靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

忘れた

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もう二ヶ月......

もう忘れた......


花も万両

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実を見るべきものの花を見れば往々にして

BLOGと掲示板

またぞろいろいろ手をひろげてしまったけれど、そろそろまた手を引く準備です。
日本内経医学会談話室」の掲示板は、会員相互の談話が目的です。誰かが書いた記事に対して反応して、何かを言うことは有るかも知れませんが、私が自分で口を切るつもりは有りません。私にはこのBLOGが有ります。掲示板の管理者として、お知らせを書き込むことは有ります。
太素を読む会」の掲示板には、『太素』の判読に際して、意見を徴求するためのものです。他の人が意見を書き込みやすいように、掲示板にしました。今有る記事はほとんど誘い水のようなものです。自分自身の過去の読解は、『黄帝内経太素新新校正』として、一応まとめてあります。書庫に置いています。私自身は、『太素』に関して考えたことも、特に意見を求めるのでなければ、今後もこのBLOGに書きます。BLOGにだってコメントはできるんですがね。
つまり、私自身には「日本内経医学会談話室」も「太素を読む会」もあまり必要ありません。どちらの掲示板も、書き込む人がいなければ、馬鹿馬鹿しいから閉鎖するかも知れない。
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凌霄花


暑い。こんな暑苦しい花が,中国から,平安朝のころにすでに渡来していたのかと想うと,よけいにくらっとする。夏の宵を凌辱する花? 中国文明と平安貴族にたいするイメージが狂います。濃い涎の葛と訓む。←勿論うそ

木有り名は凌霄,擢秀して孤標に非ず,偶たま一株の樹に依り,遂に百尺の条を抽きいだす。根を託して樹身に附き,花を開いて樹梢に寄り,自らその勢を得たりと謂い,因りて動揺有ること無し。一朝に樹は摧り倒され,独立して暫く飄颻,疾風東より起こり,吹き折りて朝を終えず。朝には雲を払うの花となすも,暮には地に委すの樵となる。言を寄す立身のものよ,柔を学んで苗を弱めること勿れ。(白居易)

白帝城

民間の伝説としては,前漢末の蜀に割拠していた公孫述は,十二年間皇帝になれると夢に告げられ,また庭中の井戸から白竜のごとき気が天に昇るのを見て,皇帝を称し「白帝」と号し、瞿塘峽の入り口に「白帝城」を築かせた,ということになっている。

ある人の『三国志』の紀行に,「漢は,五行思想によって火を意味する赤をイメージカラーにしているのに対し,火よりも強い水を意味する白を旗印にしたことから,その城を白帝城と名づけたのだという」と書いている。無茶苦茶である。水の色は黒で,白は金の色である。

実際には,前漢の火の赤の後に,王莽の新の黄が続き,さらに公孫述の成(蜀の成都を中心とする)の白が継ぐというつもりだろう。蜀は中国の西方であり,西方は金で白だからちょうど良い。相生の関係である。
もっとも,金は火に溶かされるわけで,現実には成は後漢に滅ぼされた。相剋の関係である。

都江堰

もう一ヶ月がたちました。......まだ一ヶ月しかたってません。
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都江堰へは一度,行ったことが有ります。
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もう二十年ほども前のことです。
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こんなのも,多分,無事というわけには,いかなかったんだろう。
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不避顛倒旧簡之嫌

何愛華女史の著『難経解難校訳』の後記には,人にものを思わしめるところが有る。
......著名なる歴史学者・陳垣の創立した校法の中で,理校を主要な手段とし,「校理」を主要な内容とするようにした。そんなことをすれば,「鹵莽滅裂」(大雑把で軽率)、「濫改古書」(みだりに古書を改める)といった大忌を犯しがちである。整理した書稿には,必ずや缺点が存在するであろうし,撰した歴史と文献についての考証論文には,なお検討や修正を要するであろう。だから,遅々として敢えて正式に梓に付すことはしなかった。......

ところが何女史は,突然に嘔血し,胃癌であると診断された。そこで,先輩だか同僚だかが,若手の研究者を動員して,昼夜兼行で原稿のとりまとめをしてくれた。それを大いに感謝しつつも無念の思いは有る。
......本来このような校勘整理の著述には,しっかりした『校後記』を書いて原書と校勘整理の学術的な価値を読者に知らしめる必要が有る。けれども作者の病によって,しばらく缺いたままにしておくしかない。校理と論文中の後世を誤りかねない箇所や缺点も,また一字たりとも自ら校閲し訂正することが叶わなかった。......

だから,このような遺憾な点を多く残した書物を世に出すことになったけれども,校勘専家も医史学家も,あるいは広く一般の読者も,惜しまず指正の意見を寄せて欲しい,と言い,「病が癒えるのを待って,各家の貴重な意見に従って,せっせと修改し,過失を挽回するというのも,幸せというものではないか」と結んでいる。

後の報道で,出版はなんとか間に合ったように言っていた。けれども,各家の意見を見ることも,修改の幸せを味わうことも,無かった。

盛怒則差

『三国志』魏書・方技伝に華佗の手柄話が載っている。
また一郡守の病むもの有り,佗は以てその人盛怒するときは則ち差ゆと為し,多く貨を受けて治を加えず,いくばくもなくして棄てて去り,書を留めてこれを罵る。郡守果たして大いに怒り,人をして追捉せしめて佗を殺さんとす。郡守の子これを知り,属して逐うことなからしむ。守瞋恚既に甚しく,黒血数升を吐きて癒ゆ。
流石と言いたいところだけれど,実はこれは『呂氏春秋』至忠に載る文摯の話の焼き直しです。そこでは文摯は煮殺されている。そして,言いたいことは「それ治世に忠たるは易く,濁世に忠たるは難し」なんです。なんたって,篇名が「至忠」なんですから。『三国志』はこうした名医伝説を作り替えたホラ話を平気で書く。用心すべきだと思う。

実は,ず~っと昔,インドかアラビアかの名医の話としても,このエピソードを読んだ記憶が有るんです。何で読んだのか,どうしても思い出せないのが残念ですが,何処の暴君も同じなんですねえ。

それとは別の話として,この「其人盛怒則差」ということ自体はどうなんでしょう。『黄帝内経』には無いような気がするんですが。

箸も付けない

さげてきた料理を使い回した店は、勿論、とんでも無いけれど、出された料理に箸も付けなかった客だって、そんなに威張れたものでは無かろう。

茱萸

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きのうまでは黄いろかった 朝は三粒有った いま見たら一粒
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