靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

八體成美

『太素』巻8経脈連環「穀入於胃,脉道以通,血氣乃行。」の楊上善注「八體成美,經脉血氣遂得通行。」の「八體成美」を新校正は「人體成長」に作り、「人」字の起筆の処はなお残迹の尋ぬべきものが有ると言い、「八體成美」に作るものは甚だしい誤りであるなどと言うが、原鈔は明らかに「八體成美」である。「八」の起筆の処は「人」の起筆の処にとどいていないし、「美」は巻19知方地「美其食」の「美」と同じ。そもそもこれより前に、楊上善は一の精から八の毛髪まで数え上げているではないか。新校正の説は誤りも甚だしい。
また同じ箇所についての脚注が,王洪図、李雲重校の『黄帝内経太素』修訂版(科学技術文献出版社2005.5)では,
仁和寺原鈔「人」字第一筆略殘,故字形似「八」。今細辨之,其起筆處尚有殘迹可尋,故當作「人」字。小曽戸摹寫本作「八體成美」,誤也。
銭超塵、李雲校正の『黄帝内経太素新校正』(学苑出版社2006.6)では,
原鈔「人」字第一筆略殘,故字形似「八」。今細辨之,其起筆處尚有殘迹可尋,故當作「人」。日本摹寫本作「八體成美」,誤甚。
これによって思えば,そもそもこの脚注が銭超塵教授によるものなのかどうかもいささか疑わしい。『黄帝内経太素』修訂版の編者は,修訂にあたって銭教授の処で仁和寺本影印を見て,それを主校本としたとは言っているが,銭教授の説を採ったとは断ってないように思う。

唯佛明言

『太素』巻6首篇の「兩精相摶謂之神」に対する楊上善の注は,新校正では次のようになっている。(ただし,俗字は新校正の脚注に従っておおむね正字に改めた。)
即前兩精相摶,共成一形,一形之中,靈者謂之神者也,斯乃身之微也。問曰:謂之神者,未知於此精中始生?未知先有今來?荅曰:案此《内經》但有神傷、神去,并無神之言,是知來者,非同始生也。又案,釋教精合之時,有神氣來託,則知先有,理不虛也。故孔丘不荅。有知無知,量有所,唯佛明言,是可依。
中国の新式標点はよくわからないから棚上げにするとして,いくつかの文字は原鈔と異なると思う。「并無神灭之言」の「灭」は実は「死」であろうし,「量有所由」の「由」にはいささか疑問が有る。問答の部分を推測を交えて訳せば,次のようになるはずである。
問:これを神と謂うというけれど,それはここではじめて精の中から生ずるものなのか,それとももともと有ったものが今来るというのかがわからない。
答:この『内経』をしらべてみると,神が傷なわれるとか神が去るとかは有るけれど,神が死ぬという言葉は無い。だから来るというのは,ここではじめて生ずるというのと同じではないことがわかる。また釈教(仏教)をみてみると,精合のときに神気が来たり託すといっているから,つまりもともと有ったのだと考えるほうに,理があることがわかる。だから孔丘が,有るとか無いとかを答えないのには,たぶん理由が有るのだろう。ただ仏だけがこのことを明らかに説明している。これには従ってよい。
思うに,「神が死ぬという言葉は無い」では文意がよく通らない。新校正が誤り甚しいという蕭延平本の「生」には捨てがたいところが有るように思う。また「たぶん理由が有るのだろう」よりは「思うに理解の及ばないところが有るのだろう」のほうが良いだろう。「由」は何かの誤りではないか。如何。

なぜこれを話題にするかと言うと,楊上善は本物の道教の信者なのか,それとも建前としての道士なのかという疑問が有るんです。だってここでは仏教を持ち上げているみたいでしょう。
唐室は老子を遠祖として崇めたてまっていたから,出世の方便として道士になったのも結構いたようですからね。上善というのは『老子』第8章の「上善は水の若し,水は善く万物を利して而も争わず」から取ったのだろうから,ばりばりの道教的な名前だけれど,だから逆にあやしいような感じもする。もっともあの数多くの老荘哲学の研究は,生半可な態度では無理だろうがね。

代替符号か之か

『太素新校正』巻6蔵府応候は「皮緩腹果,腹果大者大腸大而長,皮急者大腸急而短。」p.98とするけれども,原鈔には実は代替符号が用いられていて,しかも果の下には代替符号は無い。従って「皮緩腹果腹果大者」ではなくて,「皮緩腹腹果大者」のはずである。しかしそれでは意味がよくわからない。ところで,この部分は『霊枢』では「皮緩腹裏大者」,『甲乙経』は「皮緩腹裹大者」に作る。してみると,「腹」の下の代替符号をいっそのこと「之」の誤りと考えてみてはどうだろう。そうすれば「皮緩,腹之果大者大腸大而長,皮急者大腸急而短。」まあ何とか意味はわかる。腹の果とはつまり腹裹で,蔵府つまり禁器をしまいこむ匣匱のごきものであって,皮の緩と急は結局のところ腹の大小で診ることになる。

重校と新校正と

王洪図、李雲重校の『黄帝内経太素』修訂版(科学技術文献出版社2005.5)と銭超塵、李雲校正の『黄帝内経太素新校正』(学苑出版社2006.6)には,そっくりなところが有るんですね。例えば巻21九鍼要道「取三脉者恇」の楊上善注に「恇,匡方反,怯也,氣少故怯。」とあって,王洪図、李雲重校の脚注に「仁和寺原鈔"匡"字漫漶,辨其殘筆,當作"匡"。盛文堂本、小曽戸摹寫本均作"區方反",恐未安。」と言う。で,銭超塵、李雲校正の脚注では,編集方針で原鈔の俗字を保存すると言っているからそれを説明した外には、仁和寺原鈔→原鈔,小曽戸摹寫本→日本摹寫本に改めて,恐未安でなく與原鈔殘筆不合と事実の紹介にとどめているくらいです。そっくりだと思いませんか。共編者が同じなんだから当然とも言えるけど。他に書きようがないかも知れないけど。
ちなみにこの脚注は誤りで,本当はやっぱり「區方反」だと思いますよ。原鈔は「區」の上部横棒にノを増画した俗字であって,原鈔では「歐」の左旁もこのように書かれている。新校正も「歐」については「匡」に「欠」などとは言わない。同じように誤るのを,偶然と言うのもねえ。

巻16虚実脉診「行步恇然也」の楊注には「恇,■方反,怯也」として,重校脚注に「"■",當作"偘"字。與"侃"同。《玉篇・人部》:"偘",同 "侃"。」,あるいは新校正脚注に「"■"爲"偘"俗字,與"侃"同。《玉篇・人部》:"偘",同"侃"。」と言う。脚注は恐らくは誤りである。■は臨の右半の形。原鈔では「區」字は横「一」に「ノ」を増画している。ここではさらに「乚」が省略されているのだろう。

杏雨書屋蔵の『太素』

杏雨書屋蔵の『黄帝内経太素』巻21と27の影印がついに出版されました。みごとな出来映えです。現物よりも寧ろ見やすいかも知れない。翻字を担当しておいてこんなことを言うのもなんだけど,翻字注で「こうでもあろうか」と言っておいたところも,図版を見ると自信をもって「こうである」と言えそうです。
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ただ,それにしても「非売品」限定三〇〇部です。主立った研究機関には一応行き渡るだろうけれど,秘かに研究しているというレベルでは手に入れそこなう人も多そうです。だから,この記事は見せびらかしです。

背與心相控而痛

『太素』巻11氣穴
背與心相控而痛,所治天突與十椎及上紀、下紀。上紀者,胃脘也;下紀者,關元也。
楊上善注:任脉上於脊裏,爲經胳海,其浮而外者,循腹裏當齊上胸,至咽喉,胳脣口,故背胸相控痛者,任脉之痛也。此等諸穴,是任脉所貫,所以取之也。
耶擊陰陽左右,如此其病前後痛濇,胸脇痛而不得息,不得臥,上氣短氣偏痛,脉滿起耶出尻脉,胳胸支心貫鬲,上肩加天突,耶下肩,交十椎下藏。
楊上善注:量此脉行處生病,皆是督脉所爲。下藏者,下胳腎藏也。

楊上善は前半を任脈、後半を督脈に関するとして解釈しているが、そうだろうか。むしろ後半は前半の説明になっていないかと考えてみた。
先ず「上紀者,胃脘也;下紀者,關元也。」は経中の訓詁で、経文そのものよりは後から加わった説だと考える。だから拘束されない。「十椎」は何かの間違いだろう。「七椎」という説と「大椎」という説が有る。いずれにせよ「☐椎及上紀、下紀」は、その上下という意味の可能性が有る。『霊枢』海論に気海は膻中で、後の柱骨の上下と前の人迎で挟む。「十椎」は「大椎」というのが良いかも知れない。前は天突に拘らず、人迎でも膻中でも要は患者の訴えに従えば良いのかも知れない。
邪は陰陽左右を撃つものであるから、このように前後に痛むことが有る。胸脇を濇(何かの間違いかも知れない)して、痛んで息も出来ないし、臥すことも出来ない。上気し短気して偏痛する。脈は満起して斜めに尻に出、(脈はまた)胸脇を絡い心に支え膈を貫き、上は天突に加わり、斜めに肩に下り、大椎に交わり蔵に下る。
だから、患者の訴えによって取るべき気穴は、要するに前後に塩梅すれば良い。大椎の上下と天突はその第一候補である。『霊枢』衛気で気街について述べるところでは、気が胸に在れば膺と背腧で挟む。

五里穴

『太素』巻11気穴(S58)に「大禁廿五,在天府下五寸」とあり,楊上善は「三百六十五穴中,有大禁者,五里穴也,在臂天府以下五寸,五五廿五往寫此穴氣,氣盡而死,故爲大禁也。」と言うけれど,楊上善は実際には五里穴を禁針穴なんて考えていませんね,多分。今頃気がついたんですが,巻25十二瘧(S36)に「瘧方欲寒,刺手陽明、太陰、足陽明、太陰」とあって,「手陽明脉商陽、三間、合谷、陽谿、偏歷、温留、五里等」と言ってます。巻11気穴では経文に「在天府下五寸」と言っちゃてるから,そのように注をつけなきゃしょうがないけれど,本当はあんまり気にしてなかったみたいです。

浮沈

『霊枢』の邪気蔵府病形篇に緩急小大滑濇が有って、浮沈が無い。一番の可能性は五蔵の脈がすなわち浮沈である、ということですよ。言うまでも無いと思うけれど。極めて浮いていれば肺、極めて沈んでいれば腎という具合にそれぞれ配当する。肺は毛、腎は石なども、突き詰めて言えば浮沈でしょう。問題はそれと緩急小大滑濇は本当に両立しうるかということで、他の可能性も探っているんです。

それに腎の脈は沈と言ったところで、沈であれば腎というわけにはいかない。腎の脈は沈石であるべきだけれど、今診ると弦浮である、だからこれは腎の不足と判断する、なんてことがあちこちに出てくるでしょう。やっぱり、腎の診処の脈が云々、でないと具合が悪いでしょう。で、どこだ!となる。六部定位というわけにはいかないでしょう、歴史的に。

太素新校正

11日に、待望の『黄帝内経太素新校正』が届いたので、「太素を読む会」のほうに夢中で、こちらはしばらく手薄になります。
それにしても、これA4版なんですよ。扱いに困る。繙く前に、机の上を整理する必要が有る。書見架に立てるとむこう側が見えない。

第三輸みたび

 六府について「井滎輸経穴之後,別立一原」と言うのは、明らかに変だから、あるいは「井滎輸経穴之後,別立一原」の誤りで、「井滎輸経合穴」はつまり「五つの本輸穴」で、「之後」はつまり「の他に」の意味かも知れない。五つの本輸穴の他に、別に一原穴を立てる。
 だとすれば、陰陵泉と陽陵泉を「太陰第輸」、「少陽第輸」と言って、要するに「疾高」なんだから本輸の一番上の、つまり五番目の合を取れと言っているに過ぎないのかも知れない。
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