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こだまの世界

---倫理学者のふしぎな日記---

12月前半号

12月前半の主な話題


ご意見のある方は、kodama@socio.kyoto-u.ac.jpまたはメイルを送るまで。


12/02/96(月)

 昼過ぎ。う、寝坊してしまった。2コマ目出れなかった。今朝四時まで卒論書いてたからである。全然すすまんかったけど。ヅガン。

 現在シェリングの授業の用意。無事に済めばいいが...。


 夕方。まだ授業中であるが塾なので帰る。奥田君、深谷君、すみませぬ。


12/03/96(火)

 朝。昨日は疲れていたので早く寝たら朝4時に目が覚めた。ので、卒論に取り組む。やっと原稿用紙9枚分。功利原理を説明するのに苦労している。


 昼。今日で2コマ目の授業終了。所有に関してなんでも好きなことを2000字から4000字程度で書けばいいそうだ。レポートを書くのはこれだけで済みそう。


 昼下がり。昼休みに『序説』を読んでいたので、3コマ目はスキップして昼ごはんを食べていた。最後の授業だったのに...。(あんまり「授業をさぼった」ことを書くと、倫理的に良くないかもしれない。これでも一応本人は真剣に勉強してるつもりであることを付け加えておきたい。とかいって。)


 夕方。ねむい。帰って勉強しよっと。明日あさっては家にこもって卒論を書くので来ません。

 そういえば先ほど大学院募集要項をもらいに行った。試験は2月12日(一次)、15日(二次)に行われるらしい。卒論の提出期限は1月13日。なんかひしひしと現実味を持って迫ってくるなあ。


 まだいたりする。そういえば、前書き損ねたが、以前(10月中ごろ?)書いた卒論の出だしを掲げておく。いかがなものだろうか。

 母なる社会は二人の子を産んだ。一人の子の名は法律。もう一人の子の名は倫理。幼い頃二人は仲良く育ったが、大きくなるにつれて二人は様々のことについて諍いをはじめた。ある時は自分がいかに相手と似ていないかについて争い合い、ある時は二人のうちどちらが先に産まれたかについて口論をした。法律は父なる国家の後見を誇らしげに自慢し、倫理は自己の持つ自律性を高らかに謳い上げた。
 われわれが彼らのためにそして自らのために出来ることは何か。それは彼らのそれぞれの言い分を注意深く聴き、彼らのそれぞれが持つ性質と目的とを明らかにし、彼らの複雑にこじれた関係を修復し和解させることである。
 だが比喩や熱弁はもうたくさんだ。こんなやり方では、道徳科学は良くなりはしない。

 


12/06/96(金)

 夕方。哲閲で借りてた本の期限が切れるのでぎりぎりに来て更新。ビジネスエシックス研究会はスキップしてしまった。すいません。

 それで二日間家にこもって卒論が書けたのかというと、それがぜんっぜん

 何をしていたのかというと、まず、火曜日に家に帰る途中でリンリー教授に出会った。だから教授との会話の内容を書き起こすのにかなりの時間を食ったのである。

 また、リンリー教授からベンタムの他の著作を読むように言われたので、いろいろ読んでいて時間がかかったのである。今夜の読書会どうなるんだろうか。

 ところで、ベンタムを読んでいて面白い記述に当たった。ギリシア哲学批評。

While Xenophon was writing History, and Euclid teaching Geometry, Socrates and Plato were talking nonsense, on pretence of teaching morality and wisdom.CW, D, p.135

 試しに訳すと、「クセノフォンが歴史を執筆し、ユークリッドが幾何学を教授しているとき、ソクラテスとプラトンはたわごとをしゃべっていた。彼らは道徳と知恵について教授しているつもりであったのだが」。


 夜。バンドの練習終わり。読書会の準備。

 今年は祖父がブッコしたので、年賀状の代わりになんかあの、「喪中に付きなんとかかんとか」っていう葉書を書いた。今日書いた。このいっそがしいときに、と思いつつ書いた。この葉書を出さなかった人から年賀状が来ると、きっと気まずいことになるだろうと思い、年賀状が来る確率が30%に満たないような人にも書いた。(というわけで江口さんのところにもやはり不幸の葉書が行くのである。)


 深夜。ベンタム読書会。不発。予想以上に苦しい戦いを強いられている。むむむ。地球滅亡まであと4日(もちろんみんな道連れ)。


 さらに深夜。白水氏、江口氏とサイコの晩餐。いやいや。楽しかったです。ごちそうさまでした。

 帰りに空を見上げると、星がいっぱい。あな浪漫的、とかなんとか言いつつ壁に激突。してないしてない(あぶなかったが)。オリオン座しかわからない自分が悲しい。


12/07/96(土)

 朝。眠きこと烈火のごとし。し、しかしさぶいっ。死ぬっ。

 水たまりが凍っている...。おそるべし。


 まだ朝。とりあえず喫茶店によってから家に帰って論文の準備。論文を書くことより楽しいことはございません。ショウ・ビズなんかよりずっと楽しいのであります。本当なのであります。福沢諭吉も宮沢賢治もみんなそう言ってるのであります。

 今後の予定。明日、京都に来てバンドの練習(あああっ)。月曜から、集中講義(あああっ)。火曜日、論文出産予定日。文献ヨマーズ法を用いて苦痛を最小限に抑えます。

 ではまた明日。お元気で。


12/08/96(日)

 昼過ぎ。これからバンドの練習。

 昨日は江口さんお勧めの清水幾多郎、じゃなかった、え〜と、清水義範の本を古本屋で買って(『蕎麦ときしめん』その他計4冊)読んだり、コンピュータとチェスなどをしていた(全然勝てない)。(心理学ではこのような行動を「現実逃避」という。現象学ではもちろん「えぽけー」である)


 夕方。しけた練習。ううう。ごはんを食べて帰ります。


12/09/96(月)

 昼下がり。川本隆史の集中講義一日目。ここに来る暇もない。卒論を書いてる暇なんか、もっとない。4コマ目が終わったら、すぐにバイトに行かねば。


12/10/96(火)

 朝。今朝は卒論の構成について何かひらめく夢を見ている途中で目が覚めた。時計を見るとまだ3時である。なんという夢だとか思いつつ、いそいそと8時まで卒論に取り組んだ。というわけで今日の集中講義は寝るに違いないのである。

 ところで、ぼくの友達に小林発作という俳人がいる。最近自費出版で『おらが冬』という詩集を出した。ぼくも無理やり買わされたのだが、これがなかなか良い。ぐっと来るものを一句紹介しよう。

夢にまで ついに出てきた 卒論だぎゃ

 ...もはや説明の必要もあるまい。かたわらにおいたカロリーメイトをついばみつつ、血の混ざった尿を垂れ流しながら、徹夜を続け、死ぬ思いで卒論を書いた諸君はこの句を読んでみな涙するに違いない。


 昼下がり。集中講義。忙しい。

 休み時間にベンタムの"Chrestmathia"を哲閲で借りて来る。新しい本を読んでる場合じゃないんだってば。


 夜。集中講義終わり。これから川本先生歓迎会、またの名を飲み会。そんなのに行ってる場合じゃないんだってば。

 川本先生は昭和堂出版の『道徳の理由』で、「三酔人人倫問答」という、吉田兆民の『三酔人経綸問答』を下敷にした文献案内を書かれている。ぼくは以前から「三酔人マリリンモンロー」というわけのわからない題名の・会話体の倫理的議論を書こうと思っていたのだが。やはり先人がおりにけり。


 さらに夜。一次会で切り上げて帰ろうと思ったが、雨が降っているので帰るのをやめてここで勉強することにした。(二次会は行ってない)。白水氏と板井氏もここに戻って来ておられた。


 深夜。白水氏VS斎藤氏の将棋。その後、白水氏VSこだまの将棋。白水氏は両戦とも角飛車桂馬香車六コマ落として対戦。斎藤氏は破れたがこだまは斎藤氏、白水氏(!)のアドヴァイスを助けに勝利。実力実力っ。あらら、なにやってんの、いったい。


12/11/96(水)

 日の出よりずっと前。昨日までのぼくは死にました。今日から生まれ変わって児玉2号と名乗ります。児玉2号の使命は、卒業論文を13日の金曜日までに書くことです。書けなければ、やはり首を吊って死ぬことになるでしょう。え、こういう言い訳はだめ?ゆゆ許して下せえっ。ふ、不幸のメイルだけは送らないで下せえっ。

 さぶい。ぶるぶる。そいえば、ふところも寒い。昨日の飲み会で(飲んでないけど)お金を払ったらもう財布には漱石がひとりぼっち。むむむ...


 朝。ども。児玉2号です。ども。いえいえ眠くなんかありません。そいえば、どもありがっとマスターぽろっと、なんてのもありました。


 昼過ぎ。休憩が短い。今からまた集中講義。


 昼下がり。ねぶい(ねむい)。これからアマルティア・センのお話。


 宵。これから家に帰って卒論。書けっ、書くんだ、じょおおおっ。それではさよなら。


12/12/96(木)

 昼。寝坊したが2コマ目にはきちんと出れた。が、頭痛がひどく、授業はあまり聞いてなかった。今はもうほとんど平気である。寝すぎが原因か。

 寝坊に関しても小林発作君の『おらが冬』に感動的な俳句がある。

目覚ましや 起きれなかったぞ コンチクショー

 (季語・目覚まし)

 目覚ましにあたるでもあたらないでもない、最後の「コンチクショー」という言葉に、現代の若者のやり場のない怒りを読み取っていただきたいものである。

 今日は塾なので(集中講義に出ずに)もう帰る。明日は夕方に学校に来る気がする。


12/13/96(金)

 夜。腹が痛い。痛いったら痛いっ。うむう。むむむ。ところで『ナニワ金融道』は面白い(やっと九巻まで読んだ)。面白いと言えば『あぶさん』も今面白い。倫理学者はすべからく今週号(ビッグコミックオリジナル)を買って読まなくてはならないに違いない。


 さらに夜。江口さんと将棋。完敗。そいえば、村上もとかの『龍Ron』も面白い。あれは名作になります。

 まだ腹が痛い。卒論の精神的重圧によって胃に穴が開いたんじゃないか、と考える。しかしそのわりには今日は昼までぐうすか寝ていたのだが。

 白水氏、江口氏の真夜中の決戦。将棋をする人は、何て言うのだろうか。「しょうがー」「しょうぎぇー」「しょうぎぇすと」。やめなさい。比較変化させるのはやめなさい。「真夜中のしょうがー」。うむ、なかなかよろしい。


 もっと夜。なおも死闘が続いている。ぼくは今夜は友達のところに泊まることになる。


12/14/96(土)

 朝。吾輩は児玉3号である。理由は言うまい。昨夜友達のところで泊まらせてもらったおかげでいたって元気である。

 ところで、吾輩は胸の骨が鳴る。手足の指の骨や首の骨が鳴るのは珍しくない。背骨もみんなよく鳴らすのだろうと思う。あれはいつか半身不随になるのではないかという恐怖が伴っていて、楽しい。

 しかし、胸の骨も鳴るのである。どこが鳴っているのか正確にはわからないが、胸の真ん中辺が「バキッ」と鳴る。姿勢が悪いと、ときどきそのあたりが痛くなったりさえするので、そういうときは鳴らさざるを得ないのである。

 だが一番の問題は、愛知県である。愛知という名前は明治の初めにフィロソフィーにちなんで付けられたのだという推論は正しいのだろうか。


 昼。今まで来ていたメイルの整理・バックアップ。

 「年賀状は電子メイルで出そう」運動は起きないのだろうか?そもそも年賀状なんてのも年始の挨拶まわりの省略形なんだから(ちがう?)、べつに電子メイルでもかまわないという気がする。しかしみんなが年賀状を電子メイルで出すようになれば、いったいどうなるだろうか。まず郵便局がつぶれる。大勢のコンピュータおんちが難儀しながらメイルを送るので、電話回線は1月1日パンクする。サーバーは各地で爆発する。じじい、ばばあはわけもなくばたばた死ぬ。年始早々から縁起が悪いニュースが新聞を賑わす。...やっぱ電子メイルはだめか。


 昼過ぎ。卒論。法とは何か、という問題で頭を痛める。

 これからバンドの練習。ほんと、今そんなことしてる場合じゃないんだってば。


 夜。さてそこで今ぼくがどのくらいブルーズな状況にいるか報告したいと思う。

 バンドの連中は三人が合コンへ、一人が軽音の追い出しコンパへ。さらに合評会を終えた倫理研究室のみんなは、今ごろ忘年会でなかよく鍋をつつきまわってるに違いない。そうに決まっとるっ。ええ決まってますっ。そ、それなのにぼ、ぼくは、ぼくは、ぼくはあぁぁっっっ。ああ+hがだえ-*あsg/*gdっさ+g-r!!!

 (しばらくそのままでお待ちください)

 いやいや。取り乱してしまい申し訳ない。しかしそれだけでも十分ブルーズであることが推察されよう。

 だが、もちろんそれだけではない。さっきバンドの練習をしているときに・ちょっと手を洗いにトイレに行ったとき、うかつにもそこでマフラーを落としてしまったのだっ。

 しかもそのトイレは西部講堂北側にあるあの汚いトイレ。その汚さは常人の想像を絶するので言語では伝達不可能なほどである。しかしぼくはその時には落としたことに気づかず、友達に指摘されて数時間後に知ったのだった。友達が見たときにはすでに「トイレでみんなが出す例の液体」にまみれていたそうである。それを聞いてとても自分で見てくる気がせず、すっかりあきらめて新しいのを買うことを決意した。ううう...。

 現状の厳しさを理解していただけただろうか?

 とにかくこんなとこに独りでいると発作的に窓から飛び降りかねないので、めし食って帰ることにする。次に来るのは奥田君と卒論のことで相談する水曜日であるように思われる。


Satoshi Kodama
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Last modified: Mon Dec 5 02:44:33 JST 2005