急死した中山美穂さんは、「Aiセンター」があれば、解剖しなくて済んだだろう。
2024年12月6日、女優の中山美穂さん急死の一報に、日本中が悲しみに包まれました。
実は私も隠れファンで、彼女の早すぎる死に驚きました。心からお悔やみ申し上げます。
当日には、「警視庁が詳しい状況を調べているが、事件性は低いとみられ、病死の可能性があるという」(日刊スポーツ)、「警察は死因については、状況から溺死、急激な温度変化によって血圧が大きく変動し、体に悪影響をもたらす『ヒートショック』によるものだった可能性を視野に入れて調べている」(スポニチアネックス)と報じられ、ネットには「ヒートショック」についての情報が溢れました。
それが翌12月7日には「解剖が実施される」との一報が流れ、12月8日に「調査法解剖」という聞き慣れない解剖が実施された、とメディアは報じました。
そして8日には「警視庁は、死因を特定するため遺体を詳しく調べた結果、目立った傷はなく、事件性はないと判断しました」とし、所属事務所が公式サイトで「検死の結果、事件性はないことが確認されました。また、死因は入浴中に起きた不慮の事故によるものと判明しました」と発表しました。未確認ですがワイドショーの解説員が、「発表する義理もないのに、事務所の方に頭が下がる」などとコメントしたようです。
ここで露呈したのは、警察が主体になった際の死因究明症例における、情報公開のいびつさです。
まず中山さんの死因を究明した施設はどこだったか、発表されていません。
中山美穂さんのケースは東京都二十三区内での異状死です。異状死とは、東京都監察医務院のHPによれば「全ての外因死(災害死)とその後遺症、続発症、自殺、他殺、死因不明、内因か外因か不明」とあり、届け出が必要になります。通常なら監察医制度がある地域では行政解剖が実施され、監察医制度がないところでは2013年に施行された『死因・身元調査法』という法律に基づく、「調査法解剖」が実施されます。監察医制度が稼働しているのは東京都二十三区内、大阪市、神戸市の3個所のみです。東京都監察医務院の死因究明は特にしっかりしていて、2007年刊の拙著「死因不明社会」でも、「東京都二十三区内は死因不明社会ではない」と書いたくらいです。私はかつて、地域における死因究明の格差をモチーフにして『東京都二十三区内外殺人事件』という短編も書いたこともありました。
中山美穂さんの死亡を報じた記事で、「調査法解剖」という言葉を目にした時、懐かしくなりました。それはかつて私が「Aiの社会導入」に勤しんでいた頃、成立した「死因究明関連2法案」の賜物です。この時、警察庁主導で決められかけたこの法案が、「死因に関する情報公開」について何も担保していないとわかった時、日本医師会の今村聡副会長(当時)にお伝えし、医師会を通じたロビー活動で、「遺族の要請があれば、できるだけ死亡時検索情報を提供すること」という付帯決議をつけることができたのです。
これで私は「Aiの社会導入」という私のミッションが一段落したと考え、Ai推進活動の第一線から身を退いたのでした。
さて、昔話はさておき、中山美穂さんの死亡情報発信について、いくつか素朴な疑問があります。
① 東京都二十三区内の異状死ならば、通常は東京都監察医務院で行政解剖が実施されます。なぜわざわざ「調査法解剖」にしたのか。実施施設は東京都監察医務院ではないのか。そうだとしたらどこか。
② 警察が関わりながら、死因公表を所属事務所に任せたのもおかしい。所属事務所からの発表前も、一部メディアは死因に関する報道をしていました。それは警察当局から情報漏洩があったことを意味します。警察が非公式にメディアに情報を流し、それをメディアが報じることはおかしいと思いませんか? 誰がメディアに中山さんの死因情報をリークしたのか。これは警察の捜査情報管理を揺るがす、重大な問題を孕んでいます。
③ 中山さんの死因検索で、Aiは実施されなかったのか?
東京都監察医務院では2013年に改築された際にCTが導入されて以後、相当数のAiを実施しています。ですので東京都監察医務院が対応していればほぼ100%、Aiは実施しているはずです。
なぜなら突然死の原因検索では、Aiを実施すればかなりのケースで死因を確定できるからです。
中山美穂さんのような状況であれば、死因として考えられるのは「溺死」です。そしてAiでは溺死が確定できますので、事件性が乏しいと判断されれば、社会的な死因究明は完了するのです。これは1分でわかります。
溺死の原因として「①心筋梗塞 ②脳出血 ③大動脈破裂などの腹腔内大量出血 ④外傷」などが考えられます。そして②③④はAiでわかる。CTを使ったAiでは心筋梗塞はわかりません。(MRIならわかる)。それを確定させるため解剖を実施する、というのは死因究明として間違っていません。あとは事件性を排除するため血中アルコール濃度や、毒物検査が必要ですが、いずれにしても中山さんには、更なる解剖は不要です。
もし警視庁が、中山さんに対し解剖を実施したとしたら、それは過剰適用といえるでしょう。
警察、法医学者は事件捜査が最優先で、遺族の心情は二の次になります。なので不必要な解剖も平気でやってしまうのです。いずれにしても警察当局は、メディアに半端な情報をリークしているのだから、きちんとした死因究明の結果を公表すべきでしょう。それはそんなに難しいことではありません。
Aiを実施したのか、したならばAiでわかったことは何か。解剖を実施したのか、解剖したとしたらそれで新たにわかったことは何か。どの施設で、どういう根拠で解剖を実施したのか。事務所の発表ではこうした情報は一切わかりません。
警察当局はこういう、小さなことをきちんと社会に公表しないで済ませてしまう体質だから、冤罪が数多く発生するのです。ちなみにあるメディアが中山さんの解剖について警視庁に質問状を送ったところ、「個別の案件については、お答えを差し控えさせていただきます」との回答だったそうです。
つまり警察は故人の死因について、組織としては「お答えを差し控える」としながら、警察関係者は公式には答えられない内容を、仲良しの記者には喋っているわけです。これは公僕たる捜査関係者でもある警察関係者としては、あるまじき対応ではないでしょうか。
こんな警察対応をメディアが容認しているから、警察の不祥事は多発するのです。かつて法医学関係者の汚点と言われた、横浜市監察医務院という施設がありました。そこでは年間3千例を超える行政解剖が実施されていると報告されましたが、担当者はたった一人でした。多くの法医学者が、デタラメだと内々に言っていましたし、私もそう思いました。けれども法医学会に自浄作用はありませんでした。そして気づいたら、横浜市監察医務院はいつの間にか廃止されていました。不祥事の実態は闇に消え、誰も責任を取らなかったわけです。
そのでたらめな横浜市監察医務院が存在した時期は、神奈川県警の不祥事が頻発した時と一致するのです。
かつて「死因不明社会」という著作を刊行した時、その言葉は流行りました。その伝でいくと、今の日本は、さしずめ「無責任社会」だということができるでしょう。
警視庁管内では芸能関係だと死因究明の「闇」が広がります。詳細には述べませんが、かの有名な「押尾学事件」がその典型です。詳しく知りたい方は拙著「いまさらですが、無頼派宣言」(宝島社)をお読みください。書店では入手困難ですが、電子書籍で読むことができます。
いずれにしても今回、通常であれば東京都監察医務院での検案に付されるべき中山美穂さんのご遺体がなぜ、「調査法解剖」という聞き慣れない解剖に回されたのか、一体どこで検索したのか、そうした判断を下したのは誰だったのか、そして検索結果はどうだったのか、ということに関する説明責任は、社会的公平性を保つことが重要視される警察当局が、果たすべき義務なのです。
メディアが報じた内容は、情報の出所が曖昧で、内容もきちんと報じていません。実は私はそれは、「中山美穂さんの死因はAiで判明した」ということを意味しているのだと思っています。
ここでもう一度、最終的な死因に関する報道を見てみましょう。
「警視庁は8日、死因を特定するため遺体を詳しく調べた結果、目立った傷はなく、事件性はないと判断しました」とあり、所属事務所は8日、公式サイトで「検死の結果、事件性はないことが確認されました。また、死因は入浴中に起きた不慮の事故によるものと判明しました」と発表しています。「溺死」だと踏み込んで報じた別の記事もありました。溺死であれば、Aiで判明します。
検死とは体表の目視で、これでは溺死は判明しません。ですので「遺体を詳しく調べた結果」とは「Aiを実施した」と読み解くべきです。しかしAiでわかったというのは、解剖至上主義者の捜査当局と法医学者は、なんとしても避けたい事態なのです。これがおそらく警察が、奥歯に物の挟まったような情報しか出していない理由だと、私などは「邪推」してしまうのです。
さて、また昔話を少し。2013年に死因究明関連2法案が可決された時、「Aiセンター」を死因究明の中心施設にしようというムーブメントがありました。「Aiセンター」の原則は、「医療現場で、画像診断の専門家が撮像、診断し、その検索結果は、遺族と社会に公表される」というものでした。
「Aiセンター」でのAiで検索し、犯罪の恐れがあればそこで警察に依頼する、という形式です。
「Aiセンター」が社会に根付いていれば、中山さんの死亡例に関してもっと迅速かつ明瞭に対応できたことは間違いありません。
警察・検察が固執している、「死因情報は捜査情報とする」という枠組みは、警察の隠蔽体質を助長し、検察の冤罪体質は改善されません。その特効薬こそが、「Aiセンター」の設置だったのです。
2012年の厚生労働省が主催した「Aiに関する検討会」で私は「Aiセンターの設置」を訴えました。そして日本医師会が2010年に出した「年間予算5億円で小児死亡例全例にAi実施を」という提言も、Ai検討会に正式に提出されています。
年間わずか5億円の予算で、小児虐待に関して抑止にもつながる死因究明システムが構築できるのですから、これくらいは実現するだろうと楽観的に思っていたのですが、なんと厚労省はこの提言にまったく対応せず、予算をつけずじまい。今もついていません。
医療現場では2007年に千葉大学に世界初のAiセンターが立ち上がると2008年には群馬大、東北大、佐賀大、福井大などに自発的にAiセンターが立ち上げられていきました。そして2012年には、全国で16ものAi関連施設が立ち上がっていたのです。
そうした動きを潰したのは、第二次安倍政権だったということができるでしょう。安倍政権の大罪は、日本を貧しい三流国に貶めただけではなかったのです。
現在の死因究明制度では、解剖するかどうかは、警察が可否判断します。
「Aiセンター構想」では、Aiをして医師が判断し、事件性があったら警察に任せる、という形でした。
検死官が諸状況から判断するのと、医学的にAiによって判断するのと、どちらが優れているかは明らかだと思うのですが、結局、警察、検察、法医学者が三位一体となって新しい死因究明制度の流れを潰し、いまだに旧態依然、前世紀の形式のままになっています。この時、法医学者は自分たちの研究室にCTを導入し、「おいしいとこ」取りをしています。しかしその死因を遺族や社会に伝えることは、デフォルトにはなっていません。
中山美穂さんのケースはまさに象徴的です。警察は「事件性の有無」を判断するという点から、死因究明の実施を主導しながら、その運用はきわめて恣意的で、事件性がないと判明すると検索結果に対する公表はしません。
つまり、総じて無責任なのです。それは、市民社会に対する、一種のサボタージュです。
「Aiセンター」が機能していたらどうでしょう。「Aiセンター」が中山美穂さんの案件に対応した場合、溺死はAiで確定できます。すると死亡当日に、検査して10分後には「中山美穂さんの直接の死因は画像検索で『溺死』と確定した」と公表できます。さらに、「脳出血、大動脈破裂は否定されたため、『ヒートショックによる心筋梗塞』の可能性が高いと考えられます」と、追加発表できます。
因みに事件性が疑われた場合、「Aiセンターで死因検索し、溺死と判明したが事件性が考えられるため、警察に今後の精査は依頼し、以後の情報公開は差し控える」となります。
ところが実際は、遺体発見から24時間経過した12月7日15時の、警察からの正式な死因についての正式発表はなく、ネットでは「ヒートショックによる心筋梗塞」という「憶測」が溢れていました。
そして18日の報道で「警視庁は8日、死因を特定するため遺体を詳しく調べた結果、目立った傷はなく、事件性はないと判断しました」とありましたが、これは警察の公式発表ではありません。
さて、ここで中山美穂さんの死亡ケースを総括しましょう。
現在の「警察・法医学者主導の死因究明制度」では「調査法解剖」が実施され、その検索内容について、正式発表はない。
「Aiセンター」主導の死因究明では、中山さんは解剖されることなく、当日に概略を公式発表できる。
「Aiセンターによる死因究明」と、「現在の警察からの死因究明」と、どちらの方が遺族にとって、そして中山美穂さんへの哀悼の気持ちに溢れているファンの人たちにとって優しく誠実か、考えてみてください。
ちなみに日本の死因究明制度を担っていると自負する法医学者には、こうした時にコメントする機会はありません。彼らの解剖業務は警察の下請けなので、前面に出て情報発信ができないのです。時々、メディアが法医学者にコメントを求めることもありますが、死因に関して中立的で直接的なコメントは出来ない仕組みになっているのです。
これは「死因という、市民にとって根源的かつ基本情報を捜査情報に含めてしまう」という、警察・検察の情報独占性のために生じた法体系の歪みによって、市民社会が蒙っている不利益です。人は、事件以外でも死亡します。そして全ての人が死ぬのです。その時に、死因という情報を、最初に割合の低い犯罪対応の枠組みを被せるということは、法律的にきわめて筋が悪い建て付けだといえましょう。それを解消する手立てが、Aiを土台に据えた死因究明制度の構築であり、そのシンボルが「Aiセンター」だったのです。
ちなみに中山美穂さんのケースはVIPの超優遇対応だともいえます。一般市民であれば、風呂場で亡くなっていたら、警察官が事件性なしと判断し、Aiすら実施しないでしょう。特に監察医制度がない、日本の大部分の地域では、そうなってしまいます。そして、そこで事件性を見落として大事件に発展したのが、「木島香苗事件」だったのです。
今、死因情報の公平な公開の重要さがクローズアップされています。それは死後、SNSなどで故人の誹謗中傷がなされても、それを守ってくれるシステムがないからです。兵庫県知事選では、百条委員会に提訴しいろいろなトラブルから自死した県職員のプライバシー情報が漏洩され、あることないことの情報が入り乱れ、故人の名誉を著しく毀損しています。こんな社会では、死因について公式な確定情報を流すことは、市民を守るための手段になるのです。
2010年、観光バスの事故があり運転手が死亡しました。このケースでは直ちにAiが実施され、脳出血が死因と確認でき、メディアで報じられました。もしそうした報道がなければ、事故は運転手の過失とみなされていたかもしれません。つまりAiの存在が、一市民の名誉を守ったのです。
従来の警察捜査では、運転手の過失だとみなし捜査がされ、冤罪になっていたかもしれません。
実際、そうしたケースが最近、多数露見しています。
そうした「警察ー検察ー法医学体制」の問題が露呈したのが、「大相撲時津風部屋事件」でした。
その問題解消ために、2012年「死因究明関連2法案」が可決されましたが、肝心の死因情報の公開に対する担保や、そのシステム構築は骨抜きにされてしまいました。
中山美穂さんのケースは幸い、その死に関して問題はありませんでした。でも、ひとつ間違えたらとんでもない事態になった可能性をはらんでいます。少なくとも警察のメディア対応を見ていると、「時津風部屋事件」の教訓をまったく活かしていないと思えるのです。
先日、袴田さん事件で裁判所は、警察による証拠捏造を認定し、袴田さんの無罪がようやく確定しました。
それでも畝本検事総長は、「本判決が「5点の衣類」を捜査機関のねつ造と断じたことには強い不満を抱かざるを得ません」とコメントし、裁判所の判断に異議を訴え、頑として謝罪しようとしません。
警察・検察は、自らのプライドを守るためには市民の幸福や、社会への奉仕精神など二の次だと考える組織なのです。彼らは自分たちを無謬だと粋がっていますが、それが空疎な主張であることを、市民は気づいています。
そんな傲慢な組織に、死因究明を、監査なしで任せることは、とても恐ろしいことだと思います。
こうした問題を解消するには、「Aiセンターの社会システムへの導入」が特効薬になるでしょう。
実はそれは、今からでも遅くはないのです。