今日のお昼(暑かった!)、京大に行くために四条から市バスに乗ると、ぼく の前の座席に座っていた二人づれのおばさんたちが次のような話をしているの をついつい聴いてしまった。
倫理学を学ぶ人間として注意する義務があるのではないか、と思ったが、 以前と同様、小心者のゆえに結局何もできずにただ聴いていた。他山の石とし て役に立つこともあるかも知れないので、ここにその会話の一部を記しておく。 (カッコ内はこだまの一人言)
おばさんA:「ちょっとちょっと、もう知ってます?あれ、あの淳君の殺人犯」
おばさんB:「知ってますよ、中三の子が殺したんやて?もう世も末やがねほんま」
おばさんA:「事実は小説よりも奇なり言いますの、ほんまやねぇ」
おばさんB:「けどね、警官とか校長とかが真犯人やったらもっと面白かったのにねえ、ほほほ」
おばさんA:「ほひ、ほひほひほ」
おばさんB:「ほんまに、もう怖くて外よう歩きませんわ」
おばさんA:「しかも殺した方の男の子、まだ14才やから死刑にできへんどころか、刑務所にも送れしませんねんて」
おばさんB:「そうそう、よくって少年院でしょ、それも一年かそこらとか」
おばさんA:「いくらなんでもちょっとずるいですわよねぇ。死んだ子も浮 かばれしませんわ」
おばさんB:「ああいう子は一度死なんとわからしませんのに。悪い子は生 まれつき悪いんですから教育しよう言っても無駄ですわ」
おばさんA:「ほんまなんであんな恐ろしい子に育ったんでしょうねぇ」
おばさんB:「そら日本の教育のせいでしょう。日本の教育はひどいもんです実際」
(悪い子は生まれながら悪いのではなかったのか?一年かそこらの付き合い しかない先生に責任を負わすのは無茶である)
おばさんA:「親も何してはったんでしょうねえ」
おばさんB:「そらあんた、両親も悪いですわ。いくら何でも動物を平気で 殺す子に育てたらあきませんわ。ちゃんとしつけしませんと」
おばさんA:「そうですわねぇ。今ごろ気の毒な思いしてますやろけど、責 任を問われんわけには行きませんやろね」
おばさんB:「そらそうですわ。もう村八分にされても文句言えませんわ実際」
おばさんA:「けどもしかしたら、ほら、あの地震が子供たちの性格なんかに深い影響与えたのかもしれませんねぇ」
おばさんB:「ああ、ほんまやねぇ。だからあんなことしたんやろかねぇ。 けどそんなん言い出したらキリありませんわ。殺人事件起こさん子もちゃんと いるんやからねぇ」
おばさんA:「まあ、とにかく意外な結末でしたねぇ」
おばさんB:「これで実は他の犯人がいたなんて言うことになったら大笑いやね、ほほほ」
おばさんA:「ほひ、ほひほひほひほ」
(笑えんっつーの。いくら日本のひどくてもそれはないだろう。14才の子に容疑をかけておいて、万一もしそんなことになったら警察の信用はガタ落ちになるはずだから、今回は絶対に慎重に確かめたはずである。)
おばさんB:「テレビとかで事件を見てた他の人達もこれでは今一つ気がお さまらんやろから、これで中年のブ男なんかが真犯人やなんてことになると、 もう絶対に死刑やろね」
おばさんA:「もしかしたらそないなことになるかもしれませんわね。帰っ たらテレビ見んとあかんね」
おばさんB:「ほんまやわ。はよ帰らんと」
ううむ、テレビで見たことを評論家気取りで無責任に話すおばちゃんたち。 ま、言論の自由は保障されているわけだから好きに話してくれればいいが、興 味本位で殺人事件を大声でバスの中で論評するのはやめてほしいものである。