2度殺される子どもたち、子を2度失う保護者たち
わが国の脳死下臓器提供は1997年に制度化され、2010年以降は15歳未満の臓器提供も可能になりました。しかし児童虐待を「否定」する必要があり、実質的にはほぼ臓器提供は不可能な状況が続いていました。これは自国での臓器移植推進を謳った国際移植学会イスタンブール宣言(2008年)に、著しく反するものです。
こうした中、2022年に「臓器の移植に関する法律」の運用に関する指針(ガイドライン)が一部改正され、ようやく児童虐待に対する取り扱いが現実的になり、脳死下臓器提供の提示が可能になりました。しかしながらここにきて、これまで表に出てこなかった深刻な問題が露わになったのです。
これは当院で発生した事例です(個人が特定されぬよう、一部情報を変更しています)。
自宅で2歳の子にブドウを食べさせていたところ、誤嚥し完全窒息となりました。直ちに救急要請し自宅で心肺蘇生が開始され、救急隊に引き継がれました。病院搬送後に気道異物が除去されブドウを確認しました。自己心拍の再開後、PICUへ入室しましたが脳死状態が確認されました。
発生機序が明確で原因の気道異物も確認されたため、院内の「児童虐待にかかる委員会」にて慎重に議論した結果、児童相談所通告対象とならない非虐待事例と判断しました。御両親は深い悲しみに包まれておられましたが、最新のガイドラインにもとづき脳死下臓器提供のオプション提示をさせていただくと、わが子の臓器提供によって複数の子どもたちを救えるのであればと、子を失う悲しみの中でご両親は臓器提供に同意してくださったのです。
ところがこの経緯を法的脳死判定後の死体検案を担当する警察に連絡したところ、驚くべき回答がありました。気道異物が原因であることは確からしいとはいえ、「子どもの事案」であり「念のための剖検を」と「上」が言っているというのです。現場の警察官も違和感は覚えたようですが、とにかく「上の判断」の一点張りで、担当医として状況説明に尽力しましたが、警察当局は一切主張を曲げず、司法解剖の実施に固執し続けました。しかも専門医学的な根拠に関して尊重する姿勢も見られません。こうして子どもを亡くし悲しみに暮れている中、御両親が他のお子さんのために決断された御意志が蔑ろにされるという、残念な結果となってしまいました。
また、司法解剖を担当した法医学者からは、とても綺麗な臓器でした、というコメントを得ました。
これはあまりにもステレオタイプな剖検至上主義といえるのではないでしょうか。
保護者にとって逆縁となる子どもの死は耐えがたい苦痛です。その苦しみを乗り越えるため、脳死下臓器提供に一縷の希望を託すことがありますが、極めて苦しい決断です。ところがその尊い意志が、「念のための剖検を」といった形式的な司法・警察の判断によって、踏みにじられたことになります。これは保護者にとって子どもを2度失うようなものです。わが国において、このような非道な判断が今、この瞬間も行われています。そうした事実を多くの人々に知っていただきたく、1000字提言として取り上げさせていただきました。
神奈川県警の上層部は、このような判断をした根拠を社会に向け説明する義務があります。判断を決定した責任者が実名でコメントし、判断が妥当だったかどうか、社会通念上の判断を仰ぐ必要があると思います。
このような状況の改善、すなわち子どもの意志の尊重と保護者の苦悩の寄り添うため、Aiが果たせる役割があるのではないか、とAi学会の理事のひとりとして考えました。
まずは上記のような事実があることをひろく認識いただき、剖検至上主義のドグマに対して何ができるか、共にお考えいただければ幸甚です。