ご意見のある方は、 kodama@socio.kyoto-u.ac.jpまたはメイルを 送るまで。
・夕方から家で電気羊を読みつつ寝る。夜中に起きてまた電気羊を読む。
・めでたく読了してから、近く の定食屋に行く。夜の12時までやっている所で、いつも混んでいるようなので 敬遠していたが、閉店まぎわで割と空いていたので入ってみる。
・テレビの載っている棚には「棚に頭をぶつけないで下さい」という貼り 紙がしてある。どうやら客の頭よりも棚の方が大事なようだ。客の頭よりもテ レビを置くための棚の方が。
・モーニングがあったので久しぶりに読む。『えの素』の第一巻がすでに 出ているらしい。明日一番に買うべし。
・反-死刑廃止論を少々勉強。「誤判可能性を根拠とする死刑廃止論(団藤 氏のタイプ)」の論駁に関しては大体議論の筋道が立ったのだが、まだ書き出 せないでいる。といっても、実際に書き出すと色々と粗が出て来るかもしれな い。
・もうそろそろ夜が明けるので、日の出前に下宿に戻ることにする。
・あっ、たった今コップを一つ割っちゃいました。ごめんなさい。…っていっ ても、一体誰にあやまるべきなんだろう?
・寝坊。会議に出なくてごめんなさい(→○しむらさん)。しかし、こうい う研究室の仕事をだれがやるのか、というのは問題だよな。
・もしかしたら「助手」という人種(倫理学研究室ではすでに絶滅)が本来 この手の仕事を天職とする人々なのかも知れない(あるいはそうではないのか も知れない)が、あいにく倫理学研究室にはいない。
・そこで、いきおい「研究室によくいる人種」がこの手の仕事をやること になる。この人種は本性的に(本能的に、と言い換えてもよい)研究室によくい るから、仕事を頼む人も(必然性はないにせよ)自然とこの人種に仕事を頼むわ けだ。また、床が汚い、置きっぱなしのコップがある、というのも(必然性は ないにせよ)自然と彼らの目に付くので、内的な衝動から掃除したり片付けた りせざるを得なくなる。
・といっても、ぼくは割とそういった内的な衝動を感じないので、めった に片付けをしないし、仕事を頼まれてもそれほど難儀なものでない限り、いや ではない(ただし、履行しようという内的な衝動もそれほど感じない)、という ことは明記すべきであろう。
・とはいえ、やはりこの手の仕事は「研究室によくいる人種」がやるのが 穏当なのであろう。「研究室に属する人間はみんな平等に仕事をやるべきだ」 などといって、春の新歓コンパに顔を出したっきりような人に電話をかけて仕 事を頼む、などというのも効率が悪いし、頼まれた側も不当な仕事を押しつけ られたという感情(と殺意)を抱くであろう。結局のところ、「気づいた人がや る」という原則がもっとも波風の立たないものであり、よく研究室にいる人種 がよく気づく人なのである。
・ただ、少し心配なのは、義務感と責任感に満ち溢れる人間がすべて研究 室から出て行った後のことである。すなわち、「研究室によくいる人種」がい なくなるか、あるいは、「研究室によくいる人種」が残っても、それが「責任 感をまったくもたない人種」であったりする場合である。(最近SFで想像力が 鍛えられつつある)ぼくには目をつぶると、研究室の荒廃がありありと浮かぶ。
・そこら中に満ち溢れたタバコの吸殻と灰。空になったペットボトル。つ けっぱなしのコンピュータ。カップラーメンのカップで溢れたゴミ箱。正当な 理由もなく存在するベースギター。(コーラス: 「それって、前の研究室じゃ ん」)
・こういう恐ろしい事態にならないようにするにはどうすれば良いのか。 ぼくには一つだけしか案が浮かばないが、ここには書かない。みなさんの御意 見はどうであろうか。
・ルネに実哲研を置いてもらう。手数料というのを取られる。 そういうものか。
・無事、『えの素』第一巻入手。『ぼのぼの』第15巻も入手。
・人がいるところで『えの素』を読むわけにもいかないので、反-死刑廃止 論の勉強を進める。しかし、誰もいなくなったので、『えの素』を読み始めよ う。
・お腹が減ったので、とりあえず食事に出かけよう。
・昨晩行ったのと同じ定食屋に行く。空いていると思って入ったら、あと から学生社会人その他が大勢入って来てところ狭しの相席状態になる。4人用 のテーブルの正前と隣の女性陣は手帳を開いてプリクラという小さな写真(小 生はしたことがない)を自慢しあっている。小生はカントという気恥ずかしい 本を読んでいたので恥ずかしくて恥ずかしくてえい思い切って警察に自首して しまおうかなどと考えつつも野菜炒めを食べていた。そしてその野菜炒めには なぜか肉が入っているのだった。
・それから下宿に戻って少し寝る。目覚めてからラジオ英会話。長年小生 に連れ添って来たCDラジカセが虫の息で予約録音機能が正常に作用しなくなっ ているため(正確にはテープが作動しなくなった)、ラジオの放送時間に合わせ て聴かなくてはならないのである。新しいCDラジカセを買いたいがもうしばら く我慢せねばなるまい。
・研究室に行こうと思って外に出ると、あいにくの雨。ウォークマンでCCR を聴きながら少し濡れる。ずいぶんと寒くなったものだ。
・ロック読書会の予習。科哲の予習というのもあるが、朝起きてからにし よう。
・ロック先生によると、人間の意志は最も差し迫った欲求(腹が減った、頭 がかゆい、など)によって決定される。すると一見して人間には全く意志の自 由あるいは選択の余地がないように思われる。しかしロック先生が言うには、 われわれはどれが最も差し迫った欲求であるかを考慮して見定める自由がある んだそうだ。ううむ。なんだかだまされた気分。
・もちろんカント先生は、欲求によって(他律的に)意志が決められてしまっ たらもはやその意志は自由などとは呼べないと考えるわけで、意志はそのよう な外的な原因によらず(つまり「なんらかの原因」→「意志」→「行為」とい うのではなく)、あくまで外的な原因に拘束されない意志が原因となって(つま り「(自律的)意志」→「行為」)行為をなさなければ自由とは言えない、とい うだろう。しかし、そんなことほんとにできるんだろうか?
・自由意志の問題は非常におもしろいが、残念ながら今は真剣に検討する 時間がない。
・科哲の予習。またまたやばい。
・科哲の授業終わり。一年間無事に出れてよかった。来年は論理学を取る つもり。
・時間がなかったので久しぶりに中央食堂で食べる。相変わらず「給食の 素」--これがあの学食独特の味わいを生み出す--が入っているのを確認。
・ロック読書会終わり。疲れたので一度下宿に戻って寝る。
・寒いと思ったら雪。新研究室は暖かいので良いのだが、下宿の部屋はケ ルビン0.00002度の極低温である。冬はここで暮らすべきかも知れない。
・実哲研の作業をしていた人々に混じって(誰もわたしの存在に気づいてい なかったようである)夕ごはんをご馳走になる。感謝。
・(饗宴における議題: 来年度の授業に関する話など。論理学は春休みに皆 で勉強会をして、ライヘンバッハの授業を引続き取ることになるかも知れない)
・筒井康隆編、『60年代日本SFベスト集成』読了。傑作が多かった。
・ベンタムの勉強。疲れた。あと、ロック読書会の予習か。今日中に倫理 学入門書読書会の予習もしなきゃいけないな。ああ、楽しい。
・さっき初めてさる方のWWWページにおける個人情報公開についての文章を 読んで、いろいろ考えさせられる。ぼくもぼくなりに結構気を使っているつも りだが(本当)、まだまだ甘いことを知らされた。その方の指摘している事柄は いちいちもっともだと思う。インターネットを使う者はすべて人非人である、 という前提でもって自分のページを運営していく必要があることを遅ればせな がら悟る。
・蛾かと思ったら、窓の外には雪が舞っている。さっさとロックの予習を して下宿に戻るべし。
・ああ、寒い寒い。信じられないくらい寒い。国連も「地球温暖化防止会 議」なんかやらないで、「地球温暖化促進会議」をやって くれれば良いのに。あっ、うそうそっ。冗談です。ディープ・テロ・エコロジ ストのみなさん、落ち着いて下さいっ。
・ロック読書会終わり。
・倫理学入門書読書会の準備。カント漬け。
性的共同態[commercium sexuale]とは、或る人間が他 の人間の生殖器および性的能力についてなす相互的な使用[usus membrorum et facultatum sexualium alterius]であって、それは、自然的な 使用[これによって同人と類似のものが産出される]であるか、あ るいは不自然な使用であるかのいずれかであり、そして後 者は、同性の人格に対して行なわれるか、あるいは人類以外の動物に対して行 なわれるかのいずれかである。これらの(不自然的使用という)法則侵犯は、口 に出すのもはばかられるような反自然的背徳[自然に反する肉欲の罪crimina carnis contra naturam]であって、われわれ自身の人格のうちなる人間性の 侵害として、全く何らの制限や例外もなく、全面的な断罪に値するものである。 (野田又夫編、『カント(世界の名著)』、408頁)
(カントがこんなこと言ってるのとほぼ同じ時期(カントより少し早い)に、 イギリスではベンタムが「同性愛は誰にも危害を与えないから違法にすべきで はない」って言ってのだと思うと感慨深い)
・なおもカント。こりゃまたカント。ひたすらカント。
・やっとカント終わり。そろそろ下宿に戻ってカントせねば。寒いのでカ ントして寝よう。明日は午前中にカントするつもり。
・昨夜は明け方までSFをカン トしてたので、ついお昼過ぎまでカントしてしまった。今からみっちりカント するべし。
・『パルプ・フィクション』は観ました。ぼくの友達も某氏も面白かった 様子なんですが、ぼくは今一つでした。今観ると違うのかな。この映画よりも 『ナチュラル・ボーン・キラーズ』の方が面白かった、と言ってみんなに顰蹙 を買うわけです。
・風邪が流行っているらしい。朝晩カントを励行すべし。これから倫理学 入門書読書会。
Canna ga nazeka ugoka-nai no de Ro-ma-ji de kaku (Kodama-shiki Ro-ma-ji).
Rinri-gaku Nyu-mon-syo Dokusyo-kai ga owatta Ki ga suru. Sore kara Minna de Supagetti wo tabe-ta Ki ga suru.
・あ、復活。
・ちょっと内職。ぼくの現在の身分は「京都大学文学研究科思想文化学専 攻倫理学専修修士一回生」でいいんだっけ?む。ホワイト、ホワイト。あ、な んだなんだこの「修正紙」っていうのは。むうう。(5分経過)…使い方がわか らん。文房具あなどるべからず。
・明日の授業が休みになって残念がっているのはぼくだけか?
・以前にハーディンが女性かどうかでも めたが、人からメイルをもらう機会があったので、また少し別の視点から 考えてみる(前と同じかも知れないが)。
・ぼくが、「女性は殴らない」という格律を持っていたとしよう。これは 厳密に言えば、「男性なら殴るであろう場合において、女性であれば殴らない」 という格律(以後、「殴る格律」と呼ぶ)である。
・同様な例をもう一つ。「お年寄りには親切に」という格律は、厳密には 「老人でなければ助けないような状況において、老人であれば助ける」という 格律であろう。
・おそらく常識的には、上の二つの格律を持つことは差別だとは言われな いのではないだろうか。一応そういう前提で話を進める。
・すると、悪名高い「ハーディンは女性だったら許す」はどうだろうか。
・この言葉の前提となる格律は、「男性であれば許さないであろう場合に、 女性であれば許す」である。ぼくがこの文を書いた文脈を考えると、より厳密 には「ある論文が自分にはひどいと思われた場合に、男性であれば許さない(= 厳しく論駁する)であろうが、女性であれば許す(=甘く論駁する)」(以後「ハー ディンの格律」と呼ぶ)となる。
・さて、そうすると問題は、「ハーディンの格律」が差別なのかどうかだ。
・そこで対比のために、常識的には明らかに差別だとされる格律を考えて みる。たとえば、「ある答案を採点する場合、それが女性の答案であれば100 点を付けるが、男性の答案であれば50点を付ける」という格律(以後、「答案 の格律」と呼ぶ)は明らかに差別的であろう。
・一見して、「ハーディンの格律」はこの「答案の格律」とよく似ている と言える。しかし、「殴る格律」も、「ある人がひどいことをした場合に、男 性であれば殴るが、女性であれば殴らない」という風に表現すると、「ハーディ ンの格律」に非常に似ていると言える。
・むむむ。すると「ハーディンの格律」は差別なのだろうか、それとも差 別ではないのだろうか。言い換えれば、「ハーディンの格律」は「答案の格律」 と同類なのか、それとも「殴る格律」と同類なのか。
・続きはまた書くことにする。意見や批判がある人はメイルして欲しい。 ただしお手柔らかに頼みます。ぼくも自分が間違えてると思ったら直すつもり なんだから。
・寝る前と寝た後にブレンターノの『道徳的認識の起源について』を翻訳 で読んで読了した。あとでベンタムと比較しつつまとめておく。
・しばらく銭湯に行ってない気がしたので、怖くなって行って来た。お昼 過ぎから何も食べていないので死にそう。ガムもない。
・下宿に戻って寝る。
・梅田でオフミなるものに参加した気がする。梅田では多くの人が転んで いた気がする。生まれて初めてのプリクラなるものも、男4人で無理矢理撮ら された気がする。財布も再び氷点下に近付いた気がする。梅田あなどるべから ず。
・わああ、ブレンターノを勉強してたらこんな時間になっちゃったよーっ。 (しかもまだ完成していない--それでも良いから見てみたいって言う人はどうぞ)
・とりあえず下宿に戻ってハインラインの『人形つかい』を読んで寝る。 ううっ、も、もえるっ。
・昨日のお昼過ぎ以来まだ寝てないが、ハインラインを読んだせいか眠く ならず、かなり気分が高揚している。『人形つかい』は『インディペンデンス・ デイ』を想起させるアメリカ右翼的作品だが、ストーリーは少なくともあの映 画以上には練ってあるので、楽しく読める。
・ロック読書会の予習をしてまた下宿に戻ろう。
・げ、起きたら真っ暗!ままま、また遅刻してしまった!布団から跳ね起き てマッハ3で研究室に行ってロック読書会。一時間近く遅れてしまった。某嬢 からは当然白眼視。ひええええ、ごめんなさいっ。超反省。
・昨夜の読書会の後、某嬢に夕飯をおごって機嫌などを回復していただき、 その後高槻に帰った。富田駅のそばで買った古本(←最近定例化しているな)。
・一言言っておきたいが、ぼくは文庫は古本では大体100円で買えるものだ と思っているし、最近増えて来たチェーン店の古本屋では実際にそういうとこ ろが大半である。(もちろん、新刊の場合はそうでもないが)
・しかし、京都の個人経営の古本屋は今だに普通の文庫に200円、300円の 値を付けている。まさに十年一日の観がある。だが、もう「文庫は一律100円」 の時代が来ているのだということを認識しないと、老舗の小汚い(かつ横積み の本で溢れ返っている)古本屋は、こざっぱりしたチェーン店の古本屋に道を 譲らねばならなくなるであろう。
・いいかげんな予言はさておき、それから晩と今日の朝に片付けもの。こ れまで、捨てることをまったく予想せずにものを買ってきたために、部屋に色々 なものがありすぎて頭痛がしてしまった。物は持たざるに如かず。これからは よく引っ越すことになるだろうし、あんまり物を買わずに、借りて済ませよう…。
・というわけで、某氏にいろいろ貰い物をしてもらったが、全 然気にしないで下さい。片付けてたらほんとに破壊衝動がこみ上げて来て、一 旦は全部捨ててしまおうと思ったぐらいだから。
・下宿に戻って来てみると、某氏から贈り物が届いて いた。感謝。
・その後少し寝た。
・う。カウンターがそろそろ1万の大台に乗ろうとしている。めでたい。た ぶん日記を読みに来る人の他に、ベンタムとか死刑廃止論を調べるためにサー チエンジン使う人が結構立ち寄るんだろうな。来月は10万台を目指す。(果し てカウンターが999999になるのと就職してここを出て行くのはどちらが早いかっ!?)
・ハインラインの『人形つかい』読了。うう。 お腹減った。こんなページを見つけた。SFファンあなどるべからず。
ULTIMATE SCIENCE FICTION WEB GUIDE
・♪ポセェ〜イドンは海をゆけ〜っ、モデム〜変身っ、地をかぁ〜けぇ〜 ろぉ〜♪
(↑自己批判せよっ)
・ブレンターノのまとめ終わり。 最後の方が難しくなったけど、自然法とか功利主義に関心がある人はブレンター ノの本を読みながら、ぼくのまとめを見ると、なにか得るところがあるかも知 れない。ぼくのまとめだけを見ても、時間はつぶせるかも知れない。少なくと もぼくはこれを書くだけで半日以上つぶしました。
・今日は昼から集中講義だったな。どれ、下宿に戻って寝るか。起きれる かなあ。心配。
・ふと目が覚めると・お昼過ぎ・ばかばかばかばか・おれのばか。
・永井均の集中講義。ニーチェ全集の借り出し。
・う。こんな時間に研究室に来て明日の授業にちゃんと出ることが出来る のだろうか?心配。
・授業が終わってから、3級の住み家を(初めて)訪ねる。「メタ・エシック スについて〜倫理学はまだ始まったばかり〜」「正しい16ビートの乗り方につ いて」などの議論。リンゴをいただく。感謝。
・それから下宿に戻って寝たが、なぜか2時間ほどで目が覚めたのでアシモ フの『われはロボット』を読了し、 研究室に来る。
・わああっ、アシモフについて書いてたらこんな時間になっちゃったよーっ。 急いで倫理学入門書読書会の準備をしなきゃっ。
・わああっ、全然寝てないけど、一体今日どうするつもりなんだっ。ばか ばかばかばかおれのばかっ。
(おれってばかばか三ばかばか、あわせてばかばか六ばかばか…)
・法学部閲覧室で死刑廃止論に関する最近の雑誌論文を借り出してコピー。 急いで読まないとまずい。
・わああっ。またこんな時間に来てしまったっ。外はしんしんと音がする ほど寒い。下宿の部屋ももちろん寒い。
・体調は悪いし眠いしで昨日の飲み会はパスさせてもらった。授業が終わっ てから下宿に戻り、あまりに寒いので銭湯に行って温まり(こういうことをす ると本当に体に悪いのだろうか?)、それから真夜中までぐうぐう寝た。
・夜中にむくと起き上がり、4回生のデカルト卒論の草稿を読む。むむ。ぼ くの卒論よりよっぽど上手く書けてる。きい。
・えええと、今から何をしなくちゃいけないんだったっけ。何かするため に来たんだよなあ。
・また非常識なことをしてしまったようだ。いや、ほんっとに申し訳ない。 一応これでもちょっとずつ学んでるんです。お許しを(といって腹を見せる)。
・あああ。また夜明けが来てしまった。次に倫理学入門書読書会でやるロ ス(デヴィッド・リー・ロスではない)のprima facie dutiesに関する論文を読 んでいる。
・prima facie dutiesは、一見自明な義務とか、一 応の義務とか訳されるのではないだろうか。おそらくロスはこの語を法廷用語 のprima facie evidence(一応の証拠と訳すらしい)から新造したのだと思われ る(、が違うかも知れない)。
・一見自明な義務とは、われわれが道徳的な決断を迫られた場合に比較考 量すべき一連の義務のことである。「普通は守るべき義務」とでも言えばわか りやすいかも知れない。
・たとえば、「嘘をついてはいけない」とか、「約束は守らねばならない」 というのは通常(道徳的)義務だと考えられるが、カントのように「たとえ太陽 が西から昇って空が落ちて来て○×食堂の料理がおいしくなることがあろうと も絶対に嘘をついてはならない」などとと言う人はいたとしても非常に少ない であろう。そういう人が多数派でないことをわたしは祈る。
・そこでロスは、「われわれが具体的に何をなすべきか(duty proper--厳 密な意味での義務)をあらかじめ知ることはできないが、何をなすべきかを決 定する際に何を考慮すればよいかをあらかじめ知ることは できる」と主張し、そのような道徳的な決断において考慮されるべき「一見自 明な義務」の種類をいくつか挙げる。
・ただし、どの義務が優先されるかという義務間の順位はあらかじめ決定 できないと彼は主張する。もちろん、それがわかっていれば義務間の衝突はあ りえなくなり、われわれが何をなすべきかもあらかじめわかることになるから である。
・とはいえ、「義務間の衝突が起こった時にどちらを優先するかを前もっ て決めることはできない」というロスの主張はたしかに正しいと思うが、衝突 する二つの義務のどちらを選ぶかの基準(たとえば、功利主義のように、より 有益な方を選択するといった基準)を提示するのは道徳哲学の仕事ではないと 考えるのであれば、それは道徳哲学者の怠慢ではないか。とかいって。ま、続 きはまた。
・キャロル・キングを聴きつつ、8階の北向きの窓から町並と山と空と雲を しばし眺める。知恩寺の本堂の瓦屋根から数十羽の鳩が一斉に飛び立つ。
・…窓の外を眺めるのは久しぶりだ、と聡は思った。「まずこれをしなけ れば、そしてこれが終わったら次はあれをしなければ」と毎日気ばかりが急い ていて、心に余裕がない。一体なぜこんなに忙しくする必要があるのだろう?
・「しなければいけない仕事」「読まなければならない論文」「更新しな ければならないホームページ」…。最初は「やりたいこと」だったはずのもの が、いつのまにか「やらなければならないこと」になってしまっている。
・と考えていると、一羽の鳩が窓のところににゅっとやって来て聡を驚か せた。鳩はすぐに人のいることに気付き、--おそらく同じくらい驚いて--飛び 去った。
(不人気のため連載打切--次回作に乞うご期待)
・モーニングを食べた後、下宿に戻って寝たが、なんとか起きる。これから授業。
・少し頭痛がする。眠い。死ぬ。ハイホー。
・哲閲で借りた本。ハイホー。
・デカルト流方法的懐疑を用いて、あらゆる善と、あらゆる正を疑ってみ ること。明証性を善悪の基準と正・不正の基準として用いることができるか。
・百万遍の第一勧銀の大きな窓ガラスに、
誰かに必ず当たる
宝くじ
年末ジャンボは
!!あなたかも!!
という手書きのポスターが貼ってある。
・…この文章の前半部分(「誰かに必ず当たる/宝くじ」)は何かがおかしい。 そもそもこれは無内容な分析判断ではないのか?
・そこで考えてみよう。果して「宝くじは必ず誰かに当たる」は分析判断 と言えるだろうか?
・分析判断というのは、「おばあさんは女である」という文のように、述 語の内容が主語に含意されている(主語を分析すれば述語の内容が演繹される) 文である。
・たとえば、「さいころを振れば必ず1〜6のいずれかが出る」というのは、 さいころに不正な処理が施してあるのでない限り(実は正8面体のさいころだ、 とか、3を8に書き変えてあるとか)、分析判断だと言える。
・同様に、宝くじに不正があって実は誰も当たらないというのではない限 り、宝くじは必ず誰かに当たるものである。
・では、第一勧銀は不正をしていないことを主張するために「宝くじは必 ず誰かに当たる」と宣伝しているのであろうか?そうではあるまい。たぶん。
・すると、第一勧銀の意図を汲めば、「宝くじは必ず誰かに当たる」は分 析判断だということになる。
・したがって結局、第一勧銀は、「おばあさんは女である」「さいころを 振れば必ず1〜6のいずれかが出る」というのと同じぐらい当然なことを、まる で宇宙の深奥なる秘密を発見でもしたかのように大げさに述べているのである。
・…という主張は間違えているだろうか?
(もちろん、分析判断だからと言って宣伝効果がないと言うつもりはない。 ただ、よく考えると無内容で馬鹿げていると思ったまでである)
・また夜中にむくっと起き上がり、遅い晩飯を食べてから研究室にやって くる。
・ところで、「遅い晩飯」は一見冗語のような気がするが、「早い晩飯」 というのも考えられると思うのでこのままにしておく。
・などと書くと、WWWという集合体意識の超自我(=フロイト語。いわゆる良 心)の部分からお叱りを受けそうだが、ドイツ語やフランス語はいざ知らず(フ ランス語はほんとに知らない)、日本語においては、明らかに正義は男性名詞 で、真理は女性名詞なのである。
・その理由は、読者諸賢ならばすぐにわかるとおり、正義は「まさよし」 で、真理は「まり」だからである…。
・さて、真理を「マリ」と読むことにすると、かたい哲学書がいっぺんに 面白くなる。このことを、今手元にあるニーチェの『善悪の彼岸』(岩波文庫、 木場深定訳、1970年)を用いて例証してみよう。なお、ドイツ語で「真理」は die Wahrheitで、これは女性名詞である。
(以下、原文の傍点は煩雑になるため省略した。「マリ」 の強調はわたしが勝手にやった)
「マリが女である、と仮定すれば--、どうであろうか。 すべての哲学者は、彼らが独断家であったかぎり、女たちを理解することにか けては拙かったのではないか、という疑念はもっともなことではあるまいか。 彼らはこれまでマリを手に入れる際に、いつも恐るべき真 面目さと不器用な厚かましさをもってしたが、これこそは女っ子に取り入るに は全く拙劣で下手くそな遣り口ではなかったか。」(p. 7)
「マリへの意志、これはわれわれをなお幾多の冒険へ誘 惑するであろうし、あの有名な誠実、これについてはすべての哲学者がこれま で尊敬の念をもって語って来た。このマリへの意志はどの ような問いをわれわれにすでに提示したことか!……
われわれにここで問いかけるのは、そもそも誰であるか。われわれのうち にあって「マリへ」意志しているのは、果たして何である か。……
われわれはこの意志の価値を問うた。われわれがマリを 意志するとすれば、何故にむしろ非マリを意志しないのか。 また不確実を意志しないのか。」(pp. 11-12)
「いかにして或るものがその反対のものから発生することができようか。 例えば、マリが誤謬から?或いは、マリ への意志が迷妄への意志から?或いは、無私の行為が私欲から?或いは、賢者の 純粋な明々白々な観照が欲情から?このような発生は不可能である。」 (pp. 12-13)
・以上、わたしの言いたいことが少しは理解してもらえただろうか?
・わああ、カント(の宗教論)難しいよーっ。
・同音異義語、というものが存在する。言語学のことは 知らないので、それだからこそ素人ゆえの勝手な主張をさせてもらう。 同音異義語は紛らわしいので基本的には同一言語内では全廃されるこ とが望ましい。
・なかでも、性的用語と同音の異義語というのは最悪である。たとえば、 もしもぼくの名前「さとし」と同じ音の単語(例えばカタカナで「サトシ」)が 新しい俗語として男性性器や女性性器の名称として用いられたり、「サトシす る」というのが「性交する」という意味で使われるようにでもなったら、ぼく は恥ずかしくて赤面してどもることなしには自分の名前を言うことができなく なるであろう。
・…。何が言いたいのかと言うと、要するに、identifyを「同定する」と 訳すのはやめてくれ、ということである。やめなさいっ。その訳語はやめなさ いっ。ついでに、京大の法学部兼経済学部の建物を「法経館」と呼ぶのもやめ なさいっ。法学部、経済学部の人々よ、君たちにはデリカシーがないのかっ。
・…。わたしは決してヴィクトリア朝の人間ではないが、しかし人並の連 想能力はきちんと持ちあわせているので、こういう同音異義語を聴くと赤面し てしまうのである。こういう言葉をどもりもせず平気で言う人の気が知れない。 きっと大脳に異常があるのであろう。
・あのー、やっと倫理学入門書読書会の準備が終わったんですけど…。
・リンダ・ロンシュタットを聴きながら、リンゴをかじりながら、窓の外 を眺めていると思わず「ああ、いつか年を取ったら、今が人生で一番良い時だっ たと思い出すのかなあ」などと考えてしまった。
・(胸を張って)いや、幸せですよぼくは。不幸を託って倒錯的な喜びを感 じるつもりはありません。
(「何で君はそんなに正しいねん」という声がどっかから聞こえて来そうで すが…)
・ぼくも、 昨年の今ごろの日記を読んでみたが、苦労してる のか遊んでいるのかわからない。
・それにしても、昔の自分というのは赤の他人とも自分自身とも言えない、 なんだか変な存在である。しかも昔の自分の文章の方が、今より面白かったり するのでなんだかくやしい。きい。
・モーニングを食べてから、法学 部の図書館に行って調べもの。関東弁護士会連合会編の『死刑を考える・平成 7年度関弁連シンポジウム報告書』(1995)という本がないかどうか図書カード で調べたのだが、ない。
・そこで司書の人に他大学にあるかどうかを調べてもらったところ、なん と山口大にしか入ってない、とのこと。京大附属図書館に頼みに行って、向こ うの大学の図書館員にコピーを取ってもらう、というのも大変なので、とりあ えず諦めた。それにもう一つ策があったので。
・ついでに、重松一義著、『死刑制度必要論: その哲学的・理論的・現実 的論拠』(信山社出版、1995年)というかなりすごい題名の本を借りようと思っ たが、あいにく紛失して現在新しいのを注文中だということで、この本も手に 入らなかった。いずれにせよ、親切に調べて下さった司書の人に感謝。
・研究室に戻って来ると、ありがたいことに日弁連(日本弁護士連合会)に出 したメイルの返事が来ていた。実は先日WWWで調べても『死刑を考える・平成7 年度関弁連シンポジウム報告書』を出版している関東弁護士会連合会の実体が わからなかったので、思い切って日弁連の方に質問のメイルを出してみたのだ。 返事には関弁連の電話番号が書いてある。大感謝。
・それで早速、関弁連の方に電話を入れてみた。女性が出る。
「あのー、こちらは一般市民ですが、そちらにかくかくしかじかの本は残っ ていませんでしょうか?」
「あ、その本は残念ながらもう在庫がありません。もしかすると静岡弁護 士会の方にまだいくらか余っているかもしれませんので、そちらの方にご連絡 ください。電話番号は…」
「あ、どもども。失礼します」
・というわけで、今度は静岡に連絡することになった。次は男性が出る。
「あのー、(同上)」
「はい、探してみてご連絡さしあげますので、そちらのお名前と電話番号 と住所を教えていただけますか?」
「えええと、児玉聡です。住所は日本です」
「は?」
「いえ、住所を特定しうる表現はWWW上では避けなければならないので…い や冗談です…ええと、児玉聡、〒606-01、左京区吉田本町…京大倫理学研究室、…」
「…はい。はい。ええ、失礼ですが、この吉田というのは吉田山のことで すか?」
「え?ええ、そうですが?」
「あっ、そうですか。いや、わたしら年寄りが歌う歌にこの吉田山が出て 来るんですよ。一年に一度みんなで集まって蛮声を張り上げてですな、がはは はは」
「あ、なるほど、あはははは…」
・電話を置いてから、この方はおそらく旧制高校の卒業生なのだろうと思 い当たった。一度その歌を聴いてみたいものである。
・そしてその後、この方が30分もしないうちに再びこちらに連絡してくれ て、結局問題の本は静岡弁護士会からこちらに郵送してもらえることになった。 感謝感激。
・みなさんどうもありがとうございました。御恩は一生忘れません。いや、 ほんとに。
・「朝起きると、夜だった」
--目が覚めて外が暗いことに驚いたときの感じを表現すると、こうなると 思う。
・なんか今日はえらくたくさん書いてるな。(猿)
・申し訳ないが午後からの授業は自主休講させてもらって、倫理学入門書 読書会が始まるまで下宿で爆眠していた。今日は読書会を一時間遅く始めた。 「カント流倫理学の巻(その2)」。非常に おもしろかった。カントもどうしてなかなか憎めないおじさんです。夕ごはん はみんなと某オムライス屋で。
・うう。眠い。
・うう。研究室で寝てた。寒い。寒い。寒い。
・ところで研究室は現在荒廃している。近々新型の机が導入されるため、 旧式の机を捨てる準備をしているのだ。今日のお昼に業者が持って行ってくれ るらしい。さらば旧式の机たちよ。達者で暮らせ。
・某E氏が来訪。暴れられる(うそ)。ハイホー。
・英語圏の国の人々が--あるいは英語帝国主義に抵抗する人々のように、 「英語だけしか理解できない気の毒な人々」とか「言語的に挑戦されている人々 linguistically-challenged people」などと表現すべきか--、時折ぼくのベン タム関係のページなどを見に来てくれているようだが、彼らが日本語を解さな いとすれば、わざわざ来てページ全面に渡る文字化け(してないのかな?)を見 て去って行くのであろうから、なんとも気の毒な話である。
・だからといって全てのページを英語にしたり、あるいは日本語のページ と同内容の英語版を用意するつもりはない(できない)が、なんらかの対応策は 考えた方がよいと思う。(「一週間でできる日本語教室!!」とかいうページを 作るとか、ラテン語で書くとか)
・もちろん本来ならば、 日本語も英語も知らない、いやそれどころか日本 やイギリスやアメリカの存在すら知らないというインターネット使用者のため にも何らかの対策を立てておくべきであるが、残念ながらわたしは日本語と英 語以外の言語はてんで使えないのでどうしようもない。
・だから、「英語で書くんだったら火星語でも書けっ」などというメイル を送って来てわたしを困らせるのは勘弁してもらいたい。ただし、わたしの日 記の火星語版を作って毎日送って来てくれるというのなら大歓迎だが。
・ま、WWW上における言語の問題はそのうち詳しく勉強しよう。
・そろそろ院試対策委員の名にふさわしい行ないをするべき時が来た。の で、とりあえず大学院修士課程入試未確認情報 を更新しておいた。
・最近規則的になっているが、モーニングを食べてから下宿に戻って少し 寝た。夢を見ていたので少しは寝たと思う。しかし、目が覚めて時計を見ると 全然時間が経っていなかったのでもしかしたら丸一日寝倒したのでは、という 疑問が浮上したがあえなく撃沈される。いくらなんでもそんなわけはない。
・しかしなぜか全然眠たくなくなったので、カント先生のグルントレーグ ングの第一章を再び読み返して、善意志についてつれづれと考えると、ふと、 「温暖化を防止するためにはみんなで地球を押して太陽から少し遠ざければよ いのではないか」という妙案を思いついた。効用あらたかなカントなるかな。
・さて、昼ごはんを食べて研究室にやってくると、すでに旧式の机が運び 出されている。今ごろ遠い外国にでも売り飛ばされてドナドナドナドと涙して いるかも知れない。ああ。事務机は悲しい。
・夕方から真夜中までふとんの中で球形になって爆睡。よく寝たので復活。
・研究室に来るとタバコのにおい。いくつかの証拠から某氏の来訪を推定。
・早速、関東弁護士会連合会編の『死刑を考える・平成7年度関弁連シンポ ジウム報告書』(1995)が送られて来ていた。が、向こうの方の言われるままに 宅急便の着払いで研究室に送ってもらったら、文学部の庶務課が料金を立て替 えて、さらに研究室にいた某嬢が庶務課に呼び出されて「こういうことをしな いように」と注意されたうえに立て替え分を支払ったらしい。大変申し訳ない。 もうしません。うう。
・む、むふうっ…。ガムを噛んでいると思いっきり口の中を噛んでしまっ た。このやり場のない悔しさ、口内を満たす鉄みたいな血の味わい、久しぶり…。
・ベンタム先生の勉強。ベンタム先生は「刑法と民法の区別」に頭を悩ま せて、「形而上学の迷路metaphysical maze」に迷い込んだという表現を用い たんだけど、最近のぼくは「正・不正と善悪の区別」に頭を悩ませて、「メタ 倫理学の迷路meta-ethical maze」に迷い込んでると言えなくもない。
・かつて錬金術師と自然哲学者は口をそろえて「全ての病を直す万能薬が 存在し、それは見つけ出せる」と言い、同様に道徳哲学者も口をそろえて「最 高善が存在し、それは見つけ出せる」と言った。しかし…。(ベンタムの『倫 理学Deontology』(pp. 136-137)から)
・H・A・プリチャードの「道徳哲学は間違いに基づいているのか?(1912年)」 という論文を読む。彼によれば、義務や行為の正しさに証明を与えることは不 可能で、それは(デカルトの)認識論と同様に、直観的明証性によってのみわか るんだそうだ。
「え、するとプリチャード先生、何をやるべきかは直観的にわかるんですか?」
「うむ。君がある状況にいて、その状況をきちんと理解していれば、君は 何をすべきかを直ちにわかるはずだ」
「えええ。じゃあ、ぼくが往々にしてやるべきことがわからず、間違った ことをしてしまうのは、一体どうしてなんですか?」
「それはだね、君、それは君が状況をきちんと理解していないからだ。つ まり君は馬鹿なんだよ」
「えええ。そう言われると反論しようがないですが…。そしたら、死刑を 廃止すべきかどうかでみんなが異なる意見を持ってるのはどうしてなんですか?」
「それはだね、君、ほとんどの人が馬鹿だからだよ。状況をよく理解すれ ば、やるべきことは自ずと知れるのだ」
「えええ。それって、『賢い人は正しいことを知っている。あなたが正し いを知らないのは、あなたが愚かだからだ』っていうわけですか?」
「うむ。はっきり言えばその通りだ」
・--道徳哲学ってそんなんで良いんだろうか。
・モーニングを食べた後、下宿に戻って寝た。これからバンドの練習。
・バンドの練習終わり。少し頭痛が痛い。
・勉強に関して言うと、昔から割と「やりたいこと」と「やらなあかん」 ことが一致していたので幸福だったと思う。つまり、勉強が大体において好き だったのだ。
・「学校の勉強」を分析すると、そこから「つまらない」という述語が演 繹的に取り出せる、と考えている人にとっては、「学校の勉強が好き」という とありえないことのように響くかもしれないが、実際そうだったと思う。
・しかし、勉強をいやいややる人もやりたいからやる人もとりあえず自分 に対する不完全義務(功績的義務)は果たすことになるわけだが、だからといっ て勉強する人を「道徳的な人」とは言わないと思う。
「それでも、えらいなあ、ぐらいは言うんとちゃうの」
「けど、えらいなあ、いうのと、道徳的や、っていうのは同じ意味なんやろか」
「大体一緒ちゃうの」
「ふ〜ん。そしたら、えらい人とか、おえらいさんは、道徳的な人なわけ?」
「おえらいさんのえらいと、えらいなあのえらいはまた意味がちゃうんちゃ う?」
「ようわからんなってきた」
・ま、そもそも「あの人は道徳的だ」とか、「あの人は徳が高い」という ような誉め言葉は生まれてこの方まだ聞いたことがないが。
・昨晩は高槻に帰った。阪急富田駅前の古本屋で小松左京の本をいろいろ買う。
・その後、夜中に近所の某友人と某ファミリー・ レストランで夕ごはんを食べたのだが、そのときはだかで持っていた千円札3 枚を落してしまう。痛っ恨。さ、三千円あればチロルチョコ(または、うまい 棒)が300個も買えるのにぃぃぃ…。
・ま、それは仕方ないからあきらめるとして、またSFを一冊読み終えた。
・高槻に帰る道中、倫理学とは、 「やりたいこと」と「やりたないこと」(欲求)、「やらんとあかんこ と」と「やったらあかんこと」(義務)との衝突をどう説明するか、 という学問であることを明晰判明に理解した。やっとスタート地点に到着した 感じがする。といっても、もしかしたら実はニセのスタート地点なのかもしれ ないが。
・これからバンドの練習。
・バンドの練習終わり。久しぶりに新曲を作って持って行く。そいえば、 ローリング・ストーンズの大阪公演のチケットがすでにソールド・アウトになっ ていて、手に入れられなかった。そんなに人気あったのね。
・下宿の部屋が荷物(=がらくた)で一杯になってしまった。どうしよう。ど うしよう。(とりあえず電気ストーブを導入したので、凍死する恐れはなくなっ たと思う)
・わ〜ん、寒いよ〜。
・倫理学の基本問題は、「やっていいこと・あかんこと」をどうやって 知るのか、だと思う。