第16回
2004年12月6日

筑波メディカルセンター・PMCT事始め

筑波メディカルセンター病院・救命救急センター長
大橋 教良

筑波メディカルセンター病院は1985年の筑波科学博覧会の始まる1ヶ月前の2月16日に救命救急センターをもつ地域の中核病院として開院した。救命救急センターといえば来院時心肺停止患者が切っても切り離せないものだが、前任地、大阪大学医学部付属病院特殊救急部(当時)では来院時心肺停止症例は異状死体の届けを出すと、すぐに監察医が来て検案を行い、必要により行政解剖が行われていた。救急医としてはまことに恵まれた環境であったし、当時は死後の手順とはそんなものだと理解していた。

その後つくばへ赴任してみると来院時心肺停止症例の死亡宣告後の手順の違い、とくに診断も定かでないご遺体の死亡診断書を自ら記載する必要があることに戸惑いを覚えた。事故はともかく、さしたる病歴もない病死が疑われる例でどのように診断をつけて死亡診断書を記載するか困惑する例も少なからず存在した。当時は当院には常駐の病理医はいないので病理解剖をお願いするのも一苦労であり、それならば手っ取り早く日ごろ見慣れたCTから何か死因につながる手がかりが得られないものかと放射線科医に頼んで全身のCTを撮ってもらったのが始まりである。

生前と同じ読影基準で読影し、死因になり得るような所見が無ければ「急性心不全(推定)」と死因を記載することとした。CTで何らかの所見があればそれをもとに死因を推定し、必要に応じて再度病歴をとるなどしてCT所見と矛盾しない範囲で臨床推定診断をつけていった。

生前と死後のフィルムの読影基準が同じでよいものかは問題であり専任病理医が赴任後には、少数ながら解剖の承諾を得て両者の所見を比較もした。その結果、脳出血や動脈解離など出血性の病変はCTと剖検所見が良く一致するとの感触を得、日本法医学会や日本救急医学会などで発表し、私個人としては一応の区切りをつけた。

病院開院直後から来院時心肺停止症例の全身CTを撮り始めたため放射線科職員からは特に大きなクレームも無かった。「死因が良く分からないのでご遺体のCTを撮らせてくれ」と遺族にお願いすると遺体を傷つけるわけで無し、反対するものなどいなかった。検視の警察官からも重宝がられた。CTを撮って大きな所見がないことを確かめて「病死の疑い」としたほうが警察としても見落としを少しでも避ける意味で好都合であり死後のCTが重宝がられた。それやこれやで来院時心停止症例のDOA(現在ではCPA)シリーズCTは、いつの間にか当院では当たり前の手順になってしまった。

時はめぐり、当院では放射線科の塩谷医長が昔のフィルムをもとにさまざまな学会発表や論文を世に出し、また剖検センターの山崎科長が剖検所見と死後CT所見とを対比させた仕事を開始するなど死後CTの重要性が改めてクローズアップされ、Ai学会も軌道に乗るなど、20年前には考えもしなかった新たな展開になったことを心底喜ぶものである。

死後のCTと剖検はお互いに補完的な関係にあるもので、どちらかがあればもう一方は不要と言う類のものではない。両者の長所を補って正しい死因が確定することが理想であり、願わくは、死亡診断書記載のために行った死後CTにはわずかでも保険点数が算定されるよう関係各位と協力して何とか実現すべきであろう。