靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

山東珍道中/恐行軍1

まだ紀行文を綴る気力は有りませんが,「恐行軍」とは如何なる意味であるかを,説明抜きの写真でとりあえず。
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マヒのヒは,痺ではなくて痹と書くのが実は正しい,というのが,中国伝統医学を学ぶヤヤ漢字に五月蝿い人の常識になりつつあるらしい。確かに『説文解字』には「痹」はあっても「痺」はない。「痺」は,古来通用すると言っても,本来は『爾雅』釈鳥に雌のうずらとあって別字である。
しからば脾はどうか。『説文解字』には,土に配当される蔵器で,肉に従い,卑が音である,と言う。これに従えば脾で良い。ところが『釈名』には,脾は裨であって,胃の下にあって,胃の気を裨助し,穀物を消化することをつかさどる,と言う。
『干禄字書』には卑は尊卑の字、畀は畀与の字とある。
さあ,ここからがややこしい。裨はどういう意味かというと,本来は皇帝の最も正式な礼服以外の服のことらしい。だから,最も尊い服ではないということで衣旁に卑で良いことになる。ところが裨助の裨はそういう意味ではなくて,おぎなう,たすけるである。とすると,衣旁に畀与の畀のほうが良くはないですか。
『釈名』の脾の説明にいうところの裨は衣旁に畀のほうが良いとなると,ひいては肉旁に畀のほうが良くはないですか。
さて,あなたならどうします。

『康煕字典』には脾と載っているというのが,まあ一番簡単ではある。

もくれん


今年は華が早い、でも、小さくて少ない、そういうものなのか。

春節


立春は二月四日、春節は二月十八日、こんなに間があるのも珍しい?

黄か黃か

『玉篇』でも『龍龕手鏡』でも『廣韻』でも「黃」であり,字素としてもそうである。だから一応は「黃」のほうが伝統的にも正字なんだろうとは思う。敦煌文書はおおむね「黄」だけど,あれは手書きの文字だから,ということでお終いにしたいのだけれど,実は『干禄字書』では字素として「黄」のほうを使っているみたいです。横とか黌とか。それはまあ1つの版本ではというにすぎませんが,要するに昔のひとはそんなことで通にすぎないとか俗であるとか,咎めたりしなかったということでしょう。

康煕字典体

噂によると,vistaの新しいフォントでは,飲が飮になるらしい。これって食旁が全部この形になるってことですかね。それにしても,今さらどうして康煕字典体なんぞに拘るのかしら。相当胡散臭い代物だと思うんですが。
多分,改正(?)不徹底で,不揃いで気持ち悪い,醜いことになると思います。
今のところ康煕字典体に統一できるようなフォントは知らないし,vistaになっても多分,それは変わらないと思う。

ちゃんとした本にするんだから,正字に統一する,というところまでは良い。だけどどうしてそれが康煕字典体なんですか。唐代の書物だったら,唐代に正字と考えられていた字体に統一すべきだと思いますがね。そりゃまあ,そんなことは不可能ですが。だからといって康煕字典体に統一というのも滑稽です。まあ,都合の良い方便かも知れないけどね,そんなに拘ることもない。常用漢字が紛れ込んだと顔をしかめる字体の多くは,『干禄字書』あたりでは正字の扱いだと思うんですがね。

邯鄲

昨日,偶然かけたテレビの偶然のチャンネルで,江戸学者で有名な女性大学教授が,邯鄲は夢の中で皇帝にまで成り上がった男の物語,というようなことを曰った,ようです。盧生が皇帝になったなんて初耳だった。もし彼女の学生だったら,からかいのタネにして,そしてしっかり嫌われただろう。
と思ったら,能の邯鄲は,唐代伝奇の枕中記とはかなり違うみたいで,先ず出身が蜀で,楚へ修行に出かける途中に邯鄲にさしかかった,ということになっている。地理的に無茶苦茶です。で,夢の中で一足飛びに楚の皇帝に即位しているらしい。舞台の上で夢中の栄華と覚めたあとのな~んだを表現しようとすればこういうことかもしれないけれど,なんともはや安直。こういうのが江戸庶民の趣味ということでもあるのかしらん。いや,あぶないあぶない。

初老の青年歌手

はじめに、わたしは音痴である、とことわったうえで、
年末年始にはむかし流行った歌をよく耳にするが、声量は足りないツヤは無い、ひどいものだ。老いるということは残酷なものだ、かりにも一世を風靡したんだから当時はこうじゃなかったはず。
わたしは音痴である。だから自分にひきくらべたりしない。だから冷酷である。下手くそ!

干支を食らう

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子:荷蘭鼠とかいうのを上海の海鴎飯店だったかで......。
丑:普通の食材。
寅:トラは食べたことはない。多分ネコも。
卯:ウサギは世界中で普通の食材だと思うが実は食べたことがない。小学生のころ、あれは食べたことが有るとか無いとか問答しながらの帰り道、ウシを食べたことが無いというのが結構多かったですね、当時の田舎は。で、ウサギは食べたこと有るかと逆襲されて、まいった、でした。
辰:竜は想像上の動物だから勿論食べたことが有ろうはずがないが、竜の落とし子なら西安での薬膳にでてきたような気がする。
己:多分、最初は桂林での野味餐館のスープ。その後は二三回かな。結構、高級食材ですから。
午:一番美味かったのは、島田先生の治療院を手伝った後、原塾の教室の準備にまわる前に、先生はまだ一人患者が来るけど、折角だから届きたてを一口食っていくかと、大振りに切ったので一杯やりました。あとは熊本での学会の後の飲み歩き、あるいは江戸は深川あたりの桜鍋。結構食ってますね。
羊:溂羊肉、結構あちらこちらで食べているけれど、やっぱり北京の東来順かな。それも島田先生らと予約なしの飛び込みで、中国人の客に混じってのとき。鍋が、何度か床に落として、何度か踏みつけたというくらいでこぼこでした。でも味は良かった。ふんづけられてもへこまないぞ!
申:さすがにない。
酉:普通の食材。
戌:無いと思うけれど、北京の場末の朝鮮族の小さな食堂で食べたのがひょっとすると。だとすると、お腹をこわしました。たたりです、一応愛犬家ですから。
亥:中国語では猪はブタのことだから、ごく普通の食材。イノシシのほうは一度か二度か、ボタン鍋で。どちらが美味いかは好みと作り方の問題だろうけど、やっぱり豚汁とはちがいましたね。それはそうと、むかし、明の皇帝は朱姓だから、猪(朱と同音)を食べるのを禁止した、とか聞いたような気がするけれど、冗談だよね、中国人にブタを食うなと言えるとは思えない。でもね、東坡肉の由来に、士人はブタなんか食わないし、庶民は食い方を知らないから、蘇東坡が工夫して教えたという伝説も有る。宋代には今ほどの地位にはなかったのかも知れない。

初詣

村の鎮守へ初詣

実は年に一度だから初とも......

神も仏も信じちゃいないけれど,年中行事をこなすくらいしか我が人生に「意味」は無い。本当は人生に意味なんて無いんだろうけど。
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