靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

しゃおちえ

朝日新聞の特派員メモに、思わぬ「失言」の話が載っている。

......新聞を買おうと車内販売の若い女性に「小姐」と呼びかけた。女性は露骨に嫌な顔をして無視し、周りの数人の乗客が私の顔をじろじろ見た。

「小姐」は、大陸ではクラブなどの接客女性を指すのが普通だから、というわけだ。同じようなことを,中国通の日本人の友人からも聞いたことがある。ところがその場に同席した北京の女性,日本語ぺらぺらの女性は,そんなことはないと言っていた。「小姐」はやっぱり「おじょうさん」で,そう呼ばれてそのこと自体が不愉快なわけがない,そうです。

どちらが本当なんだろう。

ようするに言葉は,それが使われた場面によって,受け取られかたが違うということじゃないか。個人どうしのつきあいで,自分に注目があつまって,「おじょうさん」と呼びかけられたら,若い女性はやっぱり内心うれしいんじゃなかろうか。でも,ちょっと年がいっていれば,馬鹿にされたような気がするかもしれないし,服務中に「ちょっと,ねえちゃん」ではムッとするだろう。気をつけなければいけないのは,台湾では「小姐」,大陸では「服務員」という使い分けではなくて,場面の雰囲気の差だろう。
そして,特派員が上海で「小姐」と呼びかけて,周囲から白い目で見られたのは,なまじ中国語が堪能だったからじゃなかろうか。外国人がたどたどしい発音で,一般的ではないことば「小姐」で呼びかけても,上海の心優しい「おじょうさん」に睨まれることはない,と思いたい。

怖いね

市民や子どもたちがウオーキングやアスレチックを楽しむ公園で,小学一年生の男の子が遺体で見つかって,「怖いね」っていうから,「いや,もっと怖いかもしれないよ」っていったんです。ほとんど冗談だけどね。不謹慎だけどね。そしたら,本当にもっと怖かった。

占夢

『三国志』蜀書・魏延伝
延夢頭上生角,以問占夢趙直,直詐延曰:「夫麒麟有角而不用,此不戰而賊欲自破之象也.」退而告人曰:「角之為字,刀下用也;頭上用刀,其凶甚矣.」

これによってみれば,「角」字の上部は「刀」,下部は「用」と認識されていたことになる。ところが古来の実際の例を探ってみると,下部はほとんど「用」であるが,上部が「刀」の例はついに見つからない。はて?と思って,『説文解字』をひもといてみると,小篆は右のようでした。だから漢字字体の規範化はむずかしい。

普通事態宣言

タイでは,バンコク非常事態宣言。

 総理の突然辞職と力士の大麻吸引。

ニホンでは,トウキョウ普通事態宣言。

南陽原やら歴代三代記やら

古くからの友人に,小栗虫太郎『黒死館殺人事件』と戯れて三十年という,玩びの達人がいて,近ごろ相棒を得て,調査の進捗が速やかになっているらしい。慶賀すべきであろう。

そこで,友だち甲斐になにがな協力したいとは思うけれど,西欧のことにはとんと疎いので,中国および日本に関するところで少々。
桃源社版ではP94とP95に,黒死館の蔵書に関する記事が有る。
本邦では、永田知足斎、杉田玄伯、南陽原等の蘭書釈刻を始め、古代支那では、隋の経籍志、玉房指要、蝦慕図経、仙経等の房術医心方。
細かな詮索はあほらしいからおく。南陽原は,原昌克のこと。南陽は号である。著書に,『叢桂亭医事小言』『経穴彙解』などが有る。ミナミ・ヨウゲンではない。
また、抱朴子の「遐覧篇」費長房の「歴代三代記」「化胡経」等の仙術神書に関するものも見受けられた。
「歴代三代記」なんてものは無い。「歴代三宝紀」の誤りだろう。もっともこれは費長房が撰したといっても仏教史籍であって,仙人になりそこないの費長房とは関係無い。小栗氏の念頭にある費長房は『後漢書』方術伝とか『神仙伝』に登場する壷公の弟子のほうだろううが,「歴代三宝紀」の費長房は,成都の人で僧侶。北周武帝の廃仏によって還俗させられ,隋の文帝の仏教復興に伴い,召されて翻経学士となった。

本当は,「あほらしいからおく」などと言ってはいけない。あほらしいことをしこしこと調べ続けて三十年だから,玩びの達人なのである。

国家利益のためなら

花火で描いた巨人の足形は,コンピューターグラフィックスによる合成映像だった。
航空管制で空撮ができないのならしょうがない。
国旗入場の際の,笑顔を絶やさない少女と,美声で熱唱した少女は別人だった。
まあ,二人一役という考え方も,無いことは無い。

しかし,「国家利益のためならいいだろう」は,冗談じゃない

三ヶ月

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なんだったっけ

禁断のシミレーション

仮にもし,民族自治区の独立を一斉に認めたとしたら,面子の問題とか歯止めが効かなくなるおそれとかをのぞいて,どのような不利益が有るのだろう。
身軽になれて,かえって好都合だったりして。

国芳画く

歌川国芳の「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」シリーズでも「臂那吒項充」ですね。
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これはもう『通俗忠義水滸伝』あたりの責任ですか。編訳者は儒者の岡島冠山であるとか,いや違うとか。
荻生徂徠に唐話を教授した岡島冠山にして「入臂」とは,いささかお粗末ではないか。もっとも柳里恭『獨寝』に「岡島援之は、長崎にては長左衛門といひし者なり。華音には希なる生れなり。服元喬がいふには、和中の華客なり、といひしも尤なり。学才は余りなしとかや」とあるそうな。

優弱の癖有り

北斎の『忠義水滸伝画本』の自序に,「元明の画は優弱の癖有り,本朝の画は剛気の癖有り」と言い,そこで「癖を折衷以て戯れに水滸伝を画」いている。さて,この企ては成功したのか。試みに病尉遅の孫立と母大虫の顧大嫂を見てみよう。
孫立というのは,好漢としてはいささか問題が有る人で,従兄の解珍・解宝が冤罪で囚われても,すぐに助ける気にはならない。自分の地位と立場をおもんぱかってのことである。弟・孫新の女房である顧大嫂から,極力しなくても,どうせとばっちりはくうと脅されて,やっとその気になる。顧大嫂のほうがよっぽど気っぷが良い。
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孫立だって堂々たる巨漢で,あら馬をのりこなし,鉄鞭をふるう英雄なんですよ。でも,何か欠けるところがあると考えられたのか,最初の話では中心人物の一人なのに,今の『水滸伝』では地煞星に落とされている。孫立に優弱さを加味し,顧大嫂に剛気さを添えたと見えないことも無い。
それはともかくとして,好漢の綽号の間違いには目を覆いたくなるものが有る。八臂那吒の項充を「入臂那吒」として,ご丁寧に「にうひなた」と仮名を振っている。ナタは毘沙門天の第三王子で,伝統的には三面六臂両足のようだけど,『封神演義』では八臂ということになっている。二臂分だけより強いと言うつもりですかね。
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