第49回
2007年6月1日

医療関連死問題における死亡時医学検索についての理解の徹底と試案について2

放射線医学総合研究所重粒子医科学センター病院
江澤 英史
2)病理学会パブリックコメントに関する疑義

厚生労働省が発足させた「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」という有識者検討会に対し、厚生労働省が募ったパブリックコメントへの応募は140件を数え、主要医学会からの公式コメントも27件と多い。その中で、死亡時医学検索の当事者の中心になる病理学会のコメントについて考えてみる。

医療関連死問題は、解剖の充実という従来の方法論では対応できない。剖検率の低下は、臨床医が解剖に対する軽視の発露だからである。実際、モデル事業を継承した「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」の主要委員のひとりは雑誌の取材に対し、「解剖を行わなくても、それまでの臨床経過を検討すれば死亡時の状況は十分把握できる」とし、「死因究明のメインは解剖よりも診療行為の臨床評価にある」と考えている。(医療安全p15-16, No12,2007)。こうした臨床医の意識が底流がある以上、いくら正論として解剖促進を声高に言い募っても効力は少ない。それは、長年病理学会がたゆまない努力を続けてきたにもかかわらず、今日、剖検率低下に歯止めがかからないという実状からも証明できる。従って新しい戦略が必要となる。そう考えたとき、「死亡時医学検索という概念の徹底」と、「エーアイの導入」という戦略が解決策としてきわめて有効になる。エーアイとはオートプシーイメージングの略称(Autopsy imaging = Ai)で、死亡時に画像診断することで剖検と合理的かつ協調的に医学情報を総合しようという検査概念である。検死の発展形としての顔も持ち、剖検が行いえない場合には剖検の代替検査としても機能する。

従来、死亡時医学検索は<検死→解剖>という選択肢しかなかった。これを<検死 →エーアイ→解剖>と系統立てればいいだけである。これは解剖の否定ではない。エーアイと解剖は次元が違う検査なのである。そして、この新たなシステムの稼働に際して、解剖も含めた費用拠出を要求していけばいいのである。  こうした基本戦略に当然賛意を示すだろうと予想していた病理学会理事会は、驚いたことに以下のコメントでエーアイに対し、否定的な見解を提出した。(以下、日本病理学会ホームページより引用)

「診療関連死の評価に用いる解剖は、従来から行われてきた病理解剖、あるいはその延長線上にあるもので、医療機関外で発見された不審死に対する法医解剖ではない。また現在、解剖の代替ないし補助的手段としてオートプシーイメージングなどが模索されているが、とりわけ確定的な医学事実を基礎としなければならない調査、評価に当たって、評価が定まらない方法を用いることは、かえって混乱を招くことになる。このため、解剖と併用する場合以外にはこれらを用いるべきではない」

前段で、これまで模索してきた法医学会との共闘をあっさり放棄し、後段では新興のエーアイを切って捨て、孤高の戦略を選択しているわけだ。そこには従来の方針との断絶と、果断(独断?)的な断行が行われている。病理学会よ、どこへ行く? である。今年3月の第96回病理学会総会では『病理学と法医学の架橋』なる友好的なシンポジウムが開催されたばかりだというのに、驚くべき方向転換である。正確に言えば、病理学会のパブリックコメントは『パブリック』コメントではない。なぜなら私を含め、周囲の病理医の多くはこのコメントの内容を、公表されるまで知らなかった。従って、このコメントは日本病理学会としてのコメントではなく、このパブリックコメント起草者及び賛同者(以下、「病理学会パブコメ起草賛同者」と略記)の考えである、と考えれば合点もいくし、実際そのように考えるのが正当である。

エーアイに関しても、突然の言及並びに不当判断のコメント記載である。私は従来より病理学会に対し、死亡時医学検索において、解剖単独ではなくオートプシー・イメージング(画像解剖=Ai,以下エーアイと略)を導入するという試案を提案してきた。病理学会のシンポジウム、ワークショップなどでもエーアイに対する特別企画がなされてきた。しかし「パブコメ起草者」はそうした経緯を考慮せず、上記の如くエーアイを切って捨てた。エーアイに関しては専門学会も存在し、学術的討論も行われ、関連書籍も出版されている。病理学会、法医学会などの生涯教育単位取得関連学会として認定されていることより、一定のアカデミズム的な評価を(病理学会においてさえ)受けていることは明らかである。また、エーアイという単語自体の、一般的な認知度も上がっている。にも関わらず「パブコメ起草者」が、学術的検討もせず一方的に評価うんぬんに言及するのは、アカデミズム的な姿勢とは言い難い。逆を考えればわかりやすい。私が勝手にエーアイ学会パブリックコメントと称して「病理解剖は適用率が3%以下で実質上、機能不全になっている上、遺体損壊という遺族感情に反する行為でもある。こうした解剖を死亡時医学検索の第一選択に用いるべきではない」と呈示したら病理学会会員はどう思うだろうか。もちろん私には、自分の意見をエーアイ学会に図ることなくパブリックコメントとして提出するなどということはできないし、やろうとも思わない。また同時に病理学会評議委員でもあるので、このような文章をエーアイ学会のパブリックコメントとして掲載するつもりは毛頭ないのではあるが。

この問題に関連して法医学会は剖検費用の値上げという実入りを手にしているが、病理学会はモデル事業に参加した施設だけがいくばくかの費用を手にしただけで、病理診断業務全体的の財政構造にはまったく手を入れられていない。モデル事業は18年度に予算1億2千万、平成19年度は1億2千7百万、計上されている。だが、報告書作成まで至ったのは一年で僅か15例、翌年度からは目標症例を二百例から八十例に下げている。モデル事業に参加したとされる病理医の数は、厚生労働省の報告書によれば札幌1人,新潟12人、茨城4人、東京23人、愛知3人、大阪4人、兵庫1人である。(東京の偏在ぶりが異様に目を惹く)。これで通常の剖検に費用拠出が確定されないまま、このシステムが樹立されてしまったら、それは「東京以外の地域」の病理医に対する、一種の背信行為であろう。

「パブコメ起草者」から、エーアイに対し否定的なコメントが出された理由は、おそらく外部の方たち、例えば内科学会の上層部や厚労省上層部からエーアイ導入を打診されたためだろう。実際、厚生労働省がメディアに配布した参考資料には中長期的展望として、オートプシーイメージングの導入を検討すべきという文言が記載されている。つまりモデル事業内部委員にも、エーアイの認知度と重要性は高まっている。おまけに一般人にも、エーアイが医療過誤死問題に対しても有用な解決手段になるという認識が浸透しつつある。さらに昨年8月には、警察庁がエーアイの一種「検死CT」に予算を計上したという事実がある。実利に厳しい警察庁が費用拠出を決定した検査を、「評価が定まらない検査」とするのは、「パブコメ起草者」の視野の狭さを物語る。

「パブコメ起草者」はエーアイの有用性を理解していないことを衆目に露呈している。エーアイは「評価が定まらない検査」ではなく、単に「パブコメ起草者」が「評価しようとしない」だけであり、「評価する能力をもたない」だけだ。パブリックコメントとしては少々未熟なコメントであり、エーアイに言及するには勉強不足だと言わざるを得ない。つまり、パブリックコメント起草者は、起草者としての資格と資質に欠けている可能性がある。

今回、「病理学会パブコメ起草者」は、エーアイという剖検における協調的代替手段の存在を知りながら、それを組み込んだ解決試案を呈示できず、結果的に厚生労働省の決定に従属した。ひょっとしたら、モデル事業に深く関わった方の筆なのかもしれない、とも予想される。病理学会理事会が問題視しなければならないのは、エーアイという新しい検査概念の台頭ではなく、死亡時医学検索に費用拠出をしてこなかった厚生労働省の不作為である。死亡時医学検索に費用拠出を確定させるという点で意を同じくするエーアイに牙を剥いて内部分裂するようでは、厚労省の思うつぼである。 いずれにしても、モデル事業に参加していた病理学会及び法医学会担当者が「有識者による検討会」のメンバーから外された事実を重く受け止めるべきである。その代わりに、冒頭で述べた「解剖よりも診療行為の臨床評価の方が重要だ」とする某都内大病院の院長が委員になっている「検討会」は、露骨に厚生労働省の方針を浮き彫りにする。そうした経緯のあるモデル事業に対し、学会員に成果を報告することなしにパブリックコメントを提出する病理学会の姿勢には問題がある。こうした問題は実際に稼働を始めれば、個々の現場担当者に直接降り注ぐ。「東京」という、潤沢な医療資源を有した特殊地域で構築された理想的なモデルを、人材及び経済資源乏しい「地方」で展開させられることになるのだ。実際、「モデル事業」は、東京だけには手厚い。モデル事業東京地域事務局が設置されているし、総合調整医も、東大法医学教室教授、東大病理学教室教授、東京都監察医務院院長、あと内科医と外科医がひとりずつの五名。調整看護師も常勤2名、非常勤1名。「解剖協力施設」も素晴らしい充実度である。東京大学、帝京大学、東京慈恵会医科大学、昭和大学、日本大学、順天堂大学、東京女子医大学、東京都監察医務院、虎ノ門病院と、錚々たるメンバーである。このような組織を全国展開しようというのだろうか。しかも、これだけ手厚い陣容をもってしても、一年で報告まで至った症例は全国でたった15例なのである。

今回のパブリックコメントは、「病理学会の総意」ではなく、「病理学会の一部の意見」と明記すべきだろう。病理学会会員全員の意見を集約しようという行為がなかったわけだから、少なくとも「羊頭狗肉」の謗りは免れない。最低でも起草者及び賛同者の氏名は明記するのが、良識ある学術学会の姿勢だと思う。

モデル事業に参加した病理医の意見は、是非、学会ホームページという開かれたメディアでお聞きしたい。その問題意識と情報は共有すべきであるし、そうしたことのために学会ホームページが存在するはずだからである。そのような同意過程を経ずして提出されたパブリックコメントを病理学会会員の総意としてはいけない、と思う。それこそ、「いまだ評価が定まらないシステムに対し、とりわけ確定的な費用拠出の保証もないままに賛同することはかえって現場の混乱を招くことになる」のではないだろうか。

いずれにしても、どれほど努力しても増加傾向の見られない解剖という手法のみにいたずらに固執するのではなく、エーアイを含めた、解剖を基盤とする「死亡時医学検索」という概念の確立を模索することの方が、はるかに未来展望が明るいと思うのは、私だけであろうか。最後にひとこと。エーアイと解剖が合理的に行えて、そこにきちんと費用拠出が行われるような医療構造を構築したい、というのが、エーアイ学会のひとつの目標である。

追記1.この文章は病理学会パブリックコメントの削除要請ではない。なぜなら、これは病理学会の正式コメントとして厚生労働省に提出されてしまった、学会の公式文書だからである。だからこそ、起草者及び賛同者は明記して、公式文書としての正確性をめざしていだだきたい。なぜならこのパブリックコメントを提出した責任者は近い将来、未来の学会員からその判断の成否を問われることになるはずだからだ。追記2.この提言は、--2007.05.30 に病理学会への提言として日本病理学会に送付、同日オートプシーイメージング学会1000字提言として発信した。