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「美味しんぼ」にみるマスメディアの原発報道から考える

「美味しんぼ」にみるマスメディアの原発報道から考える

                                   (室月 淳 2014年5月2日)

「美味しんぼ」(ビッグコミックスピリッツ 2014年5月12/19日合併号)

ビッグコミックスピリッツに連載されているマンガ「美味しんぼ」が物議をかもしているのは,すでにご存じのかたがおおいと思います.福島第1原発をおとずれた主人公の山岡士郎らが原因不明の鼻血をだす描写が,福島の風評被害をまねくとして憂慮されています.

純粋医学的にみると噴飯ものであり,これはとてもありえない内容であろうと思います.鼻出血などというのは,東海村臨界事故の被害者のように一度に1000-2000mGy以上の大量の放射線に曝露したときにあらわれる症状であり,その場合でもふつうは手足の紫斑からはじまって歯肉出血,腸管出血などがおきてくる.鼻出血だけというなら原因はべつにあると考えるのがふつうです.医学的常識からいって低線量被曝ではとてもとてもおこりそうにはありません.

もちろん医学的にとてもありそうにないから,作者が一方的にデマをながしているとか,鼻血をうったえたひとがうそをいっているなどと主張するつもりはありません.医学でわからないことは世の中にいくらでもあります.また「美味しんぼ」そのものの批判をここでしようとしているわけでもないのです.そうではなく,ビッグコミックスピリッツ編集部の「綿密な取材に基づき,作者の表現を尊重して掲載」したというコメントについて,若干思うところがあります.

それは低線量被曝による影響の不確実性をどう表現するかということです.不確かなリスクをひめた現実にむかいあった作家やジャーナリストは,エビデンスにもとづいた実証主義にたとうとすると,その表現は機能不全におちいってしまうでしょう.もともと事実そのものが不確かだからです.そういった言説を,われわれはこれまでいやというほどみせつけられてきました.そんなとき,「綿密な取材に基づき、作者の表現を尊重して掲載」と強弁されることがあります.そして不確かでない事実を確かだといいはるとき,実はイデオロギーや党派性がそこにしのびよってきているのです.

「福島ではおおくのひとが鼻出血をおこしている」ということの真偽はとりあえずたなあげにしたとして,不確かなリスクにむかいあったときは,どんな報道やルポ,あるいは表現といったものがのぞまれるのでしょうか.ありえるかもしれない危険をひろく知らせることの重要性の一方で,人間心理からみるとすこやかに知らないでいることの価値も尊重されるべきかもしれません.「取材で聞いた」ということ自体はまちがいのない事実だから,その「事実」を知らせてさえいればまちがいはないと考えるのはあまりに短絡的です.「事実」をどう知らせたか,あるいはそれをほんとうに知らせるべきだったのか問題となるのです.

わたしたちははっきりしない不確かな危険性にいらだつと,ゼロリスクをもとめるあまりに他者にたいして絶対的な不寛容におちいりがちになります.ゼロリスクをもとめて厳密な予防原則を徹底していくと,しばしば社会的弱者にしわよせがいくことになります.それではどうするか? わたしたちはむしろ確率的なリスクをうけいれ,そのリスクとともに生きるという道をかんがえるべきではないでしょうか.それはひとつの矜持というものであり,そのたいせつさをもっと社会にうったえていく必要があると前々から考えてきました。

首都圏の電力消費のための原発が,福島の地で事故をおこしたわけです.そのとき東京ではなにがおこっていたか? パニックをおこして西へ避難するひと.食料やペットボトルの水を買いしめるひと.ガレキのうけいれにあくまでも反対するひと.残念ながらそこには,弱者をまもるためにあえてリスクをひきうけるという社会的自覚や行動はほとんどみうけられませんでした.リスクの不確実性を社会でひきうけるため,それぞれの住むところで,それぞれの立場におうじて,リスクを最小限しながら生きるための共生のノウハウを,いまこそみなでつくりあげるべきだろうと思います.

「作者の表現」の名のもとに一般のひとたちの不安をいたずらにあおり,確率的なリスクの不確かさを安全か危険かの二択でえらばせるような不毛な主張をまきちらすことは百害あって一利なしです.結論がでない論争をつづけることで,むしろ一般の不安を喚起してしまうよりも,すこしでも前むきな方向にむけられるような報道や表現をせつに願っています.この問題には一般的な真理といったものはありません。結局のところ,ここで問われているのは作家やジャーナリストといった表現者の人間観,世界観といったものだろうと思います.

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カウンタ 4166 (2014年5月2日より)