うたがいぶかいというやまい
- 医論異論
- by shenquzhai
- 2009/04/07
身の周りに西洋医学関係者が多いけれど,それをこの世界に居るうえで,よかったと思ったことはほとんど無い。肩が凝る,腰が痛いといいながら,滅多に鍼を灸をとはいってこない。たまにきても要するに肩たたき,腰もみの延長線上である。別にそれで良いのかも知れないけどね,本当には中国伝統医学なんて信じちゃいないということ。そういう私だって,そういう環境に育ったんだから,本当は信じちゃいないんじゃないか,と思うことが有る。それは勿論,わざわざ入ってきたんだから,ひょっとしたらとは思ってますがね,でも,今のところ確かに効くという理論を見つけられないでいるし,今のところ疑いだしたらきりがない。幸い,日本鍼灸界の大物に親しく接する機会は豊富なほうだったから,効いたという実例は結構多く見て知っている。でも,鍼灸が効いたんだか,鍼灸の先生が効いたんだか。あるいは少なくとも,その先生の唱える理論が効いたんだか,刺すこと温めることが効いたんだか。だから,中国伝統医学の経典についてだって,実は懐疑的なんです。それはまあ,古代の他に術が無かったときに,衆に秀でた人たちが四苦八苦して,ひょっとしたらと様々に試みて,何かをしたら確かに何かが起こってくれたんだろうと思う。それを再現出来なきゃどうにもならないから,ひょっとしたらこういうことじゃないかと考えたわけでしょう。しかも,当時の最も先端的な科学的思考法である陰陽五行説にしたがって理屈づけをしてくれた。これは勿論,有りがたい。お祈りしたら治りました,神様ありがとう,ではどうにもならない。でもね,今さら陰陽五行説に柔順であるべき義理は無いんじゃないか。当時の陰陽五行説を推進した者の末裔に相応しい態度は,現代においては陰陽五行説を唾棄する者で良いんじゃないか。残念ながら,私では当時の推進者のような説得力に富む論説は出来ませんがね。でもね,吠え続けようかと思いますよ,「肺が実せば,子の腎を写す,なぜならば金(尅)〔生〕水だから」なんて,あんたらバカか! (A)〔B〕は,Aは誤りだがらBに改めるという意味のつもり。
で,えらそうなことを言って,当面の治療はどうするのか,臨床は放棄するのか?実は,ひょっとしたら,ということを試み続けるだけです。Windows Vistaに付属しているゲームでフリーセルっていうのを知ってますか。あれには必勝法が有ります。現在,確か600連勝を越えています。一番奥に隠れているAをまず先に何とか取り出すようにする。簡単でしょう。な~んだ,と言われそうだけど,数学的根拠は無さそうだけど(有るかも知れない),でもね1000連勝する自信は有ります。勿論,これにはインチキが有って,行き詰まったら本へ戻して,再挑戦する。中国伝統医学の方法論の価値を考える上でもヒントになりそうな気がします。試みるべきことの順序を明確にして,効率的に試行錯誤して,患者が大丈夫なうちに,その患者の現在における正解にたどりつく。(勿論,傷つけたりヤケドさせたりに,どうして治療効果が有るのかは,別問題。そっちの解明は西洋医学関係者にお願いする。)だから,私は今のところ,どの経脈の問題かを仮定して,あるいはどの府,どの蔵に関わるかを推理して,あるいは圧痛点,あるいは合穴や原穴を試みて,それでダメなら次の手を,と考えています。そのために経典著作を読み砕いて,単純化しようと試みています。なるべく古代的な単純なものから試みようというのは,まあ私の好みの問題です。(実は説得力の有る言い方を思いつかないからだけど,要するに『霊枢』の範囲からと言うこと。)誤った試みをしたら危険じゃないか?!あたりまえです,だから苦労するんじゃないですか!?
「原穴や合穴を処理すれば,蔵府の状態が変化する」と信じるのも,「肺が実せば,子の腎を写す,なぜならば金生水だから」(もしそれが有効であるとしたら,多分,別の理由が有る。ここでは言わない。)と主張するのも,五十歩百歩かも知れませんがね。
で,えらそうなことを言って,当面の治療はどうするのか,臨床は放棄するのか?実は,ひょっとしたら,ということを試み続けるだけです。Windows Vistaに付属しているゲームでフリーセルっていうのを知ってますか。あれには必勝法が有ります。現在,確か600連勝を越えています。一番奥に隠れているAをまず先に何とか取り出すようにする。簡単でしょう。な~んだ,と言われそうだけど,数学的根拠は無さそうだけど(有るかも知れない),でもね1000連勝する自信は有ります。勿論,これにはインチキが有って,行き詰まったら本へ戻して,再挑戦する。中国伝統医学の方法論の価値を考える上でもヒントになりそうな気がします。試みるべきことの順序を明確にして,効率的に試行錯誤して,患者が大丈夫なうちに,その患者の現在における正解にたどりつく。(勿論,傷つけたりヤケドさせたりに,どうして治療効果が有るのかは,別問題。そっちの解明は西洋医学関係者にお願いする。)だから,私は今のところ,どの経脈の問題かを仮定して,あるいはどの府,どの蔵に関わるかを推理して,あるいは圧痛点,あるいは合穴や原穴を試みて,それでダメなら次の手を,と考えています。そのために経典著作を読み砕いて,単純化しようと試みています。なるべく古代的な単純なものから試みようというのは,まあ私の好みの問題です。(実は説得力の有る言い方を思いつかないからだけど,要するに『霊枢』の範囲からと言うこと。)誤った試みをしたら危険じゃないか?!あたりまえです,だから苦労するんじゃないですか!?
「原穴や合穴を処理すれば,蔵府の状態が変化する」と信じるのも,「肺が実せば,子の腎を写す,なぜならば金生水だから」(もしそれが有効であるとしたら,多分,別の理由が有る。ここでは言わない。)と主張するのも,五十歩百歩かも知れませんがね。