内科医から見たAiの必要性
私は、426床の地域の中核病院で、糖尿病・代謝内科を専門とし、院内の医療事故(医療経過)調査委員会委員長も兼任している。
Aiという用語は、恥ずかしながら、この1月に刊行された「チーム・バチスタの栄光」を読むまで知らなかった。このミステリを読んで、ストーリー展開のうまさ、キャラクター造型のよさ、優れた文章力等に感心し、友人・知人に推薦し、いくつかの医療系MLでもご紹介した。
ご縁があり、著者の海堂 尊先生(病理医)、自治医大医療安全対策部助教授の長谷川 剛先生(呼吸器外科医)と私の3名で座談会をして、医療情報誌「ジャミック・ジャーナル」2006年10月号に掲載された。その座談会で、医療事故調査のあり方、死因究明におけるAiの重要性、Aiセンター構想等について「熱く」語り合っているので、もし機会があればご一読いただければ幸いである。(http://www.jamic-net.co.jp/jj/2006/10/index.asp)さて、この座談会でもっとも印象に残ったのは、私たち医師と一般市民との感覚の解離、世間でよく言われる「医者の常識は、世間の非常識」、ということであった。
「チーム・バチスタの栄光」の解決編で、死因解明の切り札としてAiが登場するのであるが、私たち臨床医・看護師等「ごく普通の医療従事者」は、ここでびっくりするのである、著者も当然、そのサプライズを期待して解決編を書いたそうである。しかし、医療関係者以外の一般市民の方々(つまり、大多数の読者)は、「え、なぜ、Ai が意外なのですか?死因解明の目的で、CTやMRIを使うのって、ごく当然だと思いますけど・・・。当然、実際にやっていることなのでしょう? え、実際には、まだごく一部の病院でしかやられていないのですか??それは何故ですか??」という反応が多かったそうである。これは、まさに眼からウロコであった。
専門分野において、市民感覚の尊重、市民のニーズに応えることの重要性が叫ばれている昨今、死因究明の目的でAiを施行しないことは、もはや「世論が容認しない状況」となっていると考えられる。「チーム・バチスタの栄光」がベストセラーとなったことからも、Aiの全国展開・普及は、もはや時間の問題であろう。
Aiの導入に関して、一見障壁となっているように思われてきた、コストはどうやって請求するのか?(病院管理者)、死者にCT(MRI)をするのは抵抗がある(放射線科)、死者をCT(MRI)室まで搬送する業務は誰がするのか?(看護部)、病理解剖への要求事項が増えてしまい業務がますます大変になる(病理部)、等々の疑問・クレームは、いずれも些細な問題である。
当院でも、上記の些細な問題をクリアーして、早急にAiの導入をしたいと考えている。