靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

万事如意

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風水

『水滸伝』の終わりのほうに,淮西王慶の説話がある。
王慶の父親は大金持ちで,風水師の「高貴な子が生まれる」という言葉を信じて,親類を陥れて墓地を奪った。おかげ息子の王慶は楚王となったけれど,それは要するに叛乱であるから,最後は梁山泊軍に攻め破られて捉えられ,凌遅に処せられ,父親もその他の親族も皆殺しにされた。
先に陥れられて先祖伝来の墓地を失ったものの家族だけは例外として,無事であった。
勿論こんなのは小説であって,歴史ではない。
しかし逆にいえば,たかが小説家でも,講釈を垂れようというほどのものならば,風水なんぞはあてにならないくらいのことは,弁えていたということである。

ことしはよいこと......

年賀状をだすのは,やめます。
今までだって,電子メールだけだったけれど,それも面倒になってきたから,ここに掲げるだけにします。
本当はここ数年そうおもってきたんだけれど,今年はメールだけはしました。昨年,恩師がなくなったからです。出す気になれないのはいい。世間の習慣にしたがって自粛するなんて気にくわない。
ただ,「ことしもよいことあるように」を,「ことしはよいことあるように」に変えました。誰か気づいてくれていたかしら。今年は良いこと有りましたでしょうか。

遊戯

古い友人に昭和初期の探偵小説の,衒学的な引用の解明にいそしんでいるのがいる。誤解をおそれつつも敢えていえば,たかが探偵小説ですよ。それにもうすでに数十年を費やしている。まことに遊戯人として敬服おく能わざるものがある。近ごろはさらに逞しい同好者を得て,進捗目覚ましいものがあるらしい。まことに慶賀の至りであり,羨望を禁じ得ない。
それに引き替え,私がこだわるのは『素問』『霊枢』『太素』の類で,この世界では経典として公認されたものに過ぎない。まことにいまだ事大主義の軛をのがれえず,慚愧にたえない。また遊戯人としての未熟を痛感する。
で,最近,『太素』の一紙の行数について気づいたことがある。巻21と27の調査をとおして,おおむね一紙21行と思っていたけれど,実は18行のものも25行のものもある。当時の紙漉の規格はどうなっていたんだろう,と思いはするけれど,さらに調べようとはしない。ましてや,日本の製紙の歴史を調べ尽くして回答を寄せてくれるような逞しい同好者は,出現しそうにない。

源氏新物語

いくら源氏物語成立千年紀と言われたって,読もうとは思わなかった。ましてや「現代女性による清新な訳」なんぞ,気にもかけない。ところが宣伝のチラシに,小谷野敦氏の次のような推薦(?)文が載っていた。
......解釈がまことに斬新で,ある種の「天才」ではないかと思えるからだ。大塚の解釈を読むと,私など少々うろたえて原文を確認し,そういえばそうかな......といくぶん疑念を抱きつつその着眼の鮮やかさに呆然とするばかり。......
ちょっとだけ,気が動く。

批評

誰の言葉かは忘れたけれど,むかし読んだ作家の心得に,自分の作品についての批評は読んではいけない,というのが有りました。批評を読んでそれを気にして修正をはかったりしては,その作品がもっている香気を無くすことになる,それでは作品の存在理由が失われる,ということではないらしい。そういう性格ではそもそも作家には向いてない。そうではなくて,むきになって偏向しがちだから,暴走して,わずかながら有った香気は変じて,大悪臭になりがちである,ということだそうです。

韓国の印象

10月25日,韓国のソウルで,「2008年大韓韓醫學原典學會國際學術大會」という,いささか仰々しい名前の学会に参加してきました。
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中国からは北京の翟双慶、賀娟,長春の蘇穎,そして台湾の王志玲の四氏の発表がありました。
私の話は,2006年の秋に北京でした,「杏雨書屋所蔵の『太素』巻21を見ればこんなに分かる」というのを拡張して,「巻21と27を見ればこんなにわかる」としてみたまでのことです。急な招待で,資料集めから始めるわけにはいかないから,致し方ないでしょう。翻訳したものを学会誌に掲載する許可を求められたから,そんなに評判は悪くなかったんじゃないかと,自己満足しています。
発表は朝の9時から,夕方の6時まで,昼食とコーヒーブレイクを挟んで,延々と19題だか20題だか。
実は台湾の王志玲さんは,2歳のお嬢さんを同伴していて,最初に見たときにはびっくりしたけれど,長時間の発表に倦んだ時には,お嬢さんの愛嬌と跳舞が一服の清涼剤でした。王さんの夫君である翁宜徳さんも来てたけれど,今回は論文の提出だけで口演はなく,もっぱらお嬢さんのお世話役です。
で,かんじんの学会の内容なんだけれど,今回もやはり韓国や台湾の『黄帝内経』研究のレベルが良く分からない。いや,私の語学力のせいだと思うけれどね。

翌日からは一泊旅行で,済州島へ連れて行ってくれました。
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最近の一番人気の観光地だそうですね。まあ,いろいろ楽しいことも疲れること(階段を登らされて,泰山の苦難を思い出しました)も有ったけれど,ここでも翁さん王さんちの小姐が大活躍。けっこう活発だとは思うけれど,機嫌の良い,聞き分けの良い子でね,ほとんどダダをこねるようなことは無かったはず。名前を尋ねたら下の一字は嵐でした。でも,漢語本来の意味では暴風雨ではないそうです。(多少の「あらし」はハラんでいそうで,それがまた楽しみです。)

済州島からの帰りに,一波乱有りました。往復の航空券を予約済みだったので,帰国便を変更するわけにもいかず(とんでもないキャンセル料が生じる),済州島からソウルへ戻って,それから改めて帰国するという段取りで,予定が組んであったんだけど,済州島から金浦空港への飛行機が,案の定,遅れ気味。乗り継ぎに不安を生じるので,一泊旅行に同伴してくれていた韓国の先生が交渉して,着陸間際にエグゼクティブクラスの席に移動し,着陸と同時に飛行機を素早く降り,行李はソウルに置きっぱなしていたから,空港の出口付近で待機していた人がさっと手渡してくれ,一緒に済州島へ行っていた院生が付き添って,目の前のリムジンに飛び乗って,仁川空港へと無事に乗り継ぎました。結果的には乗り継ぎに支障を来しそうなことにはならなかったけれど,多少とも免税品を購入する時間の余裕が有ったのは,彼らの融通無碍かつ機敏な対応のおかげです。私一人で対応していたら,良くても空港内でかけっこして,しかも飛び乗りで,土産物を気にするどころじゃなかったろうと思う。

だれだっけ

連日ノーベル賞に沸いていますが,過去にとった日本人のリストがでると,ひとり恥ずかしいひとがいますなあ。

桂林

桂林の桂が、実は金木犀のことだと知って以来、この季節になると、一度、満開のころに桂林を訪問したいものだと思う。でも、満開の期日なんて、本当はだれにも予想できないことを口実にして、やっぱり実現しそうにない。
桂林には二度行っている。二度目は、そのころ広東にいた森川君と春節のころで、不思議なものを見た。街路樹に何だか黄色いものがちらほら。現地の人にきいたら、十年ぶりの雪で、この季節には雨なんか降らない地方だから、そのおしめりを感受して、金木犀が狂い咲きしたのだという。いわれて見渡すと、どの街路樹にも庭木にも公園の植え込みにも、金粉まがいが......。で、そのときあらためて、桂林の樹木のほとんどが金木犀であるのに気がついた。これが全部満開になったら、ちょっともの凄いことになる。

西門慶は悪趣味か

井波律子『酒池肉林』(講談社現代新書1993年3月20日):
......彼は資産が膨張するとともに、妻妾をキンキラキンに着飾らせ、のべつまくなしにお客を接待しては山海の珍味や美酒を並べて宴会を催し、家屋敷を飾りたててりっぱな庭園を造るなど、衣食住すべてにわたって、臆面もなく金にあかした贅沢三昧にふけったのである。......

 召使いあがりの第四夫人の孫雪蛾が調理場を仕切っているだけで、専門のコックもいないため、バランスもへったくれもなく、とにかく品数が多いだけがとりえの、こういった大御馳走に、西門慶を始めとする登場人物は、嬉々として飛びつき、端からドンドン胃のなかにおさめてゆく。......

 さらに深読みするならば、西門慶の手当たりしだいの女道楽の対象を、二番煎じ三番煎じの女でかためることによって、知識人である作者は、西門慶のいかにも成り上がり商人らしい趣味のわるさ、その増殖を重ねる過剰な欲望のグロテスクさを強調し、揶揄しているようにも見えるのだ。......

日下翠『金瓶梅』(中公新書1996年7月25日):
......いうまでもなく、この作品は、あくまでも『水滸伝』中の登場人物、西門慶と潘金蓮を主人公としてつくりあげた架空の物語である。しかし、作者は、西門慶の日常生活を描写する際、自然と自分自身のそれをモデルに書き進めたのであろう。ところが、筆が進むとともに、西門慶と作者の一体化がはじまったのである。あるいは作者は、西門慶を通して自分自身を語りたいという、自己表出の誘惑に負けたのかもしれない。

 『金瓶梅』における西門慶像の不統一は、作者の自己投影によるものと解釈するのが一番合理的であろうと思われる。西門慶は変化し、人格が一変する。読者はその際、自分が何故、この無頼漢に共感を覚えるのか、途中でとまどいを覚えながら読み進んでゆくであろう。だが、不思議に思う必要も、うしろめたく思う必要もないのである。彼は一流の文人の魂を持った市井の無頼漢となったのだから。......

どちらが正しいかなぞは、門外漢にはわからない。ただ、後者のほうに共感を覚える。前者のあとがきに、「本書のメインタイトルが『酒池肉林』となることは、比較的はやく、まだ企画の段階で決まった。これを知った時、私は一瞬ギョッとひるんでしまった」と告白されている。所詮、気力が不足していたのであろう。ただし、より現実的な話として、日下教授は2005年に、若くして亡くなったらしい。考えることの気力と死に至る病は、また別物ということか。
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