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こだまの世界

---倫理学者のふしぎな日記---

99年6月中旬号

野蛮人 「でも、神が存在すると感ずる方が自然じゃないでしょうか」
総統 「そんなことをいうのは、 ジッパーでズボンを締め上げるのが自然かどうか問題にするのと同然だよ」
(ハックスリー、『すばらしい新世界』、松村達雄訳、講談社文庫、1974年、 272頁)


6月中旬の主な話題


何か一言


06/11/99 (Friday/vendredi/Freitag)

昨夜は、 某古本屋でチャンピオンとモーニングおよびCD2点を購入してから 下宿に戻る。

下宿でマンガ読む。『教養としての言語学』もようやく読み終える。 前半はおもしろかったが後半はだれた。

先月の26日で賞味期限が切れている卵も、 ラーメンに入れてようやく使い切った。 (無事でした)

スクラーの予習をしないといけないので、 6時間ほど寝てからシャワーを浴び、 (自分で)少し散髪してから大学へ。

大学構内で自転車に乗った某教授を見かける。 あいかわらず若いなあ。


夕方

午前中、文閲でスクラーの予習をする。眠くて死にそうになる。

昼からスクラーの授業。やはり眠くて死にそうになる。

その後、BMOR読書会。自由意志論。 これは眠くならなかった。

読書会のあと、 注文していた本が来ていたのでルネへ。 ついでにまたいろいろ本を買ってしまう。


「寿司が食いたいなあ」と思っていたらちょうど、 某助教授が某寿司屋に行かれるというので 某くんたちと一緒についていくことになった。 腹一杯食べる。ごちそうさまでした。

それから大学に戻る前に某古本屋で買物。 ちょっとゲーセンにも寄る。 それにしても今日は疲労度が高い。死にそう。

そういえばスクラーの授業でついに課題が出た。 「一般相対性理論では、なぜ曲がった時空が必要になるか。 カンケツに説明せよ。2000字以内」 ←む、難しいっす。困難っす。


東北大の某君にメイル。 卒論の草稿について少しコメント。おれも偉くなったもんだ。いやはや。


今日やったこと


何か一言


06/12/99 (Saturday/samedi/Sonnabend)

真夜中

日記の整理。 う。だんだん眠くなくなってきた。


昨夜は日記の整理をしたあと下宿に戻り、まもなく寝た。 お昼前まで10時間近くぐっすり眠る。

それから布団を干し、シャワーを浴び、某喫茶店へ。 ミックスサンドのセット。 他の客に文学部の授業についてちょっと頼み事をされる。

大学でBMORのまとめをメイルしたあと、 某喫茶店に頼まれた件の報告に行き、 それからちょっと三条に出る。 某洋書屋に行って買物。

さらに出町の某古本屋で少し買物をしたあと、 軽音のコマとりに。 しかしじゃんけんで負けてコマを取れなかったのだった。うう。


今日やったこと


何か一言


06/13/99 (Sunday/dimanche/Sonntag)

真夜中

今日は某先輩の引越しの手伝いをした。 疲れはてたのでその詳細はまた明日。


引越しの前に少しフランス語の勉強をした。 『普遍文法』のつづき(p. 12)。

Car des quatre gutturales des Hebreux, il y a de l'apparence que l'Aleph, valoit autrefois vn a: le He, vn e; & l'Aiin, vn o. Ce qui se voit par l'ordrede l'Alphabet Grec, quia este' pris de celuy des Pheniciens jusques au t, de sorte qu'il n'y auoit que le Heth, qui fust proprement aspiration.

なんか、一段落一文ばっかりだな。このころはそれが普通だったのかな。

それにしても、ここはつまんないから省略。次の章に行こう。

CHAPITRE III. 第3章

Des Syllabes. 音節

LA Syllabe est vn son complet, qui est quelquefois compose' d'vne seule lettre, mais pour l'ordinaire de plusieurs. D'ou` vient qu'on luy a donne' le nom de syllabe, sylla'bu, comprehensio, assemblage.

ええと。「音節とは、完全な音であり、それは…」。 quelquefoisは…、辞書辞書、ええと、「ときどき」か。 「それは、ときには単一の文字によって成り立っており、 しかし通常は複数の文字によって成り立っている」。

`D'ou` vient ...'は「そこから〜が由来する」っていう意味かな? 「そこからsyllabeという名が由来している。 sylla'bu (ギリシア語) とは、comprehensio (包括してること? ラテン語らしい) とか、assemblage (集合だろう) という意味である」。

まとめると、 「音節とは、完全な音であり、それはときには単一の文字によって成り立っており、 しかし通常は複数の文字によって成り立っている。 そこからsyllabeという名が由来しており、 sylla'buとは、comprehensioとか、assemblageという意味である」。

Vne voyelle peut faire vne seule syllabe.

「一つの母音は、単一の音節をつくることができる」。

Deux voyelles aussi peuuent composer vne syllabe, ou entrer dans la mesme syllabe. Mais alors on les appelle diphtongues, parce que leurs deux sons se joignent en vn son complet, comme mien, hier, ayant, eau.

「二つの母音もまた、一つの音節をつくることができる。 すなわち、同じ音節に入ることができる」。

`mais alors'で「したがって」という意味のようだ。 `diphtongue'は「二重母音」。 「そこでそれはdiphtongues (二重母音) と呼ばれる。というのは…」 `joignent'はjoindre (代動詞で「結合する」) という語の変化形のようだ。

「というのは、それら二つの音は、mien (私のもの)、 hier (昨日)、ayant (持っている)、eau (水) のように、 一つの完全な音へと結合されるからである」

今日はここまで。


ところで、『すばらしい新世界』の上の引用は、原文では、

`But isn't it natural to feel there's a God?'

`You might as well ask if it's natural to do up one's trousers with zippers.'

である。たしかに「ジッパーでズボンを締め上げる」という表現は変だ。 といっても、他にどのように言うべきかはわからないが。あ、 「ズボンのジッパーを締める」か。


今日やったこと


何か一言


06/14/99 (Monday/lundi/Montag)

朝、農学部を通って大学に来る途中、 農学部の構内で自転車および通行人と危うく衝突しそうになった。

2コマ目が始まる寸前だったので、 どの自転車もみな全速力で大学内を走っており、大変危ない。

とくに農学部構内には直線の大通りがあって、 自転車は車線も信号もくそもなく道路の右側を走ったり左側を走ったり 好きな所で右折したり左折したりUターンしたりするので、 毎日事故が絶えないんじゃないかと思う。


某先輩の引越

では昨日の話を。

昨日はお昼過ぎに他の労働者たちと集合し、 タクシーで某先輩のところに行ったっす。 某師匠も道連れにしてしまって、後で非難されました。

某先輩宅に行くと、 まだぜんぜん荷作りが始められていなかったので驚きました。 いやはや。ほんと。さすがっす。 やっぱ凡人の引越しとは一味違うっす。

とりあえずダンボールを下の倉庫から取ってきて、 功利主義と生命倫理学の重要文献がきれいに並べてある 本棚から本を抜き出して、ダンボールに詰める作業をしたっす。

某師匠は冷蔵庫と掃除器、某はやしくんは机その他、 そしてぼくはソファベッドをもらい受けたんで、 引越しより先にまずそれらをレンタカーの軽トラに積んで それぞれの家に運んだんす。 運転は某師匠にしてもらいました。 ただし、 軽トラは前には二人しか乗れないので、 某君とぼくは交代交替で、 ホロによって密閉された後ろの荷台に乗ったっす。いやはや。 これも大変でした。

荷物の宅配が無事済んだあと、 某先輩宅に戻って軽トラにダンボールを積めこみ、 いよいよ相手方の家に行くことになったっす。

某先輩の婚約相手には先ほどダンボール箱と格闘してるさいに お会いしたっす。 第一印象は、「さわやかな好青年」って感じだったっす。

某師匠と某くんは軽トラに、 某婚約相手と某くんとぼくは左ハンドルな某高級スポーツカーに乗って行ったっす。 いやはや。さすが某先輩の彼氏っす。 車からして凡人じゃないっす。 あ、某先輩は家に残って片付けの続きをされてたっす。

某所にある某婚約相手のマンションも尋常じゃなかったっす。 みんなで口をアングリあけながら荷物を運び入れたっす。 人生について考えてながら作業してた人もいたようっす。

それからもう一度某先輩宅に戻り、 本棚や食器棚を軽トラに積んで、 少し休憩したあと、再び某婚約相手のマンションへ行ったっす。 今回は某先輩と、某先輩の後輩も一緒だったので、 某君が軽トラの荷台に乗ったっす。すまんす。

無事荷物を運び入れたあと、 ビールと飲み物が出て宴会に突入したっす。 しばらくすると某先輩手作りのちらし寿司、 でかい鯛一匹まるごと使った蒸し焼、 とても食べきれないほど大量の牛肉を用いたすき焼など、 豪華絢爛な料理が出て圧倒されたっす。 さらに他のみんなはビールを浴びるように飲んで、
「はい。はい。某先輩とはどのようにして知りあったんすか?」
「はい。はい。いつプロポーズしたんすか?」
「はい。はい。プロポーズの言葉は?」
「はい。はい。知りあったから婚約するまでの期間がそうとう短い気がするんすけど、 それはどうしてなんですか?」
などとスポーツ新聞記者顔負けのインタビューをして カップルをちくちくイジメていたっす。いやはや。なんとも。

ぼくも腹一杯になって気分が悪くなるくらいに食べたっす。 いや、実際気分が悪くなったんすけど。 あれはもう古代ローマ人の食事だったっす。 それに、マンションの部屋も豪華絢爛でまさに豪邸ならぬ豪マンション。 いやはや。今回は上流階級の生活を思い知らされたっす。

某婚約相手は相当酒好きな人らしく、 「これこれ。こ、このウイスキーがおいしんだよ」 と顔をニヤつかせながら他の人に酒を勧める様子がオヤジっぽくておかしかったっす。 いや、まだ若い方なんすけど。

二人とも幸せそうでした。末長くお幸せに暮してほしいっす。

結局11時近くまで騒いだあと、 タクシーで帰ったっす。 ぼくはいったん大学に戻ったあと、 それから下宿に帰ったっす。


下宿に戻ったあと、ソファベッドの位置を決めて寝てみた。 広くて気持ちいい。 しかし、一日勉強しなかったせいかなかなか寝つけず、 結局明け方まで本を読んでいた。

朝早く起きてシリアルを食べ、 シャワーを浴びて大学へ。

う。こんなことを書いている場合ではない。ヘーゲルの予習をせねば。


昼下がり

ヘーゲルの予習は--予習しても理解できないから--あまり意味がないので、 復習をちゃんとすることにする。

中央食堂でサンドウィッチを買って食べたあと、 ヘーゲルの授業へ。 昨日の寝不足も手伝って、 ヘーゲルの授業はときどき居眠りをしてしまった。 いかんいかんいかん。

授業のあと、久しぶりに文閲の書庫に入る。 最近の雑誌などにも一通り目を通す。


夕方

雑誌のコピーを済ませたあと、 またルネに行って本を買う。

う〜む、こんなに買って大丈夫なんだろうか。 だんだん犯罪を犯してる気がしてきた。


ヘーゲルの復習。

2-12-5. Er ist das Aeussere jener Einheit, bey welchem die Vorstellung stehen bleibt, bey jener prerennirenden Wiederhohlung eines und desselben Abwechselns, der leeren Unruhe des Weitergehens ueber die Grenze hinaus, das in diesem Unendlichen eine neue Grenze findet, auf derselben aber sich so wenig halten kann, als in dem Unendlichen.
その無限進行はかの[個物とイデアとの]統一の外観であるのだが、 表象はそこに留まってしまっている。 すなわち、表象はかの同一の交替の永遠の反復、 無限のうちに新たな境界を見つけだし、 無限の中においてと同様、境界の上で留まることもできないがゆえに、 境界をどんどん越えていこうとする空しい落着きのなさに留まってしまっている。

大意: 某教授は「表象」は「反省」と同じような意味だと言っていたが、 まあ、「観察者」とか「視点」とかそんな意味らしい。 「第三の人間論法」に見られるような無限進行というのは、 イデアと個物の結びつきを外部から捉えているからそう見えるんだ、 というようなことを言っているらしい。

2-12-6. Dieses Unendliche hat einmal die feste Determination eines Jenseits, das also nicht erreicht werden kann, darum weil es nicht erreicht werden soll, weil es die Bestimmung eines Jenseits hat.
この無限者[イデア]は、彼岸であるという確固たる宿命を背負っている。 この彼岸に到達することはできない。 というのは、彼岸とは到達されることがありえないものだからであり、 それはなぜかというと、彼岸は彼岸であるという規定[宿命]を持っているからである。

大意: イデアは常に「向こう側」にあるので、 いつまで経っても到達できないのであった。

2-12-7. Es hat nach dieser Bestimmung das Endliche, als die Bestimmung eines Diesseits, sich gegenueber; das sich eben so wenig ins Unendliche erheben kann, darum weil es diese Determination eines Andern fuer es hat.
無限者[イデア]は、その規定からして、有限者[個物]を --此岸であるという規定としての有限者を--その向い側に持っている; 有限者[個物]もやはり無限者[イデア]へと上昇することはできない。 というのは、有限者[個物]は無限者[イデア]に対する他者としての宿命を 背負っているからである。 大意: 無限者[イデア]と有限者[個物]は川の対岸にいるわけです。

3. Rueckkehr der Unendlichkeit in sich 無限性の自己への回帰

3-1-1. In der That aber ist in diesem herueber- und hinuebergehenden Wechselbestimmen die Wahrheit dieses Unendlichen schon enthalten.
しかしながら、実のところ、こっちへ乗り越えたりあっちへ乗り越えたりという この相互規定の中に、無限者[イデア]の真実がすでに含まれているのである。

大意: そうらしい。

3-1-2. Es ist nemlich, wie erinnert, als schlechthin bezogen auf das Endliche selbst endlich.
すなわち、無限者[イデア]とは、すでに注意したように、 有限者[個物]とまさしく関わっているものとしてそれ自身有限なのである。

大意: ここは某教授によれば重要な一節らしい。 「無限者[イデア]が有限者[個物]とある関係をもつからといって、 無限者[イデア]は本当に有限になるのか」という問題があるようだ。 (もちろん、無限なものとは他とは関係をもたないものである、 という前提があってヘーゲルはこのように言っているのだろうが)

3-1-3. Die Einheit des Endlichen und Unendlichen ist also nicht nur das Innere, sondern sie ist selbst vorhanden.
したがって、有限者[個物]と無限者[イデア]の統一は 内的であるだけではなく、それ自身現われ出ている。

大意: 意味不明。

3-1-4. Das Unendliche ist nur als das Hinausgehen ueber das Endliche; so das Endliche nur als das, was eine Grenze ist, und ueber das [das, was eine Grenze ist] hinausgegangen werden muss.
この無限者[イデア]は単に有限者[個物]を越えるものとしてでしかない; だから有限者[個物]は単に境界であるもの、 そして乗り越えられるべきものとしてでしかない。

大意: そうなんです。たぶん。

3-1-5. In jedem selbst liegt daher die Bestimmung, welche in der Meynung des unendlichen Progresses oder des Sollens, nur von ihm ausgeschlossen ist, und ihm gegenueber steht.
それゆえ、 無限者[イデア]と有限者[個物]の両方自体に規定が存しているのであり、 その規定は、無限進行あるいは当為という意図においては、 両方から締めだされているのであり、両方と対立しているのである。

大意: 意味不明。

3-2-1. Die Einheit des Endlichen und Unendlichen aber hebet sie [Endlichen und Unendlichen] auf; denn eben Endliches und Unendliches sind sie nur in ihrer Trennung.
しかし、有限者[個物]と無限者[イデア]との統一は それら両者を止揚する; というのは、両者はそれらが分離しているからこそ無限者[イデア]であり 有限者[個物]だからである。

大意: だそうだ。

3-2-2. Jedes aber ist an ihm selbst diese Einheit und diss Aufheben seiner selbst.
しかし、その各々はこの統一と接しており、 だから自己自身の止揚なのである。

大意: よくわからん。an ihm seinという意味がわかんないんだよな。

3-2-3. Die Endlichkeit ist nur als Hinausgehen ueber sich; es ist also in ihr die Unendlichkeit, das Andre ihrer selbst enthalten.
有限性は単に自身を越えるものとしてそうであるに過ぎない; したがって有限者[個物]はその有限性において無限性を、 自己自身の他者として含んでいるのである。

大意: 意味不明。

3-2-4. Eben so ist die Unendlichkeit nur als Hinausgehen ueber das Endliche; sie hat nur Bedeutung als die negative Beziehung auf das Endliche, sie enthaelt also wesentlich ihr Andres, und ist somit an ihr das Andre ihrer selbst.
まったく同様に、無限性も有限者[個物]を越えるものとしてそうであるに過ぎない; 無限性は有限者[個物]との否定的関係としてのみ意味を持つに過ぎず、 したがって無限性は本質的にその他者を含み、 そしてそれゆえ自己自身の他者と接しているのである。

大意: わからん。どうもここらへん居眠りして聴いてなかったらしい。

3-2-5. Das Endliche wird nicht vom Unendlichen als einem ausser ihm seyenden aufgehoben, sondern seine Unendlichkeit besteht darin, sich selbst aufzuheben. --
この有限者[個物]はその外にあるものとしての無限者[イデア]によって 止揚されるのではなく、有限者[個物]のもつ無限性は、 自己自身が止揚するという点に存するのである。

大意: 意味不明。とにかく有限者[個物]は自分の力で止揚するらしい。

3-2-6. Ferner ist diss Aufheben nicht das Andersseyn ueberhaupt; sondern das Endliche, nach seiner Bestimmung, als das was es an sich seyn soll, ist Negation, ist Andersseyn, ist das Daseyn als ein Nichtseyn.
さらに、この止揚は他者存在一般ではない; むしろ、 有限者[個物]はその規定--それが本来あるべきものになれという規定--に従って、 否定であり、他者存在であり、否定存在としての現存在である。

大意: よくわからんっす。

3-2-7. Indem es also das Andersseyn seiner Bestimmung an ihm selbst hat, ist es selbst das Andersseyn des Andersseyns. --
したがって、有限者[個物]はそれの規定である他者存在[無限者のこと?]を 自己自身に接して有しているという点において、 それは自身、他者存在の他者存在である。

大意: なんでも他者存在の他者存在というのは否定の否定みたいなもので、 「自分=自分でないものでないもの(他人の他人)」ということらしい。 全体の意味は不明だが。

3-2-8. So besteht die Unendlichkeit nicht in dem leeren Jenseits, das nur aeusserlich begrenzt wird und eine Bestimmung erhaelt, sondern sie ist gleichfalls an ihr das Andere ihrer, das sich aus seiner Flucht zurueckruft, und somit als Anderes des leeren Andersseyns, als Negation der Negation, Rueckkehr zu sich und Beziehung auf sich selbst ist.
そこで、無限性とは外側のみが境界づけられることによって規定を獲得するような 空しい彼岸なのではなく、 それは自分にとっての他者--その逃亡から呼び戻される他者-- と接していると同時に、 (それゆえ)空しい他者存在の他者として、否定の否定として、 自己への回帰として、そして自己関係としてあるのである。

大意: und somit 以降の主語はsie(無限性)だと思うのだが、 どうも某教授や翻訳では関係代名詞のdasが主語と考えられているようだ。 ま、文意が意味不明なんでどっちかわからんのだが。

3-3-1. Weder das Endliche als solches, noch das Unendliche als solches haben daher Wahrheit.
それゆえ、有限者[個物]それ自身も、無限者それ自身も、真理を持っていない。

3-3-2. Jedes ist an ihm selbst das Gegentheil seiner, und Einheit mit seinem Andern.
それぞれは自分の反対部分と接しており、 そして自分の他者と統一している。

3-3-3. Ihre Bestimmtheit gegen einander ist also verschwunden.
したがって、お互いに対する両者の規定性も消えてしまっている。

3-3-4. Es ist hiermit die wahre Unendlichkeit, in der sowohl die Endlichkeit, als die schlechte Unendlichkeit aufgehoben ist, eingetreten.
それゆえ、有限性とともに悪い無限性も止揚されてしまう真の無限性が出現する のである。[Es ist S eingetreten.という文法構造]

大意: これはお経に違いないっす。もしくはギリシア語。


あ、そういえば、先日メイルをくれた西哲史の某さん。 そちらでお書きになったメイルアドレスがおそらく正しくないため、 ご質問の返事を送れません。まことにもうしわけないっす。 もしこの日記を読むことがあれば、もう一度メイルしてください。


今日やったこと


何か一言


06/15/99 (Tuesday/mardi/Dienstag)

お昼過ぎ

昨日は某所でジャンプを購入。 昨日は一日、ヘーゲルしか勉強しなかったので --しかもほとんど勉強した意味はなかったので--、 カントをちょっと勉強したり。

朝10時には起きるつもりが、 また寝坊してしまう。 ちょっと某所で用事してから大学へ。

某先生からメイル。9月の某学会で発表しろとか。 う〜む。どうすべきか。


何か一言


06/16/99 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

お。ようやく復活したようだ。昨日の夕方からネットにつながらなかったのだ。

現在マガジンとサンデーを読んでいて大変忙しい。


あ がっとぅ げっちゅ いんっとぅ まっ らいふっ

(でぃでぃっでぃでぃっでぃっでぃ〜)

(でぃでぃっでぃでぃっでぃっでぃ〜)


さて、昨日の話から。

昨日の夕ごはんは、某所にてお好み焼き。 店のおばさんに某師匠の忘れ物であるタバコの箱を渡される。 『MONSTER4-5』まで。

下宿に戻ると、某先輩から郵便物が届いていた。 開けてみると洋書の古本。感謝感激。

夜中、一時間ほど寝たら目が冴えてしまったので、 『言語論のランドマーク』を読んだり、風呂に入ったり、 洗濯したり。真夜中に洗濯するのは近所迷惑なのでもうやめようと誓う。

明け方、ソファで眠りにつく。

9時半に起きて、スーツを抱えて大学へ。 事務に行くと某洋書屋から本が着いていた。

某所でスーツに着替えて某京大会館へ。 すでにネクタイの締め方を忘れていたので某師匠に教えを乞う。

午後から研究会を聴講する。 某教授の応用倫理学の学生が参加することになっていたので、 会場にはかなり人が入った。

休憩をはさんで、昼下がりからはオレがタイムキーパーをすることに。

個人的には五つ目の発表が一番楽しめた。

研究会終了後、学生はすぐに解散。 雨の中大学に戻ってくる。


真夜中

夜、某所にマガジンとサンデーを買いに行く。 マンガを読み終えたあと、 少し某ソファで10分ほど寝たら元気になった。

他にもいろいろすべきことはあるのだが、とりあえずフランス語の勉強でも。


『普遍文法』のつづき(pp. 14-5)。

La pluspart des diphtongues se sont perdueus dans la prononciation ordinaire du Latin.

えっと。pluspartはmany ofかな? perdueus (euはeウムラウト)は perdre(失う)の過去分詞形のようだ。 すると時制は現在完了だな。 いや、フランス語では複合過去形っていうんだっけ。 「二重母音の大半は、ラテン語の通常の発音においては失なわれてしまった」。

Car leur ae, & leur oe, ne se prononcent plus que comme vn e. Mais elles se retiennent encore dans le Grec, par ceux qui prononcent bien.

carってなんだったっけ。あ。「なぜなら」か。 「なぜなら、ラテン語のaeやoeは、eのようにしか発音されない。 しかし、それらはまだ (encore) ギリシア語には残っており (se retenir)、 いくつかはきちんと発音される」。 う。par ceux qui prononcent bienのparがよくわからん。

Pour les Langues vulgaires, quelquefois deux voyelles ne font qu'vn son simple, comme nous auons dit de eu, comme encore en Franc,ois oe, au.

「俗語に関して言えば、ときに、二つの母音は一つの単純な音しかつくらない。 たとえば、われわれはeuという語を持っており、 もっといえば、フランス語におけるoeとかauなんかがそうである」。

Mais elles ont pourtant de veritables diphthongues, comme ai, ayant; ouee, foueet; oi, foy; ie, mien, premier; eau, beau; ieu, Dieu:

「しかしながら(pourtant)、(ときに)それらは真の二重母音である。 たとえば、ayantのai、foueet (鞭) のouee、foy (信頼) のoi、 mienやpremierのie、beauのeau、Dieuのieuなど」。

ou` il faut remarquer que ces deux dernieres ne sont pas des triphthongues, comme quelques-vns ont voulu dire, parce que eu, & au, ne valent dans le son qu'vne simple voyelle, non pas deux.

わあ。よくわからん。「ただし、 これらのうち最後の二つは、 三重母音でないことに注意しなければならない (ある人はそう言おうとしたのだが)。 なぜなら、euやauは二つではなく一つの単純な母音にしか相当(valoir)しない からである」。かな?

ま、今日はこんなとこで。


今日やったこと


何か一言


06/17/99 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

お昼前

昨日は夜に某所でキムチ鍋を食べてから帰宅。 『一二の三四郎2』5巻〜6巻。やっぱりおもしろい。

下宿に戻って『言語論のランドマーク』を読み始めたが、 そのうち力尽きて寝てしまった。

朝10時ごろに起きて大学へ。ゴミ出し忘れる。

大学に来る前に古本屋めぐり。某所と某所で見かけた洋書を購入。

大学に来ると、某くんから、 昨日のフランス語の勉強についてのメイルが来ていた。 というわけで訂正訂正。


Car leur ae, & leur oe, ne se prononcent plus que comme vn e. Mais elles se retiennent encore dans le Grec, par ceux qui prononcent bien.

このparは受動態におけるbyにあたるものらしい。ceux quiは that whichではなく、those whoの方だった。勉強勉強。

「なぜなら、ラテン語のaeやoeは、eのようにしか発音されないからである。 しかし、ギリシア語では、それらは、 きちんと発音する人々によってまだ (encore) 保持されている (se retenir)」。

ou` il faut remarquer que ces deux dernieres ne sont pas des triphthongues, comme quelques-vns ont voulu dire, parce que eu, & au, ne valent dans le son qu'vne simple voyelle, non pas deux.

dans le sonを訳し忘れていた。これはカッコに入れて考えるようだ。

「ただし、 ここで注意しなければならないのは、これらのうち最後の二つは、 三重母音でないことである (ある人はそう言おうとしたのだが)。 なぜなら、euやauは、音の上では、 二つではなく一つの単純な母音にしか相当(valoir)しないからである」。

勉強になりました。感謝感謝。


夕方

文閲でしばらく自習。久しぶりに机につっぷして寝る:-) 書庫に入ってカント本を一冊借りる。

中央食堂で弁当を買い、某所で食事。昨日のバイト代ももらう。 感謝。

それからBMOR読書会。ロック。


大学生のための本の探し方

さて、k君は、某論文にのっていたカントの『嘘論文』の英訳(注) を大学の図書館で見つけようと思い立ちました。 ハイテクなk君は、まずインターネットエ○スプローラーを使って、 大学の図書館のホームページを見つけ、 蔵書検索をしてみます。

注: L.W. Beck ed., Critique of practical reason, and other writings in moral philosophy, Garland Publishing Company, 1976.

しかし、この本は見つかりません。 そうするとこの大学にはこの本はないのでしょうか?

いや、そんなことはないはずだ、とk君はつぶやきます。 k君は粘着質なのです。そう簡単にはあきらめません。

k君は、オンラインの蔵書検索が完全でないことを知っています(注)。 そこで次に彼は、文学部図書館に足を運び、 検索カードで調べることにしました。

注: 詳しくは、 蔵書検索のサイトの「収録範囲」というところを参照してみましょう。

しかし、やはりここにもありませんでした。k君は途方に暮れました。 やはりこの本はこの大学にはないのでしょうか?

とほほ、とk君があきらめて部屋に戻ってきたところ、 図書検索の達人のh君がいました。 k君がこれまでの経緯を話すと、 h君は、附属図書館の検索カードを調べれば、 全学(大学全体)の蔵書を調べることができる、 と教えてくれました(注)。希望はまだあったのです。

注: ただし、最近の本はもうカード化されておらず、 コンピュータでしか調べることができない。

k君は附属図書館に急ぎました。 そして検索カードを調べると…。

あった! ありました! ついに苦労が報われるときがきたのです。 k君の頬に一筋の涙が流れ落ちました。

しかし、喜びもつかのま、問題の本がどこにあるのかと見てみると、 「教養部」。教養部といえば、今の総○人間学部のことです。 あそこは他学部の学生に本を貸さないことで有名…。

いや、そんなのはうわさに過ぎない、 本気で勉強したい人にはきっと本を貸してくれるはずだ、 とk君は考え、自転車に乗って旧教養図書館に行きました(注)。

注: 総○人間学部は若い人々が大勢いるので注意しましょう。

図書館の二階にある一室で再び検索カードを調べます。 というのは、ここのカードには、本の所在がより詳しく書かれているからです。 しばらくしてk君が見つけたカードには、「212/657 哲学」と書いてありました。

「哲学か…」とk君はつぶやきました。 k君は、h君とさきほど話したとき、 彼が「『哲学』の本はまず借りれませんよ」 と言っていたのを思い出したのです。 しかしk君は、だめで元々と思い、 図書館の人にこの本を借りれますか、 と尋ねてみることにしました。

図書館の人に尋ねてみると、 彼は「図書目録新旧対応表」のようなものを持ってきて、 この本が、現在は某先生の研究室にあることを突き止めてくれました。 そしてこう言います。 「数週間かかると思いますが、それでもよろしいですか? また万一先生がお使いの場合は、借りれないこともありますが」

一説によれば、この手続きを踏むと、 まず借り出せることはないんだそうです。 しかし、さいわいk君は某先生と一応の面識があったので、 「いや、では直接頼むことにします」と言って図書館を後にしました。

そこで次にk君は、某先生の研究室を尋ねてみることにしました。 一般に、研究室で研究する先生はいないものだ、と言われていますが、 今回もやはり先生はいらっしゃいませんでした。 しかし、本のありかは突きとめたので、また来ればいいじゃないか、 とk君は自分を慰めました。

すると、帰り際に道端で偶然、某先生に会うことができました。 k君は内なる神に感謝して、某先生に話しかけました。 本を貸してくださいと頼むと、某先生は鷹揚に承諾してくれました。 そして、今度の火曜日にでも取りに来なさい、と言われました。

というわけで、k君は無事本を手に入れることができそうです。 みなさんも、あきらめずに本を探してみましょう。 きっと誰かが隠しもっているはずです:-)


倫理学入門読書会(「功利性と善」その2)に出る。 何(快、選好、 利益)を最大化するかという議論を終えて、 次に、最大化の計算に伴なう問題として 「個人間の効用比較の不可能性」と、 「非人称性impersonality」(各人[の功利性]を等しく扱うこと) の問題が扱われた。 この論文を読むのは二度目なので、 全体の構造が以前よりクリアに見える気がする。 勉強勉強。

Utilitarianism and beyondや、 Utilitarianism for and againstなど、 早急に読まねばならないと思う。しかし時間が。時間が。


今日やったこと


何か一言


06/18/99 (Friday/vendredi/Freitag)

昨夜は、読書会のあと、 何人かと一緒に某所にて食事。

それから某所に行き、モーニングを買う。 ゲーセンにも少し立ちよる。

モーニングを読んだあと、某ソファで少し寝て、下宿に戻った。

お昼過ぎに起きてシャワーを浴び、 某洋書屋へ。『嘘論文』の原文見つからず。 ついでなので旧ベンタム全集の注文をする。

大学に来る途中、某喫茶店でピラフセットを頼み、 プレイボーイを読む。

それから生命倫理学研究会に参加する。 今回は「人体実験」についての発表。 大学病院におけるカルテの取り扱いなどいろいろ教えてもらう。


何か一言


06/19/99 (Saturday/samedi/Sonnabend)

夕方

雨が降ったり止んだり。勉強する気が起こらず。 昼下がりに起きて大学へ。

昨晩、下宿に戻る前にふらふらふらと本屋に買物に行く。


勉強する気にならないので、ちょっと大学近辺の古本屋めぐりをする。 よく寝たはずなのだが、やたらと眠い。


某ソファで1時間ほど寝る。 それから急いで軽音のコマ取りに。 今週は無事コマが取れた。

ついでに某所に寄って夕食。 「海老フライ下さい」 と言ったら、カキフライが出てきた。 言語による意思伝達の難しさを痛感する。 とりあえず発声練習をしておこう。

ア・エ・イ・ウ・エ・オ・ア・オ

カ・ケ・キ・ク・ケ・コ・カ・コ

バ・ベ・ビ・ブ・ベ・ボ・バ・ボ

少し買物をしてから研究室へ。 『はじめの一歩』第24巻を読む。 ついにデンプシー・ロールが登場。

夜になってようやく調子が出てきた。勉強勉強。


真夜中

スクラーの復習。一般相対論の説明。 しんどくなって途中でやめてしまう。 他の参考書を読んで勉強しよう。


何か一言


06/20/99 (Sunday/dimanche/Sonntag)

夕方

昨日は、某ビデオ屋で`Lost in Space'と`Deep Impact'を借りてから下宿に戻り、 `Lost in Space'を観てから寝る。 エンターテイメントとして悪くはないが、あまり印象には残らない映画だった。 B-。

お昼に起きてBMORの読書会の予習をし、大学へ。 途中でビデオ屋によって観た方のビデオを返却する。

今までBMOR読書会。 ロックを終えて、次はシャフツベリ。


バンドの練習。 とりあえず4人集まったが、今ひとつ盛り上がらず。 出町の中華料理屋で夕食。 ギターのやつがお金がないというのでおごる。


今日やったこと


何か一言

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KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Thu Jul 1 15:58:04 JST 1999