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KODAMA'S (NEW) WORLD

ご承知の通り、第二次世界大戦前のオックスフォード大学の哲学は ひどく不毛だったのです。哲学の歴史のみに関心を持つ老人たちがいて、 彼らはプラトンが言ったことを繰り返すだけで、 新しいことを言おうとする人を潰すことにのみ関心を持っていたのです。 わたしの本は、こうした人々の足元に置かれた巨大な地雷でした。 若い人々にはそれが解放と映ったのです--彼らはやっと息ができると感じました --このような仕方でこの本を大きな歴史的影響を持ちました。

---A.J. Ayer


昨日 / 明日 / 2016年6月 / 最新 / はてな

この日の出来事


29/Jun/2016 (Wednesday)

某講読、某翻訳など

恐い夢で早朝に目覚める。二度寝して定時起床。髭剃り。

ビリージョエルのWe didn't start the fireにサンタヤナが出てくるのだが、 1952年に彼が死んだのはそれほど大きいニュースだったのだろうか。

朝2

娘を保育園に送り、郵便局に寄ってから大学へ。勉強しないと。

FeedlyがChromeで立ち上がらない問題、ちょっと前から気になっていたのだが、 拡張機能のAdBlockを無効にすると立ち上がることがわかった。

少し某翻訳編集作業。こつこつ。

お昼前

某予習。某左京郵便局から集荷の方が来てくれる。無事に終了。関係各位に感謝。

ムーアの自然主義的誤謬ヒュームの法則 (「である」から「べき」を導けないという法則)の関係だが、 ヒュームだと、

「Aは快い」
「したがって、Aをすべし」
ヒューム「であるからべしは導けません。快いものをすべきであるという前提が必要」

となるが、ムーアだと

「Aは快い」
「ところで、快いものは善い(分析的に真)」
「したがって、Aは善い」
ムーア「快いものが善いというのは総合的命題であって、概念分析では出てきません」

となる。似たような論点であるが、 ヒュームだと前提に何か「べし」文が入ってさえいればよいので、 ムーアのように善が定義できないとか、ミルやスペンサーが善を定義しようと しているといった余分な主張はしていないと言える。

お昼すぎの自分の選好を再現して、お昼前に購買部に行くことにしよう。

購買部でおにぎりと冷うどん。素麺が売っているといいのに。 1000通ぐらい投書するか。

藤野寛先生の新著『「承認」の哲学--他者に認められるとはどういうことか』 をご恵贈いただく。 ちゃんと勉強します。

お昼すぎ

勉強しながらお昼を食べてちょっと休憩。

昼下がり

某講読。ムーア。

ムーアが『倫理学原理』の第一章で批判している「善いとは望むことを望むことだ (desiring to desire)」は、Pigdenによればラッセルがアポスルの会で読み上げた 論文の批判になっているそうだ。

授業の前に、某事務局の資料が一式見当たらないと焦っていたら、 某君が見つけてくれた。似たようなカバンが研究室にいろいろあったので、 盲点になっていた。

夕方

某君に手伝ってもらって某入門コースの準備作業など。 それからインボックスのメールを減らすシーシュポス的作業。

某翻訳もしないといけないし、某予習もしないといけない。

順序尺度と間隔尺度の違いとか、基本的なことを倫理学では教わらないので 自分で学ぶ必要がある。

日が暮れる前に娘を保育園に迎えに行き、帰宅。 日中はけっこう雨が降ったようだが、夕方は止んでいてよかった。

娘のクラスではりんご病が流行っているそうだ。 知らなかったが、りんご病は感染する期間には症状が表れず、 症状が表れたときにはすでに感染力を失っているそうだ。 ウイルスの生存戦略はすごいな。

夜中

しばらく娘と遊んでからシャワー。勉強しないとまずいが、とりあえず新聞を 読んだら寝るべし。


29/Jun/2013 (Sunday/dimanche/Sonntag)

大津で某研究会

今日は大津で某研究会に参加。生命倫理や政治哲学や宇宙倫理やロボット倫理 など、さまざまなテーマで報告がありおもしろかった。

少し遅めに起床。シリアル、朝刊、髭剃り。

朝、家族で京都駅に行き、買い物。靴を買い、少しPCを見る。

お昼、家族と別れて大津へ。駅前が寂れており、昼食をとれるところをしばら く探す。全面喫煙の喫茶店で昼食。

お昼すぎから某研究会。夕方までいろいろな話を聞き、勉強になる。

研究会終了後、懇親会に出席。ビール。歓談。

一次会で失礼して、夜中に帰宅。素麺。新聞。娘の寝かしつけの途中で寝落ち して、そのまま朝まで寝てしまう。


29/Jun/2012 (Friday/vendredi/Freitag)

学会四日目

朝、しばらく雑用をしたあと、シャワーを浴びてから学会会場へ。ビーチャム のシンポ。

それから某院生のポスター報告。それなり。お昼前、某長寿エンハンスメント の話を聞く。

お昼すぎに学会を失礼し、オランダを勉強するために電車でデルフトへ。少し おみやげを買い、高さ100メートルの教会の塔に昇り、フェルメール博物館に行 き、あたりを散歩する。新教会にグロティウスの墓、旧教会にフェルメールの 墓があった。ハリングもようやく食べた。

夕方にロッテルダムに戻り、某先生らと合流してモロッコ料理を食べる。うま い。そのあと、他の店で一杯飲んでから解散。金曜日は繁華街に人が溢れてい る。

夜中、某外国人から連絡が来たので再び飲みに行くことに。ただ、明日は移動 日でたいへんなので、日付が変わったころに先に失礼する。みんなタフですご い。

学会は今日で無事に終了。それなりにおもしろかった。次は再来年メキシコで 開催だそうだ。なるべく行くようにしよう。


29/Jun/2011 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中

朝起きてゴミ出し。二度寝する時間はないので、洗濯、朝食、朝刊、シャワー。

お昼前に大学へ。お昼、某ランチョン・セミナー。PGD。

昼下がり、某編集者来訪。地震の話など。

夕方、某院生と翻訳作業。

夜、購買部に行き、NECのLifeTouchNoteをついに購入してしまう。 研究室でしばらくいじったあと、ひさしぶりにプールで1キロほど泳ぐ。

夜中、買い物してから帰宅し、新しいPCをいじる作業。

真夜中、パスタを作って食べる。もう寝ないと。


29/Jun/2010 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中

朝、なんとか起きる。シャワー、朝食。

定時出勤(少し早め)。午前中は少し雑用をしたあと、 また最小不幸社会について考える。 そんなことをしていたらあっという間にお昼前に。

お昼、某ランチョン・セミナー。出席者二名。 医師の利益相反について。

お昼すぎ、某先生らと打ち合わせ。 そのあと、また別の打ち合わせを昼下がりまで。

昼下がり、某ミーティング。 その後、某報告…のはずだったが、報告者が来ずお流れに。

夕方、某卒論生の指導を少し。そのあと、また某先生らと打ち合わせ。 疲れて死にそうになる。

夜、研究室で一瞬寝袋。それから週刊アスキーを買って帰宅。 (某区立図書館で予約した本をピックアップするつもりだったが、 財布をまた忘れてしまい、借りれず。 ただ、バックアップのお金を持つようにしていたので、週アスは買えた。)

夕食。そのあと、週アス、新聞。

夜中、ソファで一瞬寝てから食器を洗う。

そろそろサッカーか。


29/Jun/2009 (Monday/lundi/Montag)

真夜中

定時起床。髭剃り、シリアル。

定時出勤(少し早め)。午前中は某英文校正のチェック。 お昼前、運動部に行ってジムの会員証を更新。書籍部にも寄る。

メモ。もうちょっと頻繁に書籍部に行くようにしよう。 しかし、なるべく本は買わないように。 読む本だけを買うのだ(そして人生で読める本は少ない)。

お昼は某事務室で。お昼すぎ、某氏と少し相談。 昼下がり、某先生の講義の手伝い。

夕方、某院生の指導の手伝い。そのあと、某先生といくつか相談。

夜、某英文校正の手直しをして、もう一度校正の依頼。それから帰宅。

帰宅して夕食。その後、新聞。ソニーのVAIOをひさしぶりに出して起動すると 動かないので、しばらく面倒を見る。食器も洗う。

夜中、少しだけ勉強。ミニッツ・ジム。シャワー。 そうこうしていると、もう寝る時間。一日は短い。


29/Jun/2008 (Sunday/dimanche/Sonntag)

夜中

京都二日目。朝、なんとか起きてシャワー、新聞(京都新聞)、朝食。

チェックアウトしてタクシーで某坂の上の大学へ。お昼前から某研究会。健康とか。

お昼は近くの定食屋へ。休日で人手が足りないのか、 冷奴定食が注文して約30分後に出てくる。 やはり二度と行かないというのが正しい態度なのだろうと思う。

午後は健康とリプロ。 最後のシンポジウムは「膣内射精性暴力論」をめぐって (某関係資料)。 人生で「膣内射精」という言葉をシャワーを浴びるように聞いた最初(で、おそらく最後)の日。 せめてFGMと同じで略語にしてほしいのだが、、、

「何を言っている。学者たるもの、赤面せずに『膣内射精』と言えなくてどうする。 真顔で言えなければ、お前は倫理学者ではないっ。これは踏み絵だ。ほら、言ってみろ」

「ち、ちっ、膣内しゃしゃしゃ…。言えません、先生。それにここ、女子大なんですよ」

「そんなこと関係あるかっ。『膣内射精』も言えず、学問の自由が守れるかっ」

というような会話はなかったが、なんかすごかった。

しかし、たしかに性交に承諾しても膣内射精に承諾していない場合、 承諾なしの膣内射精に刑事罰を課すべきだ (あるいは妊娠の有無に関わらず損害賠償請求を可能にすべきだ) という主張は共感できる。 立証が非常に困難なことが予想されるが、 被害者が泣き寝入りしないで済む法制度を作ることができれば望ましいだろう。 なんか性交に関しては包括同意になってるんだよな。 「性行為に関する望ましいインフォームド・コンセントのあり方」 なんていう論文を書いてみるか(いや、たぶん書かないだろうけど)。

夕方、懇親会に出る予定だったが、関東が大雨という情報が入っていたので、 懇親会は失礼して早目に帰ることに。 たこ焼きと柿の葉寿司とおみやげを買って新幹線に。 夜中に東京に戻ってきて、さきほど無事に帰宅。 今日は新聞を読んだら寝よう。


29/Jun/2007 (Friday/vendredi/Freitag)

最近、夜に日記を書くのを忘れている。 昨日は、午前中は某雑用。お昼は某ランチョン・セミナー。 米国に留学していて帰国中の某氏に発表してもらう。 昼下がりまでしばらく雑談。午後は夕方まで某雑用の続き。 終日雑用をしていた感じ。 夜、ジムで筋トレをしてから帰宅(某授業の手伝いが免除だったため)。 夜中、某妻を連れ出して少し散歩。少し読書してから就寝。

今朝はいつも通り起き、ゴミ出し、シャワー、朝食、アイロン。蒸し暑い。

出勤前に千駄木の某区立図書館へ。先日ネットで本を予約したときに、 間違えてこちらの区立図書館を指定してしまったため。 このあたりは行ったことのない地域だった。今度散歩に来よう。

定時出勤(少し早目)。

真夜中

午前中は臨時の某英語文献講読(続き)。お昼は某課題研究ガイダンス。

午後は某学会報告の要旨作成作業。指導している某院生は早々に書き上げたが、 自分はまだ。いかん。

夕方、比較的強い雨。いったん帰宅しようと思ったが、あきらめる。

夜、地下鉄を乗り継いで四谷に行き、某氏宅の晩餐に某妻と一緒にお呼ばれする。 おいしい高知の鰹や日本酒をいただく。感謝。 時計を置き忘れてきてしまった。すみません。

帰宅。某妻がついにクーラーの電源を入れる。 そういえば、最近某妻に滑舌が悪いとよく指摘されるので、なるべく気をつけよう。


29/Jun/2006 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

なんとか起きる。ちょっと寝不足。

夕方

朝、洗濯物などを済ませてから定時出勤。 午前中は新聞の切り抜き。お昼はランチョン・セミナーで、 先日の着床前診断についての番組を見る。

DNSサーバが落ちてるとかで、午前中からネットがつながらなかったが、 とりあえず教室で代替のサーバを立てたので、使えるようになった。

昼下がり、某テキストの相談。 正確に、しかもわかりやすく書くのは難しい。 まず、自分がしっかり理解せねば。

某講師に寝不足ですね、と言われる。 どうも目の下に隈ができているようだ。 今日は(数独してないで)早く寝よう。

真夜中

夕方から某授業の手伝い。終末期医療。 司会その他

夜中、同僚たちと事務室でビールを飲みながら歓談。真夜中に帰宅。

今日のニュース


29/Jun/2005 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

それなりに早起き。もう学校に行かないと。

昨日ヴァン・モリソン云々と書いたが、 2001年の今日はヴァン・モリソンのコンサートを 観ていたようだ。

昼下がり

午前中は朝の勉強会。そのあと、同僚の某氏らとカレー。 ついでに身分証明書用の証明写真を取り、家賃も払う。

寝不足のせいか、眠い。

真夜中

昼下がり、某学生の指導。 夕方、某教授の頼まれ事をする。

夜、某氏らと某定食屋で食事。 近所のうまいラーメン屋をいくつか教えてもらう。

眠いので帰宅し、 生命倫理学における実証研究や社会科学の位置付けについての論文を さらに二本ほど読む。そのうちまとめて発表しようか。

哲学者は「事実」と呼ばれるものの中に価値判断が潜んでいることを見いだし、 社会学者は「事実」と呼ばれるものの中に理論が隠れていることを見いだす。

生命倫理学において倫理学が他の学問からどう見られているかというのは おもしろいが、生命倫理学をやっている倫理学研究者が(純粋)倫理学研究者から どう思われているかについて、だれか実証研究やってみてくれないかな。


29/Jun/2004 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中 (午前)

忙しい。

真夜中2 (午前)

某氏らと昨日買ったキアンティを飲み、酔っ払う。仕事をしなければ。

夜明け前

とりあえず帰宅。

帰ってしばらくすると、羽アリが数匹いることに気付き、ふと上を見ると、 照明のところに十匹以上の羽アリが…。どこから入ってきたんだろう。困った。

30分ほどかけて、なんとか十数匹の羽アリを窓の外に追放することができた。 どこから入ってきたかを突き止めて、 明日から同じことが起きないようにしなければ。

真夜中

今日の出来事。


29/Jun/2003 (Sunday/dimanche/Sonntag)

お昼すぎ

早寝遅起き。寝ていると、新聞の集金が来たのと、 昨日買った扇風機が届いた。快適。 そういえば、昨日はエルヴィスのDVDも買った。

洗濯、買物。新聞を読まないと。

昼下がり

某ドトールにて。

昨日の新聞。26日、米国連邦最高裁で、 同性愛を禁じるテキサス州法が合衆国憲法の認める プライバシーの権利を侵害しているとして違憲判決が出された。 これにより、 アラバマやフロリダなど12州で制定されている同様の法律も無効になるため、 ついに同性愛が米国で正式に合法になったそうだ。

昼下がり2

まだドトール。今日の新聞。香港の議会で「国家安全条例」 という報道の自由や人権を制限する法律が成立する見込みとなり、 香港ではストが盛んに行なわれているそうだ。大丈夫かな。

夕方

まだドトール。京都府警がFBIの得意技であるプロファイリングの手法を取入れ、 ひったくり犯罪の検挙と防止に成功しているそうだ。大規模なデータベース化が 鍵とのこと。EBMにもつながるものがあるな。

説明は省略するが、次のフリーデンの権利概念の説明には蒙を啓かれる思いが したので、忘れないようにメモ。要するに権利概念はあるイデオロギー(政治思想) の中心概念ではありえず、権利とは中心概念(たとえば自由主義における自由) を特権化ないし優先化するような概念だということ。 自動車のエンジンにおけるターボというか、そういうもの。

`the concept of rights cannot be part of an ideological core, being definitionally attached to any political value or concept it is designed to protect and prioritize. A right is a prioritizing concept which deliberately secures a specific configuration of the core concepts of a given ideology. In classical liberalism this occurs typically through linking together life, liberty, and property. More generally, rights serve as a device that identifies and protects whatever attributes of individuals and groups are regarded by their societies as significant.' (Freeden, Political Theory and Ideology, 162)

某香港厨房で早目の夕食を腹一杯食べたあと、しばらく駒沢公園で休憩し、 ふたたびドトールに戻って勉強。シンガー。

真夜中

某ドトールが閉まるまでねばり、 それから某ブックオフと某マルエツに寄ってから帰宅。 サクランボ、キウイなどを食べる。


29/Jun/2002 (Saturday/samedi/Sonnabend)

真夜中 (午前)

電話代を払おうと思ってコンビニに行ったら、請求書を持っていくのを忘れ、 買物だけして帰ってくる。

「これも遂行的矛盾ですか?」

「いや、サザエさんだろう、それは。 遂行的矛盾というのはだな (…といってハバマスの『道徳意識…』をパラパラとめくる)、 その、あれだ、デカルトロボットが 『オレ、ヒョットシテ電源入ッテナインジャナイカ』 とかしゃべってたら、『オマエ、電源入ッテナカッタラ考エラレナイハズジャナイカ。 電源入ッテルカドウカ疑ッテルトイウコトハ、 ソノ行為自体ガ『電源ガ入ッテイナイ』トイウ言明ト矛盾シテルダロウ』 と言ってやればいいわけだ。つまり、 『電源が入ってない』と発言する行為(発話行為)が、 その発言の中身と矛盾している、これ遂行的矛盾というわけだ。たぶん」

「たぶん、って何ですか、たぶんって」

「いや、自我の存在から確実な推論によって遂行的矛盾の正しさを 確信したわけじゃないからな。しかしだな、 もしデカルトロボットが、 『オレ、明日ハ電源入ッテナインジャナイカ』 とか、『オレ、明日カラズット電源ヲ落トス』と言っても、 この場合は発言の中身と発話行為とのあいだになんら矛盾はないわけだ。 発話行為から示されるのは、今電源が入ってるってことだけだから。 ここまでは同意してくれるかね」

「はい、同意します」

「そうするとだな、同じように、 『次の総会からは、話し合いの原則は無効になる』 ということを話し合いによって決めたとしても、 やはり矛盾はないことになる」

「どうしてですか」

「発言の中身と発話行為とのあいだには矛盾がないからだ。 発話行為が前提としているのは、 『今の総会において、話し合いの原則は有効である』 ということであって、 次の総会についての前提は含まれている必要性はない。 これは、『次の国会からは、多数決の原則は無効になる』 ということを今国会で多数決によって決めても矛盾しないのと同じだ」

「しかし、(ある)ヒューミアンは、 『「話し合いという手続きを廃止する」という決定を 「話し合いという手続き」によって行う場合、その決定の妥当性は 「話し合いという手続き」の遂行に負っているわけなんだから、 「話し合いという手続きを廃止するという決定を変更する」 という決定が「話し合いという手続き」によって行える可能性が保証されて いなければならないが、それは先の決定によって話し合いという手続きが 廃止されてしまうのだから無理である。これは手続き上の遂行矛盾になる』 と述べていますよ」

「ん、何なに、頭が混乱した。もう一度言ってくれ」

「上に書いたからよく読んでくださいよ」

「ふんふん。しかしこれはどこかおかしいんじゃないか。 『「話し合いという手続きを廃止する」という決定を 「話し合いという手続き」によって行う場合、 その決定の妥当性は「話し合いという手続き」の遂行に負っているわけなんだから、 「話し合いという手続きを廃止するという決定を変更する」 という決定が「話し合いという手続き」によって行える可能性が保証されて いなければならない』というのは、どうしてそうなんだろう。 もし、『話し合いという手続き』を『多数決』に変えても同じことだとしたら、 『「多数決を廃止する」という決定を 「多数決」によって行う場合、 その決定の妥当性は「多数決」の遂行に負っているわけなんだから、 「多数決を廃止するという決定を変更する」 という決定が「多数決」によって行える可能性が保証されていなければならない』 ということになるな。 しかし、一見したところ、 前半の内容から後半の内容が帰結するようにはどうにも見えない。 そのような可能性が保証されてなくても、 多数決の廃止を多数決によって決めることは矛盾なくできると思うのだが。 まあ、また(ある)ヒューミアンに話を聞くことにしよう」

「そうですね。ハバマスも読んでみます」

起きた。今日はぜったいにノラ・ジョーンズのチケットを取らねば。 オアシスも来るんだよな、そういえば。

朝2

シャワー。パン。マーガリンがないので古いイチゴジャムを使う。 用心してオーブンでかなりあたためたら、 口の中(口蓋だっけ?)をやけどしてしまう。

あ、チケット簡単にとれた。うれしい。

昼下がり

あああ。寝てた。ばかばか。

昼下がり2

チケットを入手するために近くのぴあに行ったところ、 カードはJCBしか使えないという言われる。う〜ん。

某サンジェルマン・デ・プレでチーズカレー。C。 週末はガキ共が超高音で叫んでいていづらい。寒いし。

夕方

committed open-mindedness
ある信念や理論を情熱的に信奉しつつ、 しかし批判に対しては開かれている態度。 ミルの理想とする、自由主義的態度。 これに対し、どの信念や理論も真剣にはコミットしないがゆえに あらゆる信念の存在を寛容する人は、 ディレッタントあるいは似非自由主義者と呼ばれて非難される。

「君はどんな理論に対してもコミットメントをひかえて、 中途半端だよな。 何にも肩入れしないノンポリな態度が一番賢明だと考えているようだが、 ミルの言うように、そのような中途半端な態度じゃ進歩せんよ。 自由主義というのは、道徳判断を停止することではない。 対人関係にしろ、学問にしろ、 ちゃんとコミットすることを覚えることだな。 間違えることを恐れていてはいかん」

「がんばってますよ、失礼な。 毎日朝晩アンガジェしてますよ」

夕方2

ウォルドロンの、`Mill and the Value of Moral Distress'を読む。 以下、書き殴りメモ。

morally-dependent distressは、 「進歩的存在」としての人間にとっては有益であり、危害ではない、 という議論。苦痛が有益だというのは一見矛盾しているようだが、 たとえばイスラム教徒のあいだで豚を食べている人のおかげで、 イスラム教徒たちは自分の信念を検討する機会を持てるのだから、 結局「豚を食べる人」を見ることによって苦痛を感じるのは 進歩のきっかけであり有益なのだ、という話。

しかし、 すべてのmorally-dependent distressが進歩のきっかけになるから有益と言えるか どうか疑問。とくにウォルドロンも譲歩しているミルのpublic indecency議論は どうなるのか。 また、morally-dependent distressを快苦計算に入れないという主張も まだ納得できない。別にそれを入れても「進歩による利益」の方が圧倒的に 上回ると論じることもできるはずだ。 このdistressは「真の利益」ではないと論じて、進歩による利益だけを「真の利益」 とみなすならば、「進歩さえすれば自由がある程度制限されてもよい」 という議論もできるのではないだろうか(たとえば、 人はみな進歩のために強制的に「ソクラテス反論ロボット」 を一家に一台置かなければならない、など)。 ちょっと長いが、おもしろい論文。B-。

1時間ほど本屋で立ち読み。 本屋に来ると、自分が何も知らないことが痛感される。 あの、ニュートンの砂浜で遊ぶ少年の感じ。 本を一冊買う。

ところで、新書はレイアウトや字のつまりぐあいが良くないものが多いと思う。 この集英社新書のものは読みやすいが。

それから某スタバへ。

買物をしてから帰宅。 『モア・リポートの20年』、おもしろい。

BBC Radio 2で、デヴィッド・ボウイのインタビュー。

夜2

上の本がおもしろいのでまだ読んでいる。

食事。 いわしの生姜煮(惣菜コーナーで買った)、豆腐、納豆など。

机に向かっている時間…6.5hr
今日の勉強時間…3.5hr
マルクス係数…23.6


29/Jun/2001 (Friday/vendredi/Freitag)

イタリア旅行五日目: ピストイア、ヴァン・モリソン

[cat]

今日も遅起きして午後から活動を開始。 巨大なスーパーマーケットで買物をして4時すぎに昼食を食べたあと、 ピストルの語源となった町ピストイアに出発。

ピストイアに行くことにしたのは、 ヴァン・モリソンのコンサートがあると先日聞いたので、 それじゃ観光ついでに見に行こうかという話になったからだが、 町に着いたらコンサートがはじまる時間が迫っていたので結局観光はせず。

[注: 写真と本文は関係ありません]

[van morrison]

それで肝心のコンサートはというと、 ヴァン・モリソンはもう年寄りだしあまり期待していなかったのだが、 予想に反してかなりよかった。 あの太くてつやのある声を生で聞くとやはり感動する。ひたすらしぶい。 `Gloria'はやってくれなかったが、 `Baby, please don't go'とか `Boon, boon'(だっけ?)や、`Bright side of the road'、 `Brown-eyed girl'、`Have I told you lately'など、名曲を披露してくれた。

そういえば、先日ジョン・リー・フッカーが亡くなったらしい。合掌。


29/Jun/2000 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

今日のニュース

BMOR読書会をしました。
バトラーによる隣人愛についての考察です。
3コマ目の生命倫理学の補講に出ました。
ナンシークルーザンの安楽死事件についてビデオを観ました。
『情報倫理学研究資料集II』をいただきました。
できたてのほやほやです。

06/22/99 (Tuesday/mardi/Dienstag)

お昼

昨日は某古本屋でジャンプが売ってなかったので、 またコンビニでジャンプを買ってしまった。 いかんいかんいかん。

朝から大学。 お昼までかかって『嘘論文』の 対訳テキストの整形をしてプリントアウト、コピー。 中央購買部でサンドウィッチと文房具を購入。

ところで、「焦点を当てる」というのは誤用だと思うのだが、 どうなんだろうか。 (「焦点を合わせる」「焦点を絞る」が慣用だと思う)


夕方

三コマ目、プライバシー侵害に関するビデオ観賞。 英国や米国やカナダでは道端に監視カメラが設置されてるらしいが、 それがプライバシーの侵害になるんだろうか?

四コマ目は、某君によるロールズ反省的均衡論。 話が抽象的でついていくのが大変っす。


某師匠や某君らが議論しているのを横で聞きながら、 日記の整理をしたり。


みな帰ったので、 ちょっと某ソファで眠る。


ヘーゲルの復習。B(ベー)版という方に移ったらしいが、 まだよく把握していない。 それに、 今回やったところは、5月にすでに一度やったはずなのだが…

C1 無限性 DIE UNENDLICHKEIT

BC1-1. Das Unendliche in seinem einfachen Begriff kann zunaechst als eine neue Definition des Absoluten angesehen werden; es ist als die bestimmungslose Beziehung-auf-sich gesetzt als Sein und Werden.
「無限者は、その単純な概念においては、とりあえず、 絶対者の新しい定義とみなす(ansehen)ことができるであろう。 それは、規定をもたない自己関係として、 存在生成と想定(setzen)される」。

BC-1-2. Die Formen des Daseins fallen aus in der Reihe der Bestimmungen, die fuer Definitionen des Absoluten angesehen werden koennen, da die Formen jener Sphaere fuer sich unmittelbar nur als Bestimmtheiten, als endliche ueberhaupt, gesetzt sind.
現存在のもつ形式は、 絶対者の定義とみなされうるような諸規定の系列には入らない。 というのは、その領域の形式は、自分に対して直接的に(端的に)、 規定性としてのみ、すなわち有限な規定性一般と考えられるからである」。

大意: イデアと個物という関係で読むと、どうなるんだろう。よくわからん。

BC1-3. Das Unendliche aber gilt schlechthin fuer absolut, da es ausdruecklich als Negation des Endlichen bestimmt ist, hiermit auf die Beschraenktheit, derer das Sein und Werden, wenn sie auch an ihnen keine Beschraenktheit haben oder zeigen, doch etwa faehig sein koennten, im Unendlichen ausdruecklich Beziehung genommen und eine Solche an ihm negiert ist.
「しかし、無限者は、端的に、絶対的なものとみなされる。 というのは、無限者は明らかに有限者の否定として規定されているのであり、 したがって、 制約とは--存在と生成が、たとえいかなる制約を持ったり示したりしなくても、 それでもいくらかは被りうるような制約とは--無限者においては明らかに 取り除かれ、そのような制約として無限者において否定される。」

大意: 文法的にわからん。最後のistの主語は何なんだろう。 以前にやったはずなのだが。意味も不明。

BC2-1. Damit aber selbst ist das Unendliche nicht schon in der Tat der Beschraenktheit und Endlichkeit entnommen; die Hauptsache ist, den wahrhaften Begriff der Unendlichkeit von der schlechten Unendlichkeit, das Unendliche der Vernunft von dem Unendlichen des Verstandes zu unterscheiden; doch letzteres ist das verendlichte Unendliche, und es wird sich ergeben, dass, eben indem das Unendliche vom Endlichen rein und entfernt gehalten werden soll, es nur verendlicht wird.
「しかし、そうかと言って、無限者はまだ実のところ、 制約性や有限性から自由であるわけではない。 大事なことは、無限性の真の概念から悪無限の概念を、 理性の無限者から悟性の無限者を区別することである。 後者は有限化された無限者であって、 まさに無限者が有限者から純粋に遠ざけられてしまうということにより、 無限者は有限化してしまうのである。」

大意: 真無限と悪無限の話。

BC3-1. Das Unendliche ist
a) in einfacher Bestimmung das Affirmative als Negation des Endlichen,; b) es ist aber damit in Wechselbestimmung mit dem Endlichen und ist das abstrakte, einseitige Unendliche; c) das Sichaufheben dieses Unendlichen wie des Endlichen als ein Prozess -- ist das wahrhafte Unendliche.
「無限者は、a) 単純な規定においては、 有限者の否定としての肯定である。 b) しかし、そう規定することによって(damit)、 無限者は、有限者相互規定に陥いるのであり、 それは抽象的な、一面的な無限者である。 c) この無限者ならびに有限者の、一つの過程としての自己止揚-- これが真の無限者である。」

大意: a)は、「無限なものとは、有限でないものである」ということだろう。 b)は、そうすると、 無限者と有限者(=無限でないもの)の定義が循環に陥いるということだろう。たぶん。 そしてc)は、そういった対立する無限者と有限者がアウフヘーベンして真の 無限者になる、ということだろう。よくわからんが。

a. 無限者一般 Das Unendliche ueberhaupt

BCa1-1. Das Unendliche ist die Negation der Negation, das Affirmative, das Sein, das sich aus der Beschraenktheit wieder hergestellt hat.
「無限者とは、否定の否定であり、肯定であり、 制約から自己を再びとりもどした(herstellen)存在である」

Das Unendliche ist, und in intensiverem Sinn als das erste unmittelbare Sein; es ist das wahrhafte Sein, die Erhebung aus der Schranke.
「無限者は存在する、 そして最初の直接的な存在としてよりも強い意味で存在するのである。 それは真の存在であり、制約を超越したものである。」

大意: やっぱわからんす。

BCa1-3. Bei dem Namen des Unendlichen geht dem Gemuet und dem Geiste sein Licht auf, denn er ist darin nicht nur abstrakt bei sich, sondern erhebt sich zu sich selbst, zum Lichte seines Denkens, seinen Allgemeinheit, seiner Freiheit.
「無限者という名前とともに、 心と精神に無限者の光が生じる(aufgehen)。 というのは、精神は、そのとき、単に抽象的にひとりぼっちであるのではなく、 自分自身に向けて高まり、 自分の思惟、自分の普遍性、自分の自由の光へと高まっていくからである。」

大意: 無限者の観念は精神を高揚させる効用があるらしい。

BCa2-1. Zuerst hat sich fuer den Begriff des Unendlichen ergeben, dass das Dasein in seinem Ansichsein sich als Endliches bestimmt und ueber die Schranke hinausgeht.
「さしあたり、無限者の概念にとって明らかなのは、 現存在は、その即自存在においては、自己を有限なものとして規定し、 そして、その制約を越えでる、ということである。」

大意: わからん。

BCa2-2. Es ist die Natur des Endlichen selbst, ueber sich hinauszugehen, seine Negation zu negieren und unendlich zu werden.
「自分を越えでること、自分の否定を否定すること、 そして無限になることは、有限者自身の本性である。」

大意: 有限なものは無限なものになろうと日夜努力する。

BCa2-3. Das Unendliche steht somit nicht als ein fuer sich Fertiges ueber dem Endlichen, so dass das Endliche ausser oder unter jenem sein Bleiben haette und behielte.
「そこで、無限者は、有限者を超えでた、 それ自身完成されたものとしてあるのではなく、 したがって、有限者は、 無限者のとかとかに存在したり、 存続したりするわけではない。」

大意: 無限者は、有限者の理想として、有限者の外部ではなく、 胸のうちにある。ということか。これをイデアと個物の関係と考えると、 本質であるイデアは個物に内在してる、ということか。

BCa2-4. Noch gehen wir nur als eine subjektive Vernunft ueber das Endliche ins Unendliche hinaus.
「また、われわれは単に主観的な理性として、 有限者を超えでて無限者へと至るわけでもない。」

大意: あれ、ここらへんは前に比べて少しわかるようになってるな。

BCa2-5. Wie wenn man sagt, dass das Unendliche der Vernunftbegriff sei und wir uns durch die Vernunft ueber das Zeitliche erheben, so laesst man dies ganz unbeschadet des Endlichen geschehen, welches jene ihm aeusserlich bleibende Erhebung nichts angeht.
「人が、『無限者は理性概念であり、 われわれは理性によって時間的なものを超えでていく』という場合、 人はこのことを有限者とは無関係に生じさせているのであり、 有限者は、この有限者の外部で起こるような超越とは無関係である。」

大意: 文法がよくわからんが、 とにかくヘーゲルは、 無限者と有限者が切り離されている状態を嘆いているらしい。

BCa2-6. Insofern aber das Endliche selbst in die Unendlichkeit erhoben wird, ist es ebensowenig eine fremde Gewalt, welche ihm dies antut, sondern es ist dies seine Natur, sich auf sich als Schranke, sowohl als Schranke als solche wie als Sollen, zu beziehen und ueber dieselbe hinauszugehen oder vielmehr als Beziehung-auf-sich sie negiert zu haben und ueber sie hinaus zu sein.
「しかし、有限者自身が、無限者へと超え出られるかぎり、 これを有限者にさせるのはある外的な力ではなく、 むしろ、自己を制約としての自己、 すなわち制約そのものとしての、また当為としての自己に関係づけ、 そしてこれを超え出ていくのは、 あるいはむしろ、そういったものを自己関係として否定し、 それらを超え出てあることは、有限者の本性なのである。」

大意: よくわからんが、有限者は無限者になるべき本性をもってるらしい。 子供が自然と大人になるようなものか。(ちがうか)

う〜ん、あいかわらず拷問っす、ヘーゲルの勉強は。


今日やったこと


06/29/98(Monday/lundi/Montag)

ソファで爆睡。真夜中に大雨が降っていた気がする。


お昼前

哲閲に寄ってから喫茶店でモーニング。 哲閲にジェームズ・ハリスの『ヘルメス』がないというのは驚き。 人環に借りに行くか。


チョムスキーの生得説

彼[チョムスキー]の最初の標的は、言葉の学習ではなくて、文法の習得であった。 子供はその早い時期に文法的に話すことを学ぶ。 子供の目の前でじっさいに語られた事の集合は、 英語の文法をまったく不十分にしか確定しない。 しかし子供はたちまちにして、 彼が耳にしたことを発するようになるばかりではなく、 それまで誰も発したことのない数多くの新しい文を発するようにもなる。 子供の前でじっさいに言われていることには、 きわめて多数の「可能的文法」が適合するが、 ある年齢に達した子供は何の苦もなく、 自分が聞いていることを基礎にして、「正しい」文法を投射する。 それゆえチョムスキーは、 子供は正しい投射を行うことが可能になるような生得的能力をもって生まれてくる、 と想定するのである。
『言語はなぜ哲学の問題になるのか』、113頁

子供はそれまでに聞いてきた言葉の蓄積から、 「正しい」文法規則を自分の頭の中に作りだす、っていうわけだけど、 本当かなあ。

たとえば、10才まで日本で普通に読み書きできるように育てた子供を、 一人宇宙船に乗船させて、10年間宇宙に漂わせるとするでしょ。 それで毎日宇宙船の中で日記を書くように命じておくの。 しかし、辞書などは一切宇宙船には持ち込めない。

それでこの子供が20才になったときに地球に戻ってきたとき、 彼の日記は「正しい」日本語文法に従って書かれてるかどうかをチェックすると…… おそらくかなり違うものになってると思うけど、どうなんだろう。


昼下がり

上述のハリスの『ヘルメス』を借りようと思って、 自転車に乗って人環の図書館へ。 新館1Fの図書館に行くと、 この本は人環の言語学講座の本なので、 貸出中じゃないかどうか一度そっちに問合せてみてから、 2、3日後に連絡するとのこと。 なんちゅう面倒臭いシステムだ。

ついでに附属で一冊本を借りて、中央購買部でパンを買う。


夕方

言語学はちょっと置いといて、ベンタムの勉強中。


残念ながら、ベンタムはニュートンの轍を踏んで、 絶対空間と相対空間の区別を立ててたみたい。

Place may be considered as absolute or relative. Supposing but one substance in existence, that substance would be in some place, --that place would be absolute place-- relative place there could be none. Suppose two substances, --then, in addition to its own absolute place, each substance would have a relative place, --a place constituted by the position occupied by it in relation to the other.
(Bentham's Works, vol. viii, pp. 199-200)

たぶんマッハ先生なら、自分以外の何も存在しなければ、 場所というものを想定することは論理的に不可能だ、 というんじゃないかな。 (と思う。間違ってたら訂正してください)


06/29/97(Sun)

・昼下がり・

・昨日は15時間ぐらい(!)爆睡。疲れてたんです。

・んで、昼過ぎに起きると、台風はとうの昔に去っており、新聞を見ると、例 の猟奇的殺人事件の犯人が実は中三の男子生徒だった、というので大騒ぎになっ ていることを遅まきに知る。


・夕方・

・んで、昼下がりに学校に来て、今までロック読書会。

・さあ、これから夏休みだからいろいろ勉強しないとっ。


・夜・

・今、外で友人に会って話したところ、学生部再編反対の活動はまだまだ活発 に続くらしい。大学をお祭り騒ぎにして学生の気を引き、さらにマスコミを呼 ぶ、というような戦略があるようだ。(しかし夏休み前にやらないと意味がな い)

・無責任なぼくが考える戦略はこうだ。まず、学生が「教員任期制導入」に一 緒に反対するという約束と引き替えに、教員に今回の運動に加わってもらう。

・また、「吉田寮の寮生は、今後毎日三食を生協の食堂で食べる」という約束 と引き替えに、生協を味方に付ける。(具体的には食堂に「学生部再編反対」 の三角ポストを置かせてもらう、生協誌の「らいふすてーじ」にこの件に関し て特集を組んでもらうなど)

・それで、この問題が長引くのであれば、NF(京大11月祭)実行委員も買収して、 非常に政治色の強い文化祭を行なう。メインテーマは「自由か死か〜京大は京 大生のものである〜」。

・ま、なんにせよ、これからどれだけ学生と教員とメディアを運動に引き入れ られるかが勝負であろう。


・真夜中・

・げっ、いつのまにかもうすっかり遅くなってしまった。シジウィック読書会 の用意をしないといけないのにっ。

バスで聞いた馬鹿な話。あまり 気分の良い話ではないので注意。


Satoshi KODAMA
email: satoshikodama-tky[at]umin.ac.jp
All rights undeserved.
Last modified: Sat Jul 2 16:39:33 JST 2016