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こだまの世界

2000年12月中旬号

`Cultural stereotypes are actually quite accurate. The Italians are too cool to drink, the Belgians love beer, the French are too cool to do anything, the Germans are like dogs desperate to be friendly, the American are idiots and Canadians are great fun. The English and the Irish? Well, the Irish are, of course, fantastic and the English are ... well, if the Germans are like a dog desperate to be friendly, the English are like a friendly dog that keeps on knocking over the china -- they are kind of clumsy and they knock things over but they generally mean well.'

from an interview of Mark Hunter (founder of Axon Group),
in the Independent (13/Dec/2000)

飛行機が空中爆発したときに生き残る方法

1. 深呼吸したあと、体をピンと張った状態で宙返りを3000回する。

2. お尻の筋肉をぎゅっと締め、大事な部分を両手で押さえる。 足の先から海に飛び込んだあと、1000マイル泳いで安全を確保する。

from The Worst Case Scenario Survival Handbook
by Joshua Piven and David Borgenicht (Chronicle Books)


11/Dec/2000 (Monday/lundi/Montag)

米国大統領選と民主主義

そろそろ次期大統領が決まりそうな勢いだが、 「民主主義」というありがたい言葉を効果的に使った側が、 最高裁で勝つように思う。

政治哲学入門

プラトンの正義論、とくに比例的平等(功績に応じた配分)について。 得るところなし。

モーニングアフターピル

英国では来年1月から薬局でモーニングアフターピル (性交渉のあとに服用する避妊薬)が買えるようになるそうだ。

4錠20ポンド(12時間おいて2錠ずつ服用するとのこと)で、 16才以下は買えないらしい。 性行為後72時間以内に服用すれば、 まず妊娠することはないとのこと。

保守層は「無責任な性行為がはびこることになる」と心配しているようだが、 無責任な親が増えるよりよっぽどましではないだろうか。 また、エイズなどの性病が心配とはいえ、無責任な性行為のどこが悪いのか、 とも思う。

とにかく、女性にとっては選択の幅が増えたわけで、 悪い話のようには思えない。 ただ、20ポンドといえば3600円だから、 もうちょっと安くならないと困るだろう。

News Memorandum

方法論的考察: 限定について

政治理論を勉強していると、「どうやって限定(制限)するか」 という問題設定がよく目につく。

たとえば、功利主義はすばらしい理論だが、 スケープゴートの例など、直観に反する事例をどのように回避するか、とか;
多数決原理は実用的な手段だが、 多数者の専制(少数者の抑圧)を避けるためにはどうすればいいか、とか;
当事者の同意があればだいたいの行為は許されるが、 「奴隷になります」と同意する人の同意を無効にするにはどうすればいいか、など。

上の例はしばしばすべて「人権で制限しましょう」 の一言で片付けられてしまう事例だが、 他にも主権の暴走をどう限定するかという問題 (たとえば三権分立によって解決する)もある。

要するに、少なくとも政治理論の領域では、 まず一般的、普遍的な命題を作り、 それにどのような限定を加えて適用すればうまく行くか、 というように作業が行なわれるようだ。

とすると、おれがやれる作業というのは:

  1. もっともらしい一般的な命題を作ること
  2. 一般的な命題を適用するとうまく行かない事例を見つけること
  3. うまく行かない事例を解決(排除)できるような補助規則を見つけること
  4. うまく行かない事例が多すぎる場合には、他の一般的命題を探すこと

あれ、なんだか科哲みたいな話になってきたな。 とにかく、立派な政治理論に出会ったら、 まず(2)について考えることが重要だろう。

(2)についてもう少し考えると、 一般的な理論に直面したときには、 具体的に考える能力が要求される。 たとえば、功利主義理論に出会ったときに、 スケープゴートの事例を考えつくなど。 これが簡単なようで大変むつかしいので(つい抽象的に考えてしまいがち)、 つね日頃から意識的な修業が必要だと思う。

以上の思考法をためしに人権論に適用すると、

あ、そうか、たとえば「人権はなぜ動植物には適用されないのか」 という問題を検討すると、「道徳的存在者のみが権利を所有しうる」 というような一般的命題が明るみに出される場合があるわけだ。 同様に、囚人が選挙権を与えられない理由を考えると、 「平等な尊重に値する者だけが選挙権を有する」 というような一般的命題が出てくる。

こうした一般的な命題を薮の中から導きだせればしめたもので、 さらにいろいろ「この命題に従えば、こういう事例が考えられるが、 これはまずいんじゃないか」 式の批判を行なうことができる。

とすると、立派な理論に出会ったときには、 その荘厳さに魅せられることなく、 ちまちまと周辺領域を見まわして、 「こういう制限をしなくていいのか」 とか「なぜこういう限定があるんだ」 とかいう問いを立てることが批判をはじめる足掛かりになると言えそうだ。


12/Dec/2000 (Tuesday/mardi/Dienstag)

朝食にて

登場人物--中国人の友人(C); おれ(S)

C:「何かおもしろいニュースを読んだアルネ?」

訂正。

C: 「何かおもしろいニュースを読みましたか」

S: 「えーと、 ボンベイ近郊に住むインド人が50年間生やしつづけていた爪を ついに切る決心した話とか。 親指の爪は1.5メートルにもなるそうです。 たしか二十万ドルで売りたいとか言ってるとか」

C: 「O my Mao! だれがそんな爪を買うのか」

S: 「あと、英国で来年からモーニングアフターピルが薬局で売りだされる話」

C: 「ん? モーニングアフターピルって何?」

S: 「セ、セセセ、セックスしたあとに飲む避妊薬」

C: 「O my Mao! セ、セセセ、セックスしたあとに飲む避妊薬! それは胎児を退治するということではないですか? 中絶と同じじゃないですか」

S: 「受精卵が着床するのを防ぐみたいだから、 たしかに中絶なのかもしれないけど、 避妊として考えるのがふつうだと思う」

C: 「いや、それは胎児を退治するんだから中絶であり、殺人です。 O my Mao!」

S: 「けど、胎児っていってもまだ肉眼では見えないくらいの小さな卵で、 しかも精子が卵子に入りこんだかどうかすらわからない状態のわけで」

C: 「いや、大きさは関係ないし、受精してない場合もあるけど、 受精している場合もあるでしょう。殺人です。Mao!」

S: 「しかし、そんなこと言うとコココンドームとか セセセセックスの前に飲むピルだって 問題じゃない? ベルリンの壁を壊す前に西ドイツ側と東ドイツ側にいる 恋人同士を殺すか、壁を壊したあとに殺すか、という違いであり…」

C: 「いや、精子と卵子は赤ちゃんじゃないが、受精卵は赤ちゃんだ」

S: 「精子と卵子が手をつないだばかりの受精卵は赤ちゃんからはほど遠くて、 受精卵の着床を防ぐことと赤ちゃんを殺すこととは一緒じゃないと思うけど」

C: 「Mao! それが倫理学者の言うことか」

S: 「それじゃ、レレレレイプされた女性がこの避妊薬を飲むのはダメ?」

C: 「それは許されると思う」

S: 「どうして?」

C: 「女性が無理矢理されたから」

S: 「どうして無理矢理されて妊娠した場合はこの避妊薬を飲んでいいの?」

C: 「Mao! セセセセックスする気がなかったということは産む意図がなかったという ことでしょう」

S: 「なるほど、産む意図がなければこの避妊薬を飲んで胎児を殺してもいいわけか。 とすると、セセセセックスをする気はあっても、 産む意図はない人も許されるんじゃない?」

C: 「いやいや、セセセックスをする気はあっても産む気のない人は、 コココンドームを使うなりなんなりするべきだ」

S: 「でもまあ、みんなそんなに賢明じゃなくて、避妊すべきだったとあとから 思う人もいるわけで。レレレレイプじゃなくても、 気がついたらセセセックスしていたという人もきっと多いだろうし…」

C: 「Mao! そういう愚かな人間はちゃんと責任を取って産むべきだ」

S: 「しかし、そういうときに責任を取ることになるのはだいたい女性であって…」

C: 「とにかくモーニングアフターピルは道徳的によくない。 英国のような中絶が許されている不謹慎な国ではどうか知らないが、 そうでない国では禁止すべきだ」

S: 「う〜ん、まあたしかに検討すべき問題ではあるなあ…。 あ、ところで、 聖母マリアが受胎告知の次の日にモーニングアフターピルを手にして悩んでいる様子を 風刺画として書くと受けると思うんだけど」

C: 「Jesus!

(フィクションです)

中央図書館で借りた本

ひさしぶりに中央図書館に行く。 ここで本を借りるのはなんと今回がはじめて。 もっと資源を利用しないといけない。

少しコピーもする。コピー代は場所にもよるが、 大学内で一番安いところは1枚4p。

News Memorandum


13/Dec/2000 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

日記の整理

今日の授業

ベンタムの授業はセミナーで、 ハル大学に最近就職した某先生によるベンタムのフィクション論。 虚構物と実在物の区別は本当にできるのか、という話と、 虚構物(fictitious entities)と虚構(fictions)は区別しないといけない、 という話。

昼さがりに、某教授にエッセイのアウトラインを見てもらう。 来週の水曜日までに草稿を書くべし。

夜、MScのセミナーに出る。東ヨーロッパのジプシーの研究をしている先生の発表。 MScはMAと違って実際的な研究をしているらしいが、 この先生の発表はまるで人類学かなにかの発表のようだった。 あまり関心はなかったが、情熱的に話していたので聞き入ってしまった。 おれも情熱的に話すようにこころがけよう :-)

NEWS MEMORANDUM


14/Dec/2000 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

政治哲学

「民主主義の限界」について。 民主主義が引き起こす不正義(たとえば多数者の専制)や、 不経済(民主主義は長期的な利益を損ないがち)はどうやって解決しうるのか、 という話。今回で終了。

ところで、ちょうどこの授業が始まる前に考えていたのだが、 先日考えていた「限定について」 という考えは、「〜の限界」という風に呼ぶと便利なようだ。

もう少し詳しく書いておくと、あるテーマ(たとえば民主主義)について考えるとき、 切り口の一つとして「民主主義の限界」と銘打って考察を始めるとよいということ。 すると、たぶん芋づる式にいろいろ論点が出てくるはず。 他にも、「功利主義の限界」「法実証主義の限界」「人権論の限界」 「平等論の限界」など、なんとなく魅力的な題目を作れる。

もちろん「〜の限界」と銘打った本はくさるほどあって、 ちょっとOPACで検索しても「ルターの根本思想とその限界」 「ヘーゲル: その偉大さと限界」 「自由の限界」「性表現の自由と限界」 「国家の正当性とその限界」など、いろいろ出てくる。

言いたいのは、あるテーゼが適用される限界事例を考えることで、 そのテーゼの性格がよりはっきりするだろう、ということ。 あれ、えらくあたりまえのことを言ってるな。 まあ、論文作法の一つということで。

現代政治理論

民主主義のパラドクスについて。 といっても、取り扱ったのはアローの投票のパラドクスではなく、 自分が正しいと思っている政策(A)と、 民主的手続(たとえば多数決原理)によって選ばれた政策(B)が矛盾するとき、 民主的手続を信じている人はどう行動すべきか、 というような話。

それを聞いて思いだしたのが、ゴアの敗北演説。 以下の部分でゴアは、 「最高裁の判決には強く反対しているが、わたしは判決を受けいれる」 と述べている。

Now the U.S. Supreme Court has spoken. Let there be no doubt, while I strongly disagree with the court's decision, I accept it. I accept the finality of this outcome which will be ratified next Monday in the Electoral College. And tonight, for the sake of our unity of the people and the strength of our democracy, I offer my concession.

from CNN.com

間違っていると信じているのに、それを受けいれるとはどういうことか。 ゴアは信念を曲げているのだろうか。あるいはゴアは 「最高裁が下した判決が正しく、わたしの信念が間違っていた」 と述べるべきなのか。

まったく同じかどうかわからないが、 ソクラテスの死刑判決も同じような構造になっている。

あ、いや、ゴアは法実証主義者で、 「最高裁判決は道徳的に正しくないが、 わたしはこの判決が法的効力を持っていることを認める。 もちろん道徳的に正しくない法に従うことは望ましくないが、 かといって最高裁判決を否定する行動に出ることは、 政情を不安定にすることにつながり、より道徳的に正しくない。 そこでわたしはこの判決にしたがう」と言いたいのか。

あ、このネタを法哲学のエッセイで使ってみようかな。

News Memorandum


15/Dec/2000 (Friday/vendredi/Freitag)

円とポンド

げ。またポンドが165円台になってしまった。 一週間前まで155円ぐらいだったのに。 もうちょっと新聞の経済面を注意して読まないといけないな。

買った本

ULU (University of London Union: 生協みたいなもの) で毎週金曜日に小さな古本市がやっているので、 ひさしぶりに立寄って本を数冊購入。

News Memorandum

from today's Guardian


16/Dec/2000 (Saturday/samedi/Sonnabend)

誕生日パーティ

昨夜、某スペイン人の友達の誕生日パーティに参加した。 楽しい一時を過ごした気がする。

最近の気候

二三日前まで日中10度前後の暖かい日が続いていたのだが、 昨日あたりから急に寒くなりだした。 今日の最高気温は5度前後。夜は零下2-5度ぐらいになるそうだ。 まだ雪は降っていない。

冬休み

どこの大学も今週の金曜日で授業が終わったらしく、 今日かなり大勢の寮生が故郷に向けて去っていった。 しばらくのあいだ、すこし寂しくなる。

過去の日記

夜中、ひまじゃないけど、かといって勉強する気にもならないので、 ふと過去の自分の日記を読んでみる。

ビートルズが解散してしばらくのあいだは、 ジョージハリソンやジョンレノンが「あのバンドは最低だった」 と言っていたように、 過去の記述を読むのはなんだか気恥ずかしいし、ときに嫌悪感すら感じるので、 調べものがあるとき以外はめったに読み返すことはない。

しかし、過去数年の今ごろの日記を読んでみると、 なかなかおもしろいことを書いているので感心した :-) 以下の所見などは今でも共感できる。 たんに成長してないだけかもしれないが。

それにしても、昔の自分というのは赤の他人とも自分自身とも言えない、 なんだか変な存在である。しかも昔の自分の文章の方が、 今より面白かったりするのでなんだかくやしい。きい。 (97年の今ごろ)

修論のことはなるべく思いだしたくないが、 修論を書いているころの記述も今読むと 気違いじみてておもしろい。

(戦況速報) 17日夜、熟考(CJ)軍の思わぬ反撃に遭い、 4000近くの字数を失なう。 残存字数10000字余りとなり、 第一章の最前線のあたりで一部反乱が起きるが無事鎮圧。

カレーの鍋をぐるぐるまぜていたら、 いつの間にか多量にあった玉ねぎとじゃがいもが姿を消した。 めでたく全体の一部となったのであろう。

この例からもわかるように、 個人は一度社会に属すると、 社会という有機体の分離不可能な一部になるのであり、 社会を個人の総体にすぎないとする還元主義的な社会観は誤っているのである。 (98年の今ごろ)

最近の日記はどうだろうか。 以前にくらべると、最近の日記は気違い度がずいぶん低い気がする。 死んだ魚の目のような文章が多い。 これは、あまり時間がないせいもあるが、 主な原因は、理性的存在者(=良い子)ぶっているせいだろう。

理性的存在者ぶって権威主義的な発言をするようになってはダメだ。 安穏で快適な洞窟から抜け出し、精神を解放すること。 自己批判自己批判。

News Memorandum

from today's Guardian unless otherwise specified.


18/Dec/2000 (Monday/lundi/Montag)

ロンドン散策

昨日は朝から夕方まで、寮から東の方向に向かって歩いた。 はじめてセントポール聖堂(工事中)のそばを通り、 ロンドン橋をちらりと見やり、 インダストリアルなロイドビルディングを見上げ、 目的地のペチコートレインとブリックレインのストリートマーケットで 買物を楽しんだ。(いや、靴下しか買わなかったけど…)

また、帰りに立寄ったサマセットハウスの中庭には、 特設のアイススケートリンクが設置されており、 スケートを楽しもうとする人々の長い行列ができていた。 1時間6ポンドとちょっと高いが、そのうち滑りに行くかもしれない。

写真をまとめておいた

次はカナリ・ウォーフに行ってみよう。

ボクシング廃止論

「昨夜シェフィールドで行なわれたフェザー級タイトル防衛戦で、 チャンピオンのポール・イングルが12ラウンドでKOされたそうです」

「ほう。君がボクシングに興味を持つなんてめずらしいね」

「それが、イングルは試合中に脳出血を起こしたらしく、 45分後に緊急手術が行なわれたそうです」

「ほう」

「素早い対応のおかげで死ぬことはないようですが、 全快できるかどうか危ぶまれているらしいです」

「気の毒だけど、まあボクシングには危険がつきものだからね。 本人も覚悟の上だろうし」

「しかし、本人が危害を加えられる可能性に同意しているからといって、 許されていいものでしょうか。 この事件によって英国ではふたたびボクシング廃止論が高まるだろうとのことです。 とくに、英国医学協会って訳すんでしょうか、British Medical Associationは このスポーツに対して批判的らしく、廃止を唱えているんだそうです」

「けど、危ないスポーツと言えば、 F1とかトライアスロンとかロッククライミングとかいろいろあるんじゃない? プロレスなんか、釘が刺さったバットで後頭部を殴ったり、 フォークで脳味噌をほじくりだしたりするって聞いたけど」

「いやまあ、プロレスはショーだという話もあるので、 とりあえずおいときましょう。 いずれにせよ、ボクシングがそれらのスポーツと異なる点は、 「危害を与えることがボクシングの目的である」ことです。 MBAの会員に言わせれば、「脳に強烈なダメージを与えることが、 試合に勝つ一番有効な手段」なんです」

「なるほど。 ボクシングは倒れて起きあがれなくなるまでやめないという点で 柔道や剣道、相撲と本質的に違うと」

「そういうことです。 ボクシング協会の方は緊急治療体制を整えることで 安全性を確保しようとしてしていますが、 まあ仮に敏速な治療のおかげで後遺症の残るボクサーが まったくいなくなったとしても、 やはり何か道徳的に間違っている気がします。 うまく言えないんですが」

「なるほど、応用倫理学のテーマとしていいかもね。 まあしかし、ボクシングは人気があるし、 ボクサー本人も同意しているからいいんじゃないの。 それにさあ、 ボクシングが廃止されたら『はじめの一歩』も終わってしまうかもしれないじゃない」

「そういう功利主義的な発想はやめてください」

ギター購入

[New Acoustic Guitar]

アコースティックギターを買ってしまった。ははははは。

チャリングクロス通りのそばに、デンマーク通りという楽器屋が並ぶ通りがあり、 そこをしばらくうろついたあげく、 Art&Lutherieというカナダの会社が作っているギターを、 200ポンドで買った。

ギブソンの300ポンドのギターもネックが細くて魅力的だったが、 高いのでやめておいた。

正直に言ってアコギの良し悪しはあまりわからないが 100ポンド以下のものはさすがにどれも安っぽい音がしていたので、 それらに比べると響きが大きくてきれいなこのギターを選んだ。 たぶん正解。大事に使おう。

CDと本も購入

amazon.co.ukに注文していた本とCDが来た。

明日から倹約すべし。

News Memorandum

from today's Guardian


19/Dec/2000 (Tuesday/mardi/Dienstag)

ボクシング廃止論その2

「どうやら今日の新聞にもボクシング廃止・存続論が多数掲載されるようです」

「ほう。そういえば日本には極真カラテなんていうのもあったよな。 あれも自分か相手が死ぬまでやるんじゃないの」

「いや、よく知りませんが、 そうだとすると怖いですね。 しかしそれよりも、昨日冗談で言おうかと思ったんですが、 なんと英国の国会議員の中には、 「プロボクサーもヘッドギアをつける」という法を導入するだけでなく、 できればボクシングで頭部を攻撃することは反則にすべきだと本気で 考えている人もいるようです」

「う〜ん、それはもうボクシングじゃないんじゃない? それにボディしか守らなくていいんだったら、相手のガードが堅すぎて、 ガードしてる腕の殴りあいになっちゃうんじゃないの?」

「そうかもしれませんね。しかしそれにしても、英国ボクシング協会は、 ヘッドギアはよけい脳に損傷を与えると主張したり、 緊急の看護体制を整えれば大丈夫だと主張しているようですが、 どうも根本的な議論になっていない気がします。 やはりボクシングと他のスポーツの違いというのを よくよく考える必要があるんじゃないでしょうか」

「今度から病院にリングを設置して試合すればいいんじゃないの。 観戦しているのはみんな白衣を着た医者と看護婦だったりして」

「相撲でも柔道でも同じような予防措置を取ることができると思いますが、 そういうスポーツとボクシングは違うと思うんですよね」

「ほう。どう違うの。たとえば相撲とボクシングは? 両方とも半分以上はだかだし、 頭ひっぱたくし、リング上で試合するし、倒れたら負けじゃないの」

「まあ相撲もはり手をしますけど、 はり手ドランカーが問題にならないということは、 ボクシングのように脳に損傷を与えるほどのものじゃないということでしょう」

「程度の問題じゃないの?」

「う〜ん、相撲のことはよく知りませんが、 はり手が非常にひんぱんに行なわれて、 はり手ドランカーが多数現われるようになったら、 やっぱり問題でしょうね」

「倒れたら負けっていうのは? ボクシングも相手が死ぬまでやるんじゃなくて、 一ラウンドで何回か倒れたら負けでしょ」

「相撲で倒れるのと、ボクシングで倒れるのはぜんぜん意味が違うんじゃないですか。 ボクシングはただ転んだだけだとスリップだけど、 相撲は相手を転ばすことができれば勝ちになります。 柔道にしても一本を取ればいいわけで、 相手がふらふらになって立てなくなるのを試合終了 と考えるボクシングとは異なります」

「要するに、勝ち負けの基準が違うということ?」

「そうですね。それに、勝ち負けの基準が違うから、 相手を打ち負かすさいの手段も違ってきますよね」

「ほう、どう違うの」

「相撲は相手をひっくりかえすことが目的だから、 いかに手際よく相手をひっくりかえすか、という技術を競い合うわけですが、 ボクシングは相手を立てなくすることが目的だから、 しかも足を蹴っとばして立てなくするんじゃなくて、 上半身をぼこぼこに殴って立てなくするわけだから、 いかに相手の脳と内臓に大きなダメージを与えるか、 という技術が競われるわけです。 相撲で脳に深刻な損傷が与えられるのはアクシデントと言えますが、 ボクシングの場合はアクシデントではなく、故意なのです」

「なんか君、興奮してきてるんじゃないの。 だんだんこの対話篇も君の独白になりつつある気がするけど」

「相撲とボクシングが同じだと言えるためには、 舞の海が小錦に何度倒されても、 立ち上がれなくなるまで続けるというルールにするか、 ボクシングを一ラウンドで終わることにして、 顔に3回パンチが入ったら勝ち、というようにしないといけませんっ」

「ちょっとちょっと、人の話聞いてる?」

「空手の試合がボクシングと同じだと言えるためには、 空手を12ラウンド制にして、 下半身への攻撃を禁止し、 相手が立ち上がれなくなるまでやらないといけませんっ」

「人の話を聞いてないでしょ。 続きはハイドパークのスピーカーズ・コーナーに行ってやったら」

「相撲にたこ八郎がいますかっ。 あのモハメド・アリももはやまともにしゃべれないし、 ほとんど動けないそうです。 今回のイングルもまだ28才で婚約者もいるのに、 もう再起不能です。 もちろん半身不自由になれば、 小錦のようにタレントになることもできませんっ」

「いや、それは身体障害者に対する偏見じゃないの」

「とっとっとっ、とにかく、ボクシングは死刑制度と同様、 野蛮であり、英国のような文明開化した国では禁止されるべきスポーツなのです。 いや、あれはス、スポーツではない。 スポーツらしく見せかけた、こ、ここ殺しあいだっ。 古代ローマの剣闘士の殺しあいと同じことだっ」

「みなさん。 このように、 議論をするときは彼のように顔を真っ赤にして口から泡を吹いた方が負けです。 もちろん、身体だけでなく、人格に攻撃を加えても反則負けになります。 発言する前に手を上げないとマイナス1ポイント、 相手の発言中に口を挟むときには、最初に「それはイレレバントだ」あるいは 「それは論点先取だ」と叫ばないとやはりマイナス1ポイントを取られます。 議論に勝ち負けがないという意見もよく聞きますが、 それは大半の議論が引き分けに終わるか、 たとえ負けが明らかでも「う〜ん、きみの議論はよくわからんなあ」 とぶつぶつ言うことにより勝敗をうやむやにできるからです。 議論もスポーツの一種ですのでルールを守って楽しく競い合いましょう」

関連サイト


20/Dec/2000 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

今日の勉強

先日から怠惰な自分に鞭打ってベンタムを読み、 つらつらとエッセイを書いている。 書きだすと読んでいるだけでは気がつかない点に気づき、 勉強している気になる。 が、それだけに時間もかかり、進まない。

というわけで、もっと勉強する時間を増やさないといけない。 まじめに勉強すべし。

音楽室

[Music Room]

夜、寮の地下にある音楽室(music room)をはじめて使う。

アンプがいくつかと、ピアノ、ドラムが一応そろっている。 一本だけ立っているマイクは半分壊れている。

が、 とりあえず一人でアコギを弾いて歌うだけなので、 防音の部屋さえあればあとはなんでもよい (そのうちドラムの練習もしたいが)。

今日は一時間すこし練習して楽しんだ。 あきるまで毎日行こう。

左手の指の先が痛い。

News Memorandum

from today's Independent


何か一言

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KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Jul 28 07:37:42 2000