早起き、というほどではないが、ちゃんと起きる。もう大学に行かないと。
今日からノーネクタイ運動が始まるようだ。BBCのラジオでも紹介されていた。 ネクタイはいつも付けてないので、今日から付けてみようかな。
朝は某勉強会に出席。
今日は来週月曜日の講義の準備をすること。ベンタムの勉強もすること。
某氏らと某所で昼食。歓談。
某学生の指導。今回からJonsenの`The History of Bioethics as a Discipline' を読む。キャラハンの73年の論文をネタに生命倫理学の歴史と将来を展望する という論文。
プール。1.3キロ。 もっとうまく泳げるようになりたい。
うとうとしつつ、医療資源の配分について勉強。
あんまり自分の研究とは関係ないが、 病名検索ソフトウェア 病名くん、 DPC検索ソフトウェア ふくろうくんをインストールしてみた。 DPCは診断群分類のこと。
まだ勉強中。夕食を食べないと…。
個人的な体験談はなぜおもしろいか。 あるいは、抽象的な話はなぜ(一般に)おもしろくないか。 体験談がおもしろいのは、(1)詳細だからだろうか。 しかし、抽象的な話(たとえば国民医療費の統計)についても、 詳細にやることができる。
では、(2)リアリティがあるからだろうか。 なんとなくそんな気がするが、リアリティとは何か。 詳細な説明+αによって生じるものだとすれば、その+αとは何か。 自分の経験と重ね合わせられるがゆえに、 あたかも自分がその体験をしたかのように感じられることだろうか。
なぜ抽象的な話はおもしろくないか。(1)わからないから。 わからないとはどういうことか。実感がわかないということか、 意味が理解できないということか。国民医療費が約32兆円と聞いても、 たしかに実感はわかない(GNPが約500兆円と聞くと、 比較ができて少しは実感が湧く…ということはないか。 一人あたり年間25万円払っていることになると言えば、 ちょっとは実感が湧くか)。 頭ではわかっても、腑に落ちないということか。
ヘーゲルの精神現象学は意味が理解できないがゆえに実感もわかないのだろう。 意味が理解できても、実感がわかないかもしれない。 あるいは、実感がわかないのなら、意味が理解できてないのか。
抽象的な話をおもしろく感じることが少ないのは、 進化論的に説明されるんだろうか、とか。
帰宅して録画したNHK7時のニュースを見ながら晩ごはん。 ニュースは英語で聞いている(あんまり意味ないが)。
あ、来週の出張のホテルの予約を忘れていた。大阪で一泊するか、 京都で一泊するか。
つい、DVDで前に録画した『スパルタンX』 をつい見てしまう。結末を知らなかった。 どうもゲームしかやったことがなかったようだ。 それにしても三菱自動車の宣伝がすごい。
今日の新聞を大学に忘れてきたようだ。もう寝よう。
といいつつ、ついついテレビでやっていた 『ベティ・サイズモア』 も見てしまう。おもしろいなあ。 レニ・ゼルウィガー最高。
なんとか午前中に起きる。大学に行かないと。
抽象的がどうとか昨日書いたが、 2001年の日記にオーウェルの見解が記してある。 政治家は抽象的なものは頭に入らないことを利用するということと、 物書きは抽象的に書くことを避けなければならないということ。 ただし、抽象的な事柄はなぜ頭に入りにくいかについては答えていないようだ。
ホテルの予約をすること。
某氏らと昼食。小雨が降り出す。
オランダでも国民投票でEU憲法批准を否決。ますますたいへんだ。
結局、京都駅のそばに泊まることにした。 今回は旅の窓ではなく、JTBでホテルと新幹線のチケットを一緒に予約した。 こっちの方がちょっと自由度が減って面倒になるが、かなり安いな。
某阪大COEでの授業のスライドをメールで送る。
眠い。
「人生がすっぱいレモンを押しつけてくるなら、 それであまいレモネードを作ればいい」 (When life gives you lemons, just make lemonade.) だそうだ (生きる: 小児がん征圧キャンペーン 米少女の絵本「レモネード屋さん」、邦訳版出版へ)。
なんかもっと日本的な表現はないかな。 「人生がすっぱい梅干しを押し付けてくるなら、 それで梅酒を作ればいい」とか。
夕方から某授業。今日は司会を務める。
授業が終わったあと、買ってきたビールで同僚らと歓談。 ほとんど何も食べていなかったせいか、けっこう酔っ払う。
雨の中、弁当を買って帰宅。眠い。
お昼前に起きて、某氏と昼食を食べてから大学へ。堕落している。
某氏の研究室で少し雑談をしたあと、 某氏と一緒に上野に行き、 某JTBでチケットをもらってくる。 ついでにパールティーを買って飲んだり、 某氏につきあって某ディスカウントストアに行ってみたり。
いかん、勉強せんとやばい。
昼下がりは某面接やら雑用やらで忙殺。 夜は同僚や学生らとバドミントンをしたあと、プール。 20分で600メートル(平とクロールが半々くらい)。 この調子で一時間泳げるといいのだが。
遊んでいる場合ではない。仕事しないと。
上の連中ともんじゃ焼きを食べに行く。 もんじゃ焼きというのは不思議な食べ物だと思う。 ビール一杯と泡盛一杯を飲んで酔っ払う。歓談。
研究室に戻ってきて仕事。
万歩計は、ようやくニューヨークを終わり、 これからロンドン。まずトラファルガー・スクエアから 大英博物館へ。
某翻訳の添削。一緒にやっている学生が優秀なので助かる。 こないだの翻訳とは大違いだ。
起きる。右腕と背中が筋肉痛。
1998年のトゥーリー来日講演が、 「道徳的に重要な違い」とか、類推について考えるきっかけとなったようだ。 あのときは勉強会までして準備したのに、全然質問できなくてダメだった。 今なら何を聞くかなあ。
洗濯、シャワー、テレビを見ながらアイロン。
ダイエット番組を見ながら。
服が薄くなってきたせいか、最近、 筋肉が付いたというコメントを何度かもらった。 30才になってようやく運動に目覚めた男。
ダイエットというのは今までよく理解できなかったが、 「より健康になる」という感じはわかるようになってきた。 「健康=病気でない」という図式から、 もっと積極的な意味での健康(self-efficacyとかなんとか)を追求するように 意識改革できれば、 運動とか食生活にも気をつけられるようになるんじゃないだろうか。
あ、「二つの健康概念」というのを思いついた。 消極的健康と積極的健康。 消極的健康とは、「病気や怪我や飢餓から自由であること」であり、 積極的健康とは、「自分で自分の健康状態を支配していること」。 健康増進(health promotion)による介入の目標は、 積極的健康に目覚めてもらうことなんじゃないだろうか。
某スタバで新聞。某丼屋で遅目の昼食を食べたあと、 クリーニング屋に寄ってコート2着を受けとってくる。 部屋に戻ってくると暑いので扇風機を導入。
2003年のMLでの読書会は続かなかった。 MLで勉強会を継続するのは難しい。
お尻と太ももも筋肉痛。 あれ、「太ももも」という表現はおもしろいな。 もももすももももものうち、すももも太ももももものうち。
万歩計を付けるようになって、 歩き方についても考えるようになった。 31才になってようやく歩くことに目覚めた男。
レッサーパンダに続き、プードルやゴマフアザラシも「立つ」ようになったようだ。 次に立つものは何か。
だめだ。勉強しよう。
[雨の不忍池]
昼下がり、プールに行く。 40分で1.05キロ。疲れた。 不思議なことに、泳いだら筋肉痛が消えた。 そんなもんなのか。
それから上野に行き、 某家族と寿司とお好み焼き。大雨に降られる。 また傘が一本増えてしまった。 小雨になったころを見計らって、自転車で帰宅。 つかれた。
万歩計は英国博物館→ロンドン博物館へ(ここ、知らなかった)。 次はタワー・ブリッジだそうだ。
頭の中で`Mother's Little Helper'がループしている。
夜、ついマンガ喫茶に行き、『カイジ』を読んでしまう。 カイジと一緒に奈落の底に落ちる感じ。 だめだ、勉強しないと。
テレビ(NHK教育)ではアグネス・チャンが世界の紛争地帯で起きている 不正義について訴えている。なぜ何も変わらないのか。というか、 オレは何をしているのか。I don't live today...
ちょっと仕事。
京都の某氏と電話。 先達というか、いろいろ相談に乗ってくれる人がいるのはありがたいことだ。
夜更ししたせいか、お昼に起きる。 明日からは心を入れかえて早起きしよう。
トゥーリーも反省的均衡とか言ってたのか。 すっかり忘れていた。『法と比喩』を読んでいるあたり、 やはりこのころからアナロジーについてよく考えるようになっているようだ。 トゥーリーのそのときの発表内容は『実践哲学研究』のページから見れる。 [ヒトのクローニングの道徳上の地位]
顎が鳴る問題は最近もあるが、 あくびをすると鳴るぐらいで、それほどひどくない。 そういえば、最近しばらくは鳴らなくなったような気がする。
洗濯。洗濯機のどこかに10円玉が入ってしまったらしく、 カランコロンと音がするが、見つからない。う〜ん。
洗濯機は少し調べてみたが、10円玉は発見できず。なんでだろう?
なんか、身体は健康になりつつあるのに、精神は病みつつある気が。 empowermentとかself-efficacyとかいうのは大事な概念だよな。 体力も知力も、少しずつ積み上げていって、自信を付ける必要がある。 付け焼刃ではいけない。 広大な領域を目の前にしても挫けることなく、 一歩一歩確実に踏破するつもりで行かなければならない。
散歩でもして元気を出そう。
[イスとクツ]
昼下がり、歩いて後楽園の某喫茶店に行き、新聞を読む。 しばらくして別の喫茶店に場所を変え、勉強。 夜は某アジアンな店で食事。歩いて帰宅。
一日の歩数ノルマに達していなかったので、某ローソンに歩いて行き、
電話代などを支払う。さて、もうすこし勉強しないと。
某テキスト推敲の仕事。眠い。
「忘れもの」というのも良い響きがあるが、 英語の`Lost and Found'というのも良い言葉だ。 必ずしも見つかるわけではないだろうが、 `lost'のあとに`found'が付いているところがよい。
`Lost and Found'で思い出すのは、キャロル・キングの`Natural Woman'だ (それぐらいしか知らない)。
And when my soul was in the Lost and Found
You came along to claim it
I didn't know just what was wrong with me
Till your kiss helped me name it
私の心が落としもの預かり所にあったとき
君が受け取りにやってきた
自分の問題が何なのか、ずっとわからなかったけど
君のキスでやっとわかった
ユーメーミーフィーッ。ユーメーミーフィーッ。 ユーメーミーフィーラーカーナーチューラーウォマーン。
…それはともかく、勉強しないと。
某テキストの原稿を一通り読み終える。 文体、難易度がバラバラな感じで不安だが、 もう少し時間があるので、 なるべくすり合わせをするよう努力しよう。
眠いが早起きして大学へ。
出張用のカバンが必要だ。
京都。酔っ払い。
お昼に某氏と本郷で昼食を食べたあと、 新幹線で京都へ。車内ではよく寝てから仕事。
大阪に来ると、異様に大阪なので驚く。 とくに御堂筋線が大阪だった。
御堂筋線で淀屋橋に移動し、 某大中之島センターを探して1時間近く彷う(地図を持参するのを忘れた)。 ずいぶん早く大阪に着いたのに、結局たこ焼きも食べられず。残念。
夜、授業。ダメ。なんとかならんものか。 医療資源の配分の話は難しい。
そのあと、某先生らと沖縄料理屋で食事。 43℃の泡盛を一杯飲んで相当酔っ払う。危ない。死ぬかと思った。 某OD氏の苦悩を聞き、いろいろ考えさせられる。
大阪駅あたりで酔いがピークになるが、 なんとか京都に来てホテルへ。 お好み焼きが食べたい。
アルコールが入っていたせいか、 何度も目が覚めたのでちょっと起きる。
もうちょっと質問をうまく捌けるように訓練しないとなあと反省することしきり。
何度も目覚めるが、結局10時まで起きられず。 チェックアウトはたぶん11時か12時だろうと思って 調べると、10時であることがわかり、フロントに電話して 急いでシャワーを浴び、荷仕度して出る。
なぜ先にチェックしておかないのか、ほんとにimprudentだ、 とか考えながらホテルを出て歩いていると、携帯を忘れてきた ことに気付き、情けなさ一杯でホテルのフロントに戻る。 なんというか、もう少ししっかりしなければ。
コンピュータを入れているカバンがはちきれそうになっていたので、 駅前の某無印良品に行き、ボストンバッグを買う。 ついでにシャツも買いたかったが、良いものが見つからず。 最近はシワシワのシャツが流行っているようだ。
それから地下の喫茶店へ。とりあえず、カバンは二つになったが きれいにおさまった。
ヒゲも剃らないとなあ。というか、勉強しないと。
ひさしぶりにMeadow(2)を使って書いている。 しかし、このコンピュータにインストールした Meadowは設定がちゃんとなされていないようで、 html-helper-modeにもならないし、 リターンを押すと改行してしまうなど面倒。 が、たまにはこういうのもいいな。 あ、Meadow2にはhtml用のタグが用意されているのか。
新幹線の中で。
朝、喫茶店を出たあと、地下鉄で今出川まで行き、 そこからバスで某百万遍大学へ。 文学部閲覧室で2時間ぐらい本を読む。 『功利主義は生き残れるか』という本を途中まで。 思想史の人はよく勉強しているなあと感心。 オレももっとがんばらないとぜんぜんダメだ。
中央食堂でパンを買ってから、 某第二演習に出席させてもらう。 ロックの社会契約論の話。 修論にしてはよく書けてるなあと感心しつつ聞いていたところ、 オーディエンスからは褒める言葉は一つもなく、批判の嵐。 ここでは学生は持ち上げられることなく、 とりあえず千尋の谷に突き落とされるようだ。 くじけずに修練を積んでレベルアップしてほしい。 というか、人のことをアレコレ言える身分ではない。
そのあと、某助教授と少しD論の相談。 ほとんど準備をしていかなかったので、 今後の日程について相談など。 日頃の生活を深く反省し、 今日から毎日D論と向き合うことを誓う。
夜、某助教授とその一行とお好み焼き屋で夕食。 ひさしぶりにそこそこのお好み焼きを食べた。
食事をしながら歓談しているときに、 帰りの新幹線の時間がふと心配になり、 カバンの中を探してもチケットが出てこない。 青くなって、今朝チェックアウトしたホテルに電話すると、 ないと言われる。もう一度よくカバンを探っても、 やはり出てこない。他にはホテルぐらいしか思い当たらないので、 もう一度ホテルに電話して、もうしわけないがもう少しだけ 探してくれと頼み、電話番号を伝える。
仕方ないのでもうあきらめかけていたところで、 ホテルから電話がかかってきて、 ゴミ袋から出て来たと言われる。 どうもオレが酔っ払って捨てたか、 掃除の人が確認せずに捨ててしまっていたらしい。 いずれにせよ、ゴミ袋まで確認してくれたホテルの係員さんに感謝。
もうしばらく一行と歓談したあと、 タクシーと地下鉄を乗り継いで七条へ。 ホテルでチケットを受けとり、 急いでおみやげを買ってから新幹線に飛び乗る。
なんかいろいろと大変な出張だったな。 次回はもう少し周到にやろう。
帰宅。新幹線で本を読んでいたら、寒かったのか、 乗り物酔いしたのか、少し気分が悪くなった。
新聞を読んだら寝よう。
早起きして大学へ。朝の勉強会。
昼、某氏らと食事。研究室に戻ってきてから雑用。やたらと眠い。
合計特殊出生率は、2003年は1.29、2004年は1.28強。
万歩計は、グリニッジ、ヴィクトリア・パークを通り、エンジェルへ。 エンジェルしか行ったことないぞ。
7月末にA・カプランとエンゲルハートが早稲田に来るようだ。見に行こう。
昼下がり、某学生の指導。ジョンセンの論文の続き。
そのあと、ちょっと某氏と公開講座について相談。
夕方、プールに行こうと部屋を出たところ、 某教授に学科の懇親会があることを指摘され、 急いで山上会館へ。すっかり忘れていた。
知らない人ばかりで居づらいこともあり、 さっさと抜けて、泳ぎに行く。 今日は1時間で1.3キロ。 クロールと平泳ぎを25メートルずつ交互で。 最初の500はきつかったが、 あとはだいぶ楽に泳げるようになった。 とはいえ、 足を付かずに泳げるのは、最初の250ぐらいで、 あとは50か100で一休みしつつ泳いでいる。 とりあえず、1時間1.5キロを目指そう。
そのあと、某所で某丼を食べてから研究室へ。 某氏らがサッカーを見ているので、つい一緒に見てしまう。 ゆっくりしたゲーム展開だったが、最後は日本が2-0で勝ち。
さきほど歩いて戻ってくるときに考えていたこと。 われわれ人間は一緒に大きな道を歩いている。 多くの人は、とにかく歩くのに精一杯で、 どこから来て、どこへ行くのかわからない。 時間に余裕のある一部の人は後を向き、 どのような道を歩いてきたかを見極めようとしている。 また別の人々は前を向き、 この道がどこへ続くのか知ろうとしている。 さらに別の人々は、他の人々を先導して道を進む。
さて、オレは何をしているのか。前にある道の行く先を知るために、 後の道について研究していると言えるだろうか。 あるいは、他の人々を先導して道を進もうとしているのか。 いずれにせよ、どこへ行くかをよりよく決めるためには、 どこから来たのか、どういう間違いを犯してきたのかをよく知らなければならない。 しかし、後の道を研究すること自体を目的にしてはならない。
前に道はあるのか、それとも道は自分あるいは他の誰かが作るものか。 この点では、むしろ道というより、川の流れの方が適切な比喩のようだ。 放っておいてもわれわれは未来へと流れていく。 流れを変えることもできるが、慣性の力が強いので、 急にその向きを大きく変えることは難しい。 しかし、その流れの力を知り、どこから流れてきたかをよく知れば、 どこへ流れていきそうか、またどこへ流れていくべきかもわかってくるだろう。
問題は、オレは何一つよく知らないということだ。 賢い人は、これからどこに流れていきそうかを知っている (ただし、一部の人はある方向へと必然的に流れていくと考え、 どこへ流れていくべきかと論じるのは無駄だと考えている)。 賢い人は、これまでどこから流れてきたかを知っている (だたし、一部の人はその知識を前向きに使用することは 思いつかない)。 指導力のある人は、流れていくべき先について議論し、 実際に流れを変えている。 オレはまだ中途半端でまだ流れの先も読めなければ、 後向きの知識もまったく十分でない。
「われわれはどこへ行こうとしているのか、 またどこへ行くべきなんでしょうか」
「そんなこと気にせず、流れに身をまかせてたゆたってたらいいんじゃないの」
「プールだったらそれでもいいかもしれませんが、 この流れは一部はわれわれ人間が作っている流れであって、 自分たちで変えようと思えば変えられるんですよ。 それなのにたゆたってなんていられないじゃないですか」
「むりむり。もう大きな流れになりすぎて、 簡単には流れは変えられないよ。だから歴史の必然とか言うわけでしょ。 あんまり無理しないで、たゆたってるのがいいよ。ぷかぷかと軽やかに」
う、勉強しないと。
米で新たな進化論争 「神」ではなく「知的計画」?(asahi.com)。 「生命の誕生や進化の背景には知的な計画があった」そうだ。 きっとその「知的な計画」の中には、 一部のアメリカ人がこういう説を唱えるという筋書きも含まれていたのだろう。
ついでに引用しておくと、 「CBSテレビが昨年11月に行った世論調査によると、米国人の55%は、神が人間 をつくったと信じ、27%は進化の過程に神が関与したとし、全く神がかかわっ ていないとする人は13%にとどまった」そうだ。
ちょっと某翻訳の推敲。
あかん、時間がない。 もっとエフォート配分を考えて一日を過ごさんとD論の修正ができん。
やっと帰宅。新聞を読んで寝よう。
今日買ったアルバム。Love Affairの`The Best of the Good Times' (2001)。 ほんとにスティーヴ・マリオットみたいだな。 Coldplay, `X&Y' (2005)。Coldplay節。はまりそうだ。
今日はKilnerのWho Lives? Who Dies?(1990)も古本で届いた。 ちゃんと読もう。
夜更ししたせいか、早起きできず。さっさと大学に行かねば。
大学へ。 クリーニング屋が閉まっていた。木曜閉店のようだ。
蒸し暑い。なんかいきなり眠いのだが、どうしたことか。
食事、雑用、雑談。腰を据えて勉強しないとダメだ。
某所からも、無関係な仕事はあまり引き受けないで、 業績を作るように教育的指導を受ける。
蒸し暑い。
ちょっと心を落ちつけて読書。読むのではなく書かねば。
万歩計は、リージェンツ・パークからハイド・パーク、ケンジントン。 次はチズィック。ってどこ?
夕方から某授業。夜、スタッフのみなでビールを飲みながら歓談。 酔っ払う。
川というか、時代の流れを感じる。 遅蒔きながら、 がむしゃらに泳ぎ方を身に付ける時代は終わりつつある。 これからは、目的を定めて泳いでいかなければ。 This is the end of the innocence...
朝起きる。雨。クリーニング屋に春コートを預け、 ちょっと寄り道してから大学へ。 某実習のガイダンスや、某雑用などを済ます。勉強しよう。
夕方までテキスト関係の相談をしたり、来週の授業の準備をしたりする。 それからジムでプール。50分で1.1キロぐらい。つかれた。 近くの韓国料理屋で晩ごはんを食べてから帰宅してニュースを見る。
さて、もうちょっと仕事をしないと。
しばらく某翻訳の推敲。
朝起きて昼に大学へ。某摸擬倫理委員会。 別の仕事で忙しい。
先日某助教授にも助言をいただいたが、 ファイルのバージョン・コントロールは本当に気をつけよう。 ちょっと翻訳のファイルで痛い目に遭ったので。
上のファイルのバージョン・コントロールの件は、 今回は大丈夫だったようだ。しかし、これ以降気をつけるようにしよう。
今日は摸擬倫理委員会はほとんど参加できず、 某翻訳の作業をやっていた。 夕方に某先輩がいらして、その某翻訳の相談。 夜まで人生相談も含め、いろいろ話を伺う。
そういえば、シンガーのOne Worldの翻訳の訳者献本が今日届いた。 もうすぐ出版されるようだ。 現在の倫理学者でおそらく最も勢いのある人による本なので、 倫理学とグローバリゼーションに関心がある人はぜひどうぞ。 児玉は第5章の訳を担当しています。
ひさしぶりにTrainのDrops of Jupiterを聴いて元気になる。 この人たち、2003年に3枚目のアルバムを出してたんだな。 ぜんぜん知らなかった。たぶんそれほどよくなかったんだろうけど、 買ってみるか。
夕方ぐらいから少しお腹を壊している。なんでだろう。
某翻訳や某テキストの雑用で忙殺。夕食を食べるのを忘れた。
「忙殺」と書いたが、忙しさにかまけて研究を忘れていてはいけない。 研究職はlabour of necessityとlabour of loveの境界線があいまいなため、 研究のつもりで雑用をしていることがままある気がするが、 雑用で忙殺されることで充実感を得るようになったらおしまいだ。
先日も書いた気がするが、プライオリティとかエフォート率とか、 言い方はなんでもいいが、ちゃんと時間や努力の配分を考えないといけない。 そういうところではきちんと合理的になろう。
しかし、やるべきことの順序を付けるためには基準が必要で、 そのためには「人生の目標」のようなものがないといけないんだよな…。 予備校時代ほど人生の目標が明確だったことはないが、 当面の目標は何か。あ、学位を取ることか。 学位を取るべく研究し、必要な仕事はさっさとこなすようにしよう。 断れる仕事はすべて断る。
もうちょっと考えてみる。 なぜ予備校時代ほど学位取得については没頭できないのか。
生きるためにほかにすることが多いというのが第一の理由だろう。 予備校のときは親兄弟に金を出していてもらったから、 働かずに済んでいたわけだ。死ぬほど感謝しないといけない。
もう一つの理由は、受験勉強には産みの苦しみがないということか。 予備校での受験勉強はそれ自体が楽しかったので、 長期的利益も短期的利益もあったが、 長い論文を書くことは、長期的利益は大きいが短期的には非常に苦しい。
思うに、 博士論文のような長い論文を書ける人は、次の三つに分類される。
この「なんらかの差し迫ったプレッシャー」というのが、 「D論を書かないと就職できない」というようなものであれば、 (2)の長期的利益と重なるんだろう。 オレの場合は、「今取らないと二度と取れない」とか、 「今取らないと就職がフイになって路頭に迷う」 とかいうものだろう。これも長期的利益の一種と言えるかもしれないが、 ヒタヒタと迫ってきて現実味が出てこないとやる気が出ないところがダメな ところだ。できれば(1)のような人間になりたい。いつかなれるのだろうか。
真夜中にマンガ喫茶に行ってしまう。 『はじめの一歩』を少しと、『Pluto』2巻まで。 『カイジ』もパチンコ編を最後まで。 そういえば、『Pluto』では「大量破壊兵器」に引き付けて、 「大量破壊ロボット」という話が出てきていたな。
もう一日だけシンガーの訳本の宣伝しときます。 現在の倫理学者でおそらく最も勢いのある人による本なので、 倫理学とグローバリゼーションに関心がある人はぜひどうぞ。 児玉は第5章の訳を担当しています。
あれ、2003年に、 Trainの新譜について言及してるな。 結局そのときは買わなかったわけだ。 「なぜ『ニコマコス倫理学』と言うか。 授業で扱うときに、二コマでは十分に教えきれないからである」 という自分のジョークについ笑ってしまう。 昔のオレはおもしろいなあ。
2004年には、 ケアの倫理と四原則アプローチの違いについて書いている。 簡単にまとめれば、原則主義とアンチ原則主義の対立か。 しかし、そこに書いているように、折衷主義的な立場がありうるように思う。
しかし、アンスコムのズボンを話は傑作だな。 小噺として覚えておこう。
起きる。首が凝っている。
某スタバで新聞。ひさしぶりにガーディアン・ウィークリーを真面目に読む (一応毎週目は通している)。やはり、世界の現状について知るようにしないと、 どんどん関心を失ってしまう。NHKの7時のニュースを見ているだけではダメだ。
某丼屋で遅い昼食を食べてから研究室へ。
「少子化対策についてなんですが、 日本では性教育をすると保守派がうるさいし、 いっそのこと学校で性教育をしなければいいんじゃないですかね。 そうすれば、10代の妊娠が増えて、世代交代も早くなっていいんじゃないですか。 どうせ少子化で教室はたくさんあまっているだろうから、 中学校や高校に託児所をもうけて、 中高生が子供を育てやすい環境を作ればいいんじゃないですか。 生命の尊さもわかるだろうし、大人の責任も早く身に付くんじゃないでしょうかね」
「その議論の欠点は、世論の反対という以外にいくつか考えられるね。 一つは、中絶の可能性を考慮していないこと。妊娠したからといって、 また子育てをしやすい環境を作ったからといって、中高生が産むという選択を するとは限らない」
「じゃあ、子育ての楽しさを教える教育だけしたらいいんじゃないですか」
「それが有効かどうかはおいておくとして、もう一つは、 妊娠させた男性が責任を取るか不明確で、シングルマザーが増える可能性があること。 教育を受けるべき年齢の女性が、不当に子育ての責任を負うことになるかもしれない」
「いや、クラス全体とか、学校全体で子育てしたらいいんですよ。 それに、もし同じ学校の男子生徒が妊娠させたんなら、 責任を取らなければ他の生徒から白い目で見られるだろうし」
「そんな風にうまくはいかんよ。適切な性教育をしなければ単に中絶が増えるだけだ」
「じゃあ、どちらが正しいか改革特区を作ってやってみましょう」
「めちゃくちゃだな、君は。まず君が子育てしたまえ」
日本語でも「ありえない」という表現が流行しているようだが、 英語でYou're impossibleと言えば、 「あんたはありえない(無茶苦茶だ、どうしようもない)」 という意味。基本的には非難の意味をこめて用いられる。 intolerableと同義。
通常、impossibleは事柄を主語とするが(that's impossible, it is impossible to do...など)、 この意味では人が主語になるところが特徴。
夕方は某翻訳の添削。夜ごはんは某カレー。
明日の勉強会の準備が一向に終わらず。とりあえず帰宅。
万歩計は、キュー・ガーデンズ(行ったことない)からどこかを通って ウインブルドン・パーク(行ったことない)へ。
やっと一本目の論文のまとめが終わった。 もう一本は早起きしてやろう(というのが危ないのだが)。
少し早起きして勉強会の準備。一応準備が終わる。 ヒゲを剃ったらさっさと行かねば。
朝から某ベンタム勉強会。 QALYとRule of Rescueの話で発表。 夕方までみっちりと勉強する。
勉強会のあと、喫茶店で歓談。 『オニババ化するなんとか』がおもしろいそうなので、 買って読んでみよう。
それからプール。1.125キロ。 なんだか今日は苦しかった。 最後は足がつってリタイア。 平泳ぎはキックを強くすると速くなると思って試していたら、 足がつって溺れそうになった。 準備運動をして、スポーツドリンクで水分を補給すること。
夜は同僚らと研究室で某所の丼を食べる。
眠い。
夜、研究室では資料を整理しただけで勉強できず。 上野の某所に扇風機を買いに行く。 自宅にある扇風機を大学に持って行く予定。 ヘッドフォンも買おうと思ったが、悩んだ末、結局買えず。 今度秋葉原でも行ったときに買おう。
万歩計はバターシー・パーク(行ったことない)を過ぎて バッキンガム・パレスへ。毎日1万歩近く歩いているせいか、 先日から万歩計のキャラクターがスキップしだした。
眠いが起きる。
某勉強会。 ヨーロッパの生命倫理と、QALYと功利主義の関係について。 出席者が少ないのでショックを受ける。
またUSBメモリを洗濯してしまった。 今度も動いてくれるだろうか。
昼下がり、某丼屋で食事をするついでに、 帰宅してUSBメモリが動くかどうか試してみる。 まだけなげに動いてくれた。 二度と(USBメモリを)洗濯しないことを誓う。
昼下がりから某ミーティング。 これまた閑散としていて寂しかった。 まあ少ない方が議論はしやすいが。
そのあと、しばらくたまっている新聞の切り抜き。 ちょっと水泳に行ってから勉強をしよう。
夕方、クリーニング屋に預けていたコートを受け取ってから、 自宅で水泳具を揃えてジムに行き、泳ぐ。1.2キロぐらい。 平泳ぎとクロールを25メートルごとに 交代して泳ぐのは結構つらいので、 平泳ぎ100に対してクロール50ぐらいで泳いでみたら、 今日は比較的楽に泳げた。
生協で買物してから研究室へ。 お勧めで売っていたドイツ製のヘッドフォン (Sennheiser MX550) を買ってみる。たしかに低音も高音もよく聴こえる。
研究室でカップラーメン、ツナサラダ、豆乳。
2002年に書いている、 Schedule Watcherは、 今もありがたく使わせてもらっている。現在のバージョンは4.13。
某翻訳の添削。スキャンロンもまじめに勉強せんとあかんな。ハーサニーも。
雨。比較的早起き。洗濯をしてから大学へ。朝の勉強会。
「とは思います」「と考えてはいます」。やはりこの「は」が気になる。 「誰かに指摘されなくても、そのぐらい『は』すでに考えてますよ」 「わたしは仕事(研究)をここまで『は』ちゃんとやってますよ」 という感じかなあ。なんか気持ち悪い。
質的研究と量的研究の相同について議論。この問題もおもしろいので 一度研究してみたい。
某氏らと昼食。
この「花粉症、患者で実験 天井から散布し反応観察 7月稼働」(asahi.com)という記事、 なんだかすごいな。 有償の被験者とあるけど、(身体的に、また倫理的に)大丈夫なんだろうか。 まあ、第一相の治験みたいなものか。
某学生の指導。ジョンセンの論文の続き。 文章が難しいのか、あまり進まない。
今年も科研費は不合格。結果は今週の月曜日に届いた。 また紀伊國屋のツケを自腹で払う必要がありそうだ。う〜ん。 あ、ファイザーの研究助成も出してみないとな。
明日の授業の準備。蒸し暑い。
暑くて仕事にならない。帰ってシャワーを浴びて勉強しよう。
某丼屋で食事をしてから帰宅。今日は一日U2を聴いている。 PrideやBadを聴くと元気が出る。
ちょっと某翻訳のチェック。
自宅で仕事をするつもりが、あまり進まず。 ついブリジット2を見てしまったり。ダメだ。
ブリジットはいつ見ても「痛い」なあ。
万歩計は、(行ったことのない)パリに着いたので、 モンパルナス→(あこがれの)サン・ジェルマン・デ・プレヘ。
そういえば、ロンドンにいたときに一度パリに行こうとしたのだが、 ユーロスターの当日券が高かったのでやめてケンブリッジに行ったんだった。 近いうちに行けるといいが。
ブリジット2を最後まで見てしまう。 あ、Love Affairの`Everlasting Love'はこの映画でかかっていたから 最近よくラジオで放送されていたのか。
そういえば、ジョンセンは哲学者の得意なこととして、 論証の誤りを指摘すること、概念の明確さを要求すること、 主張の正当性を尋ねることの三つを挙げていた。 「その推論は誤っています」「その概念はあいまいです」 「そう主張する理由は何ですか」。 これら三つの素養はちゃんと身に付けなければならない。
今日も雨。お昼前まで起きられず。お昼は某氏と新しくできたラーメン屋へ。 なんか変わったラーメンだった。
雑用をしているとあっという間に夕方。 今日はオレの授業の番(医療資源の配分)で、 撮影が入るのでかなり緊張している。 そのせいか、ちょっとイライラしていたようだ。 心を落ち着かせて楽しんでこよう。
夜、某授業。医療資源の配分。 最初から最後まで緊張したが、 奇跡的に時間通りに終われたのでよかった。 同僚の方々にもいろいろ助けてもらった。感謝。
そのあと、同僚の方々と事務室で飲む。 某同僚が下にある漫画礼賛と同じ主張を していたので意気投合する。
夜中、歩いて帰宅。ニュースを見てちょっとご飯など。
万歩計はサンジェルマン・デプレからエッフェル塔ヘ。 次はブーローニュだそうだ。
遅起き。さっさと大学に行かねば。
大学生のための本の探し方、おもしろい。 今は大体OPACで調べられると思うが、教室が所有している本は一般に 貸してくれないというのは、某本郷大学(の文学部)でも同じようだ。
某氏と昼食。朝遅くにシリアルを食べたせいか、 ご飯にまったく手をつけられず。顰蹙。
少し遅刻して(これも顰蹙)、某面接。 「生命倫理学研究者」を養成するカリキュラムについて、 そろそろ真剣に考える必要がある。
某氏と連れだって久しぶりに法学部の図書室に行き、論文をコピー。
蒸し暑い。
あ、新聞を読んで、たまっている切り抜きもやらないと。いろいろ雑用が。
夕方、水泳(600メートル)とバドミントン。 バドミントン中に転げ回ったときにちょっと腰を痛める (バドミントンで転げ回る人も珍しい)。
そのあと、同僚や学生らと居酒屋で夕食。歓談。 遅くなったので真っ直ぐ帰宅しようと思ったが、 ついつい重力の魔に負けてマンガ喫茶へ。 閉店まぎわまでいて、タバコ臭くなって帰宅する。
帰ってから某翻訳の添削。この仕事もあともう一息で終わる。
さて、明日は早起きできるようにがんばろう。
早く寝ないと。
問い。何のために研究するか。 答え。世界が知りたいから。 論文や本にある一つ一つの言葉、 ニュースや新聞の一つ一つの出来事を通して世界を理解できるようになりたい。
マルクス「世界を知るだけではなく、変えなければだめだ」
えんえんと半日近く寝てしまう。睡眠に逃避している。だめだ。
急にイチゴジャムが食べたくなる。なんでだろう。
夕方に大学に来て、新聞を読み、昨日コピーした臓器移植の論文を読む。 D論の勉強をせんとやばい。
晩ごはんは某丼屋。研究室に持ち帰り、某氏と一緒に食べる。
某翻訳の添削。 今日で一応御役御免。やっと一つ仕事が片付いた。 最近の資源配分の授業の準備と、この論文を読んだおかげで、 分配的正義の問題が以前よりクリアに理解できるようになった。 とはいえ、まだまだで、パーフィットやらネーゲルやら、 ちゃんと腰を据えて読まないといけない論文は多い。
昨夜もついマンガ喫茶で一夜も過ごしてしまった。いかん。
今日はなるべく午前中に起きて勉強しよう。
万歩計はブールージュのあと、凱旋門とかオペラ座とか。 忘れた。
お昼すぎまで寝てしまう。ダメ。
洗濯。食事。
夕方、後楽園の某喫茶店に行き、新聞。ついでにクツを買い、 夕食も食べてから研究室に歩いて戻ってくる。 ずいぶん歩くのにも慣れた。万歩計はモンマルトル。次はノートルダム大聖堂。
そうか、「人民の」という訳に引っ張られて、このofは所有を表すものだと思っていたけど、 「人民が(by)、人民のために(for)、人民を(of)統治する政府」 という風に目的語と理解すると良いのか。勉強になった。
某勉強。
某仙人からの 異論が出ている。所有と理解するなら、「人民によって構成される」 (government which consists of the people)ほどの意味か。 う〜ん、どっちなんだろう。
某先輩の功利主義についての解説を読む。 非常に質の良いイントロダクションでずいぶん見通しがよくなった。
もうちょっと真面目に勉強しよう。
昨晩はついコンフェデ杯日本対ギリシア戦を見ていたため(1-0で勝ち)、 お昼前まで起きられず。お昼に大学に行き、某氏と昼食。
今年はまだ自宅では冷房は入れていない。 ただし、除湿機と扇風機はよく使っている。 研究室はクーラーと扇風機で快適。
昼下がり、メールの返事が来ない某名誉教授に手紙を出したあと、 某氏と社会情報研究資料センターに行き、 新聞のデータベースについて教えてもらう。 この大学には読売新聞のオンラインデータベースはなく、 毎日も1980年代から97年までしかない。 朝日は1984年からのもの(聞蔵きくぞう)が学内の端末から見られる。 それ以前のもの(戦後以降)も見出しだけCD-ROMで見られるようだ。
そのあと、夏期集中コースで使う症例について相談。 某氏の豊かな想像力のおかげで、おもしろい話ができそうだ。
夕方、ジムのプール。1時間で1.5キロ泳ぐ。 クロールは3拍子で泳ぐとうまくいくことに気付いた。
「時速1.5キロですか。カメですね」
「いや、水の中ならカメの方が速いでしょう」
某丼屋で夕食を食べてから研究室へ。 落ち着いて勉強しよう。
う、机の上に置いていたiPodにお茶をかけてしまった。 昨日は地面に落としたしな。まだ動くかな。
D論の勉強をするつもりが、脱線。帰ろう。
帰宅。新聞とニュース。
自助、すなわち自腹を切ること。老人保健法(昭和57年)を見よ。
昨夜は寝る前にパスカルを読んでも今一つだったので (パスカルを読んで気晴らしするのは飽きた)、 ギリシア史を少し読んで寝る。 もう少し早寝早起きしなければ。
そういえば、万歩計は無事リヨン駅に着き、 現在はローマ。テルミナ駅からラテラノへ(行った記憶がない)。
2002年、公衆無線LANを初体験している。 そういえば、ライブドアが近々参入するそうだ。
お昼は某氏と食事。
昼下がりから夕方まで某ミーティング。夏期集中コースの相談。
雑用をしたあと、某丼屋で夕食。それから某スタバで新聞。 平日は10時までやっているので、ときどき利用しよう。
帰宅していろいろ。勉強しないと。
いろいろ。
某同僚のテキスト原稿にコメントする作業。たいへん。
メモ。引用を主役にしてはならない。
引用を用いるのは、(1)相手を批判するときに、実際の言葉を引く場合、 (2)自分の立場を支持する著名人による言葉や有名なセリフがある場合、 の二つが代表的なものとして考えられる。
この(2)の場合に、 横着して自分の立場を自分の言葉でしっかり述べることなく、 有名な言葉を引いて事足れりとする文章を目にする。 しかし、引用がその傍証となるべき「地の文」がないと、 読む側には引用の意図がわからないことが多く、 また単に「引用のための引用」のように見えて厭味にもなりかねない。
モンテーニュのように博覧強記ならば厭味を通り越して感嘆の声も上がるだろうが、 そうでない人は、(2)の場合の引用は必要以上に使うべきでない。 また、使う場合には、まず自分の立場を自分の言葉で述べる必要がある。
また、どうせ引用するならB級の研究者やわけのわからないセリフではなく、 超一流の思想家の格言や、無名でもはっとさせるような名セリフを引用すべきである。 引用の仕方で知識やセンスが問われるため、不用意に引用すべきではない。 自戒をこめて。
寝つきに失敗したので、まだ起きて勉強している。
ちょっとメモ。東海大判決の尊厳死の定義について調べること。 無益性との関連で。
まだ起きてる。もう一つメモ。定義の重要性の例として、 安楽死を用いよ。羽幌病院の例。
早起き。久しぶりに3時間しか寝てないが、なぜか元気。
朝、雨の中大学に行くと、 朝の某勉強会は1時間遅れて開始すると告げられる。 1時間後だと出席できないので、 いろいろ雑用を済ませて一旦帰宅したあと、 某駅で同僚と待合わせし、筑波へ出発。
新お茶の水から北千住に行き、 常磐線に乗り換えて牛久へ。 そこからタクシーで某研究所に行く。
ここの研究所はバイオリソース(マウスなどの研究用試料)を準備・提供するための ところだそうで、細胞がどのように保管されているかとか、 P4施設がどういう構造になっているかとか、 ここにマウスが何匹いて、毎日何匹産まれるのかとかについて教えていただく。 WHOのバイオセイフティーのレベル4(エボラ熱やマールブルク熱など致死性の感染症) に対応するP4施設は日本に三つしかないそうで、 『バイオハザード』の世界を経験する貴重な機会になった。感謝。
夕方、上野に戻ってきたあと、歩いて帰宅。 そのあと某知り合いの方と某居酒屋で夕食を食べ、 上野までぐるっと歩いて帰ってくる。 今日はずいぶん歩いた(1万6千歩ほど)。
新聞、ニュース。明日は早起きして勉強すべし。
早起きするつもりが、やはりお昼前まで起きられず。反省。
某氏と某所で蕎麦を食べてから大学へ。
2000年の今日にホットメールのアカウントを 開設したようだ。意味はないが5周年。 2003年の今頃、 シンガーの翻訳をやっていたようだ。 二年で出版か。 生命倫理専門調査会で前代未聞の強硬採決が 行なわれたのは去年の今日のようだ。
昼下がり、某学生の指導。 夕方から某授業だが、 今日は用事で抜けさせてもらった。 某テキストの推敲作業。
うまく説明できないが、 心理的快楽説と二層功利主義にはどこか似たところがある。 前者では「結局は自分が得られる快楽を追求しているんじゃないか」 という不安に襲われ、 後者では直観レベルに留まっていられずに、 批判レベルで思考してしまうのではないかという不安に襲われる点。 前者はわれわれの行動を説明する理論で、 後者は基本的に功利主義的思考を実践するための理論という大きな違いがあるが。
某授業の後かたづけ手伝ってから、 某テキストの推敲作業。やっと4章まで読み終わった。 あと14章。
今日はあんまり歩いていないなと思って万歩計を見てみると、 まだ5000歩。12時になる3分前から必死に足上げをしたが、 ちゃんと歩かないと正確にカウントされないのか、5500歩。 う〜ん。アッピア街道とか。次はトレステヴェレ。
そういえば、2001年の今ごろは、ピサに出発する直前のようだ。
あれ、自宅のネットがつながらない。 昨日からダウンしているが、どうしたんだろうか。
真夜中に大学から帰宅すると、 修士のときに訳した『企業倫理学I』がついに届いていた。 宣伝ついでに。
修士のときに訳したので、 まさにタイムカプセルから出てきたような翻訳書なのだが、 つい笑ってしまったのは訳者紹介のところ。 オレが修士のときはみんなしがない大学院生かODだったのに、 今ではみんなエラくなって「講師」とか「助教授」になっている。 このずれがなんだかおかしかった。
比較的早起きして、シャワーと洗濯のあと、大学へ。 あいかわらず下宿ではネットにつながらない。
今年の功利主義学会は7月2日に東大本郷で開かれる。 プログラムは以下の通り。
日本公益(功利)主義学会第8回大会 プログラム 会場:東京大学医学部教育研究棟第四セミナー室 東京都文京区本郷7-3-1 日時:7月2日(土)10時50分から17時30分 ☆開会のご挨拶 1. 現代功利主義と生命倫理 (1)11:00-11:30 「生殖技術と出生前診断」 伊勢田哲司 名古屋大学大学院情報科学研究科 (2)11:30-12:00 「遺伝子治療」 江口聡 京都女子大学現代社会学部 (3)12:00-12:30 「臓器売買と強制的臓器提供」 児玉聡 東京大学大学院医学系研究科 (4)12:30-13:00 「守秘義務と医療情報」 奥田太郎 南山大学社会倫理研究所 司会: 樫則章 大阪歯科大学歯学部 ☆. 13:00-14:30 昼食 2. 14:30-16:00 「ベンサム宗教論の構造:自然宗教批判を手がかりとして」 高島和哉 早稲田大学大学院社会科学研究科 司会: 深貝保則 横浜国立大学経済学部 3. 16:00-17:30 「ベンサムの社会科学方法論とヒューム:批判者か継承者 か」有江大介 横浜国立大学大学院国際社会科学研究科 司会: 永井義雄 名古屋大学名誉教授 ☆閉会のご挨拶 ☆懇親会
2002年の蔵田さんのサイトは引越ししたようだ。 現在の蔵田さんの公式サイトはここ。
午後は雑用。某テキストの推敲、夏期講座の相談など。
ある種の人(多くの人?)は、 大学で学ぶことを免許(資格)を取ることと考えているようだ。 というか、ロースクールとか医学部とかはまさに免許を 取るためにあるんだろうけど。教員免許も取れるしな。 「一流大学に入るのは一流企業への切符を手に入れることだ」みたいな。
自分が大学にそういう道具的な価値を見ているかというと、 どうもそうではない気がする。 いつのまにか、研究すること(あんまりしてないけど)がライフスタイルと なってしまったようで、まだ免許を取ったようにも思われないし、 いつか取るだろうという気もしない(いや、博士号はがんばって取るつもりですが)。
大学での生活を通過点としては見ていないということだろう。 なんとなくその方が純粋で立派な気がしないではないが、 しかし、考えてみるとアカデミアのぬるま湯で楽をしている感じもする (そういえば、今日ひさしぶりに「モラトリアム」という言葉を聞いた)。 さっさと人生の目標を立てて、目標に邁進しないといけない。
「博士号を取ることが博士課程に入学することの目的であって、 博士号を取れなければ、フェイルしたということだ」 と教えられて育っていれば、もう少し考え方が違っていたんだろうか。
哲学科の大学院に入ったころは「博士号というのは立派になった教授が 引退をする前に単著を提出して論文博士というのを取るのぢゃ」とか、 「文部省(当時)の方針が変わって、どんどん博士号を出すことになったらしい」とか、 「今後は博士号を持っていないと就職しにくくなるらしい」とか、 そういう感じだったから、 まだ「博士課程は博士号を取るためにある」 なんていう雰囲気ではなかったように思う。 まあ、だからこそゆっくり勉強できた気もする。 これぞ「ゆとり教育」だ。
しかし、上にも書いたが、 なんとなく、なんとなくの時代は(個人的に)終わりつつある。 今後はもうちょっと目標を持って生きなければ、 あっという間に老いて死んでしまうだろう。 いや、老いる前に死ぬかもしれない。
そこで一句。
いつまでも あると思うな 研究人生
字余り。もう一句。
いつまでも 取れると思うな 博士号
おそまつ。
夕方まで某テキストの推敲をしてから、ジムで水泳。 クロールは3拍子でずいぶんうまく(=溺れることなく)泳げるようになってきた。 それに比べると、平泳ぎはぜんぜん上達せず。もっと手に力を入れて、 ぐわばっと体が水の上に浮かび上がるようにならなければ。 今日は1時間で1.25キロ。上腕が筋肉痛になった。
そのあと某丼屋で食事をしてから研究室に戻ってくる。
某テキスト推敲のために早寝早起き。 昨晩帰宅したらネットは復旧していた。
そういえば先日、「精神病院」は悪いイメージなので「精神科病院」 にする法案が出されるという記事を読んだ(朝日)。 「精神病院」も「痴呆」も「分裂病」も、 メンタルな病に対するスティグマが強かった時代のレリックとして記憶されるように なるんだろうか。あれ、カタカナ語ばかりになった。
朝、ちょっと寝てから大学へ。某撮影。ひさしぶりにスーツを着る (ネクタイの締め方は覚えていた)。 そのあと、某教授と某テキストの相談。
某授業の懇親会に出てから、同僚らと某韓国料理屋でキムチビビンそうめん を食べながら歓談。気心の知れた同僚が多いというのは幸いだ。
ふたたび研究室へ。
昨晩は明け方までマンガ喫茶で過ごしてしまう。 帰宅してからお昼すぎまで起きられず。いかん、仕事をせんと。
昼下がり、某所で服(半袖シャツ2枚、夏ズボン1本、インナーシャツ6枚)を 購入し、それから喫茶店で某テキストの推敲。あとすこし。
夕方、同僚の某氏と待ち合わせし、錦糸町へ。 某講師と三人で寿司屋で歓談。ビール、日本酒、焼酎。
夜中に帰宅し、さらに某テキストの推敲。明日朝起きて完成させること。
酒が入っていたせいか、かなり早く目覚めてしまう。 ついでなので某テキストの推敲を終わらせてしまおう。
メモ。医療倫理で功利主義とカント義務論を説明するさいには、 社会の利益よりも被験者の利益を優先させなければならない(ヘルシンキ宣言) という主張が功利主義的にどう説明されるか(少数者の犠牲の問題)と、 被験者は単なる手段として扱われているのではないかという素朴な疑問について 触れること。わかりやすい例なので。
ようやく某テキストを最後まで推敲した。 この件は今日中に片付けて、週末の学会発表の準備をしなければ。
シャワー。喫茶店で新聞読むか。
そういえば、昨日から冷房(ドライ)を使い始めた。
某スタバで新聞その他を読み、大学へ。
コンピュータがないせいか、喫茶店が一番物をよく考える (通学・通勤に電車に乗っていたころは、電車の中でよく物を考えた)。 考えていたことを忘れないうちにメモ。
constellation (星座、星の配置)。 ロックの流れを知らずに、 チャック・ベリーやバッファロー・スプリングフィールドを聞いても、 なかなかその良さや意義がわからない。 哲学の流れを知らずに、プラトンやウィトゲンシュタイン(以下同様)。 イランや現代イスラム政治の流れを知らずに、イランの大統領選(以下同様)。 おそらく、一般的に、ある一つの事柄の意義を理解するためには、 それが属する主題(テーマ)について、枠組となる知識が必要だ。 その枠組となる知識があって初めて、 チャック・ベリーやプラトンやイラン大統領選といった個々の事柄や出来事の 意義がつかめる。 この枠組というかシステムについての知識は、 必要なデータはすべてGoogleで調べられるコンピュータ時代においても必要で、 そのためには一定程度の知識積め込み型の教育が必要とされる。 教育についてはさておき、自分が欲しているのは、このような枠組についての 知識なんだと思う。 日々新聞に現れる個々の出来事を全体像の中に位置付けるための知識。
edge (パンクの精神)。 「よい」人というのが、周りの環境と調和し、摩擦を起こさず、 日々の生活に満足感を覚えている人を指すとすれば、 「よい」人になってはいけない。 友人たちと楽しく過ごすこと、周りの人といさかいを起こさないことは重要だが、 「イガイガ」がなければ、違和感を感じることができず、 その結果、哲学的思考が停止してしまう。 違和感は哲学の始まりであり、哲学者の糧だからだ。 感度の良いアンテナを持っていればイガイガがなくてもクリティカルになれる。 しかし、そうでなければ、イガイガを大事にして、 あらゆるところでひっかかり、躓いてみる必要がある。
最近、また各社の社説をまじめに読むようになったので、 ひさしぶりに社説批判をしよう。 昨日の産経の主張。 最近の親殺し、兄弟殺しについて、尊属殺人罪を復活せよと言うのかと思っていたら、 こんな風に書いている。
なぜこのように簡単に親殺しが行われるのか。一つは親が子に乗り越えられる べき対象たり得なくなってしまったことがあるのではないか。人徳とか仁慈と か勇気とか正直とか、子が振り仰ぐような重みが親の側になくなってしまった ことが背景にあるといえるだろう。
だから、子供にとって親も対等な他人の一人に過ぎなくなる。加えて、自己決 定とか自己実現だとか、「個人の尊重」が肥大して、結果的に家族を壊すシス テムが知らぬ間に稼働し、社会をむしばんでいることも見逃してはならない。
(中略)
人間にとって家族は生命継承のためなくてはならない基本単位だ。家族の役割 を考え直し、個の肥大をあおり立てる風潮に歯止めをかけたい。 (2005年6月26日産経社説)
個人の尊重の肥大が、家族や社会の崩壊をもたらしているという構図だ。 自己決定や自己実現のどこがけしからんのかと言い返したくなるが、 ぐっとがまんして産経の立場に立つなら、 自己決定は社会や家族や国家や伝統を尊重しない決定(独身、晩婚、離婚、 靖国分祠化、国連崇拝)をもたらし、 自己実現は自己実現できない人(ニート、ネット自殺、尊属殺人)という弊害を 生み出すというのだろう。 こういうのを防ぐためには、ジェンダーフリーなどという価値中立的教育による 「中性」人間を生み出すのではなく、日本の価値観を教え込むことにより、 愛国心のある立派な社会人を作る教育をしなければならない、 というのが産経の主張だろう。 あ、だんだん模範的な産経社説的解答が書けるようになってきた :-)
たしかに産経にも一理ある。仮に価値中立的な教育というのがあるとすれば、 それは価値観についてvoidを生み、 容易に操作される人間を生み出してしまうかもしれない。 アルキメデスの点はここでも必要で、後に他の価値観を批判するためには、 最初にある程度しっかりした価値観を備えている必要がある。
しかし、「自己決定とか自己実現だとか…」という産経の書き方には やはり納得がいかない。 家族や社会を大切にする人間が育つことは重要だが、 あくまで理想は自己決定であり、自己実現であるべきだ。 たとえ人生の実験には失敗がつきものであり、 途中で失敗する人が大勢出てくるとしても、 (産経がどういう意味で用いているのかわからないが) 自己決定や自己実現の道が閉ざされた社会で生きるぐらいなら、 豆腐の角で頭をぶつけて死んだ方がましだ(たぶん)。
お昼、同僚の某氏と蕎麦。お昼すぎ、某教授と某テキストの相談。 昼下がり、同僚の某氏らと夏のコースの相談。
夕方から某政治哲学勉強会(キムリッカの現代政治哲学、ついに読み終えた)。 そのあと、居酒屋で食事。 なぜケアの倫理が流行るのかとか(答はわからずthe answer is blowing in the wind)、 倫理学ってどんな学問なのかとか、 何かおもしろいことはないかなあとか。 名古屋の某氏が紀要を使ってロールズ特集をしようとしているという話を聞いた。 えらい。自分の研究室に某大資料集の編集作業が回ってきたら、 あの資料集をrevampして日本のP&PAにするか。
Think big, act likewise.
あかん、眠すぎる…。もう寝て、早起きしよう。
今日も早起き。仕事仕事。
そういえば、ちょうど昨夜、 Cry to Meを口ずさんでいた気がする。 季節的なものか、単なる偶然か。
いつのまにかKatie Meluaが来日していたようだ。 ひさしぶりに聴くと、やはりノラ・ジョーンズよりは歌唱力が今いちだが、 がんばってほしい。
ひさしぶりに聴くと、DidoのNo Angelは良い曲が多いな。
某テキスト推敲作業。ようやく完了。
朝から某オーストラリア人を囲んで勉強会。 中絶とか人権とか文化とか。 やっぱり、日本だとなかなかawkwardの質問になりがちでも、 `Why?'と理由を尋ねるのが英米豪文化(たぶん一般に西洋文化)だな。合理性。 というか、「日本ではこう考えられている」というだけでなく、 「それが合理的だと思うか」と尋ねられたときに ちゃんと答を考えておく必要がある。
いや、上の英米豪文化というのは正確ではないかもしれない。 少なくとも英米豪の哲学文化はそうだろう。 倫理的見解についての理由はプライベートではなくパブリックなもので (そういう意味でもpublic reasonだ)、 日本だとどうもそういう理由は公に尋ねないのが礼儀というのがある気がする。
なぜそうなのかを考えると、たとえばabortionの反対の理由は、 自分が中絶をしたことがあるからとか、 sensitiveな話題になってしまうからだろうか。 安楽死に賛成の理由は自分の父親が末期に苦しんだ経験があるからとか。 これについてはまた。
昼はその某外国人と寿司。
眠い。
昼下がりから夕方まで某ミーティング。 夏期集中コースの件などでいろいろ紛糾する。 まあ、議論するのは良いことだ。
そのあと、プールへ。1.3キロほど泳ぐ。 ちょっと遅目の人の後を泳ぐと、ゆっくりになるので、 クロールでもあまり疲れずに泳ぎ続けられることを発見。 ただ、それが女性だと、ちょっと(かなり?)感じが悪い。
プールから出てくると、雨が降った形跡が。 某丼屋で夕食を食べたあと、某スタバで二日分の新聞。
研究室に戻ってくる途中、Van Morrisonの`Brown Eyed Girl'を聞いて癒される。 今日は忙しかったせいか、少しブルーだったようだ。
『ミリオンダラー・ベイビー』 はこないだロンドンで 観た気がする。 まさかの結末だったので驚いた。 まあ他に終わりようがないと言えばそうなのだが。 きっとあれは「安楽死は合法化すべきだ」という政治的メッセージとして 理解すべきなんだろう。 オランダの安楽死法は末期という条件はなかったはずだから、 あの状況で医師が安楽死させるのは認められるんだろうか。 ちょっと調べてみよう。
まさかの結末といえば『ナチュラル・ボーン・キラーズ』を思い出した (もうあんまり覚えていないが)。あれも似たような感情を抱いた気がする。
とにかく、「なぜ?」と尋ねるmind-setを作ること。なぜ? 合理的に生きたいから。なぜ合理的に生きないといけないの? 不合理な生き方は損だから。損って何? なぜ損をしてはいけないの? 損っていうのは希少資源である人生を無駄に使うこと。 無駄遣いがよくないのは、人生が限られているから。 無駄遣いって何? なぜ人生を無駄に遣うことはよくないの?
こ、こういうことを日記に書いていることが無駄遣いだっ。 (というのはウソ。議論をしているときにカッとなるのはやめましょう)
帰宅。シャワーを浴びて生き返る。
真面目に論文を一本読む。某氏に教えてもらった `The Birth of the Empirical Turn in Bioethics'という、 生命倫理学の歴史と最近の動向(実証研究志向)をサーベイしたおもしろい論文。 要するに最近は規範倫理よりも記述倫理が流行っているということだ。
事実と価値をどう架橋するかという問いも気になるが、 あきらかに哲学者がin retreatにある状況で、 オレが生命倫理学にどう貢献できるかという方が気になる。
やはり文献研究か。いや、議論や概念の分析能力を身に付けるべきか。
某学生のレポートの添削。スクラーの頃を思い出して、少々厳し目に:-) いつも全然だめだったけど、あれは修業になったなあ。
学部生の頃は大体、レポートというのは前日に書き、 単位さえもらえれば良いという気で書くわけだが、 大学院生になると、やっぱり前日に書くわけだが、 単位云々だけじゃなく、研究者としての資質も問われるので、 ぜんぜん関係のない授業のレポートでもないかぎり、 本気で書くようになる(たぶん)。 その移行というのはいつ生じるのだろうか。 やはり卒論を書く頃か。
それなりに早起き。もう学校に行かないと。
昨日ヴァン・モリソン云々と書いたが、 2001年の今日はヴァン・モリソンのコンサートを 観ていたようだ。
午前中は朝の勉強会。そのあと、同僚の某氏らとカレー。 ついでに身分証明書用の証明写真を取り、家賃も払う。
寝不足のせいか、眠い。
昼下がり、某学生の指導。 夕方、某教授の頼まれ事をする。
夜、某氏らと某定食屋で食事。 近所のうまいラーメン屋をいくつか教えてもらう。
眠いので帰宅し、 生命倫理学における実証研究や社会科学の位置付けについての論文を さらに二本ほど読む。そのうちまとめて発表しようか。
哲学者は「事実」と呼ばれるものの中に価値判断が潜んでいることを見いだし、 社会学者は「事実」と呼ばれるものの中に理論が隠れていることを見いだす。
生命倫理学において倫理学が他の学問からどう見られているかというのは おもしろいが、生命倫理学をやっている倫理学研究者が(純粋)倫理学研究者から どう思われているかについて、だれか実証研究やってみてくれないかな。
早起き。雨。
最近、目覚し用に音楽がかかるようにしている。 音量をうまく設定しておけば、目覚めやすい気がする。
万歩計はローマを終わり、最後の京都へ。 京都駅から清水寺へ。次は東福寺。
Ann MacleanのHarris批判を読む。 この人はほんとに義務論者だな。
一日の中で最も暗いのは夜明け前。 最もつらい時期はそれがもうすぐ終わることを示しているという意味の諺。 つらいときも希望を失うなという意味で用いられる。 dawn(夜明け)の反対はdusk(夕暮れ)。
`Dedicated to the One I Love'という曲でこの諺が印象的に使われているので 思い出した。
某スタバで今日の新聞を読んでから大学へ。 ケイティ・メルアが今 月上旬に来日公演をしていたことを今ごろ知り、少し泣く。 見に行きたかった…。
お昼にプールへ。1.3キロほど泳ぐ。 平泳ぎだといつまででも泳げるようになってきた。 ただし、まだまだフォームがよくない。
そのあと、購買部で買物をして研究室で食事。
夕方、オックスフォードの某オージー医療倫理学者の講演を聴講に行く。 調子に乗って発言しすぎた。反省。
夜、某授業に遅れて参加。そのあと、同僚の方々と某韓国料理屋で食事し、帰宅。