靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

不避顛倒旧簡之嫌

何愛華女史の著『難経解難校訳』の後記には,人にものを思わしめるところが有る。
......著名なる歴史学者・陳垣の創立した校法の中で,理校を主要な手段とし,「校理」を主要な内容とするようにした。そんなことをすれば,「鹵莽滅裂」(大雑把で軽率)、「濫改古書」(みだりに古書を改める)といった大忌を犯しがちである。整理した書稿には,必ずや缺点が存在するであろうし,撰した歴史と文献についての考証論文には,なお検討や修正を要するであろう。だから,遅々として敢えて正式に梓に付すことはしなかった。......

ところが何女史は,突然に嘔血し,胃癌であると診断された。そこで,先輩だか同僚だかが,若手の研究者を動員して,昼夜兼行で原稿のとりまとめをしてくれた。それを大いに感謝しつつも無念の思いは有る。
......本来このような校勘整理の著述には,しっかりした『校後記』を書いて原書と校勘整理の学術的な価値を読者に知らしめる必要が有る。けれども作者の病によって,しばらく缺いたままにしておくしかない。校理と論文中の後世を誤りかねない箇所や缺点も,また一字たりとも自ら校閲し訂正することが叶わなかった。......

だから,このような遺憾な点を多く残した書物を世に出すことになったけれども,校勘専家も医史学家も,あるいは広く一般の読者も,惜しまず指正の意見を寄せて欲しい,と言い,「病が癒えるのを待って,各家の貴重な意見に従って,せっせと修改し,過失を挽回するというのも,幸せというものではないか」と結んでいる。

後の報道で,出版はなんとか間に合ったように言っていた。けれども,各家の意見を見ることも,修改の幸せを味わうことも,無かった。

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