病変定矣
- 医論異論
- by shenquzhai
- 2006/04/04
『霊枢』邪気蔵府病形篇で、変化の病形を診る脈状が緩急小大滑濇であって、浮沈が無いのは何故か。まさかとは思うが、甚微がそれに相当するということは……。ただ、甚微を単に程度の差と解すると、微のほうが重篤そうに思えるなどの謎は有る。羅列された病症名に痹の字をふくむものは、いずれも微である。寿夭剛柔篇に、病の陽に在るものは風、陰に在るものは痹と名づけるが、陽に在れば脈は浮、陰に在れば脈は沈とも言えるだろう。また現在の脈状がそれぞれ定義された情況を離れて虚心に考えれば、指が皮膚に触れるか触れないかで感じられる脈は甚と捉えられたかも知れないし、指を余程押し下げないと得られない脈は微と捉えられたかも知れない。
くれぐれもまさかのはなしですよ。
数遅も無いけれど、これは一応は緩急がそれに相当すると考えられる。でも、これだってそんなに簡単に言っちゃって良いのかとは思う。
本当は急緩で寒熱、大小で血の多少、滑濇で気の多少、甚微で病の外内を知る、なんて言いたいところなんだけど、無理でしょうねえ。
くれぐれもまさかのはなしですよ。
数遅も無いけれど、これは一応は緩急がそれに相当すると考えられる。でも、これだってそんなに簡単に言っちゃって良いのかとは思う。
本当は急緩で寒熱、大小で血の多少、滑濇で気の多少、甚微で病の外内を知る、なんて言いたいところなんだけど、無理でしょうねえ。
『説文』に載る脈の正字は「𠂢に从い血に从う」もので、「血理分れて、體に衺(ななめ)行する者なり」と言う。「脈」はその或体で肉に従い、正字の字素を左右に入れ替えた「衇」は籀文である。これは明らかに血管系のことであって、その意味が拡張されて山脈とか水脈とかに広がっていく。