靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

コメントは歓迎 だけど

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もう 一年が……

これは二十有余年前 あれはまだ一年前
成都の夕焼け

楊上善は道士

 楊上善は道士なのか? それはまあ道士なんだろう。唐書の経籍志や芸文志に『老子』や『荘子』に関する著作が有ったように載っているし,第一,名前が『老子』の「上善は水の如し,水は善く万物を利して而も争わず」に拠っている。
 ただ,道士である楊上善が撰注した『太素』だから,それが道教風かというと,それはちょっと違うだろう。ただ,この設問がそもそもインチキなのであって,道教とは何ぞやという反省を欠いている。古代の中国人にとって,健康を維持し長生きするための方法には,医学の他に服餌や房中や符籙が有った。後者のほうを一まとめにして道教風な養生法と言ってもまあ良いと思うけれど,そういうことは『太素』の楊上善注には見えないと思うが,如何?
 楊上善の注には,しばしば『老子』や『荘子』に基づくものが見られるけれど,その内容にはむしろ,ときに腐れ道教徒を揶揄するようなものが有る。
『太素』巻19 設方・知針石「二曰治養身」楊上善注
 飲食男女,節之以限;風寒暑濕,攝之以時,有異單豹嚴穴之害,即内養身也。
『荘子』外篇・達生
 魯有單豹者,巖居而水飲,不與民共利,行年七十而猶有嬰兒之色,不幸遇餓虎,餓虎殺而食之。

白帝城 ふたたび

かなり前のことだけど,ある人の『三国志』の紀行に,「漢は,五行思想によって火を意味する赤をイメージカラーにしているのに対し,火よりも強い水を意味する白を旗印にしたことから,その城を白帝城と名づけたのだという」とあるのを見つけて,がっくりしたというようなことを書いた。で,今回また似たようなものを見つけました。『漢詩観賞事典』早発白帝城の語釈中に「五行相剋説によれば,漢は土徳で,これに勝つには金徳でなければならない。そこでその象徴の色の白にちなんで,自ら白帝と称し,とりでを白帝城と呼んだ」とある。前の紀行の筆者は画家だから,まあ,一般の知識はせいぜいこんなところかと思うだけだが,『漢詩観賞事典』の編者は勿論中国文学の専門家ですよ。しかも,相当の大家だよ。いいのかね。「これを受け継ぐには」と書くべきだと思うがねえ。

もっとも,司馬遷の『史記』にしてからが,始皇本紀には「周は火徳を得ていたので,周に代わった秦は,火徳にうち勝つ水徳に従わねばならないとした」と言いながら,高祖本紀では老嫗が「わたしの子は白帝の子で,化身して蛇となり,道に横たわっていたのですが,いま赤帝の子(つまり,漢の高祖の劉邦)が斬ったのです。だから哭くのです」と言ったとするエピソードを紹介している。なにがなんだかわかりませんね。今われわれが常識だと思っている五行説が,当時の人にとっては別に常識では無かったということ。

白帝と赤帝の話は,西の秦を,南の楚の出身を誇りとする劉邦が滅ぼす,という話だと思う。つまり,お偉いさんは,周の火徳に勝つには水徳で,秦の水徳に勝つには土徳であるから,漢は土徳でなければならない,なんて考えるんだろうけど,民衆レベルでは,白帝の子の金よりも,赤帝の子の火のほうが強いはずだ,という素朴なことで充分だったんでしょうね。

銀河の新しい明星

北朝鮮は,少なくともわりと遠くまで飛ばせて,少なくとも自国民には人工衛星の打ち上げに成功したと,言えてよかったね。

アメリカは,軌道に侵入させるのに失敗したことを確認できて,アメリカ本土がまだ射程距離に入って無いことを,確認できてよかったね。

日本は,一段目は日本海に,その他は太平洋に落ちみたいで,今のところ直接の被害は無かった,みたいでよかったね。

山田さんちの太郎くん

文書の記入例などにおいて,個人名の例としてしばしば使われる名前,例えば日本の山田太郎,イギリスのジョン・スミスのようなものを何というんだろう。
こんな署名をもらったら,先ずはじめに偽名である可能性を疑うのが普通だと思うけれど,世の中には物好きがいるから,子供を太郎と命名する山田さんもいるかも知れない。選挙民に親しみを持ってもらえると期待する政治家もいるかも知れない。だから,インターネットで検索すると,プロ野球選手で,歌手にしてテレビ俳優,芸能プロダクションやコンサルタント会社を経営し,後には衆議院議員にまでなった人物ということになりかねない。
日本人なら,山田太郎はまず疑うからまあ無事だろうけれど,ジョン・スミスならまあまあ首を傾げて無事だろうけど,ドイツ人のウォルフガング・ミッターマイヤーさんと言われたら,私なんかはころっとだまされると思う。
インターネットの発展によって,情報収集は容易になったけれど,胡散臭い情報を綴り合わせて悦に入っている,といったような危険も増えたようだ。

伝統

平安前期の相撲の節会では,勝方は乱声をあげて舞ったものらしい。
ガッツポーズと何ほども違わない。
伝統とは,往々にして思い込みに過ぎない。

荊カウタク水

『黄帝内経明堂』新校正に,「荊巫滀水」を説明して,「荊は古九州の一つで,今の湖北、湖南、四川、貴州四省の交界の処に位置する。荊巫は巫水を指し,今の湖南省城歩県に在る」と言うのは,まあ妥当だろう。しかし,永仁本の巫の右にカウ,滀の右にタクと注記が有るのはどうしてくれる。滀は『広韻』に丑六切だから,似ているとは言える。しかし巫は武夫切であって,カウとは違いすぎる。按ずるに,長江上流には古来航行の難所として知られる三峡が有る。その一つを巫峡とする。あるいは抄者は,巫を夾と誤ってないか。夾なら『広韻』に古洽切,まあ似てはいるだろう。峡なら侯夾切。ところで,前田尊経閣の文永本にもこれらの注音は有るけれど,肝腎の巫は,一の下に从,その下に工という,妙な形に書いている。ひょっとすると,抄者はこの文字を,単純に音工の文字と考えたのかも知れない。工は『広韻』に古紅切である。まさかとは思うけれど,これが夾の異体字ということはないよね,と。ところが,この妙な字形,『異体字字典』(李圃主編・学林出版社1997年)に巫の異体字として載っていて,敦煌歌辞総編507頁と注記が有りました。やっぱり,抄者の誤解のようですね。「荊峡滀水」の夢はついえました。

幻想中国旅行 校正医書局を訪ねる

北京四日間とか上海四日間とかが2万5千円よりなんて聞くと,ガックリします。勿論,この他にガソリン代がかかるわけだし,あくまでも「より」であって,「まで」のほうは同じ内容で四倍ほどなんだけど。
それにしてもねえ。例えば,校正医書局の昔をしのんで,北宋の都・開封を訪ねるとして,そして中国旅行は貧乏旅行にかぎるとして,自分で組んだら,いや結構な費用がかかると思いますよ。
北京までの航空券は千差万別だけど,季節によってはガソリン代を含めて往復3万円くらいから,有るには有る。開封には飛行場が無いから最寄りの鄭州の新鄭機場まで飛んで,そこから機場巴士(空港バス)で小一時間です。北京→鄭州は690元(1中国元=13日本円くらい?)だそうです。ただし,季節によっては半額で買えるし,日本の旅行社を通せば手数料のほうが高いかも知れない。鄭州に昼過ぎに着く便と,夕方に着く便が有る。午前中に成田を発って,北京で午後3時過ぎに中国国内線に乗り換えて,午後4時半くらいに鄭州着だとすると,開封への移動は次の日にしたほうが良いかもしれない。便利そうな宿ということで,河南民航大酒店なら朝食付きシングルで300元くらい,ひょっとするとダブルでも300元くらい。開封までの移動を高速バスにすれば,せいぜい 20~30元じゃないか。開封の宿は高級なところは一泊550元以上だそうだけど,老城区に在る三星以下の酒店なら150~300元の間。勿論,老城区の三星以下のほうがおもしろそう。伝統は有る,だけど古いから三星というのが見つかれば理想的。その他の費用,例えば食事代なんかは,どうとでもなるけれど,街角の料理屋に入ったほうが楽しそうだし,それならそんなに高いわけがない。
で,大したこと無さそうだけど,どう頑張っても,北京とか上海とかの激安パックにかなうわけがない。貧乏旅行は高くつく。それに,頑張って開封へ行ったって,校正医書局の遺構が有るわけじゃない,と思う。

羊頭狗肉

羊頭狗肉の意味は誰しも知っているわけで,それが中国の古い言葉であるからには,中国でも古くからヒツジの肉は上等,イヌの肉は下等というのが常識だったわけだけど,魯智深が行脚の僧を装って,煮込み肉を肴に酒を飲もうとしたときに,イヌ肉だから坊さんは喰わないだろうと思われて出してもらえなかったのは,あっちのほうに効くものという連想らしいから,羊頭をかかげた店で狗肉を供されて,かえってニコニコという場合だってあるだろう。
そもそも多くの日本人は,ヒツジは臭い,と敬遠する。どっちをかかげたって同じこと。羊頭牛肉とでもいわなきゃ。だけどそれでは逆の意味になるから,牛頭羊肉ですかね。でも,中国人にとってはそれこそ「すきずき」だろう。牛頭狗肉としたところでやっぱり,愛好家には通じない。
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