第60回
2008年4月08日

病理解剖の現状とAiの役割

千葉大学大学院医学研究院腫瘍病理学教室
張ヶ谷 健一

病理解剖の現状は、非常に厳しいものがある。なぜなら、この業務に携わる病理医の数、剖検を補助する技師の数が限られており、また一般には、剖検の費用負担が整備されていない。病理解剖に対する費用拠出はこれまでも病理学会の長年の宿願ではあった。しかし、不幸にも国民医療の評価と病理解剖が直結しない時代背景がこの問題を潜在化させてしまった。この時代背景を醸成した原因は、病理学会の社会貢献に対する意識の低さと自らの学者意識の強さが、社会へのアピールや所轄官庁への説明努力にブレーキをかけたことと、施策を策定する所轄官庁の理解不足であった。

病理解剖は、ご遺体を医学的に検索し、病死された故人が苦しめられた病気の情報を取得、その情報を将来の医学に役立てるという意義がある。この病理解剖の意義に賛同されたご本人や、ご家族の賛同を得て、剖検が行われるのだが、死後の検索であり、この解剖で検索を受けたご本人にはこの病理解剖の結果が全く還元されない。千葉大学大学院医学研究院では、篤志をもった方たち(白菊会会員)が、医学生のための系統解剖にご遺体を提供するというシステムがあり、これも医療の基盤を支えている。その系統解剖とはシステムが異なるものの、病理解剖の実践にも医学の発展へ寄与したいとする故人の貴い遺志に依存した側面がある。

同時に、病理解剖は、ご遺族にとっても重要で、病気で亡くなった故人についての情報の提供を受ける場となる。その患者の生前の治療が適切だったのか、あるいは最後の日々に安楽に過ごせていたのか、そのような事象を、解剖という行為は明らかにしてくれる。また、治療にあたった臨床医にとっても、病魔に倒れられた患者に解剖を行い徹底的に医学検索を行うことは、病気の診断と行った治療の正当性、最終的な病態の理解とを客観的に検証できる場である。したがって、病理解剖の実践はこれまでの医学の基本でもあった。

しかしながら、社会情勢の変化によって、解剖は社会に受け容れ難い検査に変容している。その何よりの証は、解剖率の著しい低迷状態であろう。日本の剖検率は2%である。これは先進諸国と比較しても、著しく低い。一部の臨床医には剖検で明らかにできることはすべて臨床で把握できるようなことを述べる自惚れた者がいるが、このような暴言吐く輩は自らの研鑽を放棄した臨床医に違いない。このため、日本の医療は現在、監査を欠き、この医学情報の積極的取得による進歩をも放棄しつつあるように見受けられる。病理解剖を担当する責任者としては、非常に由々しき問題である。解剖を行わないという社会風潮は、一病理医としていかに努力しても遺憾ともし難い部分がある。こうした状況を招来したのは、社会的要因も大きいが、同時に病理学分野でも、解剖というものを理解していただくための努力が不足していた部分があることも否めない。この問題解消のために、病理学会では先般、病理解剖とは何かという小冊子を製作、各地に配布したが、実質的にはほとんど効果を現していない。これは、うわべの言葉だけで解剖の意義を伝えても相手に理解されるものではない、ということの証作であろう。

そこで、千葉大学医学研究院放射線科山本講師らが取り組んでいる新システム、これがエーアイ(Ai)である。これは剖検前に画像診断を施行する、というものである。これにより、病理解剖はどのように変化するであろうか。

まず、ご遺族の皆さんに対する説明責任が充分に果たされるようになる。これまでの解剖では、お亡くなりになった直後にとにかく解剖をお願いしていた。ご家族がお亡くなりになった哀しみに沈んでいる最中に、ご遺体を傷つける検査を申し出るわけだから、ご遺族の側から見ると、ずいぶん乱暴な話である。だが、エーアイを取り入れた場合、解剖承諾の依頼の仕方は大きく変わるだろう。

まず、事前にCTもしくはMRIという最先端の医療機器により、ご遺体を傷つけることなく精査する。その情報を解析、事前に検討することで、解剖の適否を決めていくことになる。これにより、臨床経過と画像診断で充分死因の説明がつく症例であれば、ご遺族にとって不本意であれば病理解剖を行う必要がなくなる。また、画像で問題を発見した場合、あるいは画像診断でも死因がはっきり確定できなかった場合などには、画像を見せながら、客観的かつ冷静に病理解剖の要請をお願いすることもできるようになる。このように病理解剖とエーアイが互いに補完しあえば、剖検だけに頼って行う検索の一桁多い数のご遺体の客観情報を集積することができるであろうし、さまざまなご遺体の情報を検討する場で、科学的な論拠を提供することが可能になる。

これは、ご遺族、及び医療従事者の双方にとって喜ばしい変化になるだろう。

さて、将来的にエーアイを含めた病理解剖体制の運営はどのように行われるかというと、NPO法人で独立したセンターとして稼働することが考えられる。折しも、病理部門は2008年度から標榜科として認められ、診療科のひとつとして看板をあげることができるようになった。診断病理部門の業務の二本柱は、医療検体の診断である生検と、死亡時医学検索のひとつ病理解剖の施行である。医療行為を客観的に判断する第三者機関の創設が、画策されている社会状況から、診断や治療を評価するエーアイを併設した剖検センターのようなシステムが診断治療を行う病院と独立性を保つことは、公平性を保つという観点から必要なことである。そして、これらは社会が要請する方向性でもある。なぜならば、厚生労働省は第三者機関による医療事故調査委員会の設置をめざして活動している。したがって、将来的にはセンターはレトロスペクティブに病理診断を評価する部門と病理解剖の二分野を運用する方向で設立を検討されるべきであろう。現況では、医療現場の人材不足が著しい。そんな中で、独立した第三者機関に寄与できる医師は、東京という人材豊富な地域以外ではほとんど得ることができない。そうなると、社会の要請が強いこのような新施設を設立するには、比較的人材が集中している千葉大学医学研究院のような大学で日常業務を上手にこなしながら独立した新組織を立ち上げることが現実的であると考えられる。

中立的施設であるエーアイを併設した剖検センターの果たす役割は、たぶん大きいものになると考えられる。医療紛争に関しては、ADRの導入などが画策されているようであるが、司法に頼らない話し合いを促進するADRであっても、土台となる医療情報の存在は必須である。その医療情報取得に関して、剖検だけで展開するシステムは理念は素晴らしいが、現実には稼働しないと予測される。なぜならば剖検を担当する人員に限りがあり、また、解剖の適用率は現在2%に過ぎず、さらに、その有用性が声高く叫ばれながら、その低下傾向に歯止めがかかっていない状況がある。つまり、剖検を主体とした制度設計は、現実的には困難と考えられる。しかしエーアイを導入すると、前述したようにガラリと状況は変化することであろう。

エーアイの長所、それは即時性、及び透明性にあり、また、頭のてっぺんから足の先まで全身を検索できることであり、問題症例の画像診断はおそらく十分で終了する。その読影には多く見積もっても一時間もあれば充分だ。しかし、この方法でも、ご遺体の完璧な情報をすべて理解できるわけではない。一方、より多くの、より確実な情報を求めて剖検を適用すると、検査の施行に1.5-2時間かかり、肉眼的な所見はここで報告できるが、組織診断を加味した結果を確定報告するまでには、現状では1-2ケ月はかかることになる。また、四肢までを完璧に検索することは剖検では通常行わない。しかし、剖検は、問題の即時解決に適さないが、エーアイの所見を加味すると極めて確実な情報を我々に提供してくれる。

迅速に対応できる手段と時間がかかるが、より多くの細胞レベルまでの情報を提供してくれる剖検を臨機応変に組み合わせて展開するシステムは、日本の現在の地方の医療状況を考えるときより実現可能なシステムで、医療の評価、医療関連死を客観的に判断することに有用である。このシステムから生まれる情報を用いて、よりよい社会制度を構築できることを願っている。これが病理医という枠を越えて、私がエーアイを取り込んだ病理解剖システムの構築に協力しようと決断した大きな理由である。確かに、このシステムが正しく稼働するためには、医療関係者の更なる努力が必要で、情報の取り扱い方と客観性のある解釈法に関し、より研鑽をつむことを忘れてはならない。