忘れた
- 雑事
- by shenquzhai
- 2008/07/12
もう二ヶ月......
もう忘れた......
……休息している閑な時間
......著名なる歴史学者・陳垣の創立した校法の中で,理校を主要な手段とし,「校理」を主要な内容とするようにした。そんなことをすれば,「鹵莽滅裂」(大雑把で軽率)、「濫改古書」(みだりに古書を改める)といった大忌を犯しがちである。整理した書稿には,必ずや缺点が存在するであろうし,撰した歴史と文献についての考証論文には,なお検討や修正を要するであろう。だから,遅々として敢えて正式に梓に付すことはしなかった。......
......本来このような校勘整理の著述には,しっかりした『校後記』を書いて原書と校勘整理の学術的な価値を読者に知らしめる必要が有る。けれども作者の病によって,しばらく缺いたままにしておくしかない。校理と論文中の後世を誤りかねない箇所や缺点も,また一字たりとも自ら校閲し訂正することが叶わなかった。......
また一郡守の病むもの有り,佗は以てその人盛怒するときは則ち差ゆと為し,多く貨を受けて治を加えず,いくばくもなくして棄てて去り,書を留めてこれを罵る。郡守果たして大いに怒り,人をして追捉せしめて佗を殺さんとす。郡守の子これを知り,属して逐うことなからしむ。守瞋恚既に甚しく,黒血数升を吐きて癒ゆ。流石と言いたいところだけれど,実はこれは『呂氏春秋』至忠に載る文摯の話の焼き直しです。そこでは文摯は煮殺されている。そして,言いたいことは「それ治世に忠たるは易く,濁世に忠たるは難し」なんです。なんたって,篇名が「至忠」なんですから。『三国志』はこうした名医伝説を作り替えたホラ話を平気で書く。用心すべきだと思う。