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学会誌

論文抄録

『医学教育』47巻・第1号【抄録】2016年02月25日

INDEX
教育
実践研究
医師国家試験出題基準の妥当性に関する検討
〜卒後初期臨床研修指導医を対象とした質問紙調査の分析から〜
…三苫 博,大滝 純司,泉 美貴
掲示板 千葉大学医学部における医学留学制度の利用
- 6年間の留学の軌跡と留学を志望する医学生の方々へ -
…小野 亮平,山内 かづ代,Daniel SALCEDO,白澤 浩,朝比奈 真由美
掲示版 意見:シネメデュケーションの題材-落語「死神」
…信岡 祐彦,望月 篤,伊野 美幸
掲示板 意見:「日本の医のプロフェッショナリズム-武士道またはBushidoという『創られた伝統』からの脱却-」ご質問への回答
…野村 英樹
掲示板 「特集:女性医師のキャリア教育」に寄せられた掲示板:意見を読んで
…木下 牧子
掲示板 医学生の結婚・家族観と診療科選択に関する調査:アンケートによる予備調査
…星野 奈生子,青木 弘枝,神田 明日香,崔 乘奎,手柴 富美
中村 光一,名和 宏 樹,恒川 幸司,今福 輪太郎,西城 卓也
追悼 田中 勧 先生を偲んで
…齋藤 宣彦,岩﨑 榮,畑尾 正彦,大野 良三,松井 俊和,小林裕幸,伴 信太郎
医師国家試験出題基準の妥当性に関する検討
〜卒後初期臨床研修指導医を対象とした質問紙調査の分析から〜

A questionnaire survey regarding the guidelines of the national board medical examination from the perspective of postgraduate trainings

三苫 博*1 大滝 純司*1,*2 泉 美貴*1
Hiroshi MITOMA *1 Junji OTAKI *1,2 Miki IZUMI *1

要旨:
背景:医師国家試験(国試)出題基準の妥当性は卒後初期臨床研修(初期研修)の観点からの検討が不十分である.
方法:初期研修の指導医を対象に,出題基準に収載された各疾患の重要性に関する質問紙調査を行った.回答(5段階)を「重要性スコア」(5点満点)に変換し,その平均値をもとに疾患を3群に分け,各群の出題状況も検討した.
結果:重要性スコアが低い(2.5点未満)疾患が出題基準の10.0%を占めた.それらの一部は国試に出題され,重要性が中等度(同2.5点以上4.5未満)の疾患も一部は詳細な知識が問われていた.
考察:初期研修における重要性と国試出題基準および出題の間に乖離がある可能性を示唆している.
キーワード:医師国家試験,医師国家試験出題基準,卒後初期臨床研修指導医

Abstract:
Aim and Method: We sent a questionnaire to clinical instructors of junior residents to examine the validity of the guidelines of the national board medical examination for physicians.
Results: They estimated that about 10% of the diseases listed in the guidelines were beyond the scope of the training for junior residents. In addition, the examination questions did not necessarily reflect the importance in the training.
Conclusion: These results suggest that there is a discrepancy between the national board medical examination and the content of postgraduate training.
Key words: National board medical examination


*1 東京医科大学医学部医学科社会医学部門医学教育学分野,Department of Medical Education, Tokyo Medical University,
[〒160-0023 東京都新宿区西新宿6-7-1]
*2 北海道大学大学院医学研究科医学教育推進センター,Center for Medical Education, Graduate
School of Medicine, Hokkaido University
受付:2015年11月27日,受理:2016年1月5日
千葉大学医学部における医学留学制度の利用
- 6年間の留学の軌跡と留学を志望する医学生の方々へ -

Status of Study Abroad Program Use at Chiba University School of Medicine
-A Student's 6-year Experience and Guidance for Those Wishing to Study Abroad-

小野 亮平*1 山内 かづ代*2,3 Daniel SALCEDO *3 白澤 浩*4 朝比奈 真由美*2,3
Ryohei ONO*1 Kazuyo YAMAUCHI*2,3 Daniel SALCEDO*3
Hiroshi SHIRASAWA*4 Mayumi ASAHINA*2,3

要旨:
国際化は医学教育の世界にも影響を及ぼし, 千葉大学においても医学留学制度の拡充を図ってきた. 本稿では, 一医学生がどのような形で留学準備, 英語力の向上を実現させたかを実体験を踏まえて述べ, また6年間の留学の軌跡を提示する. 更に医学留学の意義として, 世界の医学界の第一人者に出会うこと, 同世代の世界の医学生との交友を持つ中で, 日本人としての医学生の能力を世界標準と照らし合わせること, 長い医療者人生の中で学生の段階においてのみ, フレキシブルに世界を目にすることの3点を挙げ, 今後のキャリアへの活かし方, 及び, 医学生に対する医学留学への提言を行う.
キーワード:医学留学, 医学英語, 卒前教育

Abstract:
As globalization also influences medical education, Chiba University has provided extensive study abroad programs. This paper reports a medical student's methods to prepare for using such programs and improve his English level, and outlines his actual experience of studying abroad during a 6-year period. It also discusses the significance of medical study abroad, focusing on the following 3 points: meeting medical leaders in other countries; establishing friendships with international medical students of similar age groups, while comparing Japanese students' abilities with international standards; and taking full advantage of being a student, as one is allowed to flexibly develop global perspectives only in his/her school days before starting a long career as a medical professional, to provide guidance for medical students toward such experience and career development based on it.
Keywords: medical study abroad, medical English, undergraduate education


*1 千葉大学医学部,School of Medicine, Chiba University
*2 千葉大学大学院医学研究院医学教育研究室,The Office of Medical Education, Graduate School of Medicine, Chiba University
[〒260–8677 千葉市中央区亥鼻 1–8–1]
*3 千葉大学医学部附属病院総合医療教育研修センター,Health Professional Development Center, Chiba University Hospital
*4 千葉大学大学院医学研究院,Graduate School of Medicine, Chiba University
受付:2015年12月28日,受理:2016年1月2日
意見:シネメデュケーションの題材-落語「死神」

Subject matter of Cinemeducation - Rakugo "Shinigami"

信岡 祐彦*1  望月 篤*2 伊野 美幸*2
Sachihiko NOBUOKA*1 Atsushi MOCHIZUKI*2 Miyuki INO*2

要旨:
シネメデュケーションの題材として,落語を取り入れることの可能性について検討した.医学部学生を対象としたプライマリ・ケアに関する授業の中で落語「死神」を鑑賞し,人の寿命をどう考えるかを中心に考察してもらった.授業後の印象では,学生にある程度のインパクトを与え,将来の診療に役立つような考察ができていると推察され,導入した目的はおおむね達せられていると考えられた.今回の経験から,落語は演目を選べばシネメデュケーションの題材としてその効果を十分期待できるものであり,今後試みてもよい手法と思われた.


*1 聖マリアンナ医科大学臨床検査医学講座,Department of Laboratory Medicine, St. Marianna University School of Medicine
[〒216-8511 川崎市宮前区菅生2-16-1]
*2 聖マリアンナ医科大学医学教育研究,Research Institute for Medical Education, St. Marianna University Scholl of Medicine
受付:2015年1月19日,受理:2016年1月26日
意見:「日本の医のプロフェッショナリズム-武士道またはBushidoという『創られた伝統』からの脱却-」ご質問への回答

金沢大学附属病院総合診療部
野村 英樹

「特集:女性医師のキャリア教育」に寄せられた掲示板:意見を読んで

Our views on an opinion in the bulletin board titled "Problems of learning objectives and roadmap on the career education"

女性医師キャリア教育検討委員会/光風園病院
木下 牧子

医学生の結婚・家族観と診療科選択に関する調査:アンケートによる予備調査

Medical students' marriage/family and career perceptions: A pilot questionnaire survey

星野 奈生子*1 青木 弘枝*1 神田 明日香*1 崔 乘奎*1 手柴 富美*1 中村 光一*1
名和 宏 樹*1 恒川 幸司*2 今福 輪太郎*2 西城 卓也*2
Naoko HOSHINO*1 Hiroe AOKI*1 Asuka KANDA*1 Norifumi SAI*1 Fumi TESHIBA*1 Koichi NAKAMURA*1
Hiroki NAWA*1  Koji TSUNEKAWA*2 Rintaro IMAFUKU*2 Takuya SAIKI*2

要旨:
医師不足の原因の一つに女性医師の増加と支援体制の未整備が挙げられる.医師の結婚・家庭観やその診療科選択への影響は明らかにされているが,男女医学生のそれは明らかでない.岐阜大学医学部医学科2・5年生を対象とした無記名質問紙調査を行った.多くの男女学生が,結婚し,子供を授かり,結婚後も仕事を継続することを希望した一方,相手の職種や就労,そして結婚・家庭観の診療科選択に対する影響については男女で異なる認識だった.これらは性役割分担意識が学生にも浸透していることを示していた.より良い相互理解のため,早期からの新たな卒前教育の必要性が示唆された.
キーワード:女性医師,結婚観,家庭観,医学生,ワークライフバランス

Abstract
The increase of female physicians and its undeveloped supporting system can be one of the causes of physicians’ shortage. Although physicians’ marriage/family perceptions and their influences on career choices have been extensively studied, those of medical students are not fully understood. An anonymous questionnaire survey was conducted involving male/female medical students in years 2 and 5 at Gifu University School of Medicine. The results showed that many male/female students hoped to get married, have children, and continue to work in the future, but different perceptions were demonstrated between the sexes with regards to the partners’ occupation, working style, and influences of family/marriage perceptions on students’ specialty choice. The results suggest the presence of sex-related differences in perceptions among medical students. The survey indicates the necessity of early undergraduate education for a better mutual understanding of gender issues.
Keywords: Female physician, marriage perceptions, family perceptions, medical student, work-life balance


*1 岐阜大学医学部医学科,Gifu University School of Medicine
*2 岐阜大学医学教育開発研究センター,Gifu University, Medical Education Development Center
[〒501-1194岐阜県岐阜市柳戸1番1]
受付:2016年1月25日,受理:2016年2月1日
田中 勧 先生を偲んで

田中 勧 先生の略歴
昭和10年1月1日  東京都世田谷区にて誕生
昭和34年3月 慶應義塾大学医学部卒業
昭和35年8月 医師免許取得
昭和34年4月〜昭和35年3月 インターン(国立世田谷病院)
昭和35年4月 慶應義塾大学外科学教室入局
昭和40年9月〜昭和43年11月 米国留学(ウェイン州立大学,ミネソタ大学,コーネル大学)
昭和43年11月〜昭和45年3月 慶應義塾大学外科
昭和45年4月〜昭和51年3月 国立東京第二病院外科
昭和51年4月〜昭和53年2月 慶應義塾大学 講師
昭和53年2月〜昭和62年3月 防衛医科大学校外科学第二講座 助教授
昭和62年4月〜平成12年3月 同      教授
平成6年4月〜平成8年3月 同病院  副院長兼務
平成12年4月〜平成16年1月 東海大学医学部付属病院 健診センター 特任教授
平成16年2月〜平成20年4月 医療法人三禄会 おやまにし病院 病院長
平成20年4月〜 医療法人さくら会 理事長、さくらのクリニック院長


田中先生を偲ぶ

前日本医学教育学会長 齋藤 宣彦

何十年か前,富士研で,田中先生が患者役で,故吉岡昭正先生(当時,順天堂大学の医学教育の教授.現東京女子医大理事長吉岡俊正先生の叔父上)が医師役を演じている医療面接のビデオがつくられた.まだモノクロームの時代である.あのビデオは,今,どこにあるのだろうか.ご覧になったことのない会員のために記憶をもとに思い起こしてみる.

肘掛椅子に座って,態度の良くない医師を演じて目をギョロつかせている吉岡先生は,丸椅子に丁寧に腰かけている患者役の田中先生に一方的に質問しながら,たばこは吸うし,話を遮って別患者さんの処方箋は書くし,と悪役に徹しておられた.田中先生は,品が良くて,好男子で,真面目なジェントルマンの患者.ひととおりのヤリトリが済んだところで,吉岡先生が「ハイ,それじゃ」と終了しようとしたとき,田中先生がおっとりと「あのー,実は,便が黒っぽいんですが…」と切り出す.そこで突然,吉岡先生が「キミィ,そんな大事なこと,なんでもっと早く言わないんだっ!」と怒り出すというもの.私の隣でビデオを見ていた人が「あれ,いつもの田中先生だね」と.

私は,当学会の運営委員会(現在の理事会相当),幾たびかの富士研のタスクフォース,各地の大学の医学教育ワークショップ,臨床研修指導医養成講習会等で,先生とご一緒させていただく機会に恵まれた.富士研25周年の植樹にはご夫婦でいらしてくださり,木をいたわるように,丁寧に土を寄せておられた.田中先生の,几帳面さ,スマートさ,やさしさに,どうにかして少しでも近づきたいと考えたが,今もって先生の足元にも及べない自分が歯がゆい.まだまだ,ご指導をいただきたいと思っていた矢先の突然の訃報.残念などという月並みな言葉ではとても表しきれない.

昨秋お目にかかった時,「早稲田のOBと一緒に,毎週ボート漕いでるんだ.今度,シニアの国際大会でベルギーまで行くんだよ」と,満面の笑みでおっしゃった.ご自分は“慶応なんだけど,早稲田と一緒にやるっての,面白いでしょ”というのと“ベルギーまでボートを漕いで行くんじゃないよ”と,田中先生のユーモアである.私は「それでは,ベルギーからお帰りになったころを見計らってご連絡いたします.Y君が,一度,お食事でも,と言ってますから」という会話が最後になってしまった.

それは全く偶然のことだった.昨年,高校同期のY君が「弟がね,30年以上前に,国立東京第二病院で田中という先生に心臓の手術をしていただいて,おかげでずいぶん長生きできたんだ.弟は亡くなって何年か経つけど…,弟のワイフは当時の看護婦さんだった人でね.その時,手術してくださった先生は,その後,埼玉の方の大学の教授になられたって….君,同業者だから,その先生のこと,何か知らないかなあ.ひとことお礼を申し上げたいんだ」と言ったのでびっくり.「知らないどころか,よく存じあげているよ.田中勧先生.医学教育の大先輩.私の恩師の一人だよ」,「それじゃあ,いつかみんなで一緒に…」と,Y君と話したのだが,そのチャンスはもうない.30有余年間,本人が亡くなっても,家族がお礼を言いたいと思い続けて,当時の主治医を探している,臨床家としての田中先生の素晴らしさの実証である.


田中先生との出会いと別れのことば

NPO法人卒後臨床研修評価機構 専務理事 岩﨑 榮

それは富士研会場の伴信太郎先生の携帯電話から田中先生が交通事故で亡くなられたらしいとの第一報でした.わが耳を疑いつつも,直ぐに確認のためP-MET(医療研修推進財団)に連絡するも情報はなし.しかし,折返しインターネットで確認後,防衛医大からも正式の情報がもたらされたことにより,痛ましくも哀しい田中先生の交通事故死の確認がとれた次第です.

田中先生との出会いは,1974年(昭和49)12月に始まったばかりの富士研ワークショップの翌75年の第二回生として7日間参加した時であり,第一回から田中先生(当時,国立東京第二病院外科医長)はタスクフォースを勤めておられ,日本医学教育学会の設立にも関与されました.小生は第二回生(高久,畑尾先生らも同じ)として一週間参加し,ご一緒させていただきました.因みに,第一回は牛場先生をディレクターとして,タスクフォースは吉岡,尾島,鈴木,田中各先生(第二回には中川先生もタスクとして加わる),コンサルは日野原,館,堀各先生らであり,田中先生は恐らく最も若いタスクフォースであったと記憶しています.考えて見るに享年80歳だったとは!,田中先生のタスクとしてのお姿は落ち着きのある物静かな口数少なく(タスクのあるべき態度と教えられている)タスクとしてのモデルであったと思います.それは,当時日本医学教育学会会長の牛場慶大名誉教授監修でミクス(株)発行(1990年)の『若い臨床医のための院内ルール読本』の中で田中先生の「わたしの一言」でよく表現されています.「清潔,不潔の感覚を徹底して身につける」と題して,【相手が先輩だろうが,教授だろうが,気になったら,「先生,そこに触れましたよ」とどんどん指摘する姿勢が必要です.(中略)手術場では努めてムダ口を聞かないこと.また普段の生活のなかで正確さを習慣づけるようにすることも大事ですね.(中略)それから,患者教育をするからには医師のほうも,それらしく生活しないといけないのではないでしょうか.たとえば煙草をやめるとか,健康診断をよく受けるとか,といったこともお勧めします】.田中先生のタスク時のお姿,語り草を彷彿とさせるお言葉であろうと思います.小生も,「医師が時間に遅れると病院業務すべてが遅れる」として,「若い医師の遅刻を許す『病院社会』,なぜ喫茶店で白衣を着る?」との二つの題にまつわる話として,「新人に対するオリエンテーションは,医師と他のスタッフを一緒に行うべきだと思います」と,同著書の中で述べさせていただいています.

田中先生の医学教育での貢献は枚挙に遑が無いが,いわゆるグリーンブック(医学教育マニュアル)の3 教授-学習方法では,その序文を尾島先生と共に書かれている他,その著書の中での田中先生の【1. あなたは教授-学習をどう考えていますか】は,今日においても臨床研修指導医講習会の最初のアンケートとして用いられているもののオリジナルなのです.また,【学習方法としての実習】の概説について,また,【形成的評価-フィードバック】の他,【5.教授-学習方法の評価】について述べられています.この中で【マイクロティーチング法(1963年スタンフォード大学Dr. Allen, D.の開発による教員の訓練法)】を紹介されていて,これも多くの指導医講習会での前日に行われるタスク間での打合せ会議で入念に取り組まれています.これらすべてが田中先生に負うところ大であります.医学教育に関わる全ての人が田中先生から出たご発言の一言一言を永く記憶にとどめ,医療人として語り継いで行くことが,先生への供養にもなり,残されたものの務めでもあろうと思います.

今頃は,牛場先生はじめ,吉岡先生,中川先生,尾島先生,堀先生らと再会され,現在のワークショップについて報告されながら,田中先生らしく理路整然と端正に論じられておられるお姿を俗界からは見えないまでもワークショップを楽しんでおられることと,田中先生のありし日を偲び,残されたものへのよきアドバイスをいただきたいものです.


田中 勧さん追悼

日本赤十字秋田看護大学 名誉教授 畑尾 正彦

田中 勧さんのご訃報はあまりにも突然であり,俄かには信じられませんでした.未だに信じられない気持です.

田中勧さんと初めてお会いしたのは,1975年厚生省主催・文部省科研費医学教育総合研究班・WHO後援で,富士教育研修所において開催された「第2回医学教育者のためのワークショップ」に筆者が参加させていただいた時でした.そのワークショップのタスクフォースのお一人でいらっしゃいました.

それまで外科医として病院勤務に専念し,医学教育とは後輩を育てることだと単純に考えていただけの筆者にとって,そのワークショップは,かつてない衝撃的な,人生観に関わる貴重な体験でした.そして同じ外科医である田中 勧さんは,ワークショップ期間を通じて,初心者にとって,細かいことまで気楽に尋ねることのできる最も頼りになる存在でした.いえ,ワークショップ期間に限らす,爾来,医学教育に関して,教えていただき,相談させていただける方であり続けました.

田中 勧さんは1974年6月にシドニーにおけるWHOワークショップ“医学教育における評価”に参加され,医学教育カリキュラム第20回研究会で,そのご経験を報告されました.ご経験の成果は,単なる報告に止まらず,1974年が嚆矢の「第1回医学教育者のためのワークショップ」の立ち上げとタスクフォース業務に活かされ,さらに,その後の各地のエコーワークショップ(富士ワークショップ参加者が,それぞれの所属大学・病院に戻って開催するワークショップの総称)に出向かれてのご指導や日本医学教育学会の評価に関するactivityの中心として活動されました.

講習会は正しい・望ましいことを“講師”が講演するのを“受講者”が聞くという関係で成立するが,ワークショップは“参加者”主体で意見を交わして議論し,その成果をまとめるというプロセスを経るので,ワークショップに“先生”はいないし,予め決まった正解もないということも,平素,相手に“先生”と呼びかける医師も,ワークショップではお互いに“さん”づけで呼び合うことも,田中 勧さんに教えていただきました.
カトリック田園調布教会大聖堂での最後のお別れで拝見した田中 勧さんは,すべてを超越したかのように穏やかなお顔をしていらっしゃいました.
日本の医学教育界は貴重な方を失ったといわざるを得ません.
いまはただ,心からご冥福をお祈りするばかりでございます.
安らかにおやすみください.


田中 勧 先生を偲んで

埼玉医科大学 名誉教授 大野 良三

田中先生のご葬儀は,田園調布の高台にあるカトリック田園調布教会にて,しめやかに執り行われました.荘厳な聖堂の中で田中先生のご遺影にお別れを告げる際,スポーツマンらしく颯爽とした先生の立ち居振る舞いや人間味あふれるお言葉がよみがえり,懐かしくまた寂しい気持ちがこみあげました.

埼玉医科大学では,1990年8月から医学教育学会の指導的な先生方4名にタスクフォースをお願いして,医学教育者のためのワークショップを実施してきましたが,田中先生には尾島先生,岩崎先生,畑尾先生とともに第1回目から一貫してタスクフォースをお勤めいただき,2006年までの間に都合22回のご指導をいただきました.小生は1990年12月の富士研ワークショップに参加して,その足で年末に開催された本学第2回目のワークショップを手伝いましたので,この時からが田中先生とのお付き合いになりました.田中先生は慶大医学部の大先輩であり,また,医学教育の先達として長く医学教育学会をリードされてこられましたが,小生も遅ればせながら医学教育に係ることとなり,以降25年間にわたりご指導をいただいたことになります.

当時はOHPでの発表を目の当たりにすること自体が,新しい教育技法を学ぶ第一歩になった時代です.田中先生をはじめ4人の先生方の発表技法や,体系化された知識の数々を応用して,グループで討論し,自らプロダクトを作成することで身につけていくという形式に,学内の教員一同は圧倒される一方でした.田中先生は資料の整備や配布のタイミングなど,ワークショップの要となる運営方式そのものにも細かな配慮とご指導を欠かされず,小生としては学ぶところが大きく,その後の糧となりました.

また,新臨床研修制度の発足とともに,臨床研修指導医講習会の開催が必要となった2003年には,田中先生から適切なアドバイスをいただき,ご紹介された厚労省の部局とも折衝を重ねた結果,2泊3日で開催するはずの講習会を,講習内容は変更せずに1泊2日でも認めていただくことができました.この方式は現在,各地で踏襲されていると思いますが,すべて田中先生のアドバイスのお蔭でした.

埼玉医大以外でも,田中先生には各地のワークショップにご一緒させていただきました.とくに先生の第二の故郷である防衛医科大学校では,2008年7月から2015年7月までの8年間,欠かさずにタスクフォースとして指導されました.この間,主として聖マリアンナ大学の伊野先生と小生とでお手伝いをいたしましたが,夜の懇親会終了後にホテルに帰りますと,ご病気の後はあまり飲まれないにもかかわらず,必ず1階の居酒屋に集合するようにと有り難いお言葉をいただき,遅くまで医学教育の四方山話からシニアのボート大会のお話など楽しく聞かせていただきました.

先生と小生は,防衛医大のワークショップをこの7月で卒業ということになっており,終了時にはいつものとおり握手をしてお別れしました.いつもの穏やかな笑顔で“じゃあまたね”とおっしゃっていただきました.そしてこれが本当の意味でのお別れとなりました.
田中先生,四半世紀にわたるご指導とご厚誼に心から感謝いたしますとともに,あらためて先生のご冥福をお祈り申し上げます.


田中勧先生に感謝をこめて

藤田保健衛生大学医学部 松井 俊和

田中勧先生の訃報に接しとても信じられない気持ちでいっぱいです.平成27年11月28日,29日の二日にかけて,藤田保健衛生大学病院主催の臨床研修指導医講習会のディレクターとして丁寧なご指導を受けたばかりでした.

田中先生と私どもの大学との係わりは今から19年ほど前,1998年2月14日,15日に開催した第1回藤田保健衛生大学医学部教育ワークショップのタスクフォースをお引き受けいただいたときからです.当時本学は大学設置基準の大綱化から7年経過し,大学の質保証を含め教育改革の必要性に迫られていました.何から手をつけたらよいか,誰に指導を受ければよいか五里霧中の状態でした.医学教育学会に連絡を取り,ご紹介いただいたのが田中先生でした.その時先生は防衛医科大学校の外科教授をされていました.ワークショップ準備のため所沢の先生のお部屋をお尋ねした折,「医学教育者の教育能力の開発が大変重要であり,そのためにカリキュラム・プランニングをベースにしたFDとしてのワークショップが求められる.このようなプログラムを導入されたのは1973年WHOが主催した”Workshop for Deans and Educational Leaders”に牛場先生,館先生,日野原先生が参加され,それを富士研ワークショップが引き継いでいます.そのエッセンスを抽出し貴学のワークショップを行います」といわれ,分厚い資料とワークショップの進め方が細かく記載されたスケジュール表を渡していただきました.本学の医学教育改革はこのワークショップを皮切りに始まりました.

以後カリキュラムの変更,教育ユニットとしての医学教育企画室の設置,模擬患者参加の医療面接の導入などを含めた臨床技能教育,PBL-チュートリアル・・・と続いていきました.先生はその後も毎年本学の医学教育ワークショップや臨床研修指導医講習会のチーフタスクフォース,ディレクターを20回以上引き受けてくださいました.ワークショップの情報交換会では慶応大学ボート部での活躍の様子を懐かしそうに話され,ボートは今でも現役で80歳になって世界大会に出場すると力強く抱負を語ってみえました.

田中勧先生ありがとうございました.安らかな眠りをお祈りいたします.


田中防衛医科大学名誉教授田中勧先生追悼文

筑波大学附属病院水戸地域医療教育センター副センター長
水戸協同病院 総合診療科教授 小林裕幸

田中勧先生,先生からいただきましたご恩に深く感謝して,防衛医大での教え子として,思い出を一言述べさせて頂きます.

先生には,防衛医大に入学した時から,バスケットボール部の顧問として,学生としてお世話になっていました.名前から「きんちゃん」と呼ばれ,バスケットボールが初心者であった私にも,時に厳しく時に優しい愛情あふれる皆に慕われる父親のような存在でした.

クラブの納会には,いつも来てくださり,学生の余興を見ては,ご褒美のお酒をたくさん振舞って頂きました(ビール,ウイスキー,日本酒のカクテルにはらっきょう,醤油なども入っていました).先輩の噂によると,飲み会で飲んで寝ている男子学生がいると,田中先生がその学生を起こすために,学生の局部を「ぎゅーっ」と握るので,「きんちゃん」と呼ばれるんだという話もありました.また,医師国家試験の1週間前に緊張している受験生を慰労するOB会という先生が築いて下さったバスケットボール部の良き伝統は,今も続いています.

先生ご自身は,バスケットはされていませんでしたが,慶応大学の全学のボート部のエイトの代表として活躍され,生粋の体育会系の方でした.つい最近まで,ボートのマスターズ世界大会に出場なさっていると聞いていましたので,今回の突然の悲報は本当に驚きでした.

卒業後,あまり縁のなかった先生と,バスケット以外でも強く関わることになったのは,指導医養成講習会の関わりでした.先生は,防衛医大でも,自衛隊中央病院でも,臨床研修推進財団の講習会でも,会のディレクターとして,タスクフォースの私を指導してくださり,研修医教育とスポーツの指導と大いに共通点があることを,気付かせてくれました.準備していたスライドやスケジュールが,前日にゼロからスタートになることも多々ありましたが,先生の指導なしには,今の自分はありません.

バスケットボール部の活動,そして,臨床研修教育の心の師であった田中先生,本当にありがとうございました.先生の臨床教育に対する教えを忘れず心に刻んで,後陣に伝えたいと思います.心より謹んでご冥福をお祈り申し上げます.


田中勧先生の思い出

伴 信太郎

田中勧先生の訃報が「医学教育者のためのワークショップ」(通称 富士研ワークショップ)中に届きました.「また近々ボートの大会に出る」とお話しされていた田中先生の御姿を思い浮かべて俄かには信じがたい思いでしたが,その事実をネットニュースで確認しました.拙稿では,田中先生の三つの思い出について述べたいと思います.この三つの思い出の内,二つは‘富士研ワークショップ’に繋がるものです.その意味でも,今回の訃報は何かの因縁を感じざるを得ません.

最初の‘富士研’の思い出は,掲出の写真の時のことです(写真1).これは1994年のものです.この時私は,私の左隣におられる天理よろづ相談所病院の今中孝信先生と共に,はじめて富士研のタスクフォースに呼ばれました.その時に既にベテランのタスクフォースであった田中先生に連れられて,富士山の爆発でできた溶岩洞窟の一つである駒門風穴(こまかどかざあな)の入り口付近で取った写真がこれです.この頃私は前任の川崎医大に奉職しておりました.先生は常に笑みを絶やさず,新米の私に対する優しい指導のみならず,このような観光スポットの案内までしてくださったのです.

二つ目の‘富士研’の思い出は,私自身との直接の関連はありませんが,1974年に第1回の‘富士研ワークショップ’が開かれた時の写真(写真2)です.そこには当時WHOから来ていたゲストとともに,牛場大蔵会長,日野原重明先生,館正知先生,吉岡昭正先生,堀原一先生,鈴木淳一先生,尾島昭次先生といった日本医学教育学会を創設した方々の中に,若々しい田中勧先生が写っておられます.前述の写真から20年前のことですので,1994年には先生は既に富士研歴20年のベテランのタスクフォースであったことが判ります.

三つ目の思い出は,先生とお会いすると必ず握手を求められたことです.これは,尾島先生もそうでした.不思議なことに,しばらくお会いしていなくても握手をすると,その瞬間にスーと距離が縮まるのを感じました.これは,恐らくオーストラリアにおけるWHOワークショップを受けられた時の経験を継承されていたのだと思いますが,スキンシップの効果の大きさをいつも感じたものです.

フラットな関係で議論しましょう,というのが常に先生のスタンスでした.このような教育的な環境を共有して下さった先生のご冥福を祈りつつ筆を置きます. 合掌

第56回日本医学教育学会大会

一般社団法人 日本医学教育学会 リーフレット

J-STAGE

医学教育情報館 MEAL

認定医学教育専門家資格制度

一般社団法人 日本医学教育評価機構(JACME)

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