第61回
2008年6月11日

Aiをめぐる社会状況の概略

医師・作家
海堂 尊

Aiをめぐる社会情勢があわただしくなってきている。これに伴い、社会導入にあたり、 Aiに利権が生じようとしているのだろうか、これまでAiに冷淡だった学会が急に興味を示し始めている。

放射線学会が、さまざまなコメントを公式に発表しているが、これは、そうした利権以前に、この検査が一般化すれば、対応する部署は当然放射線科になるので、その部門からの意見を集約し、発表するのはきわめて妥当である。 日本放射線学会の理事会は、すぐさまAiについての検討会を行い、三月末、そのコメントを公表した。コメントは、同日、Ai学会事務局にも届けられた。先行研究に対するリスペクトを払いつつ、社会から必要とされるAiに積極的なコミットメントを表明したその姿勢は、社会を先導する学会として、当然の態度とはいえ、賞賛に値するだろう。

法医学会は、Aiに対するコメントは特に発表していない。その代わり、死因調査事務所なる組織の立ち上げを目指すというコメントを先日メディアに発表していた。これは、司法解剖の性格上、捜査部門に属することは明確であるから、医療分野で主に行われるAiに関しては、ほとんど関与しない組織になるであろう。法医学者は、解剖主体の検査を行うという主張を続けているわけだから、医療部門とも関係のない独立組織を作るのは、理に適っている。つまり、本気で司法・医療の分離に乗り出した、ということだ。これで、仮に医療施設に画像診断の協力要請が来た場合、死因調査事務所からの委託という形になるので、Aiの費用拠出は確保される。また法医学者は、画像診断読影の専門家ではないので、当然診断読影料も、死因調査事務所から医療機関に支払われることになるので、筆者が主張している、司法・医療の完全分離に、経済的にも一歩近づくことになり、すばらしいことだと思われる。

さて、問題の病理学会である。厚生労働省の科学研究費を取得しているが、その主な研究内容は、東大病院と東海大病院にモバイルCTやモバイルMRIを期日限定でレンタルし、検討しようというものである。これは、千葉大学法医学教室岩瀬教授が、4年前に、試験的に行った方法であり(Ai学会第8回1000字提言・2004年4月16日号参照)、その効果もあって、現在、死体の画像診断というエリアが広く認知されるようになった。そして時代は、既存の装置を使用して死体を撮像する、という方向に動いている。その中にあって、モバイルCTリース代に大枚をはたくというのは、ムダ以外の何者でもない。科学研究費は、税金である。このような浪費は、社会的に許されないであろう。また、病理学会の理事のおふたりが、口をそろえて「今回の研究課題は医療関連死の問題であり、Ai学会とは無関係」とおっしゃっているという事実から、このモバイルCTの稼働は、きわめて低い稼働率になってしまうと予想される。なぜなら、モバイルCTを設置する東大病院で、それほどまでに、医療関連死症例が発生するとは思われないし、モデル事業全体を通しても、二年間で検討された症例は百例前後である。さらに、他の施設で死亡した症例を、わざわざ東大病院でモバイルCT撮像するのか、そうしたら、すべての症例を東大病院で解剖するのか、などという、具体的に考えると、まったくどうするつもりなのかよくわからない、というような研究のデザインなのである。

さらにこの研究班は、筆者が日経メディカルブログで指摘した直後、急遽班員を入れ替えるなどしているし、研究協力員も多数要請している。そのため、こうした暴挙をいさめようとした病理学会のある先生は、「Ai学会の事や、先生のことを言ってみましたが、とりあえず、お二人とも口を揃えて『今回の研究課題は医療関連死の問題であり、Ai学会とは無関係』と撥ねつけられました」とのことである。このことより、この班会議では、医療関連死問題に関わる症例でなければ検討できない、という論理になる。ところで、第一回の症例検討会に症例を供出するのは、Ai学会理事でもある、関東中央病院の岡 輝明先生だという話をうかがっている。そうなると、その供出症例は医療事故関連死の症例であり、もしもそうした症例を供出できるのであれば、関東中央病院に医療関連死症例が発生した、ということになる。現在、医療関連死はさまざまに揺れているが、一応念のため異状死届け出をする、というトレンドに固まりつつある。果たして関東中央病院の供出症例が、医療事故関連症例であるのか、異状死届け出をなされた症例であるのかどうか、非常に興味深い。もしも、関東中央病院が供出する症例が、医療関連死症例でないとしたら、その時には、深山教授ならびに長村理事長の研究デザインが大きく違っていて、上記のAi学会とは無関係という根拠は消滅する。いずれにしても、この検討会からは、しばらくの間目が離せないだろう。

さて、狭いアカデミズムの箱庭から目を社会に広く転じてみよう。まず、日本医師会が、Aiを死因検索システムの基礎として導入しようとする検討会を立ち上げている。これは、現場医療に携わる人たちが切実に感じている問題解決に、Aiが役立つ、という認識があるからだろう。興味深いのは、法務省が、裁判員制度導入に際し、Ai画像を基本情報として取得したがっている、という情報があることだ。というか、実は私は法務省に呼び出され、Aiについて詳しくお話してきたので、これはマブネタである。国を挙げて施行しようとしている裁判員制度に用いられることになるとすれば、医療現場としても、Aiを医療のエンドポイントとしてきちんと確立し、費用拠出の方策をいち早くうち立てておかなければ、解剖と同様、費用拠出の根拠がないままに、いいようにフリーライドされ、その結果、医療崩壊に拍車をかけることになってしまう。実際、法務省は、東京でこうしたAi検討に協力してくれる病院を探しているとのことだ。となると、モデル事業に参加している病院以外から有志を募ることになるだろう。これで、モデル事業参加病院から名乗りを上げるところがあったら、大笑いである。

私が、病理学会のおふたりのなさったことの問題点を指摘しているのは、まさに、この公益のためである。ぐずぐずしていると、死亡時医学検索におけるAiをからめた制度構築がなされないまま、なし崩しで裁判員制度の導入、そして、無理矢理のAi協力ということを押しつけられかねない。そんなとき、Aiのことをほとんど理解していない病理学会の理事ふたりがこの研究を主導するということは、医療現場の崩壊、そして医療崩壊に荷担することになりかねないのだ。Ai学会のホームページを見ていただければ、こうした問題が生じるはるか以前から、この学会が、死亡時医学検索に対し、どれほど真摯に考えてきたか、一目瞭然である。その学会に対し、病理学会の重鎮のおふたりの言葉は、あまりにも無神経なものに、私には写る。私は事実を基に、論理を積み重ね、彼らふたりの行状を「批判」している。すべては国民の公益に資するためだ。伝え聞くところによると、深山教授たちは、名誉毀損などで私のことを訴える準備をしているとかしていないとか。ただ、ひとつだけ申し添えておきたい。日経メディカルが深山教授から抗議を受けた際、紙上での公開討論の場の提供を申し出たが、深山教授からは回答がなかったらしい。こうした公益を伴い、税金を使う科研費という重要な問題なのだから、裁判に訴えるよりは、公開の場で、正々堂々と議論に応じられたらいかがかと思うが、どうであろうか。 なぜなら、深山教授は、医療事故に関する紛争解決のモデル事業の東京での責任者でもある。その方が、こうした公益性に関わる分野で、おたがいのコミュニケーションではなく、裁判などという問答無用の問題解決法を呈示すると言うことは、話し合いも含めた医療紛争解決をめざすというモデル事業の、すべての前提をなし崩しにしてしまうことになりかねない。それにしても、病理学会理事の中には、こうしたことを諫める人材はひとりもいないのだろうか?

最後になるが、この問題はそもそも、Ai学会の会員から指摘されたことであり、Ai学会の理事会からコメントを出した方がいい、というような提案もあったような案件である。ひとことでいえば、義ヲ見テセザルハ勇ナキナリ、という気持ちで、個人的に行った告発である。日経メディカルのブログ(海堂尊の死因不明でいいんですか)についたコメントを見ていただければおわかりのとおり、その役割は、一応無事果たすことができたのではないか、と思っている。

なお、こうした問題を含め、今月発売の文芸春秋誌に、拙文を寄せているので、お時間のある方は是非ご一読願いたい。