新薬が開発されると、それが本当に効くのかどうかを確かめるためにテストをする。一方のグループには新たに開発したと称する成分が含まれる薬を投与し,もう一方のグループにはそれが全く入っていない偽の薬を投与する。本物(?)グループのほうが偽物グループより遙かに良い効果を得たならば,その新薬の効果が証明されるというわけだ。もしも差があまり大きくなかったら,新薬に期待された効果は錯覚ということになる。
でも,ちょっと待ってもらいたい。錯覚であろうと何であろうと,かなりの人にかなりの効果が有ったということでしょう。ひょっとすると,この道の先には医療という世界の秘密が潜んでいるのかも知れない。このプラシーボの謎を解き明かせば,あるいはせめてシステム化できたら,未来の医学と呼ぶに相応しいものになるかも知れない。
で,現代の鍼灸治療を似非科学だという人がいる。公平にみて,この意見には無視できないところがある。でも確かに効いていることも否定しがたい。何故か。プラシーボ効果ではあるまいか。こんなことを言うと,袋だたきにあいそうだけれど,別にけなしているつもりはない。考えてみると,比較的まともな,あるいはそこそこまともな,あるいはまあまあ批判に耐える実績を記録し検討している,唯一のプラシーボ効果運用システムという一面が有るのではないか,と言っているのです。
とは言うものの,運用者はそのプラシーボとしてのカラクリを知っているべきだと思う。ただし,魔女が魔術師を目指したとたんに,魔法が効かなくなってしまう,という恐れはある。そこのところが難しい。
別に,患者の思いこみが全てであって,術者が何をしても同じだ,なんてことは言ってませんよ。勿論やるべきことには大枠が有って,起こるはずもしくは起こるかも知れないことしか起こらない。
喩えて言えば,捕手はこれしかないと思ってサインを出すのだろうが,その要求どおりのボールが来るかどうかは投手次第だし,第一,打たれるかどうかは結局は打者次第です。そもそもある捕手はこれしかないと思っても,別の捕手は別のコース、別の球種をこれしかないと思うわけでしょう。
ある術者はこれしかないと思う配穴にこれしかないと思う手技を施す。別の術者は別のこれしかないと思う配穴にこれしかないと思う別の手技を施す。どちらがより良く効くかには,患者の思いこみが関わっているんじゃないか。そして,俺の方法しか正しくない,あんなやつの方法はまやかしだと,本気で罵詈雑言するタイプの術者に,時により大きなカリスマ性が有って,患者の帰依もより強い,つまりより良く効くという,可能性も無くは無い。
中国伝統医学は,発見されたのではなくて,構築されたものである。だから,記録された事実だけに価値が有り,その説明には一顧だにしない,と言われたのでは些かとまどう。とは言うものの,陰陽五行説というバックボーンが有るから大丈夫と,天真爛漫に言われても困る。それはまあ,お祈りさえすればなんでも OKと言うよりは,不思議であろうが分かりにくかろうが,法則に従ったことしか起こらないというほうがまだしも科学的である。しかしその法則が,テングサのかたまりを突き出してトコロテンにする道具というような,そんなふうなマニュアル五行説であってみれば,似非科学といわれても致し方ないのではないか。もういい加減に,少しは現代人の科学水準に叶った道具を手に入れたい,と思うのはむしろ少数派で,大方は伝統的なヒノキの突き棒で大満足なんでしょう。
順気一日分為四時篇では,冬は井を刺し,春は滎を刺し,夏は輸を刺し,長夏は経を刺し,秋は合を刺す。本輸篇ではその他に,春には絡脈や分肉の間に取り,夏には肌肉皮膚の上を取り,秋には(春と法の如しというから)絡脈や分肉の間も取り,冬には諸輸を取る。他の季節との釣り合いから,ここでいう冬の諸輸はたんにツボの意味のはずである。そして寒熱病篇にも、春は絡脈を取り、夏は分腠を取り、秋は気口(腕関節橈側とは限らず、一般に気の発する口だろう)を取り、冬は経輸を取るとある。これは本輸篇から順気一日分為四時篇を引いた結果とほとんど同じである。ここで冬の経輸もたんにツボの意味のはずである。これは多紀元簡がそのように説明している。
井滎輸経合に季節を配当した理屈は何か。井穴から陽気は始まり,滎輸と亢まっていく。冬至に一陽が生じ,春夏と度がすすんでいく。両者を重ね合わせれば季節の配当はなる。あるいは,寒熱病篇の冬の経輸を,井滎輸経合の経と輸と誤解した人が,いや冬なら井だろう,と改正したつもりかも知れない。
おもしろいことに,四時気篇では,春は絡脈分肉の間(王冰注に引くもので校正済み),夏は盛経孫絡,秋は経輸,冬は井滎である。春夏には部位を指定し,秋冬には井滎輸経合からの選択になっている。これは二つの試みの混交と思える。そして経輸は秋にまわして,冬に井が登場する。何とも四苦八苦のあとが露わ,といいたいところだけれど,実はこれは『素問』水熱穴論と基本的に同じである。
つまり、季節による施術の差を工夫した人は何人もいた。そして,もうしわけないけれど,その中の幾通りかは,やっぱりこじつけに過ぎないと思う。
またまた,中国では中医学は偽科学であるとかないとか,かしましい,らしい。
だけど,例えば日本のいわゆる古典派の鍼灸で,例えばこれは肺虚証であって,だから手の太陰を補う,というのはともかくとして,肺は金であってその虚証だから,金の母である土も補うべきで,土は脾で,脾は足の太陰で,だから足の太陰も取る,なんてのはやっぱり偽科学でしょう。真の科学というためにはせめて,より親指側の太陰はより表層を主どるのではないかとか,手と足ではやはり手のほうが上半身を主どるのではないかとか,手足の同名経脈を併用すると効果が高まるのではないかとか,それくらいは検討しないとまずいだろう。そこから科学までの道のりも,結構有るとは思うけどね。
まあ,実際のところは,肺虚証に手足の太陰を取って効果が有るのは,そこそこ本当らしいから,それを陰陽五行説で説明したところで効果が減るわけのものでないのなら,いっそのこと「偽科学で何が悪い!」と,開き直ったほうがまだしもなのではないか。
教科書的には,督脈の督は督率(取り締まり指導する)の督ということになっているらしいけれど,本当は違うんじゃないか。『玉篇』に督は「都谷切,正也,目痛也」とあって,同じ都谷切の字として𡰪というのも載っていて,䐁(豚ではない)の俗字である。そして「䐁 猪博切,尻也」とある。尻には臀部の他に,肛門の意味も有る。𡰪という文字の成り立ちからすると,おそらくは肛門であろう。従って,督脈は肛門から起こる脈だからという可能性が有る。
その他,衣偏がついた𧝴という字が有って,これは『広韻』に「衣背縫也」とあるから,督脈とは単に背中の正中線というだけのことかも知れない。ちなみに袵はエリであるが,古代の衣服の様子からすると前の正中線とも言えそうである。ただし,この𧝴と袵の両字の生まれたのと,督任の脈の命名と,いずれが前であるかは知らない。
ある雑誌から,八脈交会穴について質問をいただいて,その質問自体には私は答えられないと言ったのですが,竇漢卿の『鍼経指南』に載っているもともとの「流注八穴」とは何であったのか,というようなことは考えてみました。
その苦し紛れの回答を,雑誌が引き取ってくれましたので,ここに詳しく書くのは憚られますが,簡単に言うと,これは手足を一対として取って卓越した治療効果を得ていたシステムではないか,そして実は手足を一対として取るシステムであるところの所謂「経絡治療」の先駆けではないか,と言うようなことです。
「流注八穴」には,奇経との関連なんてほとんど無いように思う。ただし,奇経の側から言えば,「流注八穴」を取り込まなければ,システムとしては何ほどのこともない。単に十二正経の他にさらに八つの奇経が有り,その流注と病証が有るというだけのことです。
こと古医籍に関して,今なにを弄んでいるかと問われれば,『太素』と『霊枢』,と答えています。ここでひょっとすると誤解されるかも知れないけれど,『太素』は校正しているのであって,読んでいるのは『霊枢』です。『霊枢』を,想像力の手綱をはなして読んでいます。ようするにどうなんだ?!とか,嘘ばっかり!!とかね。だから,時に突拍子もないことを言い出します。だから,その読む対象としてのテキストはしっかりさせておきたい,というわけで『太素』をしこしこと校正しています。
それで,何故に『素問』とか『霊枢』とか,いわゆる医経に拘るかというと,つまるところ「賢者の石」を追い求めているのかも知れない。
太谿は腎の原穴であり,腎は生命の根源であるから,太谿一穴で多くの病を治療できる,という論はもっともらしいが,実は古代医学の解釈において安易にすぎると思う。『霊枢』経脈篇にはそれぞれの脈について是動病が述べられている。是動病とはそもそも何か。これに答えるには,まず陰経脈の本質を考えたい。病にはある部位が動かないとか痛いとかの他に,ある意味で抽象的な身体不舒服な状態というものがある。それを,五行説の盛んな時代の風潮に則って,おおまとめに五つに分けて,さてそれを診断し治療するポイントを手足に求めて,腕関節と踵関節の付近に原穴を設定した。陰経脈とは原穴と五蔵を接続させる仮設の線条である。逆に言えば,あるポイントが搏動しているときに想定される病を是動病とし,つまり五蔵の病症とする。ポイントに術を施して,搏動をおさめることができれば,病もおさまるものと期待する。してみれば,是動病と原穴の主治症は,おおむね一致すべきである。ところが経脈篇で足少陰の是動病として挙げられる病症は二類で、前半は『甲乙経』では、むしろ照海、然谷、水泉、復留などに見える。すなわち照海に「面塵黒,病飢不欲食」とあり、然谷に「欬唾有血」と有り、「目盳盳」は水泉、復留に見え、「心如懸」は復留に見える。後半の気不足の場合の病症は、然谷の主治症中に多く見られる。すなわち『甲乙経』巻九・第五に「心如懸,哀而亂,善恐,嗌内腫,心愓愓恐,如人將捕之,多㵪出喘,少氣吸吸不足以息,然谷主之」とある。足少陰経脈発想の起点となったのは大谿とは限らない。したがって,腎が生命の根源であり,腎の脈は足少陰であるから,足少陰を運用して多くの病を治療できる,とはまでは何とか言えたとしても,それには太谿一穴を使えば良い,とまで言うのはいささか安易に過ぎると思う。ただし,安易であろうがなかろうが,こうと決めつければ効いてしまうのもまた事実であろう。断じて行えば鬼神もこれを避けるとは,臨床の世界においてもまた一つの真実である。
『太素』巻9経脈正別に「十二經脉者,此五藏六府之所以應天道也。夫十二經脉者,人之所以生,病之所以成,人之所以治,病之所以起,學之所始,工之所止也,粗之所易,工之所難也。」とあって,「粗之所易」の楊注に「愚人以經脉爲易,同楚人之賤寳也。」(愚人の経脈をもって易となすは,楚人の宝を賤しむと同じ)と言い,「工之所難也」の楊注に「智者以經脉爲妙,若和璧之難知也。」(知者の経脈をもって妙となすは,和璧の知り難きがごとし)と言う。これには「和氏の璧」の故事が用いられている。『韓非子』第十三篇「和氏」に:
楚人の和氏,玉璞を楚山の中に得,奉じてこれを厲王に献ず。厲王,玉人をしてこれを相せしむ。玉人曰く:石なり,と。王,和を以て誑と為して,その左足を刖る。厲王の薨ずるに及び,武王即位す。和,またその璞を奉じてこれを武王に献ず。武王,玉人をしてこれを相せしむ。また曰く:石なり,と。王,また和を以て誑と為して,その右足を刖る。武王薨じ,文王即位す。和,乃ちその璞を抱きて楚山の下に哭すること,三日三夜,泣尽きてこれに継ぐに血を以てす。王これを聞き,人をしてその故を問わしめて曰く:天下の刖らるるものは多し。子,なんぞ哭することの悲しきや?と。和,曰く:吾は刖らるるを悲しむに非ざるなり。かの宝玉にしてこれに題するに石を以てし,貞士にしてこれに名づくるに誑を以てするを悲しむ。これ吾が悲しむ所以なり,と。王,乃ち玉人をしてその璞を理せしめて宝を得たり。遂に命じて,和氏の璧と曰う。
これによって思うに,楊上善は楚人ではなかろう。たとえ和氏もまた楚人であるにせよ,このような楚人を馬鹿にしたような故事を,楚人がわざわざ使うわけはない,と常識的には考える。
またぞろ得気は術者のものか患者のものかと,かしましいけれど,本来は施術の信号がたしかに到達したとか,それに応じてたしかに身体が反応したとか,いう意味のはずではないか。はたからそれがわかるかどうかは二義的なものだと思う。それはまあ,我々は術者の立場にいるのだから,やった行為が有効であったかどうかに無関心ではいられない。けれども厳密にいえば,有効であるのと,術者が有効であるはずだと自己満足するのとは別である。それは確かに,患者にそれがわかるかどうかは,さらに別物であるにちがいない。神経を刺激して患者にギャッといわせることが得気であろうはずがない。
得気は患者の身体が確かに反応したかどうかが問題であり,術者はそれを確認できなければならない。自明のことである。なにもいまさら喋々する必要はない。ましてや,「最近は中国の優れた施術家も,得気は術者のものと言い出した」などと悦にいるのは,他国の人がどう思うかをやたらと気にする日本人特有の(でもないかも知れないが)感情に過ぎないのではないか。