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4年目

5年目

                                 (室月 淳 2015年3月11日)

5年目の今日です。

アドルノの「アウシュビッツ以後,詩を書くことは野蛮である」ということばは有名ですが,しかし「否定弁証法」の別のところでは次のようにも語っているそうです.「永遠につづく苦悩は,拷問にあっている者が泣き叫ぶ権利を持っているのと同じ程度には自己を主張する権利を持っている.その点では,「アウシュビッツのあとではもはや詩は書けない」というのは誤りかもしれない」と.

まったく同じ意味において,東日本大震災と福島原発事故のあとで,まだ生きることが可能かという問題があります.偶然に助かったが,そのとき命を失ってもおかしくなかったし,実際に多くのひとが命を落とした.それはまったくの偶然である.そしてこれからどのように生きていくかという問題です.

生き続けていくためにはある種の冷徹さを必要とします.それは震災の災厄をまぬがれた人間につきまとわざるを得ない激烈な罪悪感です.自分はもはや生きているのではなく,2011年の震災で死んでいるのではないか,いまの生活は単に想像のなかで営まれているのではないか,そういった悪夢に苛まされるのです.

3.11のあとにひとが詩を書くことは,拷問にあっている者が泣き叫ぶのに等しいのですが,しかし,その程度にはゆるされているということなのでしょう.

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カウンタ 2264 (2016年3月11日より)