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KODAMA'S (NEW) WORLD

車が運転できたら、と思ったことは今までに何度かあった。 しかしそれは、たとえばつきあっていた女性から 「車を運転できない男性なんて」と言われて傷つく程度のものであった。 しかし今度だって、真実車を運転したいのではない。
そうとも。昔から偉大な学者は、車の運転免許なんて持っていなかった。 アリストテレスも、ガリレオも、ニュートンもダーウィンもだ。 偉大な文学者だって、教習所に通ったりはしなかったぞ。 ゲーテも、ドストエフスキイも、夏目漱石も永井荷風もだ。

---筒井康隆『文学部唯野教授』


昨日 / 明日 / 2013年6月 / 最新 / はてな

この日の出来事


22/Jun/2013 (Sunday/dimanche/Sonnitag)

ロンドン、フライト、『ダイハード』など

少し早めに起床。シャワー。朝食。急いで荷物をまとめてチェックアウト。

ロンドンに行く前に、某実践倫理研究所を訪ねる。それからタクシーでロンド ンへ。お昼ごろに着く。某ホテルのラウンジで昼食。

午後、しばらく某先生たちと散歩。ナショナルポートレイトギャラリーに行き、 ミルやホッブズの肖像画を見る。外は天気が悪く(小雨と強風)、散歩日和では なかった。

夕方、タクシーでヒースローへ。ヒースローではラウンジでゆっくりしたり、 免税店をひやかしたり。とくに何も買わず。おみやげ買うのは苦手。

夜、飛行機に乗る。帰りもちょっとだけよい席。帰りはあまりプレッシャーも ないので、映画を一本だけ見る。『ダイハード・ラストデイ』。ロンドンでは World War Zが上映されていたので、それも観たかったのだが。

機内では夕食後よく寝た。


22/Jun/2012 (Friday/vendredi/Freitag)

論文投稿、飲み会など

定時起床。髭剃り、朝食、朝刊。

娘を保育園に送り、本三駅前の某喫茶店で雑用。某英文校正された論文のチェッ クも途中まで。

お昼はランチョンセミナー。NYCの公衆衛生政策について。

お昼すぎ、某ガイダンス。それから集会室でお昼。

昼下がり、論文の推敲を終え、ウェブで論文投稿する。緊張して胃に穴が空く。

夕方、某神の委員会。そのあと、いろいろ雑用。

夜、同僚らと春日の中華料理屋で夕食。楽しく飲み食いする。

夜中、春日から歩いて帰宅。投稿した論文に不備があったので、手直しして再 度投稿する。

目を開けていられないほど眠いのでもう寝るべし。


22/Jun/2011 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

よく寝る。髭を剃り、某妻から借りた携帯を設定したりしてから朝食。小さな 中庭のテーブルでパンとコーヒー。オーナーのお姉さんにも初めて会う。ルッ カの地図をもらい、ついでに最寄りの海への行き方も教えてもらう。

午前中はルッカ旧市街の探索。まず全長約4キロの城壁を一時間半ほどかけて ゆっくり歩く。歩道になっているので、散歩する人、ジョギングする人、サイ クリングする人で賑わっている。テレビ局の撮影も行われていた。

それからちょっと喫茶店で一服。お昼すぎから旧市街の目ぼしい建物を見て回 る。シエスタの時間には多くの店が閉まるようで、自分もホテルに戻って昼寝 することに。ジェラートを買う。シャワーも浴びる。

夕方、海を見に行こうとバス停に切符を買いに行く。出発まで時間があったの で、郵便局を探しに行き、切手を買おうとしたが、混んでいたので断念。

小一時間バスに揺られてヴィアレッジオというビーチのある町へ。なんとかバ スを降りて浜辺に辿り着く。着いたら満足して、30分ほど海を見て帰ることに。 帰りは電車で。電車の方が速くて快適だが、時刻表だけが頼りなので乗り方が 難しい。

夕暮れどきにルッカに戻ってきてから、簡単に夕食。サンミケーレ教会のわき にある店でサンドイッチとビール。それから昨日と同じピザ屋でピザをテイク アウトしてから帰宅。ピザを食べてシャワーを浴びたあと、しばらく報告の準 備。力尽きて寝てしまう。長い一日だった。


22/Jun/2010 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中

目覚し時計のスヌーズ機能というのは、 人間の意志の弱さを測定するためのものである。 そのことを確認していたら、朝、起きるのが遅くなる。

シャワー、シリアル。

少し遅めに出勤。午前中は雑用。 お昼はランチョン・セミナー。ミルグラムの実験についてビデオ観賞。 自分もやりそうで怖い。

お昼すぎ、某先生らと打ち合わせ。昼下がり、某ミーティング。

夕方、また雑用。夜、某氏と本三の定食屋で食事。ビールと焼酎。

夜中、時間があったので少し勉強。 英米の猥褻基準について勉強していたら、 知的に興奮してきて、 結局日付が変わる頃まで研究室に。

コンビニでアイスなどを買って帰宅。新聞を読んだら寝よう。


22/Jun/2009 (Monday/lundi/Montag)

真夜中

朝、少し寝坊。髭剃り、朝食。

定時出勤(少し遅刻)。午前中は雑用と某論文を読む作業。

お昼すぎ、某先生と相談。

昼下がりに弁当を食べてから、夕方に某氏らと移植について議論。 そのあと、某氏にコンピュータを見てもらう。某英文校正も出した。

夜、某政治哲学研究会。平等について。なんだか難しい。

夜中、本三で某氏らと飲んでから帰宅。もう寝なければ。

そういえば、帰宅すると、某氏から結婚を知らせる葉書が来ていた。めでたい。


22/Jun/2008 (Sunday/dimanche/Sonntag)

昼下がり

お昼前に起きる。雨。シリアル、朝刊。

いろいろ雑用。メールも数通。考えるべきことが多く、休日なのに心落ち着かず。 オンとオフをうまく切り替えられるようにしないと、この先まずいことになりそうだ。

夕方

昼下がり、某妻と傘を差して外出。クリーニング屋にズボンを預け、 東京新聞の配達店で一部朝刊を購入。それから某ラーメン屋で遅い昼食。 六義園に行こうと思ったが、ちょっと体調が気になったので某ショッピングセンターに 行き先を変更。少し買物をしてから、某区立図書館に立寄って帰宅。

帰宅してから、エアコンの掃除をする(スプレーするやつ)。

産経新聞の講読を今月で止めることにした。自分と異なる見解の新聞を取ることは重要だと 思うのだが、(1)広告が少ない、(2)雨の日にビニールに入れてくれないので一部ふにゃふにゃに なっている、(3)某妻がひなちゃんとかスヌーピーぐらいしか読む記事がないと嘆いている、 などの理由からあきらめて朝日に戻すことに。

まあ、東京新聞もしばらく読むことができて楽しかった。 今日も社説 (週のはじめに考える、主婦からおひとりさまへ)がおもしろい。

真夜中

夜、夕食後は読書したり考えごとをしたり、某翻訳の献本先を決める作業を進めたり。

というわけで、あっという間に週末が終わってしまった。寝よう。


22/Jun/2007 (Friday/vendredi/Freitag)

真夜中

朝、某スタバで朝刊を読んでから定時出勤。雨が降り出す。

午前中は学部生向けの某文献講読。 Is Inequality Bad for Our Health?を途中まで。

お昼は某妻と待ち合わせして、向丘のあたりのイタメシ屋。 午後は夕方まで自宅で勉強。

夜、神保町に行き、某研究会に出席。カレー。 「規範意識とは何か」など。

夜中、某氏と巣鴨の居酒屋で飲む。焼酎を二杯お湯割りで飲んだら、 けっこう酔っぱらった。 遅れてやってきた(というか、呼び出した)某妻と一緒に歩いて帰宅。


22/Jun/2006 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

真夜中 (午前)

素麺を食べながらポルトガル対メキシコ戦を見たあと、 しばらくベンタムの勉強。もうちょっと真面目にやらんといかん。 しかし、もう寝なければ。

なんとか起きる。

昼下がり

定時出勤。午前中は雑用をたくさんとベンタムの勉強を少し。

某ランチョン・セミナーでは、 倫理委員会に関する某論文を検討。

寝不足気味。眠い。

「女子学生にわいせつ行為、筑波大が大学院教授を解雇」(読売新聞)。

筑波大は21日、女子学生にわいせつな行為をしたとして、大学院の男性教授 (58)を懲戒解雇したと発表した。「教授名は個人情報である上、公表すると被 害者の特定につながる恐れもある」として教授の氏名は公表しなかった。

だそうだ。仮に懲戒解雇によって十分な制裁が与えられており、 名前を晒してさらなる辱めを与える必要はないとしよう。 また、教授名を公開することで、被害者に不利益が生じる可能性があるという ことも認めることにしよう。 その場合、素朴な疑問なのだが、この教授が別の大学に就職して、 同じことを繰り返す可能性というのは考慮されないのだろうか。 再犯の問題、とくに小児性愛の犯罪者の再犯の問題は、日本だけでなく 他の国でも問題になっているのに、大学教授はそういう心配はないという ことなのだろうか。よくわからん。

中国国際臓器移植ネットワーク。 Google Adsに出ていたので驚いた。

真夜中

夕方まで、ベンタムの勉強や院生の指導。 夕方、購買部に買物に行ったあと、 某授業。医療資源の配分について。それなり。

夜、同僚の方々と事務室でビールを飲みながら歓談。 日付が変わるころに帰宅。

今日のニュース


22/Jun/2005 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

早朝

寝つきに失敗したので、まだ起きて勉強している。

ちょっとメモ。東海大判決の尊厳死の定義について調べること。 無益性との関連で。

早朝2

まだ起きてる。もう一つメモ。定義の重要性の例として、 安楽死を用いよ。羽幌病院の例。

早起き。久しぶりに3時間しか寝てないが、なぜか元気。

真夜中

朝、雨の中大学に行くと、 朝の某勉強会は1時間遅れて開始すると告げられる。 1時間後だと出席できないので、 いろいろ雑用を済ませて一旦帰宅したあと、 某駅で同僚と待合わせし、筑波へ出発。

新お茶の水から北千住に行き、 常磐線に乗り換えて牛久へ。 そこからタクシーで某研究所に行く。

ここの研究所はバイオリソース(マウスなどの研究用試料)を準備・提供するための ところだそうで、細胞がどのように保管されているかとか、 P4施設がどういう構造になっているかとか、 ここにマウスが何匹いて、毎日何匹産まれるのかとかについて教えていただく。 WHOのバイオセイフティーのレベル4(エボラ熱やマールブルク熱など致死性の感染症) に対応するP4施設は日本に三つしかないそうで、 『バイオハザード』の世界を経験する貴重な機会になった。感謝。

夕方、上野に戻ってきたあと、歩いて帰宅。 そのあと某知り合いの方と某居酒屋で夕食を食べ、 上野までぐるっと歩いて帰ってくる。 今日はずいぶん歩いた(1万6千歩ほど)。

真夜中2

新聞、ニュース。明日は早起きして勉強すべし。


22/Jun/2004 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中 (午前)

cygwinはめんどうだから、Meadowだけ入れるか。 過去の日記も参照せよ。

真夜中2 (午前)

さて、帰って新聞を読んで寝るか。今日はちっとも勉強しなかったな。

真夜中3 (午前)

自転車がパンクしていたので歩いて帰宅。明日の朝が不便だ。

帰宅してシャワー。猛烈に首がかゆくなる。 シャワーの水か、ボディソープか、 あるいはバスタオルにカビでも生えているのか。 この部屋はどうも湿度が高いので、湿気を取る工夫をする必要がありそうだ。

湿気はカビとダニの温床になるようだ。なんとかしなければ。 というか、もっと掃除機をかけろってば。

昼下がり

一応朝起きたが、部屋の掃除をしたり、 登校の途中で家賃を払ったりしていると、 大学に来るのはお昼すぎになってしまった。

不動産屋の主人に尋ねたところ、自転車屋は本郷の交差点の交番から春日通りを 上がっていったところに一軒あるきりだという。あとで行ってみるか。

昼下がり2

研究室はクーラーが効かなくて暑いのでリファレンスルームに退避して いろいろ辞書類をインストール。隠れて生きよ。

昼下がりから5時間ほど某ミーティング。疲れた。

夜中

ミーティング後、某氏らと韓国家庭料理屋で夕食。 マッコリを飲みながらみなと話していると、 なんとも幸せな気分になる。 良い同僚に恵まれて幸せだ(と、誉め上げておく)。

それから帰宅。明日は自転車屋に行けるといいが。とにかく今夜は眠い。


22/Jun/2003 (Sunday/dimanche/Sonntag)

真夜中 (午前)

一昨日の新聞を今ごろ読んでいる。文化国語庁の世論調査によると、 「流れに棹さす」の意味を正確に理解している人は12% (勢いを止める行為ではなく、さらに勢いを増す行為をすること)、 「役不足」は28%(自分の力量が足りないのではなく、 役目が自分の力量では軽すぎること)、 「確信犯」は16%(悪いとわかっていてやることではなく、 宗教的・政治的信念から正しいと信じて行なう行為、犯罪)、 「閑話休題」は24%(話を本筋から脇道に移すさいではなく、 脇道から本筋に戻すときの「さて」)等々だそうだ。 オレも間違えないように気をつけよう。

ラジオで聞いた笑い話。 Powergenという英国と米国がベースの電気会社があるが、 これがイタリアにも支社があり、 なんとその支社のウェブサイトのアドレスが www.powergenitalia.comというものらしい。 何がおかしいかわからない人は辞書を参照のこと(ただし、下ネタなので注意)。 googleで調べると、たしかにこのサイトは存在するようだが、 現在は見れなくなっている。原因は不明。

そういえば昨日、本郷のどこかで「Bar Jin」という名前のバーを見かけた。 これもすごいなあ。

真夜中2 (午前)

昨日の産経社説。日本語の乱れについて。 「[正しい国語を守るために] ひとつは、古典や優れた文学作品などに親しむことにより、 目や耳を通じて正しい言葉を身につけることだ。 そうすれば、文法違反の言いまわしには自然と抵抗感が生まれるし、 意味を取り違えることもすくないだろう」(6月21日「流れに棹ささぬ日本語を」) とある。やはりこういう側面は言語と道徳は似ていて、 これなんかは、アリストテレス的な道徳教育の話につながる。以上メモ。

夜明け前

やっと新聞を読み終わった。 なにか小説も読みたいなあ。

お昼前

起きてシャワー。

昨晩から腰が痛いと思ったら、 昨日本郷のシンポで4時間近く地べたに座っていたのが原因だと思い当たった。

夕暮れ

お昼から昼下がりまで某ドトールで産経とガーディアンを読む。 それからちょっと自転車で三軒茶屋まで散歩。 ここは雑多な感じでなかなか良い。 喫茶店で軽く食事。

それからまたドトールへ。勉強勉強。

シンガーの翻訳。早くやらんと間に合わんなあ。 シンガーの文章は明快なので、一回読めば一発でわかる文章を目指したいが、 それはやはりむずかしい。何度も翻訳文を推敲して洗練させないと。

翻訳は楽しいが、今抱えてる二つの翻訳以外には頼まれても断ることにしよう。 いや、もし『ハリー・ポッター』を訳せと言われたら断わらないけど:)

真夜中

日曜のため9時にドトールが閉まったので、ブックオフに行き本を数冊買い、 某中華料理屋で夕食。常連になりつつある。

まだちょっと風邪ぎみ。


22/Jun/2002 (Saturday/samedi/Sonnabend)

真夜中 (午前)

昨夜は渋谷はBunkamuraで中国映画を観た。

活きる

第二次世界大戦前夜から、70年代ごろまでの中国において、 時代の波に翻弄されながらもたくましく生きていく夫婦の話。

地主階級の家に生まれた主人公は博打で負けて土地と家を奪われてしまい、 妻は子供を連れて実家に帰ってしまう。 男は得意の影絵芝居で生計を立てるために家族を置いて興業に出るが、 途中、国民軍と共産軍の争いに巻き込まれてしまう。 それ以降も、数々の不幸が夫婦を見舞うが、 二人は不条理な(あ、カミュだ)運命に苦しみながらも寄り添いあって生きていく。 影絵芝居の道具は「反体制」のレッテルを貼られるのを恐れて文化革命のときに ついに燃やしてしまったが、 その箱は二人とともに最後まで残っていた…。

笑わせるところ、泣かせるところをちゃんと押えていてよい。 あまりお涙頂戴というわけではなく、抑え気味に表現しているところもよい。 音楽もよい。みな演技がうまい。文句なし。 2時間ぐらいで人の半生を生きた気分になる。 B+。おすすめ。

しかし人生はたいへんだ。オレも自己批判しよう。あれ、意味不明?

早朝

起きて喫茶店(某エクセル…)へ。 新聞を買おうと駅前のコンビニに行ったら、 スポーツ新聞しか置いてなかった。おかしい。

infiltration
パキスタンのイスラム人テロリストたちがひそかにムシャラフ大統領の支援を 受けてカシミールに侵入してくること。ムシャラフ大統領は支援をしていない と主張している。カシミールをパキスタン領にしたがっているイスラム教徒た ちは多いので、ムシャラフ大統領はうまくなだめないと政情が不安定になるお それがある。
Marine Le Pen
こないだフランス大統領選でシラクを脅かした極右のJean-Marie Le Penの娘。 「あたしと父の違いは髪の多さだけよ」というブロンドの極右政治家。34才。 ヘビー・スモーカー。たぶん総選挙では社会党候補に負けたはず (チェックすること)。
the loya jirga
アフガニスタンの多民族議会。1年半後の総選挙までの暫定政権を作るのが 目的。元国王ザヒル・シャーが元首に選ばれかけたが、おしゃれなカルザイ 氏が今後も指導者としてがんばる模様。
hooligan(s)
サッカーの熱狂的なファンのこと。チームが負けると暴れて逮捕される。 よく似た存在として、好きな女性(男性)に振られると追いかけまわして逮捕 されるストーカーがいる。
soccer
米国で人気のないスポーツの一つ。 footballは1875年ハーヴァード対イェール戦における取り決め以後、 手でボールを投げてもいいスポーツのことを指すことになった。

夕方

西武新宿店のマクドから。韓国がPKで勝ったらしく、 パブの外でテレビを見ている人々が盛り上がっていた。 韓国すごい。

机に向かっている時間…1.5hr
今日の勉強時間…0hr
マルクス係数…0


22/Jun/2001 (Friday/vendredi/Freitag)

[インターネット: 2時間 新聞: 30分 専門の勉強: 5時間]

夕方

「まだ最後のエッセイに手がついていない。 ドゥウォーキン、退屈なんだよな。 なんでこんなに退屈なんだろう。 あまりに常識的だからだろうか。 退屈で退屈で仕方がない。 もっと血を沸騰させるような哲学書はないものか。 興奮して手を震わせながらページをめくるような本。 ううむ。ううむ。いっそのことライオン使いにでもなろうか」


今後二週間近く更新されないかもしれませんが、心配しないでください。


22/Jun/2000 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

今日のニュース

4コマ目の生命倫理学の授業に出ました。
ペンスの『医療倫理』の第一章、第二章を読みました。
ルネで本を買いました。
ちょっと旅行関係の本も買いました。
カウンターが10万を超えました。
たぶん今日のお昼ごろでしょう。 そういえばヤフーはそろそろ1億ヒットを記録するそうです。
日記の整理をしました。
6月中旬のキーワードは、「某レポートを出さなかったこと」と、 「留学の準備」でしょうか。

06/22/99 (Tuesday/mardi/Dienstag)

お昼

昨日は某古本屋でジャンプが売ってなかったので、 またコンビニでジャンプを買ってしまった。 いかんいかんいかん。

朝から大学。 お昼までかかって『嘘論文』の 対訳テキストの整形をしてプリントアウト、コピー。 中央購買部でサンドウィッチと文房具を購入。

ところで、「焦点を当てる」というのは誤用だと思うのだが、 どうなんだろうか。 (「焦点を合わせる」「焦点を絞る」が慣用だと思う)


夕方

三コマ目、プライバシー侵害に関するビデオ観賞。 英国や米国やカナダでは道端に監視カメラが設置されてるらしいが、 それがプライバシーの侵害になるんだろうか?

四コマ目は、某君によるロールズ反省的均衡論。 話が抽象的でついていくのが大変っす。


某師匠や某君らが議論しているのを横で聞きながら、 日記の整理をしたり。


みな帰ったので、 ちょっと某ソファで眠る。


ヘーゲルの復習。B(ベー)版という方に移ったらしいが、 まだよく把握していない。 それに、 今回やったところは、5月にすでに一度やったはずなのだが…

C1 無限性 DIE UNENDLICHKEIT

BC1-1. Das Unendliche in seinem einfachen Begriff kann zunaechst als eine neue Definition des Absoluten angesehen werden; es ist als die bestimmungslose Beziehung-auf-sich gesetzt als Sein und Werden.
「無限者は、その単純な概念においては、とりあえず、 絶対者の新しい定義とみなす(ansehen)ことができるであろう。 それは、規定をもたない自己関係として、 存在生成と想定(setzen)される」。

BC-1-2. Die Formen des Daseins fallen aus in der Reihe der Bestimmungen, die fuer Definitionen des Absoluten angesehen werden koennen, da die Formen jener Sphaere fuer sich unmittelbar nur als Bestimmtheiten, als endliche ueberhaupt, gesetzt sind.
現存在のもつ形式は、 絶対者の定義とみなされうるような諸規定の系列には入らない。 というのは、その領域の形式は、自分に対して直接的に(端的に)、 規定性としてのみ、すなわち有限な規定性一般と考えられるからである」。

大意: イデアと個物という関係で読むと、どうなるんだろう。よくわからん。

BC1-3. Das Unendliche aber gilt schlechthin fuer absolut, da es ausdruecklich als Negation des Endlichen bestimmt ist, hiermit auf die Beschraenktheit, derer das Sein und Werden, wenn sie auch an ihnen keine Beschraenktheit haben oder zeigen, doch etwa faehig sein koennten, im Unendlichen ausdruecklich Beziehung genommen und eine Solche an ihm negiert ist.
「しかし、無限者は、端的に、絶対的なものとみなされる。 というのは、無限者は明らかに有限者の否定として規定されているのであり、 したがって、 制約とは--存在と生成が、たとえいかなる制約を持ったり示したりしなくても、 それでもいくらかは被りうるような制約とは--無限者においては明らかに 取り除かれ、そのような制約として無限者において否定される。」

大意: 文法的にわからん。最後のistの主語は何なんだろう。 以前にやったはずなのだが。意味も不明。

BC2-1. Damit aber selbst ist das Unendliche nicht schon in der Tat der Beschraenktheit und Endlichkeit entnommen; die Hauptsache ist, den wahrhaften Begriff der Unendlichkeit von der schlechten Unendlichkeit, das Unendliche der Vernunft von dem Unendlichen des Verstandes zu unterscheiden; doch letzteres ist das verendlichte Unendliche, und es wird sich ergeben, dass, eben indem das Unendliche vom Endlichen rein und entfernt gehalten werden soll, es nur verendlicht wird.
「しかし、そうかと言って、無限者はまだ実のところ、 制約性や有限性から自由であるわけではない。 大事なことは、無限性の真の概念から悪無限の概念を、 理性の無限者から悟性の無限者を区別することである。 後者は有限化された無限者であって、 まさに無限者が有限者から純粋に遠ざけられてしまうということにより、 無限者は有限化してしまうのである。」

大意: 真無限と悪無限の話。

BC3-1. Das Unendliche ist
a) in einfacher Bestimmung das Affirmative als Negation des Endlichen,; b) es ist aber damit in Wechselbestimmung mit dem Endlichen und ist das abstrakte, einseitige Unendliche; c) das Sichaufheben dieses Unendlichen wie des Endlichen als ein Prozess -- ist das wahrhafte Unendliche.
「無限者は、a) 単純な規定においては、 有限者の否定としての肯定である。 b) しかし、そう規定することによって(damit)、 無限者は、有限者相互規定に陥いるのであり、 それは抽象的な、一面的な無限者である。 c) この無限者ならびに有限者の、一つの過程としての自己止揚-- これが真の無限者である。」

大意: a)は、「無限なものとは、有限でないものである」ということだろう。 b)は、そうすると、 無限者と有限者(=無限でないもの)の定義が循環に陥いるということだろう。たぶん。 そしてc)は、そういった対立する無限者と有限者がアウフヘーベンして真の 無限者になる、ということだろう。よくわからんが。

a. 無限者一般 Das Unendliche ueberhaupt

BCa1-1. Das Unendliche ist die Negation der Negation, das Affirmative, das Sein, das sich aus der Beschraenktheit wieder hergestellt hat.
「無限者とは、否定の否定であり、肯定であり、 制約から自己を再びとりもどした(herstellen)存在である」

Das Unendliche ist, und in intensiverem Sinn als das erste unmittelbare Sein; es ist das wahrhafte Sein, die Erhebung aus der Schranke.
「無限者は存在する、 そして最初の直接的な存在としてよりも強い意味で存在するのである。 それは真の存在であり、制約を超越したものである。」

大意: やっぱわからんす。

BCa1-3. Bei dem Namen des Unendlichen geht dem Gemuet und dem Geiste sein Licht auf, denn er ist darin nicht nur abstrakt bei sich, sondern erhebt sich zu sich selbst, zum Lichte seines Denkens, seinen Allgemeinheit, seiner Freiheit.
「無限者という名前とともに、 心と精神に無限者の光が生じる(aufgehen)。 というのは、精神は、そのとき、単に抽象的にひとりぼっちであるのではなく、 自分自身に向けて高まり、 自分の思惟、自分の普遍性、自分の自由の光へと高まっていくからである。」

大意: 無限者の観念は精神を高揚させる効用があるらしい。

BCa2-1. Zuerst hat sich fuer den Begriff des Unendlichen ergeben, dass das Dasein in seinem Ansichsein sich als Endliches bestimmt und ueber die Schranke hinausgeht.
「さしあたり、無限者の概念にとって明らかなのは、 現存在は、その即自存在においては、自己を有限なものとして規定し、 そして、その制約を越えでる、ということである。」

大意: わからん。

BCa2-2. Es ist die Natur des Endlichen selbst, ueber sich hinauszugehen, seine Negation zu negieren und unendlich zu werden.
「自分を越えでること、自分の否定を否定すること、 そして無限になることは、有限者自身の本性である。」

大意: 有限なものは無限なものになろうと日夜努力する。

BCa2-3. Das Unendliche steht somit nicht als ein fuer sich Fertiges ueber dem Endlichen, so dass das Endliche ausser oder unter jenem sein Bleiben haette und behielte.
「そこで、無限者は、有限者を超えでた、 それ自身完成されたものとしてあるのではなく、 したがって、有限者は、 無限者のとかとかに存在したり、 存続したりするわけではない。」

大意: 無限者は、有限者の理想として、有限者の外部ではなく、 胸のうちにある。ということか。これをイデアと個物の関係と考えると、 本質であるイデアは個物に内在してる、ということか。

BCa2-4. Noch gehen wir nur als eine subjektive Vernunft ueber das Endliche ins Unendliche hinaus.
「また、われわれは単に主観的な理性として、 有限者を超えでて無限者へと至るわけでもない。」

大意: あれ、ここらへんは前に比べて少しわかるようになってるな。

BCa2-5. Wie wenn man sagt, dass das Unendliche der Vernunftbegriff sei und wir uns durch die Vernunft ueber das Zeitliche erheben, so laesst man dies ganz unbeschadet des Endlichen geschehen, welches jene ihm aeusserlich bleibende Erhebung nichts angeht.
「人が、『無限者は理性概念であり、 われわれは理性によって時間的なものを超えでていく』という場合、 人はこのことを有限者とは無関係に生じさせているのであり、 有限者は、この有限者の外部で起こるような超越とは無関係である。」

大意: 文法がよくわからんが、 とにかくヘーゲルは、 無限者と有限者が切り離されている状態を嘆いているらしい。

BCa2-6. Insofern aber das Endliche selbst in die Unendlichkeit erhoben wird, ist es ebensowenig eine fremde Gewalt, welche ihm dies antut, sondern es ist dies seine Natur, sich auf sich als Schranke, sowohl als Schranke als solche wie als Sollen, zu beziehen und ueber dieselbe hinauszugehen oder vielmehr als Beziehung-auf-sich sie negiert zu haben und ueber sie hinaus zu sein.
「しかし、有限者自身が、無限者へと超え出られるかぎり、 これを有限者にさせるのはある外的な力ではなく、 むしろ、自己を制約としての自己、 すなわち制約そのものとしての、また当為としての自己に関係づけ、 そしてこれを超え出ていくのは、 あるいはむしろ、そういったものを自己関係として否定し、 それらを超え出てあることは、有限者の本性なのである。」

大意: よくわからんが、有限者は無限者になるべき本性をもってるらしい。 子供が自然と大人になるようなものか。(ちがうか)

う〜ん、あいかわらず拷問っす、ヘーゲルの勉強は。


今日やったこと


06/22/98(Monday/lundi/Montag)

昼下がり

昨日は真夜中に下宿に戻ったが、ひどい雨ですっかり濡れてしまった。

帰ってからごはん。再び味噌炒め。 ブラウンの『発狂した宇宙』を途中まで読んで寝てしまう。 起きたのはお昼過ぎ。うう。勉強せねば。


夕方

ロック読書会終わり。


06/22/97(Sun)

・朝・

・昨日はあれから帰るはずが、バンドのメンバーと三条でボーリングをするこ とになる(2回やって、4人中4位と1位)。そのあと居酒屋で飲み食いして結局帰っ たのは12時前。

・ま、たまにはこういうのも良いものです。(お金がまたなくなったが…)


・昼前・

・シジウィック読書会終わり。これから(ソウル)バンドの練習。


・昼下がり・

・バンドの練習が終わって、研究室でしばらくぼおっとする。ねむい。


・宵・

・ロック読書会。終わり。ごはん食べて帰ります。また明日。


Satoshi KODAMA
email: satoshikodama-tky[at]umin.ac.jp
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Last modified: Fri Aug 23 21:48:51 JST 2013