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こだまの世界

---倫理学者のふしぎな日記---

99年6月下旬号

野蛮人 「ところが、わたしは愉快なのがきらいなんです、 わたしは神を欲します、詩を、真の危険を、自由を、 善良さを欲します。わたしは罪を欲するのです」
(ハックスリー、『すばらしい新世界』、松村達雄訳、講談社文庫、1974年、 278頁)


6月下旬の主な話題


何か一言


06/21/99 (Monday/lundi/Montag)

真夜中

疲労回復のために某ソファで少し寝る。背中が痛い。


一般相対論の勉強中。

ところで、 中学生のときに、「重力ってなんで生じるんだろう」 と疑問に思ったことがあったが、 その問いをちゃんと考え抜くか抜かないかが、 おれとアインシュタインの差なのかもしれない:-p


某古本屋に行って買物。コンビニでも買物。


真夜中、下宿に戻る。 明け方に寝て、お昼前に起きる。 風呂に入り洗濯をして、 急いで大学に。

ヘーゲルの授業に出たあと、 文閲に行ってカントの『嘘論文』の原文を探す。 すると、探し方が悪いのか、いくら探しても、 プロシア・アカデミー版の亀の子文字のテキストしか見つからない。 亀の子文字をOCRで読むわけにもいかないから、 直接打込むことにした。

(カント情報求む。 K・Vorlaender編の第6巻が文学部内にあることを知ってる人は、 どうぞメイルしてください。)

約2時間かかって打ち込んだあと、気晴らしにルネに行って買物。

それから、『嘘論文』の原文と英訳と日本語訳を対訳形式にする作業をする。 (英訳は某君が、 日本語訳は3回生の某君が、それぞれ電子テキスト化してくれた)


今日やったこと


何か一言


06/22/99 (Tuesday/mardi/Dienstag)

お昼

昨日は某古本屋でジャンプが売ってなかったので、 またコンビニでジャンプを買ってしまった。 いかんいかんいかん。

朝から大学。 お昼までかかって『嘘論文』の 対訳テキストの整形をしてプリントアウト、コピー。 中央購買部でサンドウィッチと文房具を購入。

ところで、「焦点を当てる」というのは誤用だと思うのだが、 どうなんだろうか。 (「焦点を合わせる」「焦点を絞る」が慣用だと思う)


夕方

三コマ目、プライバシー侵害に関するビデオ観賞。 英国や米国やカナダでは道端に監視カメラが設置されてるらしいが、 それがプライバシーの侵害になるんだろうか?

四コマ目は、某君によるロールズ反省的均衡論。 話が抽象的でついていくのが大変っす。


某師匠や某君らが議論しているのを横で聞きながら、 日記の整理をしたり。


みな帰ったので、 ちょっと某ソファで眠る。


ヘーゲルの復習。B(ベー)版という方に移ったらしいが、 まだよく把握していない。 それに、 今回やったところは、5月にすでに一度やったはずなのだが…

C1 無限性 DIE UNENDLICHKEIT

BC1-1. Das Unendliche in seinem einfachen Begriff kann zunaechst als eine neue Definition des Absoluten angesehen werden; es ist als die bestimmungslose Beziehung-auf-sich gesetzt als Sein und Werden.
「無限者は、その単純な概念においては、とりあえず、 絶対者の新しい定義とみなす(ansehen)ことができるであろう。 それは、規定をもたない自己関係として、 存在生成と想定(setzen)される」。

BC-1-2. Die Formen des Daseins fallen aus in der Reihe der Bestimmungen, die fuer Definitionen des Absoluten angesehen werden koennen, da die Formen jener Sphaere fuer sich unmittelbar nur als Bestimmtheiten, als endliche ueberhaupt, gesetzt sind.
現存在のもつ形式は、 絶対者の定義とみなされうるような諸規定の系列には入らない。 というのは、その領域の形式は、自分に対して直接的に(端的に)、 規定性としてのみ、すなわち有限な規定性一般と考えられるからである」。

大意: イデアと個物という関係で読むと、どうなるんだろう。よくわからん。

BC1-3. Das Unendliche aber gilt schlechthin fuer absolut, da es ausdruecklich als Negation des Endlichen bestimmt ist, hiermit auf die Beschraenktheit, derer das Sein und Werden, wenn sie auch an ihnen keine Beschraenktheit haben oder zeigen, doch etwa faehig sein koennten, im Unendlichen ausdruecklich Beziehung genommen und eine Solche an ihm negiert ist.
「しかし、無限者は、端的に、絶対的なものとみなされる。 というのは、無限者は明らかに有限者の否定として規定されているのであり、 したがって、 制約とは--存在と生成が、たとえいかなる制約を持ったり示したりしなくても、 それでもいくらかは被りうるような制約とは--無限者においては明らかに 取り除かれ、そのような制約として無限者において否定される。」

大意: 文法的にわからん。最後のistの主語は何なんだろう。 以前にやったはずなのだが。意味も不明。

BC2-1. Damit aber selbst ist das Unendliche nicht schon in der Tat der Beschraenktheit und Endlichkeit entnommen; die Hauptsache ist, den wahrhaften Begriff der Unendlichkeit von der schlechten Unendlichkeit, das Unendliche der Vernunft von dem Unendlichen des Verstandes zu unterscheiden; doch letzteres ist das verendlichte Unendliche, und es wird sich ergeben, dass, eben indem das Unendliche vom Endlichen rein und entfernt gehalten werden soll, es nur verendlicht wird.
「しかし、そうかと言って、無限者はまだ実のところ、 制約性や有限性から自由であるわけではない。 大事なことは、無限性の真の概念から悪無限の概念を、 理性の無限者から悟性の無限者を区別することである。 後者は有限化された無限者であって、 まさに無限者が有限者から純粋に遠ざけられてしまうということにより、 無限者は有限化してしまうのである。」

大意: 真無限と悪無限の話。

BC3-1. Das Unendliche ist
a) in einfacher Bestimmung das Affirmative als Negation des Endlichen,; b) es ist aber damit in Wechselbestimmung mit dem Endlichen und ist das abstrakte, einseitige Unendliche; c) das Sichaufheben dieses Unendlichen wie des Endlichen als ein Prozess -- ist das wahrhafte Unendliche.
「無限者は、a) 単純な規定においては、 有限者の否定としての肯定である。 b) しかし、そう規定することによって(damit)、 無限者は、有限者相互規定に陥いるのであり、 それは抽象的な、一面的な無限者である。 c) この無限者ならびに有限者の、一つの過程としての自己止揚-- これが真の無限者である。」

大意: a)は、「無限なものとは、有限でないものである」ということだろう。 b)は、そうすると、 無限者と有限者(=無限でないもの)の定義が循環に陥いるということだろう。たぶん。 そしてc)は、そういった対立する無限者と有限者がアウフヘーベンして真の 無限者になる、ということだろう。よくわからんが。

a. 無限者一般 Das Unendliche ueberhaupt

BCa1-1. Das Unendliche ist die Negation der Negation, das Affirmative, das Sein, das sich aus der Beschraenktheit wieder hergestellt hat.
「無限者とは、否定の否定であり、肯定であり、 制約から自己を再びとりもどした(herstellen)存在である」

Das Unendliche ist, und in intensiverem Sinn als das erste unmittelbare Sein; es ist das wahrhafte Sein, die Erhebung aus der Schranke.
「無限者は存在する、 そして最初の直接的な存在としてよりも強い意味で存在するのである。 それは真の存在であり、制約を超越したものである。」

大意: やっぱわからんす。

BCa1-3. Bei dem Namen des Unendlichen geht dem Gemuet und dem Geiste sein Licht auf, denn er ist darin nicht nur abstrakt bei sich, sondern erhebt sich zu sich selbst, zum Lichte seines Denkens, seinen Allgemeinheit, seiner Freiheit.
「無限者という名前とともに、 心と精神に無限者の光が生じる(aufgehen)。 というのは、精神は、そのとき、単に抽象的にひとりぼっちであるのではなく、 自分自身に向けて高まり、 自分の思惟、自分の普遍性、自分の自由の光へと高まっていくからである。」

大意: 無限者の観念は精神を高揚させる効用があるらしい。

BCa2-1. Zuerst hat sich fuer den Begriff des Unendlichen ergeben, dass das Dasein in seinem Ansichsein sich als Endliches bestimmt und ueber die Schranke hinausgeht.
「さしあたり、無限者の概念にとって明らかなのは、 現存在は、その即自存在においては、自己を有限なものとして規定し、 そして、その制約を越えでる、ということである。」

大意: わからん。

BCa2-2. Es ist die Natur des Endlichen selbst, ueber sich hinauszugehen, seine Negation zu negieren und unendlich zu werden.
「自分を越えでること、自分の否定を否定すること、 そして無限になることは、有限者自身の本性である。」

大意: 有限なものは無限なものになろうと日夜努力する。

BCa2-3. Das Unendliche steht somit nicht als ein fuer sich Fertiges ueber dem Endlichen, so dass das Endliche ausser oder unter jenem sein Bleiben haette und behielte.
「そこで、無限者は、有限者を超えでた、 それ自身完成されたものとしてあるのではなく、 したがって、有限者は、 無限者のとかとかに存在したり、 存続したりするわけではない。」

大意: 無限者は、有限者の理想として、有限者の外部ではなく、 胸のうちにある。ということか。これをイデアと個物の関係と考えると、 本質であるイデアは個物に内在してる、ということか。

BCa2-4. Noch gehen wir nur als eine subjektive Vernunft ueber das Endliche ins Unendliche hinaus.
「また、われわれは単に主観的な理性として、 有限者を超えでて無限者へと至るわけでもない。」

大意: あれ、ここらへんは前に比べて少しわかるようになってるな。

BCa2-5. Wie wenn man sagt, dass das Unendliche der Vernunftbegriff sei und wir uns durch die Vernunft ueber das Zeitliche erheben, so laesst man dies ganz unbeschadet des Endlichen geschehen, welches jene ihm aeusserlich bleibende Erhebung nichts angeht.
「人が、『無限者は理性概念であり、 われわれは理性によって時間的なものを超えでていく』という場合、 人はこのことを有限者とは無関係に生じさせているのであり、 有限者は、この有限者の外部で起こるような超越とは無関係である。」

大意: 文法がよくわからんが、 とにかくヘーゲルは、 無限者と有限者が切り離されている状態を嘆いているらしい。

BCa2-6. Insofern aber das Endliche selbst in die Unendlichkeit erhoben wird, ist es ebensowenig eine fremde Gewalt, welche ihm dies antut, sondern es ist dies seine Natur, sich auf sich als Schranke, sowohl als Schranke als solche wie als Sollen, zu beziehen und ueber dieselbe hinauszugehen oder vielmehr als Beziehung-auf-sich sie negiert zu haben und ueber sie hinaus zu sein.
「しかし、有限者自身が、無限者へと超え出られるかぎり、 これを有限者にさせるのはある外的な力ではなく、 むしろ、自己を制約としての自己、 すなわち制約そのものとしての、また当為としての自己に関係づけ、 そしてこれを超え出ていくのは、 あるいはむしろ、そういったものを自己関係として否定し、 それらを超え出てあることは、有限者の本性なのである。」

大意: よくわからんが、有限者は無限者になるべき本性をもってるらしい。 子供が自然と大人になるようなものか。(ちがうか)

う〜ん、あいかわらず拷問っす、ヘーゲルの勉強は。


今日やったこと


何か一言


06/23/99 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

お昼前

昨夜は、某所で焼きそば。 『MONSTER』6-7巻。下宿に戻る前に本屋さんに寄る。

下宿に戻って『ディープ・インパクト』を見る。 『インディペンデンス・デイ』を思い起こさせる作りだが、 あれよりはよく出来ていた。 主人公や重要な脇役が勇敢にばたばた死んでいくので感動(これでは意味不明か)。 ミズーリに地下都市を作り、100万人だけ収容することが決まったとき、 彗星が地球に衝突する寸前になって、 すでに選ばれていた主人公たちは他の人に自分の権利を譲るのだが、 おれに同じことができるかどうか。B+。

明け方眠りにつき、10時ごろに起きる。 ガス給湯器が故障したので風呂に入れず。 ガス屋さんに連絡する。明日午後に来てくれるらしい。


ところで、 「焦点を当てる」というのは、 いくつかの国語辞典では誤用とされているものの、 かなりよく使われる言い方のようだ。 「焦点を絞る」というのも誤用とされることがあるらしい。 (ただし、広辞苑第5版をみると、「焦点を絞る」だけが掲載されていた)

おれの頼りない語感から言うと、 焦点はピントと同じことだから、「絞ったり」「合せたり」 「外れたり」することはあっても、 「当てる」ことはできないんじゃないかと思うんだが。

ところで、「ピント」というのはオランダ語のbrandpunt (焦点)から来ているらしい。 オランダ語では、uはイに近いユの音で発音されるようだ。


ヘーゲルについていくつかコメントをいただく。 いや、まあ、暖かい目で見守ってやってください。


夕方

お昼、文閲の自習室でBMORの予習。 3コマ目の応用倫理学(某さんの廃棄物問題)に出たあと、 中央食堂でサンドウィッチを買って食べ、 それからBMOR読書会。 今回からシャフツベリ。


今日やったこと


何か一言


06/24/99 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

昨日読んだもの。サンデー(読了)。マガジン(読了)。 『言語論のランドマーク』(読了)。 Invention of Autonomyのシャフツベリの章(途中まで)。

科哲の勉強をしないといけないので朝起きてさっさと大学に来る。雨。


お昼前

某所でInvention of Autonomyのシャフツベリの章を読み終える。 それにしてもシュニーウィンドっていうのは異常に勉強しているな。 はっ、じじ実は「シュニーさん」と「ウィンドさん」ていう二人の共著なのでは。


お昼

大学生のための本の探し方、その後。 某先生の研究室に本を借りに行きましたが、 あいにく誰かが借り出していて現在手元にないと言われました。 というわけで、けっきょく手に入らないのでした。

本を借りるのはかくもむずかしいものなのです。 みなさんも心してかかりましょう。


昼下がり

一昨日から給湯器の調子が悪くなり、 今日の午後にガス屋さんに修理を来てもらう予定だったので、 雨の中、いったん下宿に戻る。 途中、紙袋の底が抜けて、あやうく本が水浸しになるところだった。 (さらにビニール袋で包んでおいたので無事だった)

下宿に戻り、家の裏に出てガス器具を観察していると、 給湯器のコンセントが抜けていることを発見。 こないだ来た某同居人のおばさんが掃除するついでに抜いてしまっていたのだ。 コンセントを入れると当然のように復活する。

急いでガス屋さんに電話して、 修理の中止をお願いする。 なんとか間に合った。

…とほほ。なんのために雨の中下宿まで戻ったのか。 しかたないのでシャワーを浴びて 歌の練習をしてからまた大学に来る。

ついでに某喫茶店でミックスサンドのセット。チャンピオン、プレイボーイ。

久しぶりに歌の練習をしたら声が枯れてしまったようだ。


あ、ベックの本についての情報をくれた方、 どうもありがとうございます。


夕方

事務に行くと某洋書屋が本が届いていた。


倫理学入門読書会(「功利性と善」その3、「現代義務論」その1)に出席。

それから、某君*2と一緒に某所でスパゲティを食べた。 家庭内暴力の話など。

下宿に戻って科哲の勉強しようと思っていたが、 雨がひどいので研究室に戻ってきてしまった。 レポート書かねば。


今日やったこと


何か一言


06/25/99 (Friday/vendredi/Freitag)

真夜中

夜に某ソファで少し寝てから、スクラーの勉強開始。 がんばれがんばれ。


とりあえずスクラーの復習。

3. 時空の場を写像する

アインシュタインの重力場の方程式については、 内井先生のウェブサイトを参照のこと。

ううむ。よくわからんなあ。とりあえず予習もしよう。(逃避行動)


というわけで、とりあえず予習をしたので (ようやく認識論の話になったのでずいぶん楽な予習だった)、 気分転換に某古本屋に行ってきた。

これからレポートを書かねばならないが、眠い。 寝てる間に書けないかな。


まじでやばい。まだ一行も書いていない。


夕方

早朝に起きて、 スクラーのレポートを書き始める。 なかなか書けずに悶え苦しむ。

授業が始まる寸前にようやく仕上がる。 というか、 ひどい出来だが一応仕上がったことにして、 急いでプリントアウト。授業に出る。

スクラーの授業はようやく認識論の話になったので、 話がわかりやすくなった。

恥ずかしいが、 一応レポートをウェブに載せておく。

授業が終わったあと、某所で新聞の切抜きの手伝いをする。 某所では6月から、麻非、毎二値、黄泉瓜、 肉桂新聞の朝夕刊を取るようになったらしいので、 切抜きをするのは大変そうだ。


しばらく呆ける。 今日から何をすればいいのだろう。 合宿のカントの勉強と、 日本功利主義学会の発表の準備か。

あと留学の手続きとか、英国旅行の準備とか。

あと、寝なきゃ。眠い。


某助教授、某師匠、某君らと某寿司屋にて夕食。 楽しい一時を過ごす。

それにしても眠い。もうだめ。


今日やったこと


何か一言


06/26/99 (Saturday/samedi/Sonnabend)

昨日は半日以上寝てしまう。


Janie's Got a Gun

ドン、ドン、ドン ねえ君、なにをしたんだい?
ドン、ドン、ドン 今のはおれの銃の音じゃないのか
ドン、ドン、ドン ねえ、なにをしたんだい?
ドン、ドン、ドン 今のは銃の音じゃないのか

ジェニーは銃を手に入れた
ジェニーは銃を手に入れた
彼女の世界は元に戻った
太陽をまっすぐ見つめることで

あの子の父親はなにをしたんだろう?
ねえ、きみは父親になにをされたんだい?
ジェニーが補導されたとき、 父親は電車の下に隠れてたんだってさ
だけどあの父親ならそれが当然さ
ジェニーは銃を手に入れたから
もう今までどおりにはいかないはずさ

ジェニーは銃を手に入れた
ジェニーは銃を手に入れた
追いかけっこは始まったばかり
みんな走りまわってる

え、うそだろ?
あの子の父親がなにをしたって?
彼は小さなあの子にいたずらしたんだ
あの男は頭がイカれてるぜ
彼はなにかにとりつかれてたんだ
雷に稲光、だれかが雨を止めなくちゃならないことはわかってた

逃げるんだ、苦痛から逃げるんだ
逃げるんだ、苦痛から逃げるんだ
逃げなきゃ 逃げなきゃ 逃げなきゃ

ジェニーは銃を手に入れた
ジェニーは銃を手に入れた
追いかけっこは始まったばかり
みんな走りまわってる

あの子の父親がなにをしたって?
ジェニーの最後の親孝行さ
彼女は父親に腰を降ろさせて頭に弾丸を打ちこまなきゃならなかった
「だって、だれもあたしの言うこと信じてくれないんだもの。
あいつは最低よ。もう二度とあんなことさせないわ」

逃げるんだ、苦痛から逃げるんだ
逃げるんだ、苦痛から逃げるんだ
逃げなきゃ 逃げなきゃ 逃げなきゃ

ジェニーは銃を手に入れた
ジェニーは銃を手に入れた
ジェニーは銃を手に入れた
みんな走りまわってる

ジェニーは銃を手に入れた
追いかけっこは始まったばかり
みんな走りまわってる
ジェニーが銃を手に入れたから

ジェニーは銃を手に入れた
追いかけっこは始まったばかり
みんな走りまわってる
ジェニーは銃を手に入れた

幼児虐待の歌。 そういえば、エアロスミスのアルバムで、 同時代で聴いたのはこの曲が入ってる『パンプ』だった。 `Love in an Elevator'のクリップビデオとか好きだったなあ。 そのうちこのCDは失くしてしまった。

この曲はこないだ買った"A Little South of Sanity"にも収録されているが、 このライヴヴァージョンは最初の音程がずれていて大変気持ち悪い。 なぜそのままにしてあるのだろう?


何か一言


06/27/99 (Sunday/dimanche/Sonntag)

昼下がり

昨夜は某所でお好み焼き。『MONSTER』第8巻、第9巻。

そのあと、某ビデオ屋へ。『スターウォーズ1』、 『レインメイカー』、『トゥルーロマンス』を借りる。

下宿に戻ると、5月に受けたTOEFLの結果が来ていた。 あまり期待しないで封を開けると、次のような成績になっていた。

SECTION 1 -- 65
SECTION 2 -- 68
SECTION 3 -- 67
TOTAL SCORE -- 667

うわ。前回より7点上がってるっす。 う〜む。すごい。

ただし、TWE (TEST OF WRITTEN ENGLISH)の方は、6段階で3。だめだめ。 勉強勉強。

それから『スターウォーズ1』を観る。 当時にしては映像が革新的だったのだろうが、 内容は深みがなくてつまらん。B-。

映画を観たあと、コンビニで買物をしたり、 BMORの予習をしたりして夜明けになったころに寝る。

朝起きて洗濯、ごはん、シャワー。 納豆が脳に良いらしいので、 わざわざごはんを炊いて納豆を食べる。

『嘘論文』の予習をしてから大学へ。 いままで『嘘論文』勉強会。 言ってることがよくわからんっす。


夕方

BMOR読書会終わり。寝不足のせいかとても疲れた。腹も減った。死ぬ。


今日やったこと


何か一言


06/28/99 (Monday/lundi/Montag)

夕方

昨日は夕方に某所でキムチ鍋を食べたあと、 某古本屋で買物をして下宿に戻った。

真夜中まで寝た後、少し勉強をして、夜が明けるまえに再び眠りにつく。 なぜかお昼まで寝てしまう。

起きてから納豆と梅干しとごはんを食べ、 大学へ。 集中講義に出る前に、 つい元セブンでやっている古本市に行ってしまう。

それから少し遅刻気味で集中講義へ。 関根清三先生の旧約聖書のお話。

導入部では、 「西洋の芸術は聖書の十分な知識がなければ理解できない」 ということを、ゲーテの『ファウスト』や レンブラントの「サムソン」やミケランジェロの「モーゼ像」 やヴェルディの「レクイエム」などを引合いに出して論じられていた。

まあ、たしかにそうなのだろうが、しかし、そういうことを言い出すと、 「西洋の芸術はギリシア・ローマの文化の知識なしには理解できない」 とも言えるわけで、まあ、だからどうだというわけでもないが、 たとえばヴェルディの歌詞はラテン語だから、 やっぱりラテン語もきちんと知らないとあの歌詞の意味はさっぱりわからないわけで、 いや、まあ、とにかく、勉強勉強。

2コマ目は「隠れた神」(Deus Absconditus)について。 イザヤ書45:15の「まことに、あなたは御自身を隠し通す神。 イスラエルの神なる救い主よ」(関根先生の私訳) に出てくる「隠れた神」はキリスト教神学の鍵語となってきたが、 この語には二つの解釈があるんだそうだ。 それで、パスカルやブーバーなんかは (1)救わない神という伝統的な解釈で理解しているが、 (2)偶像のように表し得ない神という解釈も十分根拠がありえるんだそうな。

明日は上の話の続きから。明日も出るつもり。たぶん。できれば。なるべく。

休憩時間中に、文閲に行って雑誌を一冊借りてコピー。 思ったより手間取ってしまい、ふたたび授業に遅刻する。 すいません。

授業が終わってからちょっとルネへ。 注文していた本と関根先生の本を購入。

それから某喫茶店へ。ピラフセット。ジャンプ。


今日やったこと


何か一言


06/29/99 (Tuesday/mardi/Dienstag)

お昼

朝起きて大学へ。 勉強しようと思ってちょいと早目に来たのだが、 ほとんど何もできず。2コマ目から授業に出席。

第3回は、昨日の「隠れた神」に関する議論の続きだったが、 途中で意識を失なってしまい、重要なとこを聞き逃したらしい。 とにかく、「隠れた神」を「救わない神」と読む第一の解釈と 「偶像化されない神」と読む第二の解釈は排他的ではなく、 どっちも重要な論点を示している、という結論だったようだ。

3コマ目はシエスタしてから、ということで2時から再開。 おそまきながら、とても良い先生であることに気付く:-)

お昼は、自動車で正門前に売りにくる弁当屋の弁当を食べた。 あの手のものには初めて挑戦したが、なかなかうまい。


旧約の「コーヘレスの書」って何のことかと思っていたら、 `Ecclesiastes'(伝道の書)の原語(ヘブライ語)が「コーヘレス」なんだそうな。 この訳があまり良い訳ではないため、 最近ではヘブライ語でそのまま「コーヘレス」と呼ばれてるんだそうな。

そのコーヘレスの書で、ふと目にした一節。

賢さと愚かさには意味がない

次にぼくは賢さについて考えてみた
そして狂気と愚かさについても
王の世継ぎとしてはもうすでになされたことしかできないだろう?
ぼくは賢さが愚かさよりも良いものとばかり思っていた
ちょうど光が暗闇よりも良いものであるように
賢人は頭に目を持ち
愚者は暗闇をさまよう
だけどぼくは気がついた
同じ運命が両者にふりかかることを

そこでぼくはこう思った
「愚者の運命がぼくにもふりかかるだろう
それじゃ賢くなったって何の得にもなりゃしない」
ぼくはこう思った
「これもまた意味のないことだ」
なんとなれば、賢者は、愚者と同じく、長く人々の記憶に留まることはないから
やがて両者は忘れられてしまうから
愚者と同じく、賢者もまた死すべきものだから!

Ecclesiastes 2:12-6

なんか千夜一夜物語に同じような詩があった気がするな。


昼下がり

う。ちょっと用事をしていると3コマ目に出れなくなってしまった。 すいません。

というわけで(なにが「というわけ」なんだか)古本市に行く。


夕方

午後ぶっつづけでやるのかと思っていたら、 いったん休憩をはさんだ様子だったので、 4コマ目の授業に参加する。 しかし1時間ちかく意識が遠のいてしまい、 ほとんど出た意味なし。 すいません。すいません。ひいい。 (べしばしべしばし)


BMORの復習。疲れた。


今日やったこと


何か一言


06/30/99 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

昼下がり

昨日は、雨に打たれて下宿に戻った。 自転車のブレーキが効かなくなっていてたいへん危険。

大雨の中、某スーパーに買物に行く。当然ながら客も少ない。 そうめん買う。キムチも買う。納豆も買う。

下宿に戻ると本が満ち満ちている。あっちを向いても本、 こっちを向いても本。たまらなくなり片付けだす。

本棚を入れる空間はないので(いや、部屋の外には置けるのだが、それは避けたい)、 壁にヨコにつけていたスチールラックをタテにして、 ちょうど本屋さんの本棚のように、 前からも後ろからも本を入れることができるようにする。 これで少し余裕ができた。部屋は狭くなったが。

適当に晩ごはんを作って食べたあと、 『レインメイカー』を観る。 大手悪徳保険会社を相手どった裁判の話。 背の低い助演男優が味を出していた。B。

夜明け前に寝て、お昼に起きる。 授業に出るのはあきらめ、BMORの予習。 某喫茶店に行ってミックスサンドのセット。サンデー。プレイボーイ。

豪雨だったが下宿はまだ雨漏りしていない。奇跡的。


すべきことが雪ダルマのように増えていく。どうすればいいのか。

山形県産と思われるサクランボをいくつかいただく。感謝感謝。


夕方

BMOR読書会終わり。 シャフツベリによる人間心理の分析。 精神の快が身体の快より強いって本当だろうか。

しかし、 ミルと同じくシャフツベリも 「精神の快と身体の快を両方経験したやつには、 どっちがすぐれてるかすぐにわかる」 と言っているので、 どっちがいいのかすぐにわからないおれは、 精神の快を経験したことがないのかもしれない。 いや、経験したことがないのは身体の快の方か? あるいはその両方?


日本功利(公益)主義学会では、 「ベンタムにおける徳と幸福 (Bentham on Virtue and Happiness)」 という題名で発表することになった (たぶん)。さ、勉強勉強。


う〜ん、こんな題名でほんとに書けるんだろうか。さっそく不安になってきた。


今日やったこと


何か一言

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KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Sun Jul 11 17:47:15 JST 1999