どこかの森に迷いこんだ旅人たちは、 あちらへ向かったり、こちらへ向かったりして迷い歩くべきではなく、 いわんやまた一つの場所にとどまっているべきでもなく、 つねに同じ方向に、できるかぎりまっすぐに進むべきであって、 その方向を彼らに選ばせたものが はじめはたんなる偶然にすぎなかったかもしれぬにしても、 少々の理由ではその方向を変えるべきではないのである。
---デカルト 『方法序説』第3部
昨日は、三条の某古本屋で『静かなるドン』第31-36巻を買って読みふけっていた。 表紙と中の巻号が異なっている巻が二冊あったので、 また三条に行って交換してもらう。無駄無駄無駄ァ。
お昼すぎまで寝てしまう。
起きてから急いでテン氏の講演へ。 某先生なんかも来ていた。 懇親会には出ずにさっさと退席。 ほんとはでればよかったんだけど。
大学に戻ってきてしばらく某ベドー氏の論文のまとめ。 UCLの願書書かなきゃ。
某所にてカキフライ定食。 スピリッツとオリジナルを読む。
ところで最近ラジオでUnder Pressureがやたらとかかっているが、 何か理由はあるのかな?
体調がまた悪くなってきた。なぜなんだ。
わ、いつのまにやらポンドが166円ぐらいになってる。 おれが行ったときよりも10円以上下がってるなあ。
昨日は某ビデオ屋で『モンティ・パイソン2』を借りて下宿に戻り、 それを観て、ラーメンを作って食べてから寝た。 半日以上寝た。夕方まで寝てた。なんて怠慢な生活だ。死ね。
いや、おかげで元気になったけど。 夕方にシャワーを浴びてから大学へ。 途中、某所でシーフードカレー。
UCLの願書を書かねば。 あ、推薦状も書いてもらわねばならないのだった。 間に合うのか?
UCLのLegal and Political Theory MAの年間授業料は9145ポンド。 180万円。ひい。ロンドンでの生活費の見積もりが約8280ポンド。 170万円。ひいい。留学生はさらに750ポンド見ておいた方がいいって。 15万円。全部で365万円。学振の年間給料は約300万円。ひいいいいい。
英国国民かEU加盟国の市民だと授業料は2675ポンドなんだそうだ。 3分の1以下だな。日本もEUに加入してくれないかなあ。
某所でお好み焼きを食べる。
帰りに某所で本を買う。 そのあと久しぶりにゲーセンにも行く。
研究室に戻ってきて、某さんに頼まれた某教授の講義のダビング。
『はじめの一歩』第35〜36巻読む。
イギリス人男性の日本人観、日本人女性について。 「ロングヘアで前髪にパーマをかけて後ろにカールさせるという髪型が 一時流行したが、あれはインコを思い起こさせる」(リン・ロブソン、前掲書、12頁)
イギリスの上流階級に典型的な女性の名前--Lucinda, Candida, Sophia, Laura, Jessica, Vanessa, Diana, Sara, Carolina, Zoe, Felicity, Tania, Fenella, Harietta, etc.
中流階級--Bryan, Geoffrey, Herbert, Stanley, Ronald, Margery, Prudence, Clare, etc.
下流階級--Fred, Joe, Sid, Bill, Alf, Jim, Marge, Flo, Eth
(前掲書、23-4頁)
上流階級の名前は語尾がaなどの母音で終わるのが特徴らしい。 Felicity(幸福、至福)っていう名前がいいよなあ。 そういえば、オースティン・パワーズ・デラックスに出てきたヒロインが Felicityだったっけ。
イギリス人の顔の特徴。 「上流の人にはしばしば一般的でない身体の特徴が現れます。 例えば、鼻が大きかったり、まがっていたり、口が少々よじれていたりします。 これは"高貴さ"を表すものなのです。 さらに、彼等の赤い顔は田舎暮らしのためです」(同上、25-6頁)。 ……ほんとかよ。
イギリス人の結婚。 「中流は良い教育を受け、その後はキャリアを追求するので一般に晩婚ですが、 上・下階級は早く結婚します。 まったく自分と同じ階級に属する相手と結婚するのはごく稀なので、 後に色々と問題が持ち上がります。 離婚を数回すると、社会的ステータスが上がります」(同上、30頁)。 ……う〜ん、だんだんこの本に書いてあることが信じられなくなってきたなあ。
イギリス人の食。「おおまかに言うとこんな具合いです。 上流は素材をそのまま食べ、中流は焼き、下流は油で揚げます」(同上、32頁)。 う〜ん、ほんとなのかなあ。 しかし、この調子で何でも書けそうだなあ。 「上流は賞味期限までに食べ、 中流は賞味期限を二三日過ぎるまでに食べ、 下流は賞味期限を過ぎて腐ったものをおいしいおいしいと言って食べます」とか。
リン・ロブソン、『イギリスのお嬢様はどんな英語を話すのか』を読み終える。 ちょっとタイトルと内容が違うが、マナーの勉強に(多少)なった。
そういえば、こないだロンドンに行ったときに誰にもお土産を持ってかなかったな。 う〜む、impoliteだ…。
お金がないので某コンビニでカップラーメンを買ってきて食べる。まずい。
『蒼天航路』を読んでいたら夜が明けてしまった。
眠い。が、ステートメントを書かないといけない。 事務にまた英文の成績証明書を頼まないといけない。 みなさんご迷惑をおかけしますがご協力よろしくお願いします。
中央食堂で朝食。なんか食ってばかりだな。
朝、高野の郵便局に寄ってから下宿に戻る。 某所から現金書留。思わぬ臨時収入が入る。 ありがたく頂戴する。
それから昼下がりまで寝る。 起きてからふたたび大学へ。 米国にいる某助教授に推薦状を書いてもらわないといけないので、 推薦状を入れる封筒を郵送する準備をする。←ややこしい
郵便局で郵便物を出して、某喫茶店でピラフセット。ジャンプ。
某氏(たぶんオーストラリア人)に講演のテーマについて相談するメイルを送る。 英語で書いていると(あるいは正式なメイルを書いていると?) ついつい冗談を書きたくなる。 今回もちょっとふざけたことを書いてしまったので、 もしかすると怒られるかもしれない。いやはや。
そういえば、今日の朝、事務に英文成績証明書の発行をお願いしておいた。 以前にも一度頼んだので、今回は1週間ぐらいで作ってくれるそうだ。
昨晩はぐうぐう寝てしまう。 朝一度起きたがまた寝てしまう。 お昼過ぎに起きて大学へ。
情報研で某氏(オーストラリア人)の履歴書を日本語で書く作業。面倒。 そういえば某氏からまだメイルの返事が来ていない。こわい。
夕方から倫理学史読書会。カンバランド、ロック、クラーク。
読書会後、某お好み焼き屋で食事。 某君の近況を聞く。
それからちょっとゲーセンへ。 某古本屋とコンビニに寄ってから大学に戻ってくる。
今日やったこと
研究室に残って某作業をしながら、 某先生の論文を読んだり、 マンガを読んだり。なんとも気合いが入らない。 ステートメントも書かねばならないのだが。
というわけで、ちょっとシジウィック先生と対話してみよう。
シジウィック先生「そこで、 神学者の合意するところによれば 神がそれだと考えられているような存在者が存在することを仮定してよいのなら、 功利主義者が、 功利主義的基礎の上に建てられた社会的義務の法規に対して 神によるサンクション(制裁)が存在することを推論することは正当だと思われる」
こだま「ええ、シジウィック先生、 ちょっとわかりにくい日本語ですが、よく読めばその通りのように思われます」
シジウィック先生「そしてそのようなサンクションがあれば、 当然、自分の知りうるかぎりで普遍的な幸福を促進することが いつでも各人の自己利益になるように取り計らわれるであろう」
こだま「功利原理に従って社会の幸福を増大させることが、 神さまのおかげでつねに自己利益の促進につながるんですね」
シジウィック先生「しかしながら、結論を述べるまえに、 上の仮定が倫理学的根拠のみに支持されるかぎりで妥当といえるかどうかを 注意深く検討することが望ましいと思われる」
こだま「ん、倫理学的根拠のみに支持されるかぎりで、とはどういうことですか」
シジウィック先生「というのは、そのような検討の結果によって、 これから見るように、倫理学という学問が独立の基礎の上に建てられうるのかどうか、 という重要な問いが決定されるからである」
こだま「ああ、なるほど、 神学的な議論抜きで神のサンクションの存在が保証されないと、 倫理学の議論は神学に依存することになるわけですね」
シジウィック先生「いいかえれば、倫理学が根本的で不可欠の前提を神学または 何かそれと似た源泉から借りて来ざるを得ないのかどうか、という問いである」
こだま「ああ、ごめんなさい。先走ってしゃべっちゃいましたね」
シジウィック先生「この検討をうまくやるために、 われわれの道徳的直観の中でも最も明晰で最も確実なものについて反省してみよう」
こだま「了解しました」
シジウィック「わたしが見いだすのは次のことである。 すなわち、 わたしが算術や幾何学の公理を明晰確実に理解するのと同様に、 自分が似たような状況にいたなら扱ってもらいたいと思う仕方で他人を扱うことや、 普遍的な善ないし幸福に究極的に役立つとわたしが信じる事柄をなすことが、 「正しい」ものであり「合理的な」 ものであると知覚することは疑う余地がないと思われる、ということである」
こだま「前半の黄金律はたしかに直観的に自明っぽいですよね。 後半の功利主義的な命題についてはほんとにみんながそんな直観を持ってるのか どうかわかんない気もしますが。まあそういうことにしときましょう」
シジウィック先生「しかし、わたしは、 これらの義務の規則に従うならばわたしに適切な報いを与え、 それらに違反した場合にはわたしに適切な罰を与える至高の存在者が実際に存在する という認識が、先の確信と不可分に結びついているとは思えないし、 その認識が単なる反省的な直観によって同じように獲得できるとも思えない」
こだま「直観的には神のサンクションが道徳的規則に伴なっているとは思えない、 というわけですね。ぼくもそう思います」
シジウィック先生「あるいは、 --上の命題の中の厳密に神学的な要素を省略して言うならば--、 わたしは自分の道徳的意識の中を見てみても、 義務をなすことが適切に報いられ、 義務に違反することが適切に罰せられるといういかなる直観も --明晰で確実と言えるようないかなる直観も--、 見つけだすことできないと言ってもよい」
こだま「なるほど、そうですか。内省してもそのような直観は見いだせない、と」
シジウィック先生「実際、わたしは、 わたしの道徳的意向moral sentimentsと明らかに不可分な、ある欲求を感じている。 その欲求とは、この結果がわたしに場合に限らず、 普遍的に実現されてほしい、という欲求である」
こだま「この結果、というのは、義務をなしたら報われて、 義務に違反したら罰されるということですよね」
シジウィック先生「しかし、単に欲求が存在することによって、 その実現の蓋然性が確立されることはまずないのであり、 それは人間の欲求の多くが、経験の示すところによると、 失望に終わることからも知られるとおりである」
こだま「おっしゃるとおりです。 そういえば、ベンタム先生も、 ある行為をする法的権利があればなあ、という欲求を持つ人が 自分はある行為をする自然権を持っていると主張することについて、 同じことを言っています。 曰く、パンが欲しいと思うことは、 パンが存在することとは別のことである。 飢えはパンではないHunger is not bread.」
シジウィック先生「わたしはまた、 ある意味ではこの結果が実現すべきだとも判断する」
こだま「なるほど。ぼくもそう思います」
シジウィック先生「しかし、この判断においては、 「すべし」は厳密に倫理学的な意味では用いられていない」
こだま「え、そうなんですか」
シジウィック先生「それが言い表わしているのは、 われわれの実践理性が一貫性を持てるためには、 徳と自己利益のこの結びつきが証明されるか要請されなければならないという、 われわれの実践理性が感じている死活的な必要性のみである」
こだま「ふうん、そうですか」
シジウィック先生「というのは、 この結びつきを否定するなら、 われわれは、行動において何が合理的かについての一見自明な直観の中に、 究極的で根本的な矛盾が存在することを認めざるをえなくなるからである」
こだま「道徳に反して利己的に行為することも、 道徳的に行為することも、両方合理的であると認めざるをえない、 というわけですね。 そういえばシジウィック先生は同じことをクラークの学説の検討においても 述べてましたね」
シジウィック先生「このことを認めてしまうならば、 次のことが帰結するように思われる。 すなわち、 これらの矛盾した判断において見い出される実践理性の一見直観的な働きは、 結局のところ、幻想にすぎないということだ」
こだま「直観を生みだす実践理性の存在は、 直観同士が矛盾しないことによって保証されているわけですね。 ぼくなんか直観が矛盾するのは当然じゃないかなんて思うわけですけど、 シジウィック先生がそう言わないのは、 先生の主張する倫理学の根本的原理が直観によって支持されるものだから なんでしょうね」
シジウィック先生「とはいえ、わたしは、 もしわれわれがこの根本的な矛盾に対して、 世界の道徳的秩序に関する正当に得られた結論や要請を通じて実践的な解決を得る、 という望みを捨てたからといって、 道徳を全部放棄してしまうことが合理的になると言っているのではない」
こだま「そうですか」
シジウィック先生「しかし、 道徳を完全に合理化しようという考えを放棄する必要があるようには思われる」
こだま「そうですよね。えらく長くなってきましたが、 もう少し話を聞かせてもらいましょう」
シジウィック先生「われわれは、自己利益からだけではなく、 共感や社会の福利を保護しようとする感情 --これらは教育によって分け与えられ他人との交流によって保持される-- を通じて、 一般幸福に役立つ規則を一般に遵守しようとする欲求を依然として感じるだろうという ことは疑いがない」
こだま「ふむふむ」
シジウィック先生「また、実践理性は依然として、 義務と考えられる事柄と適切に理解された自己利益とが調和する より普通の場合においては、義務の遂行をわれわれに決然として迫るであろう」
こだま「なるほど」
シジウィック先生「しかし、自己利益と義務の衝突が認められる よりまれな場合においては、 実践理性は、二つに引き裂かれてしまい、 どちらの側に対する動機でもなくなってしまうであろう」
こだま「そうっすねえ。 この場合には道徳に従うことも自己利益を追求することも どっちも合理的に見えちゃうんでしょうねえ」
シジウィック先生「この衝突は、 二つの組の非合理的な衝動の一方か他方のいずれが比較的に優勢であるかによって 解決されねばならないだろう」
こだま「結局、道徳的判断に合理性が失なわれるんですね。 困りましたね」
シジウィック先生 「そこで、 もし義務と自己利益が調停されることが、 われわれの思考の主たる部門の一つにおける根本的矛盾を避けるために 論理的に必然的な仮説として見なされるならば、 どの程度この必然性がこの仮説を受けいれる十分な理由となるかについて 問わなければならない」
こだま「合理性が破けちゃうので、 破けないように仮説で繋ぎとめる必要があるんですね。 ええとその仮説は、道徳はつねに自己利益の促進に役立つことが保証されている、 という仮説ですか」
シジウィック先生 「しかし、これは相当困難で論争の余地のある問いであり、 倫理学の方法についての著作よりも一般哲学の論考に属するものである」
こだま「そうですか」
シジウィック先生 「というのは、この問いに満足に答えるためには、 真なる信念と偽なる信念の基準について一般的検討を行なう必要があるからである」
こだま「なるほど、 プラグマティック(実用的)な観点から真偽を決定することが許されるかどうかを 考えなきゃいけない、ということですね」
シジウィック先生 「自然科学という建造物が自明な前提から論理的に推論された帰結によって 本当に建てられていると考える人は、 哲学的確実性を持つと称する実践的判断も等しく堅固な土台に基づくべきだ、 と合理的に主張することができる」
こだま「その通りです」
シジウィック先生 「他方、もしわれわれが、 自然の世界についての知識と称されるもののうちで、 普遍的に真であると普通考えられている諸命題が、 実はわれわれがそれらを受けいれる強い傾向性を持ち、 またそれらがわれわれの信念の体系的整合性のために不可欠である、 という以外の根拠を持たないと思われるのであれば、 ----倫理学において同様の仕方で支持される仮定を否定することは、 普遍的な懐疑主義への扉を開くことになるので、より困難になるであろう」 (以上、The Methods of Ethics 7th ed., 506-9頁から)
こだま「なるほど。 真理の基準いかんによっては徳と自己利益の調和の仮説が 宗教的次元ではなく学問的次元においても受け入れられる可能性がある、 ということですね。 しかしまあ、それが学問的に真だ、 と言われても正直言ってあんまりありがたくないです。 まだ宗教的に保証されている、 と言われた方がなぐさめられるような気がします」
こだま「英国の近代道徳はシジウィック先生が考えているように、 この『道徳と自己利益の調和』、 もっと言えば『一般幸福を促進することは自己利益に適っているか』 という問いをめぐって議論がなされていたように思われますが、 宗教を持ち込まないかぎり結局なかなかうまくいかん、 というのがシジウィック先生の結論のように思われます。 どうにも行き詰まっちゃったわけですね。 そもそもの問いが悪かったんでしょうか。 そんな気もしますが、もうちょっとよく考えてみます。ではまた」
『蒼天航路』を読んだりしていると朝を迎えてしまう。 生協で朝食とってから下宿に戻るか。勉強しなきゃなあ。
朝、下宿に戻る。途中、北大路の某書店で図書券を消費する。
あと、『ぼのぼの』第18巻も買った。
それから下宿に戻ってさっそく寝ようと思ったら、 電話がかかってきた。 応対すると、文学部閲覧室からで、 農学部から借りている本をさっさと返せという内容だった。 連絡が来ないので延滞しても大丈夫かと思っていたが、 そうでもないようだ。さっさとコピーして返さねば。
夕方まで寝る。洗濯物を干し、シャワーを浴びてから大学へ。 腹が減った。
中島義道の本を途中まで読み、中央食堂で夕食。
某教授室に行くと、 今夜某教授に推薦状を書いてもらわないと当分書いてもらえないことがわかったので、 いそいで研究室に戻ってくる。 すぐにステートメントをでっちあげないと。
某教授に推薦状の依頼をする。 それから農学部図書室に返さなければならない本をコピー。 3冊もあるから大変だ。
やっとコピー終わり。とても疲れた。
昨晩はビデオ屋とコンビニに寄ってから下宿へ。 インスタントの焼きそばを食べる。何年ぶりだろうか。
それから『ザ・ラットルズ』を観る。おもしろい。 音楽もいいし、ミック・ジャガーやロン・ウッドやジョージ・ハリソン なんかも出ていて笑える。 彼らも『モンティ・パイソン』を見て笑っていたのだろうか。B。
『モンティ・パイソン』の第3巻も借りたので、途中まで見る。 だんだん英語がわかるようになってきた。
中島義道の『ウィーン愛憎』を読了してから寝る。 あとがきを見ると、 ずいぶん以前に出版された本の文庫化らしい。 今ひとつおもしろみがなく、 最後まで読むのは疲れた。 しかしまあ、西欧とどう対面するかという問題を考えるときに、 こういう本も読んでおくとバランスがとれてよい気がする。
夜明け前にゴミを出してから寝て、昼下がりに起きる。 農学部で本を返してから大学へ。 中央購買部でちょっと買物。またカードを使ってしまう。
某教授のホームページを更新。 「悪の哲学誌」を掲載。
あ、クモがいるっ。
ん、なんか標識があるぞ。 「ん、クモに注意?」
あ、またクモが出たっ。 あ、二匹もいるっ。 えいっ、死ねっ。 死ねっ。
はあはあはあ。あ、こんなところに家があるぞ。 あ、いつのまにか住宅街に来てしまったようだ。
あ、なんと城まである。 しかしまだ建築中のようだ。
…いや、こんなことをしている場合ではない。
ようやくオーストラリアの某氏からメイルが来たので、 しばらくメイルのやりとりをする。 それから某読書会を終えた某君と某君と某君と一緒に某所にて食事。
さて。勉強せねば。 あ、またクモが出たっ。 ええいっ、死ね死ねっ。
某所に行き、チャンピオンを買う。
とある親切な方が、 BBC NEWSのウェブサイトを教えてくれる。 ニュースの音声を聞こうと思ったら、 そういえばAPTIVAでは音が出ないのであった。 なぜかオーディオデバイスのドライバが消えてしまうという恐しい現象だ。 以前に試行錯誤してあきらめた記憶があるが、もう一度挑戦してみる。 …う〜む、だめそう。
腹が立ったのでカントを初期化することに決定。 おれってヒマだなあ。
というわけで、あらかた片づいた。まだ音も出る。万歳。下宿に戻って寝よう。
なぜかまだ研究室にいる。 用事で某教授室に行ったら某教授に用事を頼まれたりして、 結局また研究室に戻ってきてしまったのだ。 またコンピュータをいじる。
うう。しんどい。昼ごはんを食べて下宿にいったん戻ろう。 夕方から読書会があるので少ししか寝れないだろうが。
お昼過ぎに某喫茶店でカレーセット。 それから下宿に戻り、 風呂に湯を入れつつ1時間半ほど眠る。 起きたら死にそうに眠かったが、 なんとかこらえて風呂に入り、 急いで生命倫理学読書会へ。 今日は某大先生による発表だった。 出席者が少なかったので飲み会は年明けに延期。
某所で食事したあと、スーパーで買物をして研究室へ。 某君にemacsの使い方を説明する。 emacsの魅力って何なんでしょうね。
やっぱり手軽さかな。 Almailとかだとコンピュータごとに設定しないといけないしなあ。 「なんとなくコンピュータの達人になった気になる」 というのも重要な要素であろう。
ああ。今日はもう何もする気にならんなあ。眠いし。 下宿に戻ってビデオ見て寝るか。
今日やったこと
昨晩はビデオ屋でビデオを一本返却してから下宿へ。 『モンティパイソン3』の続きを見ようと思ったら、 もう終わりだったので(3話分しか収録されてなかった)さっさと寝た。
11時ごろに起きる。 急いで大学へ。 研究会の前に予習を済まさねばならないので、中央食堂で急いで食事。 一人で食べていると、途中で某くんが来る。
研究会は2時からになったらしい。ちょうどよかった。
そういえば、 カント(研究室のDOS/V機)は起動のときに二回に一度は正常に立ち上がらない。 う〜む、おかしいな。ま、そのうちよくなるのでは。
FINEの研究会に出る。 某先生の発表および某先輩、某先輩、某君によるコメント。 某先生の発表は気合いの入った大変おもしろいものだった。
それから皆で某所に行って食事。 某師匠、某先輩、某先輩の就職祝いを兼ねていたようだ。 おめでとうございます。
一次会が終わったあと、一人で研究室に戻る。 途中、某所とゲーセンに寄る。
さて、下宿に戻って明日の合評会の準備をせねば。 そういえば今日はちょっと喉が痛く、咳も出る。げほげほ。
今日やったこと
昨晩は、某所にてタコ焼きを買い、 下宿に戻った。 Amazon.comから初めて本が届いていたたたたた。
上の本が面白かったので、数時間寒い部屋で読み進め、 夜明けまえに寝た。
朝起きてシャワーを浴び、 実哲研に書いた原稿を読み直してから大学へ。 途中、某所でミカンを一箱(5キロ)買い、 某寿司屋で寿司を買う。
大学で寿司を食べてから学生相談所へ。 実哲研の合評会。 最初は某君による某君の論文の批評。 次は某氏によるおれの論文の批評。 おれの結論が大変まずいことがわかった。 とりわけ第5章は「自愛の思慮」と「自己利益」を区別して書き直さねばならない。
最後に、某先輩による、某先輩の本の批評。 某先輩の本をちゃんと読まねば。
それから某所で懇親会というか打ち上げ。 某暗い話を聞いて暗くなったり。 その後、研究室へ。疲れた。
少しだけリッチーの紹介。
そういえば二三日前にカウンタが8万を超えた。感謝感謝。
今日やったこと
昨晩は、リッチーの本を読もうと思ってすぐに寝てしまう。 朝起きて大学へ。途中、某喫茶店でピラフセット。
今日は事務で英文の成績証明書をもらうこと。 ステートメントも書くこと。
今年最後のBMOR読書会。ハチソン。あまり進まず。
事務に英文の成績証明書を受けとりに行く。感謝感謝。
某君にたこ焼きをいただく。感謝感謝。
今日やったこと