画像が示すものー法医活動体験談
2005年1月22日第2回Autopsy imaging学会が開催され、多くの発表があった。考えてみると、画像診断はCT検査やAiの概念が広まる前から存在した。実際、銃創における弾丸の所在を知る上で単純X線撮影が有用であったし、生体においても手術前に画像情報を得ることは常識ともいえる。私自身も、死体検案に死体搬送病院から搬送時のCTをお借りして死体検案書作成の参考にしてきた。今後も死後CTやMRI検査は活躍し、Ai学会でも様々な知見や提案がなされるにちがいない。そのなかで議論され、念頭に置くべきことは、画像検査や解剖検査双方に長所・有用性と欠点・限界がある点だと思う。
例えば、救急で来院し治療むなしく外来で死亡確認された患者のCT像。脳内出血、肺野に肺炎の様な影と気胸、気管支内に空気が存在しない、肝内のガス像、腹腔内にフリーエア。これらの所見が1枚のCTフィルムにみられることはまずないだろうが、実際解剖してみると、脳浮腫と軟化により血腫の形は不明、肺炎はなく死後の血液就下と肺水腫がみられるのみ。気胸の有無は多少肺が縮んでいる程度で確信は持てない。気管支内に吐物が貯留しているがあまり大量ではない感じで、肝内の胆管や門脈内には既に胆汁や血液はみられず、腹腔内は糞便で満ち小腸に小さな穿孔部。実際には、こんな多くの解剖所見があると、どれが死因でどれが原傷病か分からなくなってしまうが、画像と剖検所見を比較してもらうと、両者の相違や互いの弱点がお判りになるだろう。
大雑把にいうと、死後(正確には循環動態が狂ってからの)変化は両者の所見に現れる。そして画像に比較して疾病や損傷による詳細な構造の変化は剖検の方が優れている様に思う。一方剖検では画像と異なり、解剖前覆われていた頭蓋骨や胸腹壁が突然取り払われ、内臓が大気と接する、すなわち生前からの物理的環境に急激な変化が加わるために、臓器の位置関係の変化や空気の混入が避けられず診断には苦慮する。あらゆる検査法や治療法に落とし穴は存在する、その“落とし穴”を理解し診療を進めていくことが肝要だろう。
Aiでも同様、autopsyとimagingの限界をわきまえないと誤解、誤診を生じ、不快感や不信感を増長しかねない。逆に両者の長所をうまく利用すれば、現在より一層迅速、正確な診断が可能になるのではないだろうか。