靈蘭之室 茶餘酒後

   ……休息している閑な時間

真摯に検討し謹慎して 放り出す

広告を取りやめるとか,中継を中止するとか,さまざまな表彰を辞退するとか,認定を拒否するとか,それはそれぞれにそれぞれの判断が有るんだろうけど,わかっているのかね,しばらく謹慎していれば,また戻ってくるというわけにはいきませんよ。何がどうなったら,さまざまな表彰を「またいただくことにしました」なんて言うつもりなんだろう。これは,「しばらくお休み」じゃないんだよ。「これでもうお終い!」かも知れないんだよ。多分,「もうお終いにする!」ということなんだよ。

今年は暖冬のはずが花冷えで今こんな感じ太い枝から直に咲いている

品格

跳ねっ返りものを排除して,それで全体として弱体化,どうにもならなくなる,なんてことは無いのかしら?

え? いえ,サッカー日本代表のはなしです。

庚寅元旦

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初雪

初雪

供花

白い彼岸花

これ道の……か

『武江年表』寛保三年(1743)の項の後に,此年間記事として:
俳諧宗匠,江戸にて三十六人あり。夥しき事にて珍しとて,常仙という人の輯にて『千々の秋』という俳書出たり。今時,宗匠と号する者,幾百人ありやはかるべからず。此道の衰えたる歟,将盛んなるか知らず。

そういえば,この世界は簡単に有名になってしまうのが拙い,と漢方界のちょっと有名な先生に言われたことが有る。

蝶として帰る

初盆は来年のはずだけど

固無取乎此

『古書疑義挙例』序のしめくくり,「若夫大雅君子,固無取乎此」は,禁止とまではとらないで,「若し夫れ大雅の君子なれば,固より此れに取るところ無し」と訓んで良いのではないか。「固無取乎此」もまた,「竊不自揆」と同じく謙遜の決まり文句だろう。で,謙遜は表向きで,本心は「貴方がただって,童蒙の子と大した差は無いんだから,ちゃんと読みなさい!」ではあるまいか。

古賀精里の文章に「則学校書院,固無得失之可言」というのが有るそうです。「則ち学校と書院と,固より得失の言うべきもの無し」だと思う。

むくい と てあて

天草本『伊曾保物語』蟬と蟻との事
或冬の半に蟻ども數多穴より五穀を出いて日に曝し 風に吹かするを 蟬が來てこれを貰うた 蟻の云ふは 御邊は過ぎた夏秋は何事を營まれたぞ 蟬の云ふは 夏と秋の間は吟曲に取紛れて 少も暇を得なんだに由て 何たる營もせなんだ と云ふ 蟻 實に實に其分ぢや 夏秋謠ひ遊ばれた如く 今も秘曲を盡されてよかろうず とて 散々に嘲り 少の食を取らせて戻いた

万治絵入本『伊曾保物語』蟬と蟻との事
さる程に 春過ぎ 夏闌け 秋も深くて 冬の比にもなりしかば 日のうらうらなる時 蟻 穴より這い出で 餌食を干しなどす 蟬來つて 蟻に申すは あな いみじの蟻殿や かかる冬ざれまで さやうに豐に餌食を持たせ給ふものかな 我に少しの餌食を賜び給へ と申しければ 蟻 答へて云く 御邊は 春秋の營みには 何事をか し給ひけるぞ といへば 蟬 答へて云く 夏秋 身の營みとては 梢にうたふばかりなり その音曲に取亂し 隙なきままに暮し候 といへば 蟻申しけるは 今とても など うたひ給はぬぞ 謠長じては 終に舞 とこそ承れ いやしき餌食を求めて 何にかは し給ふべき とて 穴に入りぬ

『ウソッポぃ物語』やむはむくいというくすしのこと
さる程に 春過ぎ 夏闌け 秋も深くて 冬の比にもなりしかば 日のうらうらなる時 富み榮えたる醫師ども 在るべきところより這い出で 笑いざわめきけるところに 蕩兒のなれのはて來つて 醫師どもに申すは あな いみじのくすし殿や 老いてなお 健やかに過ごし給ふものかな 我ははや病み衰えたるよ いかにもして癒いてくれよ 健やかにしてくれよ と申しければ 醫師 答えて云く 御邊は 若く盛んなるときを 何如にして過ごし給いけるぞ といえば 蕩兒 答えて云く 若きころは 別に身のおもんぱかりも無く ただ美酒を呑み 紫煙を吐き 好女を追い カラオケにうたうばかりなり その娯しみに紛れて 隙なきままに養生 鍛錬とては思いもよらず候 といえば 醫師申しけるは 今とても など 酒呑み戯れ給はぬぞ 不攝生にて 終に病むは 報いとこそ承れ いまさらに療治を求めて 何にかは し給ふべき とて 内に入りぬ
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