多くの論者がピケティの国際協調による資本課税策は実行不可能だと批判しているが、 筆者は必ずしもそう判断していない。…。学者の役割の一つは、 当面は無理であっても、いつかは実行可能になるかもしれないアイディアを 提供することである。
---橘木俊詔、『21世紀の日本の格差』(2016年、17頁)
(前回からの続き)ubuntuを触り出したのが運の付き、ついついuminのサーバのアカウントをいじり出してしまう。
1. まずw3m。下記からwgetでgcの最新版をダウンロード。 http://www.hboehm.info/gc/gc_source/ 7.4.4は動かず、7.2もうまく行かず、結局6.8を使ったらうまくいった。
2. 同様に、wgetでw3mの最新版をダウンロード(0.5.3)。
3. 下記のサイトに従ってコンパイルインストール。 yanor.net/wiki/のw3mインストール。 gcはコマンドラインで打てば何か動くものかと思って必死に.bashrcのパスをいじっていたが、ライブラリとはそういうものではないようだ。無知。このサイトにある「インストール後に実行できないときは…」という話はとりあえず無視して先に進むのがよい。 gcのバージョンについて、web-cahier.comの"w3mのインストール"も参考になった。 そういえば以前も同じようなことをしてはまり、そのときは結局あきらめてしまったことを思い出した。w3mのインストールはみな結構はまるようだ。
4. ここでやめたらよかったのだが、つい、ついでにemacs-w3mを入れようと思ってはまる。まずemacsを最新版にしようとして24.5をインストール。これはググってわりと簡単に入れられた。"Emacs24をビルドしてインストールする手順"を参照した。ついでにemacs22を削除(make uninstall)。これがあとで失敗とわかる。簡単に捨ててはいけない。
5. emacsを起動するとなぜかemacs23が立ち上がる。サーバにはもともとemacs23が入れてあるようだ。~/local/bin/emacs-24.5を起動すればemacs24になる。
6. どちらでもよいと思い、いくつかのサイトを見てemacs23あるいは24用にコンパイルしてw3m-emacsを作ろうとするが、なぜかうまく行かず。"emacs24でemacs-w3mを使う。"emacs23でemacs-w3mを使う"などを参照。引数に問題があるようだが、知識が足りずうまく行かず。時間の無駄。
7. emacs24でpackage installの仕方もやってみたが、やはりうまく行かない。二つのemacsがあるのが悪いのだろうか。emacs24ではddskkもうまく動かないので、当面あきらめることにする。時間の無駄。
8. と思ったが、結局あきらめず。このあたりを見ながら.bashrcを修正してパスがちゃんと通っているかを確認(.cshrcの設定は使えていないことにようやく気付く)。aliasを使ってemacsと打てばemacs24が立ち上がるようにしてw3mを再度コンパイルするとw3m-emacsが立ち上がるようになる。同様にddskkも一度削除してからpackage-installするとできるようになる。このあたりのやりとりを参照した。コンパイルするさいにemacsバージョンが問題になっていたようだ。
9. とにかく問題だったのが、以前のw3mやemacsを自動的に読みに行ってしまうことだった。それを.bashrcと.bash_profileの書き換えで何とかして、どうしても古いw3mを読みに行く場合はそれを削除して新しいもののシンボリックリンクをそこに張っておくというようなことをした。シンボリックリンクについてはたとえばここ。
10. というわけで、ひさしぶりにuminで日記が快適に書ける状況になったが、どうするかなあ。
朝、娘が起こしてくれる。夜明けから寝たので眠い。シリアル、朝食、シャワー。
午前中は大学で勉強しようと思ったが、雨なのであきらめて自宅にいることに。クリーニング屋。明日の準備をしないとまずい。
また研究室のiMacのOneDriveが起動していないため同期がなされておらず、結局小一時間ほど自宅でPCをいじってから大学へ。 時間の無駄というか、私の典型的な逃避行動だな。明日の自分のためにがんばらないと。
某カンフォーラで昼食を急いで食べてから、自転車で某京女へ。カンフォーラはお昼は人をさばけていない感じ。 自転車で京女まで来たのは大学院生のとき以来ではないか。坂道で死ぬかと思った。
某研究会に参加中。ロボット倫理。いつも暴れる人がいないので代わりにいろいろ発言しておく。
まだ某研究会。貧困と格差、税の正義について。 某橘木先生の『21世紀日本の格差』の合評会。 大変刺激的な合評会だった。
研究会の最中にtwittering-modeのインストールと勉強など。
帰宅。夜は川端七条の居酒屋で懇親会。歓談。
明日もあるので一次会で失礼して帰宅。
twittering-modeは(global-set-key "\C-xt" 'twit)で起動するようにしておいた。
多くの論者がピケティの国際協調による資本課税策は実行不可能だと批判している が、筆者は必ずしもそう判断していない。…。学者の役割の一つは、当面は無理で あっても、いつかは実行可能になるかもしれないアイディアを提供することである。
---橘木俊詔、『21世紀の日本の格差』(2016年、17頁)
実際の橘木先生は、理想と現実の両方を見ながら理論を作っているように思われた。
結局、しばらくの間UMINで日記を更新することにした。
よく寝てしまう。髭剃り、シリアル、朝刊。
発表の準備をしないとまずい。
帰宅。お昼まで報告の準備。お昼を食べたあと、スーツに着替えて出掛ける。
お昼すぎに大津へ。初膳所。歩いて琵琶湖ホールへ。暑い。立派な建物。
昼下がり、医療経済評価のシンポで報告。勉強になった。終了後、みなで歩いて大津駅へ。
夕方、三条駅でタコ焼きを食べてから歩いて帰宅。 帰宅後、クリーニング屋に行きがてら、娘と鴨川を散歩。今日はよく歩いた。
夕食。ビール。そういえば先週に引き続き今週末も某親戚がヘルプに来てくれていた。感謝。
医療の値段費用対効果の議論は慎重、公正に | 社説 | 愛媛新聞ONLINE
国は、薬価の新たな物差しとして「QALY」(クオリー、質調整生存年)を参考にする という。患者の余命や生活の質が既存薬に比べどのくらい向上したかを示す指標だが、簡単 ではない。先行する英国では、一般的な抗がん剤も「見合わない」と不採用になり、患者や 医療者が抗議する事態も起きた。
ちゃんとQALYが社説で紹介されるようになった。「命の値段」という表現は今後も使われそうだ。ハイジャック事件のように特定可能な人命が問題になるときには、「人命は地球よりも重い」と言いたくなるが、資源配分においては地球よりも重い人命どうしが比較衡量の対象となる。
mewもインストールするかな…。
iPad Proで使っているPrompt 2、微妙に日本語表示が乱れるんだが、本来は起きない問題なのかな。
mewをインストールして起動しようと相当格闘したが、"Creating an SSL/TLS connection..." のメッセージが出たまま起動できない問題が解決せず、結局あきらめることに。 スーパーユーザーの権限がないと何かとはまってしまう。時間の無駄。
昨晩は疲れていたので某オンライン研究会は欠席させてもらった。すみません。
マフィアのような組織に追われて隠れている夢を見て起きる。 また追いつめられているな。朝、髭剃り後に娘とシャワー。 娘は昨晩ふて寝してシャワーを浴びていなかった。
朝、町内会長のお宅に書類を届けてから娘を保育園に連れていく。 それから帰宅。
週末があまりなかったせいか眠い。今日はいろいろしなければ。 一週間イギリスに行くと、戻ってきてからの一週間はたまった仕事を片付けて 体調を戻すのに費される感じなので、結局二週間つぶれる感じがする。
mewの件は、stunnelの問題が解決できなかったのではないかと思うが、 そのためにrubyやらHomebrewやらをホームディレクトリ以下に入れる 作業などをした。おもしろいが時間の無駄。合理性が足りない。
また、今さらながらaliasでいろいろできることに気が付いた。 .bashrcにalias nikki="emacs /../newworld.html"とか。
朝、少し某府警に行き、大麻ポスターの表彰式。つつがなく終了。それから御所を通って大学へ。
android(ZenFone)でもconnectbotを使えば結構快適にuminにつなげるな。
京都生命倫理研究会が30周年という話だが、哲学的には生命倫理はやりつくされてもう魅力がないのかもしれない。 QALYの話は日本でもっとやらないといけないが、 英米では90年代に結構やられたしな(理論的な問題が解決したわけではないが)。 公衆衛生倫理も国際生命倫理学会では流行っていたが、日本では今ひとつだし、 もう経済学者と一緒に社会保障をした方がよいのかもしれない。
司会者「さて、それではデレク・パーフィットさんに名曲を歌ってもらいましょう。 Future Tuesday Indifferenceです」
火曜日は無関心/それは不合理でしょ
だって君は火曜日なら拷問されてもいいって言うんだから
火曜日は無関心/ぜんぜん気にしないんだね
だって君は拷問されてもかまわないって言うんだから
合理的になってほしいんだ/よく考えて
客観的になってほしいんだ/主観だけじゃだめだ
おかしいだろ/やっぱりほら火曜日なら
拷問されてもかまわないっていうのは
合理的になってほしいんだ/火曜日の朝も
客観的になってほしいんだ/火曜日の夜も
おかしいだろ/やっぱりほら火曜日なら
不快よりも拷問を選ぶっていうのは
司会者「すばらしい曲ですね。客観主義の立場を力強く歌い上げています。 いかがですかピーター・シンガーさん?」
シンガー「ええ、すっかり説得されました」
スティーヴィー・ワンダー「あれ、これってオレのTuesday Heartbreakのパクリじゃないの?」
購買部でパン。12時前に行こうと思えば行けるのに、 12時を過ぎてから混んでいる購買部に行くのは、不合理に見えるが、 個人的には時間割引率が高くて、10分後の自分の選好はほとんど無視できるので 合理的と言える。
しかし、「未来の火曜日はどうでもよい」というのは、主観主義的にもどう考えても 不合理なように思えるな。「人々の幸福には関心があるが、カ行の人々の幸福には 全く関心がない」という人がいたら、我々は「だから客観主義が正しい」と 結論するよりも、「その人は精神に問題がある」と結論するのではないだろうか。
もうお昼すぎか。仕事をしよう。
思い立って業績一覧のところを 年代の新しい順からにし直したり。手作業で大変だった。 本当はCSVか何かで作っておくべきなんだよな。
「なぜ約束を守らないといけないか」もおもしろい問題だが、 「人生においてより多くの約束をすべきか、あるいはより少ない約束をすべきか」 というような問題も気になる。そもそも約束しなければ約束を破ることもなくてよい、 という考えから、「オレは約束をしない」という生き方がある気がする。
メールの返事を始めたが、追わらんな…しかも眠い。
少し休憩してからまた仕事。Stevie Wonderを聴いている。
真面目に終末期の勉強をしていたらあっという間に夕方。 なんか2時ぐらいから5時ぐらいまでの時間の流れが早いんだよな。気をつけよう。
目薬が必要な気がするな。 というか、眼鏡を買い替えるべき時期をとうに過ぎている気がする。
MOOCの続きをしないといけないので、海外のトレーラーを見てから 次のトレーラーを考える。英語の文章を作る場合のように、 英語で考えるときは、音楽を消して集中する必要がある。
また一日が終わる…。今日も翻訳のチェックができなかった。まずい。
まあ英国のEU離脱はショックだよな。政治哲学的にはコスモポリタニズムと パトリオティズムの対立、政治学的には主権国家とそれを超える連合体との 緊張関係だろうか。しかしまあ多くの国民にとっては理念よりも家計なんだろう。
格差社会を作って不満な貧困層を増やせば移民排斥とか憲法改正だとかいろいろ 可能になるわけか。
小雨の降る中、百万遍で買い物をしてから帰宅。Little Featを聴きながら。 今日はinboxもゼロにならなかったし、中途半端だが仕方がない。
夕食。夕刊、オクトノーツ。
娘とWiiで少しボーリングをしてからシャワー。娘は旗がかわいいという理由で、 エルサルバドルかホンジュラスに住みたいそうだ。 (娘は「エルサバルドル」と言っていた。アナとエルサからの連想か)
もう寝るべし。
定時起床。昨晩は比較的涼しかったが眠い。髭剃り、朝食、朝刊、週アス。 新聞もそうだが、週アスは読み飛ばす記事ばかり。時間の無駄か。
霧雨の中、娘を保育園に送る。クリーニング屋。
LifeNote Touchを引っ張り出してきて、ConnectBotででUMINに入ってみるが、 キーバインディングがうまくない。これ用にConnectBotを作り直したものがあるようだが、 それをインストールしてまで使うか、ということがあるな。時間の無駄なのでやめよう。
午前中は某先生らと打ち合わせ。某臨床倫理入門コースの準備など。
お昼、某君と某コレクションにて昼食。拡張工事をしているようだ。
某予習。
昼下がり、某演習。ヘアの選好の再現の話。
来客あり。
研究室の学生に、某倫理学研究の発送の準備を手伝ってもらう。感謝。
雑用。専修案内の書き換えなど。某名誉教授が書いたと思われる 「カントやミルなどの西洋の主要な倫理思想家の著作の多くは,現在はテキス ト・データベース化されており、そうでないものも自分で光学読み取り機を使っ てコンピュータ入力することが可能である」という歴史的文言も 断腸の思いで修正した。
WindowsのNextGenというRSSリーダーはショートカットが使いやすくてよいのだが、 ときどき共有に失敗して凍ってしまう問題がある。解決しないのかな。
少し翻訳の編集作業。毎日こつこつやらないとまずい。
日が落ちる前に帰宅。夕食。
娘と少しWiiでボーリングなどをしてからシャワー。 娘が言うことを聞かないので厳しくすると大泣きする。 背中に数字を書く遊びをすると泣き止んだ。
新聞を読んだら寝るべし。
恐い夢で早朝に目覚める。二度寝して定時起床。髭剃り。
ビリージョエルのWe didn't start the fireにサンタヤナが出てくるのだが、 1952年に彼が死んだのはそれほど大きいニュースだったのだろうか。
娘を保育園に送り、郵便局に寄ってから大学へ。勉強しないと。
FeedlyがChromeで立ち上がらない問題、ちょっと前から気になっていたのだが、 拡張機能のAdBlockを無効にすると立ち上がることがわかった。
少し某翻訳編集作業。こつこつ。
某予習。某左京郵便局から集荷の方が来てくれる。無事に終了。関係各位に感謝。
ムーアの自然主義的誤謬と ヒュームの法則 (「である」から「べき」を導けないという法則)の関係だが、 ヒュームだと、
となるが、ムーアだと「Aは快い」
「したがって、Aをすべし」
ヒューム「であるからべしは導けません。快いものをすべきであるという前提が必要」
となる。似たような論点であるが、 ヒュームだと前提に何か「べし」文が入ってさえいればよいので、 ムーアのように善が定義できないとか、ミルやスペンサーが善を定義しようと しているといった余分な主張はしていないと言える。「Aは快い」
「ところで、快いものは善い(分析的に真)」
「したがって、Aは善い」
ムーア「快いものが善いというのは総合的命題であって、概念分析では出てきません」
お昼すぎの自分の選好を再現して、お昼前に購買部に行くことにしよう。
購買部でおにぎりと冷うどん。素麺が売っているといいのに。 1000通ぐらい投書するか。
藤野寛先生の新著『「承認」の哲学--他者に認められるとはどういうことか』 をご恵贈いただく。 ちゃんと勉強します。
勉強しながらお昼を食べてちょっと休憩。
某講読。ムーア。
ムーアが『倫理学原理』の第一章で批判している「善いとは望むことを望むことだ (desiring to desire)」は、Pigdenによればラッセルがアポスルの会で読み上げた 論文の批判になっているそうだ。
授業の前に、某事務局の資料が一式見当たらないと焦っていたら、 某君が見つけてくれた。似たようなカバンが研究室にいろいろあったので、 盲点になっていた。
某君に手伝ってもらって某入門コースの準備作業など。 それからインボックスのメールを減らすシーシュポス的作業。
某翻訳もしないといけないし、某予習もしないといけない。
順序尺度と間隔尺度の違いとか、基本的なことを倫理学では教わらないので 自分で学ぶ必要がある。
日が暮れる前に娘を保育園に迎えに行き、帰宅。 日中はけっこう雨が降ったようだが、夕方は止んでいてよかった。
娘のクラスではりんご病が流行っているそうだ。 知らなかったが、りんご病は感染する期間には症状が表れず、 症状が表れたときにはすでに感染力を失っているそうだ。 ウイルスの生存戦略はすごいな。
しばらく娘と遊んでからシャワー。勉強しないとまずいが、とりあえず新聞を 読んだら寝るべし。
昨晩は除湿をかけて寝たせいか、比較的よく眠れた。早朝、娘に起こされる。二度寝して定時起床。
昨日は歩かなかったので、今日はよく歩くべし。
朝、不機嫌で泣き叫んでしまいには朝食を戻した娘をシャワーできれいにしてから 保育園へ連れていく。梅雨の時期はみんな疲れているようだ。 6月も国民の祝日が必要ではないか。
それから歩いて大学へ。History of Philosophy 256. Henry of Ghent (ガンのヘンリクス。ガンはベルギーの都市)。 死刑囚は逃亡する権利があるとか、飢えて死にかけている人は物を盗んでもよい と考えていたそうだ。このあたりはアクィナスと一緒か。 アクィナス同様、アルベルトゥス・マグナスに教わったとのこと。
なんというか、メールの返事をしていたらあっという間に午前中が 終わりそうだな。
午前中はちょっと某調べものなど。お昼になる直前に購買部に行き、 冷きしめんなど入手。もそもそと食べる。
某会議。眠い。
明日の講義の準備など。アームソン(1958)の論文を読み直したり。
第二回臨床倫理学入門コースの案内を全学のウェブサイトにも出してもらった。よろしくお願いします。
夕暮れ時に店仕舞いにして帰宅。研究室で就活中の某君が買ってきた赤福をもらう。 歩いて帰宅。そういえばもう夏至を過ぎたんだな。
夜、夕食。
娘とWiiでボーリングをしたり、ボール遊びしてからシャワー。 娘がMiiでキャラを作ることを「子どもを作る」と表現し、 「子どもを作りたい」とせがまれる。
早く起きることにしてもう寝るべし。