第48回
2007年5月22日

医療関連死問題における死亡時医学検索についての理解の徹底と試案について

放射線医学総合研究所重粒子医科学センター病院
江澤 英史
1)死因究明制度に関する疑義

厚生労働省が発足させた「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」という有識者検討会に対し、各学会はパブリックコメントを提出している。このうち、法医学会と病理学会というふたつの「当事者」学会のコメントについて、死亡時医学検索問題という観点から考えてみたい。

病理学会も法医学会も、コメントの基本骨格は似ている。解剖を主体とするシステムを中心に据えていることだ。これは原理的には妥当である。だが、現状の社会情勢を踏まえると、あまりにも正論を通しすぎている。なぜなら、剖検率はたったの3%だからである。

また、こうした問題の契機となった事件を顧みてみればよい。この問題は、東京女子医大の心臓手術死ケース、慈恵大青戸病院での内視鏡下腹腔鏡手術術死ケースなどが複合的に相乗効果をもたらし、生じてきた問題である。翻ってこれらのケースで、病理解剖もしくは法医解剖が適用されただろうか? この時にも、解剖は既に確立されていたシステムであった。だが、いずれの場合も解剖は行われていない。これは、医療監査としての解剖システムはすでに社会的機能を消失しかけている、ということを示している。こうした事例において、解剖が事実上適用されなかったという事実にメンションせずに、新たなシステム基盤を剖検に置くというのは、過去の問題を十分に解析していないとの謗りは免れない。「酒は新しい革袋に入れなければならない」のだと思う。

その前に、まず医療界はこの「死因究明組織」という言葉自体に疑義を唱えなければならなかったと思う。医師法では、死亡診断書記載が医療行為の中心的基本業務のひとつとしてあげられているのだから、『死因は究明されていて当然』という大前提を崩すべきではなかった。もちろん現状では死亡時医学検索に対する国家的費用の拠出が行われていないため、『死因を究明する制度構築の必要』という外部の声に対応せざるを得ない。だがそれは、「死亡時医学検索を充実させる」という前提があって初めて成立することだ。その部分の拡充なしに、出口で責任を締め上げるような行政組織を構築すれば、医療は現在以上に萎縮せざるを得なくなるだろう。

どうしてこのような事態が出来してしまったのか。それは、「死亡時医学検索」という医学の根本概念がこれまで自覚されず、「解剖」という一検査手法の名称に置換されており、その解剖は「非人道的」な側面が強いため積極的推進が憚られてきた点にある。この問題は、解剖を充実させるという従来の方法論では対応できない。エーアイ学会会員でありかつ病理学会の一員として、私はエーアイの導入こそこうした問題の唯一の解決策である、と考える。

別に大変なことを要求しているわけではない。従来型の死亡時医学検索は<検死→ 解剖>という選択肢しかなかった。これを<検死→エーアイ→解剖>と系統立てればいいだけである。これは解剖の役割を否定したものではない。エーアイと解剖は次元が違う検査なのである。さらに、この新たなシステムの稼働に際しては、当然費用拠出を想定する必要がある。

法医学会は決然と厚生労働省の姿勢に反旗を翻し、メディアを通じて世論誘導を行おうとしている。(2007年5月17日、読売新聞)。実際法医学会は、この問題に関連して剖検費用の値上げという実入りも手にしている。だが、その戦略には少々行きすぎと思われる部分もある。記事では、解剖を<司法解剖+行政解剖>としており、意図的に病理解剖の数を削っている。法医学会は医療関連死問題の対応を、病理学会の協力なしに、記事の大見出しにある通り「専門医253人」の少人数で対応しよう、とでもいうのだろうか? 法医学会の主張が通れば、その時は法医学者が自壊してしまうのではないかと危惧されるような、危うい戦略だと思う。

さて、読売新聞5月18日付け記事に、法医学会総会の続報が掲載されている。『医療事故調は3ヶ月「難しい」』という見出し記事だが、迫真のやりとりが記載されている。法医学者から「診療関連死の死亡は死因不明の全異状死の5%にすぎない。なぜ全体の制度改革にしないのか」という正論が問われたのに対し、討論者の佐原康之・厚労省医療安全推進室長は「臨床医から診療関連死の第三者的調査組織を求める声が多く、異状死の死因究明の中でも最も大きな問題」と述べた、とある。(同新聞記事より引用)この発言こそ、死亡時医学検索に対する厚生労働省の意識をよく現している。彼等は医療関連死を特別視し、全体のシステムを構築しようとは考えていない。同時に、臨床医が要請したという形式にして、解剖関連業務に関する費用拠出を検討しないまま、ボランティア的に使おうとしている。厚労省は、医療関連死の剖検費用拠出は検討している、と言う。だがそれは問題の矮小化である。なぜなら前記の2症例のように、医療過誤死は事後に遺族の訴えにより発覚する場合も多い。事故が起こったときに、医療過誤と認定されていないケースの可能性も高い。その場合「通常の死亡時医学検索」となってしまい、この費用は保証されないことになる。それだけではない。従来のシステムに従えば、こうしたケースでは剖検されないことになり、そうなると剖検情報なしに医療過誤かどうか判断せざるを得なくなってしまう。こうなってしまっては、証拠物なしに裁判を行うようなものだ。

厚労省の画策する医療事故調査委員会という仕組みを作るには、まず、死亡時医学検索のシステムをきっちり策定しなければならない。そうでなければ、基礎工事をきちんとせずにマンションを建築するようなものだ。マンション構造設計書偽造の件では、多くの国民がひどい目に合った。あれは、担当官庁の不作為により引き起こされた人災である。今、医療事故調査委員会の策定ばかりを急ぐ厚生労働省は、同様の愚を犯す可能性が高い。エーアイの導入は、死亡時医学検索という医学と医療の基礎工事における、耐震強度の機能改善に相当するものなのである。

ところが事態は錯綜している。驚いたことに、厚生労働省の担当官もエーアイの可能性は理解しているらしい。上記の法医学会総会の公開シンポジウムでは、厚生労働省の担当官がエーアイの使用の可能性に言及したところ、パネリストのひとりが「解剖を行わないシステムを考慮するなど言語道断である」と反論したと聞く。この点では、法医学会の一部の先生がエーアイ推進の反対勢力になっているわけである。ちなみに病理学会理事会の一部の先生も反対勢力を形成しているのであるが、この件に関しては次回に詳述したい。

現在の死亡時医学検索の実状は以下のごとくである。死亡者数は百万人を越えるが、そのうち検死だけで済まされている死者は百万人以上、解剖が実施されているものはわずか三万人。それを法医学者250人と病理医1800人で対応している。 エーアイを導入した試案はどうか。検死だけの質の低い死亡時医学検索は、エーアイ導入により確実に減少する。費用拠出さえ保証されれば、明日からでもエーアイは十万人に行うことができる。日本には、世界のシェアの50%近いCTが設置されている上、解剖は、<病理医+法医学者>で、二千人弱のマンパワーでしか対応できないが、エーアイは放射線科医四千人の専門診断のみならず、医師三十万人全員の対応が可能になるためである。

厚生労働省の担当官は、私に厚生労働省内での勉強会を打診してきたが、現在まだ具体的な日時を設定してこない。厚生労働省がこの医療過誤死問題に真剣かどうかのメルクマールとして、

  1. 死亡時医学検索に対する普遍的費用拠出を決定するか
  2. エーアイをシステムに組み込むか否か

の2点に注目していけば、ある程度予測できると思われる。