス・緩和ケアの基本的考え方(「日本ホスピス緩和ケア協会) ホスピス・緩和ケアは、治癒不可能な疾患の終末期にある患者及び家族のQOL(Quality of Life:人生の質)の向上のために、様々な専門家が協力して作ったチームにより行なわれるケアを意味する。そのケアは、患者と家族が可能な限り人間らしく快適な生活を送れるように提供される。ケアの要件は、以下の5項目である。
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1990年 | WHOが1990年に発行した「Cancer Pain Relief and Palliative Care」では、がん医療における終末期医療を含む新しいケアの考え方を「緩和ケア」と呼ぶように提言した。この中で「緩和ケアとは、治癒を目指した治療が有効でなくなった患者に対する全人的ケアである。痛みやその他の症状のコントロール、精神的、社会的、そして霊的問題の解決が最も重要な課題となる。緩和ケアの目標は、患者とその家族にとって出来る限り可能な最高のQOLを実現することである。 | ||
2002年 | WHOが、緩和ケアを次のように定義し直した。
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2007年 4月1日 | 「がん対策基本法」が施工された。 | ||
2007年 6月5日 | 具体的な指針を示した「がん対策推進基本形計画」でも、早期から緩和ケアを導入することの重要性が強調されており、痛みの治療を含めた緩和ケアはがん治療と同時に行うべきであるという考え方が示された。 |
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Multidiscipinary pain care 学際=いくつかの異なる学問分野が加わること。「学際的協力」
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Interdiscipinary pain care
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集学的ペインケアの治療目的
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「集学的痛みセンター Multidisciplinary Pain Center:MPC」の定義
@北原先生のfacebookより 在籍する臨床スタッフ、提供する患者ケアサービス、治療対象となる痛み疾患、および幅広い教育・研究活動よって他の痛み治療機関と一線を画す。MPCは高等教育機関に属しているか、その関連機関であるべきである。 「Multidisciplinary Pain Centers」@IASPの定義 |
University of Washington Multidisciplinary Pain Center: UWMPC
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