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南相馬から飯館村へ

南相馬から飯舘村へ(2012年10月19-20日)

国道6号を南下して南相馬市原町区にはいったところ,道路の左右にひろがる一面の黄色の花畑に目をうばわれました.花にはぜんぜんくわしくないのですが、調べたらキバナコスモスではないかと思います.

このあたりは一律作付け制限地域となっています.使われなくなった田畑がすこしでも荒れるのを防ぐため植えているのでしょうか.あるいはコスモスで土壌を除染するという方法があるのでしょうか.いまが満開となっています.

常磐線がどうなっているのか確かめるために原ノ町駅にいってみました.

ちなみに土地のなまえである原町区(旧原町市)は「はらまち」と読みますが,駅名はむかしから「はらのまち」です.これは江戸時代の陸前浜街道の宿場が「原町(はらのまち)宿」といわれており,駅名はそこからとられたものなのだそうです.

原ノ町から南に向かう上り線はもちろん運行していません.仙台方面への下り線は原ノ町-相馬間は電車運行中でした.しかしその先の新地駅が海近くにあって津波で壊滅したため,相馬-亘理間はJR代行バス運転中で,さらにそのさきの亘理-仙台間はまた電車運転中というやや複雑な状況でした.駅内の待合室は原町高校に通学している学生でいっぱいでした.

今日はこのまま南相馬で一泊して,翌日の郡山でのワークショップに参加するために,飯舘村をとおって二本松にぬける予定としています.

翌20日午前に出発し,まず内陸部の県道34号を南下しましたが,浪江よりずっと手前で通行止めとなっていました.このあたりの空間線量は1.33マイクロシーベルトでした.年間積算被曝量として10ミリシーベルト程度でしょうか.そとで働いているひとは見かけましたが,周囲にひとが居住している雰囲気は感じられませんでした.

県道12号原町川俣線(八木沢峠旧道)です.南相馬から八木沢峠をこえて飯舘村にはいってすぐのところで車を止めました.車はかなりはげしく往来しています.

山間部は2.77マイクロシーベルト/時とやはりやや高めです.何カ所か測定しましたが,おおよそ2.5〜3.0マイクロシーベルト/時のあいだの値を示しました.

いまはみのりの秋というのに,遠くまで一面に広がる田畑はみな荒れはてて雑草が生い茂っています.飯舘村は全村が作付制限地域に指定されています.「原発さえなければ」といって自殺した酪農家のことが思い出されました.

飯舘村役場は瀟洒な建物です.土曜日ということもあって人気がまったくありませんでした.

村役場前の空間線量は1.52マイクロシーベルトでした.

飯舘村の多くの地域は,依然として「居住制限区域」に指定されています.これは避難指示区域のうち年間積算線量が20ミリシーベルトをこえるおそれがあり,引き続き避難を継続することが求められる地域です.除染を計画的におこない,基盤施設の復旧とコミュニティ再建がめざされており,年間積算線量が20ミリシーベルト以下であることが確実と確認された場合には「避難指示解除準備区域」に移行することになるそうです.

飯舘村の荒れはてた田畑.ハウスにはセイタカアワダチソウが群生して,毒々しい花をさかせています.繁殖力の強いセイタカアワダチソウの根は地中50センチまでのび,ほかの在来種を枯らす毒物を分泌して生育を妨げます.将来,田畑がきちんと蘇るのかとても心配です.

これらは単なる物見遊山の記録にすぎないのはわかっています.ネット上でよくみるブログの類と同じ表層的な観察と感傷的な記録にすぎず,地元のひとたちの真の思いを伝えるものではありません.

しかしたとえば,3月14日の福島第一原発3号炉の爆発のあとに南相馬を脱出する車で渋滞した八木沢峠を自らがとおり,あるいは飯館村を散策することによって,クライエントの方から聞く体験,感情,思考を一緒に感じて経験する,共有するということに一歩でも近づけるのではないか,100%受容して話を聞く状態になれるのではないかと思います.特に最近,自らの自己一致に自信をもてない状況におちいっていますので,それを切に願っています.

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カウンタ 2769(2012年10月22日より)