第15回
2004年11月2日

救急医療死亡例における解剖(Ai)の有用性
―救急医療と司法解剖の接点―

九州大学大学院医学研究院法医学分野
池田 典昭

変死体の検視、検案におけるCTの有用性についてはすでに岩瀬先生の提言があり、外表検査のみで死因を判断することの危険性は明らかである(第8回Ai学会1000字提言)。このことは何も変死体の検視、検案に限ったことではなく、救急医療の現場においてCPAOA例を扱う場合にも全く同じことが言える。救急医療においては患者の蘇生、救命が第一の目的であり、不幸にして救命できず死亡を確認したら救急医はそこでその患者に対する医療は終わったと考えがちで、そこまでの経過、あるいは救急操置中に撮られた画像を参考にして死亡診断書を発行する。しかしその人に対する医療(行為)は救命不能と判断し死亡を確認し死亡診断書を発行しただけで本当に終わったと言えるのであろうか。

私にとっては単に死亡診断書の発行をもって医療行為が終わるという考えはどうしても納得できない。正確で間違いのない死亡診断がなされた上で正確な死亡診断書が発行されて初めてその人に対する医療が完結したと言えるのではないか。このことは自問自答してみれば明らかで、自分が不幸にして救急医療の現場で死亡した後、本来の死因とは別の死因がつけられ、その死因のもと以後のもろもろの手続きが進んでいったらどうであろうか。特に外因死なのに病死と診断されていたような場合には、あの世から私は病死じゃないよと言いたくなるのではないか。このようなことをなくすためには救急医療における死亡例についてはすべて解剖を行い、正確な死因判定を行った上で死亡前の経過や画像と比較検討する必要があり、そうすることで救急医療のレベルアップにもつながると考える。残念ながら現在まで少数の病院を除いて救急医療現場と病理や法医との連携が充分とは言えず、ほとんどの死亡例が解剖されずに死亡診断書が発行され、中には後になって重大な誤診であったような例もある。

最近我々は、朝方救急外来にCPAOAで搬送された男性に対して心疾患の疑いの死亡診断書が発行されていた例を経験した。この例では男性の親族より男性には生前高血圧と心疾患の既往があり、数日前より胸痛があったとの申告がなされた。救急医が確診のため胸部レントゲンと頭部CTを行ったところ、異常が考えられたので脳神経外科医を呼んで見てもらったところ、「頭部CT上は空気塞栓が疑われる。このような像は外傷にまれに見られることがある。CPAOAで様々な救命蘇生処置が施されている場合、このような像が得られることがあるかもしれない」との意見であった。結局救急医は前述の死亡診断書を発行し、病死の扱いをしたため警察へも通報されず、親族による静脈内への大量の空気注入による殺人事例が見過ごされることになった。

この例では頭部CTで異常(この場合空気塞栓)を疑ったのなら当然解剖をして正確な死因を追求すべきである。逆に言えばCPAOA 例での空気塞栓の頭部CT像などほとんどの医師が見たことがなく、頭部CT像から自信をもってこれは明らかな外因死であり、解剖が必要ですと言えるものではない。

このような極端な例は別にしても、せっかく撮影された死亡時のレントゲン写真を有効に活用し、正確な死因判定の一助にしようとするなら、当面は救急医療死亡例はやはり全例解剖し、正確な死因を確定した上でレントゲン写真を見直し、この死因の際はこのようなレントゲン像が得られる、あるいはこのような像が得られた場合には、生前のレントゲン像ではめったに見られないことではあるがある特定の死因を考慮に入れるべきであるというようなカンファレンスを行うべきである。そのようなカンファレンスを全ての症例に行って初めて死後のレントゲン写真の正確な読影が可能となり、死因診断の一助となるものと考える。救急医療死亡例の全例解剖など夢のような話ではあるが、救急医療の発展のため、あるいはAi技術の発展のためぜひとも必要であると考える。医療(行為)は死の判定をもって終わるのではなくその人の死因を正確に判定し、正しい死亡診断書を発行して初めて終わるものである。死後のレントゲン写真も有能な医師に正確に読影してもらいたいものである。