靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

花もまいらせす

……
我庵の あみた仏 ともし火も ものせす
花も まいらせす すこすこと 彳める 今宵は
ことにたうとき
    蕪村「北壽老仙をいたむ」より

哀悼

虚舟先生 はるかに逝きぬ  吁  可悲也已

しずけさや

たよりのないのが よいたより

政治家は懐手

「大臣が判子を押すか押さないかが議論になるのが良いことと思えない。大臣に責任を押っかぶせるような形ではなく執行の規定が自動的に進むような方法がないのかと思う。」
「死刑を受けるべき人間は執行されないといけないが、誰だって判子をついて死刑を執行したいと思わない。」
なんで,これが政治的失言として問題にならないんだろう。上の者は懐手で,つらい仕事は下の者におっかぶせるという典型じゃないか。現実に執行しなきゃならない人がいることに気付いているのかね。ベルトコンベヤーでことは進んだりしませんよ。
与党は勿論,野党も気付いてない。マスコミも何も言わない。「資金管理団体の政治資金収支報告書で記載ミス」のほうがそんなに大きな問題ですか。政治家にそんなことを言い出したら誰も残らないからですか。

個人的には,基本的には,死刑廃止派です,念のため。

何ぞ学びて得べけんや

人は死ぬとどうなるのか。中国の素朴な考えでは鬼になる。中国で鬼というと,日本の幽霊のことだといわれるが,これはあまり正確ではない。化けて出るのが幽霊だけど,鬼は化けて出なくても鬼である。で,鬼となるとどうなるか。別にどうということはない。鬼にも,人と同じように社会が有る。だから,あちらで城隍神にでもなれれば,こちらで地方長官となるのと大差無い。こちらで悪事を重ねて,あちらへ行ったら始めから獄の中ということは有る。あちらで鬼が死ぬとどうなるか。聻というものになる。鬼が聻を恐れるのは,あたかも人が鬼を恐れるようである。で,聻となるとどうなるか。聻にも,人と同じように社会が有るらしい。そこで聻が死ぬとどうなるか。さあ,そこまでは分からない。
それでは,人→鬼→聻→ という運命は免れ得ぬものなのか。いや,これ以外に神仙になるというのが有る。でも,神仙というのは,仙骨をもって生まれてくるものではないのか。つまり,学んだり修行して得る,なんてことはあるのか。少なくとも『抱朴子』では修行して到達可能だとしている。それはそうだろう。そうでなければ仙道の宣伝なんて成り立たない。
それでは,人の病を癒すという能力は,学んだり修行したりして得られるものなのか。そういう能力は天賦のものだとしたら,世の中の医療関係の教育機関は,ほとんどみんな詐欺のようなものである。しかし,『霊枢』官能篇に引く針論に「得其人乃傳,非其人勿言」とある。何以てその伝える可きものを知るかは,よく分からないが,少なくとも『史記』倉公伝では,公乗陽慶からみて淳于意は其の人であるけれど,淳于意のもとの師匠である公孫光は其の人ではない。
西洋中世には魔女と魔術師がいる。魔女は生まれながらに魔法使いである。魔術師は学んで,「うまくいけば」魔術の原理を知り,「うまくいけば」高度な魔法を使えるようになる。魔男なんてものは無いらしい。女の魔術師も極めて珍しいと聞く。

易とは何か?よく中る中国伝統の占い,ということなら興味は無い。そうじゃなくて,世界を陰と陽に分けて,その陽を陰と陽に分けて,その陽の陽をまた陰と陽に分けて八卦とし,陽の陽の陽をさらに陰と陽に分け,その陽の陽の陽の陽をさらに陰と陽に分け,その陽の陽の陽の陽の陽をさらに陰と陽にわけて六十四卦として,それによって森羅万象を解釈しようということなら,読んでみても良いかな,と思う。

「宇宙・人生の森羅万象を陰陽=爻の変化によって説明し予言する書」といううちの「予言する」には我慢がならない。『易経』に造詣が深い人は尊敬するが,易で占ってよく中てると言われても,なんだこの,としか思わない。

五里

明の『顧氏画譜』を眺めていて,妙な絵をみつけた。銭唐の李嵩という人の髑髏の図で,髑髏が髑髏の人形を操っていて,幼児がそれに這い寄っていくという極めて意味深な題材ではあるが,ここに妙なと言ったのはそのことではことではなくて,左上の塀のようなものの上にある「五里」のことである。
gori.jpg
どんな故事によった絵なのか分からないのだから,詮索のしようが無いのだけれど,私などは『霊枢』本輸篇の「尺動脈在五里,五輸之禁也」を思い浮かべてしまう。でも塀の上に五里穴の標識を立てるべき理由はない。あるいは本輸篇などの五里のほうが五里穴などではないのかも知れない。残念ながら「五里」は『漢語大詞典』などにも載ってないので,不吉な意味が有るのかどうかも確かめられない。
続きを読む>>

孫羊店

「清明上河図」に描かれている最大の酒楼の名を,普通は「孫羊店」と呼んでいるようだが,これには合点がいかない。他の例では酒旗には「小酒」とか「新酒」とか書いているのに,ここだけが屋号を記しているなんてことが有るだろうか。
虹橋のたもとの脚店では,酒旗には「新酒」と書き,看板には「十干脚店」と記し,やや小型の看板を対にして「天之」「美禄」と掲げている。これは「十干脚店」が屋号だろう。
seiten.jpg
春に北京へ行ったときに琉璃廠の本屋で買い求めた『清明上河図的千古奇冤』を眺めていたら,通説とは異なった説明があった。まず屋号は「孫家正店」である。上の画面の中央に対になった看板が有り,右の看板の上の字は「孫」の右半のようである。下の字はよく分からないが,料理屋の屋号を某家とするのは当時も普通だったらしいから,この推定は許せる。『東京夢華録』にもそうした例はいくつも載っている。酒楼の右のほうにもう一つ看板が有って上の字が「香」であるのは少し気になる。あるいは「香☐正店」ではないかとも思ったが,これは別の店に軒先を貸しているようなものと解釈したらしく,香火舗と説明している。そして,酒楼の左隣も同じようなもので,孫家正店が羊肉の小売りをやっているのであって,だから上のところに「斤六十足」と貼り紙がある。つまり「孫羊店」の旗は,むしろそちらの商売のためのものである。店の前に講釈師らしいものがいて,それに群がる人々がいるので,小売部の営業がちょっと分かりにくかった。
孫家正店の入り口もよく分からない。たぶん建物の中央なんだろうとは思うが,そうすると,向かって左手の対の看板の間は何なのか。本当は「香☐」の右にももうひとつ対になる看板があって,美酒とか名物料理とかを誇っているのではないかと思う。対の看板の間は飾り窓のようなものだろう。だから,店先に勝手に屋台を開いていてもそんなには気にしてない。
この『清明上河図的千古奇冤』の著者の王開儒という人は,「清明上河図」の複製を熱心にやっている画家のようで,別に正式に教育をうけた学者ではないらしい。でも,言っていることは結構おもしろい。折角,おもしろい材料がころがっているのだから,何もおとなしく首うなだれて学者の説を拝聴するばかりが能ではないということ。

稀星乍有無

稀星と書いてキララと読む名前を届け出たら,ある町では「星ではララとは読めない」と再考をうながし,ある市では「不受理にする法的根拠に乏しい」と受け付けたそうです。
ばかばかしい,親の気持ちとしては「まばらなほしがキラキラ」だからキララとしたんでしょう。別に稀はキで星がララというわけじゃない。私の母親の実家は服部で,勿論ハットリと読むのだけれど,べつに服がハッで部がトリというわけじゃない。服部はつまりハタツオリベで,まず部のベが省略されて,ついでハタツオリがハットリと変化したというか訛ったんでしょう。でも世の中には部田と書いてトリタと読む苗字が有る。日本人の苗字や名前の読み方なんて無茶苦茶なんです。
でも,稀星でキララなんて,私の趣味じゃない。どうしてもキララと名づけたかったら綺羅々と書くし,いっそ雲母でもいい。

杜甫「倦夜」詩
 竹涼侵臥内 野月滿庭隅 重露成涓滴 稀星乍有無
 暗飛螢自照 水宿鳥相呼 萬事干戈裏 空悲清夜徂
そもそも稀星なんてそんなに良い名前ですかね。まあ,このみの問題ですからとやかくいうこともないんですが。

開封の酒旗

酒旗というと,晩唐の杜牧の「水村山郭酒旗の風」のイメージ,あるいは明末の小説『水滸伝』の挿絵の知識で,竹竿のさきにくくりつけられた燕尾の麻布が風に翩翻,と思いこんでいたけれど,北宋の張択瑞が開封を題材に描いたとされる『清明上河図』を見るとちょっと違うようだ。巻末付近にある孫☐正店とか虹橋のたもとの十干脚店とか,店の規模による違いかとも思ったが,初めの方の小さな店の酒旗も同じようなので,やっぱりこれは(描かれた)時代差か,地域差それも場面のではなくて,描いた人の地域差なのだろう。
『清明上河図』の酒旗は,絵画自体は色あせているけれど青と白の縦縞らしい。陸亀蒙の詩に「酒旗の青紵,一行の書」,白居易の詞に「紅板の江橋,青き酒旗」などとあるから,青がまあ基本である。概ね「小酒」とか「新酒」とか書くが,屋号を書いたかと思われるものもある。十干脚店のは「新酒」で,孫☐正店のは「孫羊店」である。ただし,これも正式な店名とは違うはずだから,名物料理を掲げたのかも知れない。

shuki.jpg
町外れの粗末な店は「小酒」である。向かって左隣は紙馬店,つまり墓参りに持って行って焼く紙製品の店である。右隣は饅頭屋のようで,少年らしき行商人が朝食を買い求めている。「小酒」店はたいした規模の店ではないが,それでも彩楼歓棚をしつらえて,酒旗を,竹竿の先に今日と同じようにくくりつけて道路に突き出している。店にはしょぼくれた男性客がいる。入り口に同じ布地を用いたのは暖簾のようである。暖簾の脇に客引き女がいるのかどうかは,絵の精密度の限界でよく分からない。中国では,日本のような暖簾は見かけないという人もあるが,そんなこともあるまい。画巻の中程の船着き場近くに中くらいの規模の店が有って,青白縦縞の一方は確実に酒旗だけれど,もう一方はあるいはこれも暖簾かも知れない。
<< 10/21 >>