「教育はサービス産業。いかに顧客(生徒)に満足してもらうか。 授業料以上のものを返さなければならない」
---鳥海十児、朝日塾中学校学園長
(日記を書くのを忘れていた)
時計台のホールで行なわれた上山春平記念シンポジウムに少し出席。夕方は研 究室で仕事など。
早めに起床。ホテルのバイキングを食べたあと、自宅に戻ってシャワー。それ から某妻とタクシーで大学に行き、研究会の資料のコピーなど。
朝から夕方まで某研究会(二日目)。某先生らや某氏の本の合評会など、二日目 も充実した研究会だった。
そのあと、百万遍で打ち上げに参加。次回の予定を相談。そのあと、京都駅側 の某ホテルで某先生らと懐石料理。そのあとバーで一杯だけ飲んで帰宅。今日 は楽しかった。
地下鉄で御池まで戻り、某妻と合流してわたしの部屋へ。毎晩飲み続けている せいか風邪を引きそうなのでもう寝るべし。
お昼前までよく寝る。シリアル、シャワー。
お昼すぎに本郷三丁目に行き、ラーメン屋で酸辣麺。大学はオープンキャンパ スだったようだ。研究室で夕方まで論文を書くはずが雑用。論文の〆切が迫っ てくると雑用が捗る。そういえば、今年の学会費を振り込んだ。
夜、某妻と一緒に秋葉原へ行き、いくつか用事を済ませる。寿司を食べてから 電車で帰宅。寿司屋では日本酒を一合。健康的だ。
夜中、自宅でようやく公衆衛生(チャドウィック)の勉強。真夜中まで。とても 間に合わない。
昨晩、少し多めに酒が入っていたせいか、早めに目覚める。ゴミを出したあと、 昨日の日記を付ける作業など。それからまた布団に戻り、遅めに起床。 シャワー、シリアル。
お昼前に某妻と一緒に出かける。地下鉄と電車を乗り継いで、 馬掘海岸へ。一軒しかない寿司屋が一杯だったため、 バスで観音崎に行き、ホテルの海が見えるレストランで昼食。 景色は良いレストランだった。
それから観音崎ボードウォークを歩いて海を堪能したあと、 横須賀美術館で「ラファエル前派からウィリアム・モリスへ」 という特別展を観賞する。あまり有名な絵画は展示されていなかったが、 時代の流れがわかったので勉強になった。このあたりの流れと、 ミルとかは全然関係ないのかな。今度調べてみよう。
それから美術館の喫茶店で一服(寒かったが、 クリスマスディナーの準備のために店内は使えないということだったので、 テラス席に座った)。 この美術館は非常に洗練された設計の建物だった。 美術館の前の芝生では、散歩に連れてこられている犬が楽しそうに転がっていた。
夕方、もう一度ボードウォークを散歩してから、バスに乗って横須賀中央駅へ。 近くの回転寿司で夕食をとってから、また電車を乗り継いで夜中に帰宅。 行きと帰りの電車の中では、しばらくたまっていた新聞を読んだ。 天気も良かったし、楽しい小旅行だった。
帰宅していろいろ雑用。UNHCRに少し寄付。 『銀河鉄道の夜』の最後のあたりを青空文庫で読んで涙したり、 先日買った『みちのく鉄砲店』を読んだり。 ひさしぶりに芸術に触れている。
朝、ゴミを出してから二度寝。よく寝る。シリアル、シャワー。 シャワーを浴びる前にWiiで運動したら、腰が痛くなる。
昼下がりに家を出て、近くの蕎麦屋で昼食。某妻博士とバスに乗って上野に行き、 動物園などを散歩。
夕方、JRで秋葉原に移動し、いろいろ市場調査。プロジェクタを物色したが、 今ひとつ。喫茶店で一服してから帰宅。
夜、夕食。そのあと、少しソファで寝る。
夜中、起きてから少しWiiで運動。今日はよい休日になった。
休日。朝、遅目に起きて、お昼すぎまで朝刊と週刊アスキー。 急いでシャワーを浴びて用意をし、湯島に出かける。
お昼すぎから夕方まで、某氏の結婚式の二次会に出る。 和気合い合いとした、良いパーティだった。
上野の某百貨店で懸案のジャケットを買う。コーデュロイ。 それから地下鉄で帰宅。
夕方、しばらくコンピュータと格闘。いろいろフリーソフトをインストールしてみる。
あと、以下も要チェック。
そのあと、ソファで一睡してから遅目の夕食。
夜中、某妻と一緒に『ブリジット・ジョーンズの日記』を観る。 今日は半日、ゆっくり休めた。
お昼前に起き、シリアルを食べながら、朝刊をゆっくり読む。 どうも風邪を引きそうなので、朝食前に葛根湯を飲んでおく。
それからシャワー。ちょっと仕事しよう。
お昼すぎに昼食をとったあと、某査読の仕事。勉強になった。
夕方、某妻と散歩ついでに巣鴨駅に行き、京都行きの新幹線の切符を購入する。 そのついでに漫画喫茶にも行き、2時間ほどchill outする。
夜、帰宅途中にクリーニング屋で昨日預けたスーツなどを受け取る。 ついでに某喫茶店にも寄り、コーヒー豆を購入。 こないだのモカもおいしかったが、 次はガテマラ・フィンカ・オーロラ。
そのあと、夕食にカレーを食べ、 某妻がDVD屋で借りてきた『パイレーツ・オブ・カリビアン1』 を観る。オレは一度見ていたが、 某妻は初めてで、かなり楽しんでいた。少し長いが、楽しめる映画。 やはりルールとかガイダンスとかルールの例外とかいうことについて考えさせられた。
う、勉強しないとまずい。しかし、もう眠い…。
眠かったがいつも通りに起きる。
朝食を食べていると、『思想』1月号が届く。 「国際社会における正義」特集号。 某翻訳を担当させてもらった。
午前中は自宅でメタ倫理の勉強。某原稿をようやく脱稿。 お昼を食べてから、急いで大学へ。 お昼すぎから夕方まで、某テキスト検討会。疲弊する。
夜、某氏とタクシーで千石へ。夜は自宅で某氏らとタラ鍋。 日本酒とワインを飲む。クリスマスケーキも食べる。歓談。
今日から新しい布団になった。
早朝、某外国人らとタクシーで東京駅に行き、 新幹線で京都へ。雪のせいで新幹線は一時間ほど遅れて到着。
そこからタクシーで東一条へ。外国人をホテルにチェックインさせたあと、 東一条の鄙びた食堂で昼食を食べ、某東鴨川大学へ。 昼下がりから夕方までその外国人による講演を聞く。 公衆衛生と市民共和主義について。少人数だったが、そのおかげで いろいろと議論ができて楽しかった。
夜、みなで居酒屋へ。ひたすら食べる。ギネスと焼酎。歓談。
外国人をホテルまで送ったあと、 さらに飲む。焼酎。
それから京阪で七条まで戻り、京都駅のそばのホテルにチェックイン。 狭いがなかなか快適なホテル。
まだ体調が悪い。早く寝よう。
酔っぱらい。
昨日は、昼下がりに卒論指導、 夕方に某授業に参加(二重結果論)。
そのあと、 教室の忘年会に参加。二次会まで。 〆切があるのでビール一杯でやめておくつもりが、 ビール、ワイン、シャンパン、焼酎のお湯割りを二杯ずつぐらい飲む。 さすがに酔っぱらった。
うう。〆切が。
帰宅。満員電車に揺られて帰ってくる。 と、自転車がパンクしていたので、駅からとぼとぼ歩いて帰ってくる。
しかも、大学を出るときに気付いたが、 昨日クリーニング屋から返してもらった皮のジャケットの、 前を閉じるチャックがバカになっている…。
一昨日は手袋も忘れたし、なんか悪いことばかりだな。 事故その他に遭わないように気をつけよう。
今朝はそこそこ早く起きて洗濯。祝日なのに早く起きるあたり、 徐々に社会人体質が身について来たか。
それから某イタめし屋で昼ごはん。手袋について訊いてみたが、 ないと言われる。ここになかったら他にありえないのだが、 さっさと捨てられてしまったのだろうか。
さらに、部屋さがしに根津へ。 商店街にある不動産屋の一つに入り、三件ほど見てみる。 一つたいへん気に入ったが、若干家賃が高い。どうするか。
もう少し回ろうと思っていたのだが、 歩いていると上野動物園があったので、 入ってみる。 キリン、カバ、ゾウ、エミュー、ペンギン、サル、その他がいる。 不忍池もある。 パンダもオス一匹の他に、 メキシコから繁殖用に(お嫁さんというべきか)一匹来ており、 愛敬を振りまいていた。 となりのレッサーパンダは注目されず気の毒だったのでしばらく観賞してやる。 それにしてもみんな狭いところに入っていて気の毒だな。
上野公園にもはじめて行く。 こんなすばらしいところの近所に住めるというのはうれしいかぎりだ。
夕方になってしまったので、山の手線に乗って渋谷に行き、 『ラスト・サムライ』を観ることにする。 次回の上映までに時間がまだあったので、 マンガ喫茶で『はじめの一歩』を読んで興奮し、 さらにタイ料理を食べて顔面から汗をかいたあと、 映画館へ。たいへん混んでいて前から二列目で観ることに。
映画は『グラディエーター』を思わせる戦闘映画。 明治維新のころの日本が、 アメリカ白人対インディアンの物語と重ねられているところがおもしろい。 ラスト・サムライというのはラスト・モヒカン(だっけ?)みたいなものか。 戦闘シーンは迫力があっておもしろいし、たしかに渡辺謙はかっこいい。 また、おじんになりつつあるトム・クルーズもなかなかいい。 武士道とか和魂洋才とかいろいろ考えさせられるところもある。 これはオスカーを一つ二つ取ってもおかしくないと思うが、 あっという間に忘れてしまうだろうとも思う。B-。
それから電車に乗って帰宅。つかれた。
すこし寝る。起きてからカントの勉強。 目的の国における元首(主権者)と成員の区別について。以下メモ。
ところで一理性的存在者が目的の国において、 普遍的に立法するものでありながら、 彼自身それらの法則に服従してもいる場合、 その理性的存在者は目的の国に、 成員として所属する。 それが立法者でありしかもどの他の存在者の意志にも服従していない場合、 それは目的の国に元首として所属する。
野田又夫訳「人倫の形而上学の基礎付け」(『世界の名著カント』、279頁)
上の文の解釈で、 「われわれは成員であって元首でない」という理解があるようだが、 それは元首という訳が悪いからで(「元首は一人」という含意がある)、 英訳のようにsovereign(主権者)と訳せば 「われわれはみな一般市民であると同時に主権者でもある」 ということだ。 この区別の要点は、 われわれは(自己立法をしつつも)法に従うという意味では 一般市民であるが、 その法が自己立法であるがゆえに他人の意志に従うわけではない という意味では主権者である、というところにあるように思える。 「われわれは法に従うが他人の意志には従わない」 というのが理想的な(そしてルソー的な)民主国家なのだ。 ルソーについては『社会契約論』第一部第六章を参照のこと。
起きる。洗濯、新聞。
今日の産経朝刊の正論はすごい(中村勝範「国民的教育改革運動をおこそう」)。 あまりに印象的なフレーズが続くので、抜き書き的に引用しておく。
ラッセルがカントを評して「彼はヒュームを読んで独断のまどろみから目覚めたが、 睡眠薬を作ってまもなくまた眠りについてしまった」 というようなことを述べていたが、 この「痴呆症者は自分の痴呆に気づかないように」という枕詞も痛烈だ。 こういうことを言われないように気をつけよう。
ちょっと寝た。マルクスの勉強。
The Clashのボーカル、ジョー・ストラマーが心臓発作で死んだそうだ (BBC News)。 享年50才。合掌。
そういえば、今日はなぜか郵便物が届いていた。郵便局は心を入れかえて 祝日にも配達するようになったのだろうか (いや、たぶん以前から祝日にも配達していたのだろう)。
その郵便物の中に、半分使ったテレフォンカードだけの入った封筒があった。 謎のプレゼントにしばらく悩んだあと、某香港人が使い残したカードを 関空から送ってくれたのだという結論に達した。感謝。 けど、せめて一言書いてくれよ。
机に向かっている時間…5.0hr
今日の勉強時間…3.5hr
マルクス係数…0
「現在、東京に滞在中」
「木曜日の夜に京都から夜行バスに乗り、 朝に東京駅へ」
「某痴人のつてで、 青山霊園を見下ろすワンルームマンションの一室を使わせてもらって東京観光」
「金曜日は渋谷近辺を探索。夜はウナギ。B-」
「土曜日はお昼に築地へ。すしがうまい。B+。 皇居、秋葉原を回ったあと、日比谷に行き、 公開初日の『ヴァニラ・スカイ』 (トム・クルーズ、キャメロン・ディアズ、 ペネロペ・クルス)を見る。 現実と夢が交差するSF。手に汗を握るわけではないが、 観客を没頭させる展開。トム・クルーズはオスカーを取れるかもしれない」
「評価は」
「ちょっと終わりの方の展開がいまいちだったので、B」
「夜は表参道でラーメン。うまい。B」
「今日はロンドンの寮で一緒だった某痴人と一緒に原宿、 渋谷を散歩。お昼はもんじゃ焼」
「夜、下宿に忘れてきたこのThinkPadのアダプタがようやく届く。 某君に感謝」
「いろいろ忘れてきたんだよね、下宿に。 デジカメのUSBケーブルも忘れてきたし」
「アホだな」
「時間がなかってん、下宿出るときに」
「次回はもっと慎重に」
メディア王(media magnate, media tycoon)というのは日本ではあまり聞かないが、 英国にはThe Timesを買収したマードックとか、 ロシアには政府の弾圧を避けるために国外に逃亡しているグジンスキーや なんとかかんとかという、強力なメディア所有者がいる。
リチャード・デズモンドという英国人もそういうメディア王の一人だが、 彼の場合は、数多くのポルノ雑誌やその他のポルノメディアの所有者であるため、 ポルノ王と形容されることが多い。
ちなみに、どういうタイトルのポルノ雑誌を発行しているかと言うと: Asian Babes, 50 and Over! (『50才以上!』), Horny Housewives, Mothers-in-Law, etc.
まあそれはいいとして、英国では先日から、このデズモンド氏がタブロイド紙の Daily ExpressとDaily Starを買収したことが問題 になっている。タブロイド紙だからもともと下品で低俗な話題が多いのだが、 ポルノ王に買収されるのはたまらんというので、 すでに編集部からは60人ほどが自主退職したらしい。
実際、こういうメディア王は新聞の編集方針にかなり口をはさむようで、 The Timesもマードックに買収されてからさっぱりダメになった というのがもっぱらの評判である。
新聞に栄枯盛衰があるのは当然だし、 それはまあ仕方ないんじゃないかと思っていたら、 なんとこの買収に関しては政府が介入する可能性があるらしい。 (ここからが本題)
実際、以前に似たような買収が行なわれたとき、 日本の公正取引委員会にあたるthe competition commissionが介入し、 ポルノ会社を所有している人物が新聞社を買収するのは 社会的に好ましくないという理由から、 買収を中止させたそうなのだ。
この事例をもう少しくわしく説明しておくと、 The Daily Sportという 東スポみたいなタブロイド紙を所有していたデヴィッド・サリヴァンが 10年前にthe Bristol Evening Postを買収しようとしたとき、 the competition commissionの前身であるthe monopolies and mergers commission が、独占でも不当な合併でもないにもかかわらず、 次のような理由から買収を禁止したそうだ。
If Mr Sullivan had bought the newspapers he "could be expected to influence editorial policy and the character and content of these papers and this would harm both the accurate presentation of news and the free expression of opinion".
(the Guardianから引用)
要するに、サリヴァン氏が新聞社を経営することになると、 新聞の質が悪化し、記者も自由な発言ができなくなる、ということだ。
いかにももっともらしい理由だが、しかし、新聞の質が悪化し、 記者が自由な発言ができなくなるという理由で、 政府機関が新聞社の買収を禁止してよいのだろうか。
新聞の質が悪化すれば市民は新聞を買わなければいいのだし、 記者が自由な発言ができないというのであれば、別の新聞社に移るか、 新しい新聞を作ればいいだろう(そんなに容易ではないだろうが)。
新聞はラジオやテレビのようにある周波帯を独占しているわけではなく、 好きな数だけさまざまな種類の新聞を発行できるのだから、 別にDaily Expressがポルノ雑誌化しても問題ないではないか。 市民に良識があれば誰も買わなくなるだけだし、 たとえ良識がなくても、よく売れるポルノ雑誌が一つ増えるだけで、 ポルノ雑誌がニューズスタンドにあふれている今日においては、 そんなことは政府が介入することではないだろう。
ガーディアンはデズモンド氏が痛い目にあうことを望んでいるようだが、 政府の介入に何の問題も感じていないようなので、 ちょっと首をかしげてしまう。これが英国気質なのだろうか。
夜、NFT(英国映画劇場)で友人と一緒にWoody AllenのZeligを観る。
まわりの人間に愛されたいという強い欲求が高じて、 まわりの人間の種類に応じて姿形までが変わる人間になってしまった精神患者 (Woody Allen)が、 女性の精神医(Mia Farrow)によって治療される様子を、 ドキュメンタリー形式で描いた映画。
1920年代の狂躁的な米国を舞台にし、 当時のニューズリールと当時を回想する現在の人々のインタビューを うまく利用しながら、非常に完成度の高い、 かつユーモアにあふれた映画にしあがっている。
Woody Allenの映画をまともに観たのはこれがはじめて。 この映画は彼の傑作の一つらしいが、 チャップリンと同じような圧倒的な才能を感じた。 ほんとにすごい。B++
(う〜ん、下手な感想だな。しかし、 奥の深い映画なので、 もう二、三度観ないときちんとした意見を書けない気がする)
昨日は朝大学から帰り、寒いので風呂に入ってからずっと寝ていた。 テレビで伏見区での某事件と大阪での誘拐事件の報道や 映像の世紀などを見る。
昼下がり、某用事でJR京都駅へ。それから大学に戻ってくる。
某教授に推薦状を受けとりに行ったあと、 『静かなるドン』の続きを買いに三条の某古本屋まで行く。 しかしあいにくここには41、43、44巻しか売ってなかったので、 戻ってくる途中に川端通りにある某古本屋、 河原町今出川にある某古本屋 (ここでは以下の新書を購入)、 出町柳にある某古本屋などに寄る。 が、どこにもないので、例の某古本屋に行き、 42、45、46巻を一冊350円にて購入。 すばらしく時間と金の無駄。ゲーセンにも少し立ち寄る。
さっきマンガを読み終えた。 読んでるあいだはいいが、 読んだあとはすごい堕落感に襲われる。 マンガを読むのをうしろめたいと感じるのはなぜか。 それは、一人の世界に没頭してしまうからである (ちがう?)。
そういえば、モーニングは昨日出ていたようだ。 ううむ、マンガの話ばっかりだな
『映像の世紀』、最後の20分ほど見る。明日は第2次世界大戦。
それから日記の整理。
わ。もう23日。
鍋は失敗。菊名を煮すぎたせいか、 汁全体が黄緑色になってしまっていた。
それから『日本死刑史』を読んでしまう。 残酷な殺し方が満載。 筆者は死刑廃止論者らしいが、 けっこう楽しんで書いてるように見える。
個人的に一番避けたい殺され方は、 はりつけにして、尻から口まで槍で串刺にする、 というやつ。 (途中で悶絶して死ぬらしいけど)
あと、「逆さはりつけ」なんかも苦しそうだ。 しばらくすると顔が赤く腫れて、 鼻や耳から血流れだし、 ついには失明するんだそうだ。 それでも死ぬまでには数日かかるとか。
あ、お食事中のお茶の間のみなさま、ごめんなさい。
しかし、かつての死刑が残酷だったからといって、 いや、たとえ現在の死刑も残酷だからといって、 直ちに死刑は廃止すべきだ、ということにはなるまい。
「多くの人が残酷に思うものはすべて廃止すべきである」は、 一見自明prima facieな原則かもしれないが、 けれどもたとえば、 牛や豚を殺す現場を見るとおそらく多くの人は残酷だと思うだろうが、 だからといって彼ら全員が直ちに肉食をすべて廃止すべきであるとは言わないだろう。 菜食主義者になるつもりがない限り、 彼らは、 「牛を殺すことはわれわれが快適に暮らすための必要悪である」 という趣旨のことを主張し、 自分たちの行ないを合理化するに違いない。
要するに、 ある行為が残酷であることは、 その行為を非難ないし否認する一つの要因にはなるが、 それは決定的な要因とは言えず、 他にも考慮されるべき要因(とりわけ、有益さがそれである)がある、 ということである。
死刑も同様である。 たとえ多くの人がそれを残酷であると考えるとしても、 それを上まわる有益な点があるとすれば、 死刑制度は(刑罰一般がそうであるように)必要悪であるということになろう。
寝てしまう。今起きた。やばい。 なぜ日々は無為の内に過ぎさってしまうのかっ。
昨日の料理はむしろ世間一般で言われる「湯豆腐」に近いとの御指摘。 せめて鱈を入れろとのこと。
朝、勉強。
今日は祝日だったのか。 年賀はがきを郵便ポストに投函するときに、 郵便局のシャッターが下りているのでそのことに気がついた。 危うく大学側の喫茶店まで無駄足を運ぶところだった。
というわけで、下宿近くの喫茶店でモーニング。マガジン。 この喫茶店は老人のたまり場なのか、 入ってしばらくすると老人だらけになった。
ところで、 「無駄足を踏む」という表現はないようだ。 「二の足を踏む」の連想か。 同様に、「無駄足を食う」という表現もない。 それは「無駄飯を食う」の連想である。
あれ? 広辞苑を引くと「無駄足を踏む」という表現もあるようだ。 訂正訂正。ついでに「から足を踏む」というのもあるらしい。 ただし、これは意味が異なり、 階段を踏み誤ることなんだそうだ。 「たたらを踏む」というのもある。 これは「二の足を踏む」と同様、躊躇するという意味。
さらに、「無駄骨を折る」「無駄口をたたく」 という表現もある。 しかし、 無駄足を折る、とか、 無駄口をたたいて渡る、なんて表現はない。 慣用句は間違えると大恥をかきかねないので大変である。
慣用句と言えば、 塾で小六の国語を教えていたときの頃を思い出す。
以前にも書いたが、 国語のテキストに 「○から火が出る」 という慣用句の穴埋め問題があり、 もちろん答えは 「顔から火が出る」なのだが、 ある国語が大の苦手の生徒が書いた答えは、 「家から火が出る」。 それは慣用句じゃないってば。
あの生徒たちも、もう高一か高二ぐらいになっているだろう。 うまくやってるんだろうか。
と、人の心配をしてる場合ではなかった。勉強勉強。
ひええ、こたつで寝てしまった。 がああ。
勉強勉強。
・ベンタム読書会の勉強。修論までにやるべきことを考えると、死刑廃止 論やビジネス・エシックスをやっている時間などないのではないか、という不 安に襲われる。ましてやSFを読むなど…。
・「途中の計算が間違ってたって、答えがあってればいいじゃん」と言う 人(主に小中高生)がいる。たしかに、功利主義者(帰結主義者)はある場合には これを認めなければならないと思う。結果がよければ、途中はどうだって良い 場合もありえると思う。(例えば、ある人を拷問して重要な秘密を聴き出すこ とができれば全世界の人間が助かる、というような場合)
・すると、死刑廃止はどうであろうか。「こだま君も死刑は廃止するべき だと思っているんでしょ?それだったら現在の死刑廃止論は筋が通ってないっ て思っても、向かうべき方向は同じなんだから批判せずに協力したらいいじゃ ん」という理屈を言う人がいるかもしれない。
・しかし、この理屈の難点は、--たしかにぼくは死刑はないに越したこと はなく、可能ならば廃止されるべきだとは思っているが--、死刑存廃論に関し ては答えが正しさが保証されていない、というところにある。
・たしかに、小中高生の算数・数学の問題集であれば、答えが載っている から、「途中の計算が間違ってても、答えがあってればいいじゃん」と言うこ とは可能である。しかし、答えが最初からわかっている問いなどはむしろ例外 と言えるのであって(したがって学校教育は主に例外的事例を教えている)、 「死刑は廃止すべきかどうか」については、あらかじめ用意された答えはどこ にもないのである。
・そうだとすると、われわれにとって答えの正しさを確信する唯一の方法 は、「途中の計算」を納得の行くまで検討する、ということになる。だから、 死刑廃止論に関しては「途中の計算が間違っててもいいじゃん」とは決して言 えないのである。
・というわけで、結論として、ぼくは、たとえ人権思想や死刑廃止論の向 かっている方向が正しいように見えても、その議論に誤りがあるように思える かぎりは、妥協せずに批判するつもりである。
(お、久しぶりに筋の通った議論をしたのではなかろうか!?)
・ひたす らベンタム。理解してもらえないかも知れないが、ベンタムってほんっとに面 白いの。一度会って話したかったなあ。SFを何冊かおみやげに持ってってさ。
・と言いつつ、ビートルズのBack in the U.S.S.R.を練習したり する。これもまた楽しからずや。
・やっとベンタムの勉強ひとまず終わり。ああ、一晩中ベンタムだったなあ。
・トースト(2枚)とココア。
・う。今日は休日だったのか。哲閲で調べものをしようと思ってたのに…。 やられた。下宿に戻って寝る。
・よく寝た。さて、また死刑廃止論の勉強をするか。
・さらに死刑廃止論。年賀状も書くべし。
・ヘーゲルが死亡した模様(ヘーゲル=某研究室のコンピュウタア)。怖くなっ てカントのバックアップを取る(カント=倫理学研究室のコンピュウタア)。バッ クアップ励行週間。
記載なし。