靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

 『説文』に載る脈の正字は「𠂢に从い血に从う」もので、「血理分れて、體に衺(ななめ)行する者なり」と言う。「脈」はその或体で肉に従い、正字の字素を左右に入れ替えた「衇」は籀文である。これは明らかに血管系のことであって、その意味が拡張されて山脈とか水脈とかに広がっていく。
 すじをなして連なっているものとして、先ず「血管系のように」と感覚したわけである。これは驚くべきことではないか。そうした感覚の持ち主である古代中国人が、身体を縦(経緯の経は縦糸、緯は横糸)に連絡するものとして経脈を発想したときに、血管系を意識していないわけが無い。
 経脈説の独特である所以は、「ここに施した術の効果が、かしこに発現する」ということである。そして「互いに相関しているからには、両者をつなぐモノが有るはず」という即物性が、経絡学説発展の基盤であった。そのモノとは血管系であったはずである。だから、経脈学説に血管系についての知識が混入しているのは避けがたい。問題は、現代の目からみて、経脈現象を担うモノは血管系なのか、ということである。現代医学は、血管系がそのような能力を有することを否定している。この判断はおそらく正しい。
 経脈現象を担うモノを、他に求めることが必要であるかどうかは分からないが、どのみち我々には手に負えない世界であることは間違いないだろう。我々にできることは、文献に現れる所謂「経脈現象」から、血管系を初めとする現代医学にすでに知られたものを取り除き、他に預けることのできない現象、私見では「患部と、遠く離れた診断兼治療点の関係」を洗い出し、新たに体系づけることではないかと考えている。


血脈に拠る体系
 血管系のしかるべきポイントに何らかの刺激を与えて、血液循環を制御し、そのことによって健康を維持し、疾病から回復させる体系も、一応考え得る。ただ、これをもって『素問』、『霊枢』などに記載される現象の全てを説明することは、やはりかなり困難であろうと思う。現代医学も、このことについてはほとんど何も知らないようである。

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