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こだまの世界

2000年12月下旬号

12月14日(木)

夜、サンタからの手紙をでっちあげ、 息子のウィリアムを寝かせる前に枕の上に置いておいた。

「ウィリアム・モール君へ。
一年間ずっと君のことを見守ってきましたが、 君のふるまいはたいへん好ましいものでした。 しかし、非常に残念な話ですが、 小びとたちが十分な数のプレイステーション2を製造できなかったため、 このゲーム機が12月25日に君の家のソファの上に乗っていることは ないと思います。
Yours,
グリーンランドのサンタクロースより
追伸: 二千人の小びとが人員削減のために解雇されました」

息子は半時間ほど泣いていた。サンタが`Love'ではなく`Yours' と書いたからだ。とても感受性の強い子だ。

12月15日(金)

キリスト降誕劇は15分遅れで始まった。 ルーシー・モーガン夫人とかいう親御さんが、 会場にビデオカメラをこっそり持ちこもうとしたからだ。 はじめのうち、 彼女は情報公開法を引きあいに出してカメラが取りあげられることに抵抗した。 校長のツリー氏は、欧州プライバシー法を引きあいに出して応酬した。 それから『ガーディアン』の講読者たちが議論に加わった。 一部の者はモーガン夫人の肩を持ち、別の者はツリー氏に加担した。

息子のウィリアムは、はっきり言って、最悪の羊飼いだった。 彼は抱いていた羊を落っことし、 退屈そうに舞台の上で羊を蹴っとばしはじめた。 いっときなどは、蹴っとばされた羊のせいで、 あやうく赤子のイエス(布にくるまれたGIジョー) がゆりかごから転落するところだった。

グレンと二人でウィリアムが戻ってくるのを待っていたとき、 グレンは「父さん、 ブレア首相は親が子供をひっぱたいても問題ないって言ってるよ」と言った。 わたしは、「グレン、 ウィリアムが退屈げな羊飼いを演じたからって何もひっぱたくことはないだろう」 と答えた。 するとグレンは「もしあいつがイエス様をゆりかごから落っことしたら、 ぼくがステージに飛びこんでひっぱたくとこだったよ」と言った。

from `The Secret Diary of a Provincial Man'
by Sue Townsend in The Guardian Weekend


21/Dec/2000 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

今日の勉強

ベンタムの勉強の続き。 `anarchical'と`nonsense'の意味について悩みながら 『無政府主義的誤謬』を通して読む。 なんとか年内にこのエッセイを終えたい。 書くべし書くべし。

News Memorandum

from today's Daily Telegraph


22/Dec/2000 (Friday/vendredi/Freitag)

メモ: 理想と現実

現実を批判するための鏡になるもの: 古代ギリシアにおける黄金時代。 ローマにおけるギリシア。 近代における古代。 ノモスに対するピュシス。 現実に対するイデア。 実定法に対する自然法。 実在の国家に対するユートピア。 近代日本における西洋。 現代日本における米国。 一般市民に対する有名人。 隣の家。

理想(ものさし)は、理想にコミットしていないものにとっては規範とはならない。 「なぜ古代の真似をしないといけないのか」 「なぜ西洋の真似をしないといけないのか」 「なぜ米国の真似をしないといけないのか」 「なぜ隣の家にプレステがあるからといって、 うちもプレステを買わないといけないのか」: こうした問いはすべて、 「古代(西洋、米国、隣の家)はこうである」 から「われわれもそうすべきである」 はただちに導きだせないという主張の変形である。

今日の勉強

図書館が明日からしばらく閉館になるので(1月2日から再開)、 お昼から来て勉強したが、あまり捗らず。あかん。

End of Days

夜、どうにも勉強する気にならないので、 友人から借りたシュワルツェネッガー主演のEnd of Daysを観る。 サタンが世紀末に復活するのを、 シュワルツェネッガーが阻止するという話。 内容からして去年の今ごろに観るべき映画なのだろう。

「いつもどおりのバカバカしいハリウッド映画だ。見て損した。時間を返せ」 と言うのは簡単なので、 もう少し映画の内容を分析してみよう。

まず、シュワルツェネッガーは悪者からヒロインを守るという お決まりのヒーロー役を演じている。 一度ぼこぼこにやられたあとに、 何もなかったかのように復活して悪者を倒すというのがポイントだ。

教訓1。自分が悪者であると感じたときは、 相手をぼこぼこにしたときに必ず息の根を止めるようにすること。 (このネタはオースティンパワーズで使われている)

そういえば、ジャッキー・チェンの昔の映画は、 だいたい悪者に最初にぼこぼこにされたときには師匠が殺されていたと思う。 勧善懲悪の重要な要素の一つである「仇討ち」というやつだ。

教訓2。自分が悪者であると感じたときは、 師匠を殺すときに弟子もかたっぱしから死んでもらうこと。

また、シュワルツェネッガーは、 たいして良いことをしてくれない神を信じるか、 死んだ妻と娘を復活させてくれるというサタンの言うことを聞くかで、 何度かヨブのような葛藤をするが、けっきょく神の側に付き、 死ぬまえに妻と娘の姿を見てから息を引きとる。

このときに、「天国ですぐに会えるはずなのに、 わざわざ下界まで降りてくるとはご苦労なことだ」 などと言うと興覚めなので注意。

また、「そういう奇蹟が起こるぐらいなら、 シュワルツェネッガーを死なさないで、 生き返らせてやればいいのに。 神はほんとにケチだなあ」 などと言うと空から雷が落ちてくるので注意。

最終的には神と信仰が勝利してめでたしめでたし…という感じだが、 ほんとにそうなのだろうか。よく考えてみると、 シュワルツェネッガーは痛い思いばかりしてロクな死に方をしなかったし、 第一サタンが勝った場合の世界がどんなものなのかもわからない。

なぜこんなに単純で素朴で幼稚な善悪二元論の映画を作るのか。 映像はこんなにハイテクなのに、 内容はジャッキー・チェンの20年前の映画とほとんど変わらない。 しかも、ジャッキー・チェンは小中学生のころに見るから 道徳的な教育効果があるかもしれないが、 この映画はセ、セセセックスシーンがあるので 15才か18才以上しか見れないだろう。なぜこんなに単純なのか?

もちろん、「米国人はこういう単純で素朴で幼稚な善悪二元論が好きなのだ」 とか「米国人はこういう単純で素朴で幼稚な善悪二元論しか理解できないからこそ、 民主党でも共和党でもないラルフネーダーが出馬しても、 大半の人間は彼を善悪のいずれにも分類することができず、云々」 とか言うことは簡単だが、ほんとにそれが理由なのか。

ひょっとすると、ハリウッドの考えはもうすこし複雑なのかもしれない。 この映画の正しい見方は、 サタンの力にしびれて、 シュワルツェネッガーのような死に方するくらいなら、 サタンの側についた方がましだと感じることなのかもしれない。

いや、やっぱりそうではないだろう。 ハリウッドの思惑は、 「単純な勧善懲悪を好み、爆発や銃撃戦を好む連中を喜ばせられる映画で、 しかもそれだけではマンネリなので、 聖書の話を下敷きにすることでインテリ(別名スノッブ)にも多少受けるようにし、 悪の魅力もすこし強調することで、 あとで映画の内容についてだれかがウェブ日記で解釈を講じるような、 そういう映画を作ろう」 というものではないだろうか。

まあいずれにせよ、 型にはまったハリウッドアクション映画であることは間違いないので、 そういうのが好きな人にはおすすめ。 そうでない人もひまつぶしにはいいかも。 論文やエッセイを書いているひまでない人は観るべきではない。C。

The Mummy

もの足りなかったのでもう一本観てしまう。 The Mummyという映画。

3000年以上前に葬られた邪悪なミイラがよみがえり、 人々を殺戮して悪の帝国を作ろうとするが、 ヒーロー(Brendan Fraser)とヒロイン(Rachel Weisz)に阻止される、という話。 舞台が違うだけで、 基本的にはEnd of Daysと同じ筋書きになっている。 吸血鬼、ミイラ、サタンの復活という話は、 だいたい同じ筋を辿らざるを得ないのだろう。 (彼らはなぜか女性を必要とし、ヒーローがその女性を守るためにたたかうという筋)

しかし、 エジプトの遺跡発掘というのはどこかわくわくさせるところがあって、 途中まではインディ・ジョーンズのような感じでおもしろかった。 このように冒険的要素を入れるとおもしろくなるようだ。

また、探険隊のメンバーが一人ずつ殺されるという スプラッタ的要素も入っていたようだ。

登場人物も個性豊かでよいのだが、 敵のボスに(007におけるような)強力な片腕がいないのがさみしい。 また、役者が多すぎて、主人公の男優の印象が弱くなっている(とくに後半)。 それに比べると、シュワルツェネッガーの存在感は大きい。

というわけで、この手の物語をおもしろくする要素を考えてみると。

  1. 個性の強い主人公がいること。
  2. 主人公の頼もしい親友、 あるいは主人公を育てる師匠がいることが望ましい。 (成長的要素)
  3. 美人のヒロインがいること。 気が強くて最初は主人公を嫌っているが、 最後には主人公と恋に落ちることが望ましい。 (恋愛的要素)
  4. 非常に邪悪な悪者がいること。
  5. 悪者にはめっぽう強い片腕がいることが望ましい。 悪者なのに妙にかっこよかったり、義侠心があったりするとさらに望ましい。
  6. [第一の山場] 物語の中盤で主人公が悪者によってぼこぼこにされること。 さらに親友あるいは師匠が主人公の目の前で殺されることが望ましい。 (仇討ち的要素)
  7. 同時に、ヒロインが悪者によってさらわれること。 悪者が主人公を殺さない代償として、 自分の身を悪者に委ねるというのが望ましい。
  8. 主人公が悪者の住み家に乗り込むこと。 悪者の住み家にはいろいろ罠がしかけられているとよい。 (冒険的要素)
  9. また、親友がまだ生きている場合は、 このあたりで悪者の片腕によって殺されるのが望ましい。
  10. [第二の山場] 悪者の片腕がいる場合は、 ここで主人公と一騎打ちをして殺されることが望ましい。
  11. [クライマックス] ヒロインが悪者に手ごめにされる寸前に主人公が助けにやってきて、 死闘の末に悪者を倒すこと。 基本的には最後に主人公とヒロインが抱き合って大団円だが、 主人公が悪者と相討ちになると一味違った結末を迎えることができる。
  12. なお、続編のことを考えると、悪者は半死半生で逃げるか、 死ぬ前に子供を作っておくことが望ましい。

以上の要素に当たる部分を、 『あしたのジョー』、『ジョジョの奇妙な冒険(第一部、第二部)』、 『スターウォーズ』等々の物語に当てはめて考えてみると、 それぞれいくつか抜け落ちる点はあるが、 だいたい思い当たるところがある。

話が長くなったが、先の映画は冒険的要素があっておもしろかったが、 後半が今いちだったのでC。 気晴らしに良いが、論文やエッセイの〆切が近い人は観るべきではない。


23/Dec/2000 (Saturday/samedi/Sonnabend)

日記の整理

ポルノ王の新聞社買収の是非

メディア王(media magnate, media tycoon)というのは日本ではあまり聞かないが、 英国にはThe Timesを買収したマードックとか、 ロシアには政府の弾圧を避けるために国外に逃亡しているグジンスキーや なんとかかんとかという、強力なメディア所有者がいる。

リチャード・デズモンドという英国人もそういうメディア王の一人だが、 彼の場合は、数多くのポルノ雑誌やその他のポルノメディアの所有者であるため、 ポルノ王と形容されることが多い。

ちなみに、どういうタイトルのポルノ雑誌を発行しているかと言うと: Asian Babes, 50 and Over! (『50才以上!』), Horny Housewives, Mothers-in-Law, etc.

まあそれはいいとして、英国では先日から、このデズモンド氏がタブロイド紙の Daily ExpressDaily Starを買収したことが問題 になっている。タブロイド紙だからもともと下品で低俗な話題が多いのだが、 ポルノ王に買収されるのはたまらんというので、 すでに編集部からは60人ほどが自主退職したらしい。

実際、こういうメディア王は新聞の編集方針にかなり口をはさむようで、 The Timesもマードックに買収されてからさっぱりダメになった というのがもっぱらの評判である。

新聞に栄枯盛衰があるのは当然だし、 それはまあ仕方ないんじゃないかと思っていたら、 なんとこの買収に関しては政府が介入する可能性があるらしい。 (ここからが本題)

実際、以前に似たような買収が行なわれたとき、 日本の公正取引委員会にあたるthe competition commissionが介入し、 ポルノ会社を所有している人物が新聞社を買収するのは 社会的に好ましくないという理由から、 買収を中止させたそうなのだ。

この事例をもう少しくわしく説明しておくと、 The Daily Sportという 東スポみたいなタブロイド紙を所有していたデヴィッド・サリヴァンが 10年前にthe Bristol Evening Postを買収しようとしたとき、 the competition commissionの前身であるthe monopolies and mergers commission が、独占でも不当な合併でもないにもかかわらず、 次のような理由から買収を禁止したそうだ。

If Mr Sullivan had bought the newspapers he "could be expected to influence editorial policy and the character and content of these papers and this would harm both the accurate presentation of news and the free expression of opinion".

(the Guardianから引用)

要するに、サリヴァン氏が新聞社を経営することになると、 新聞の質が悪化し、記者も自由な発言ができなくなる、ということだ。

いかにももっともらしい理由だが、しかし、新聞の質が悪化し、 記者が自由な発言ができなくなるという理由で、 政府機関が新聞社の買収を禁止してよいのだろうか。

新聞の質が悪化すれば市民は新聞を買わなければいいのだし、 記者が自由な発言ができないというのであれば、別の新聞社に移るか、 新しい新聞を作ればいいだろう(そんなに容易ではないだろうが)。

新聞はラジオやテレビのようにある周波帯を独占しているわけではなく、 好きな数だけさまざまな種類の新聞を発行できるのだから、 別にDaily Expressがポルノ雑誌化しても問題ないではないか。 市民に良識があれば誰も買わなくなるだけだし、 たとえ良識がなくても、よく売れるポルノ雑誌が一つ増えるだけで、 ポルノ雑誌がニューズスタンドにあふれている今日においては、 そんなことは政府が介入することではないだろう。

ガーディアンはデズモンド氏が痛い目にあうことを望んでいるようだが、 政府の介入に何の問題も感じていないようなので、 ちょっと首をかしげてしまう。これが英国気質なのだろうか。

Zelig

夜、NFT(英国映画劇場)で友人と一緒にWoody AllenのZeligを観る。

まわりの人間に愛されたいという強い欲求が高じて、 まわりの人間の種類に応じて姿形までが変わる人間になってしまった精神患者 (Woody Allen)が、 女性の精神医(Mia Farrow)によって治療される様子を、 ドキュメンタリー形式で描いた映画。

1920年代の狂躁的な米国を舞台にし、 当時のニューズリールと当時を回想する現在の人々のインタビューを うまく利用しながら、非常に完成度の高い、 かつユーモアにあふれた映画にしあがっている。

Woody Allenの映画をまともに観たのはこれがはじめて。 この映画は彼の傑作の一つらしいが、 チャップリンと同じような圧倒的な才能を感じた。 ほんとにすごい。B++

(う〜ん、下手な感想だな。しかし、 奥の深い映画なので、 もう二、三度観ないときちんとした意見を書けない気がする)


24/Dec/2000 (Sunday/dimanche/Sonntag)

It's a Wonderful Life

James Stewart, Donna Reed (1946).

BBC2で観る。白黒ハリウッド映画。 フィナーレまでの盛り上げ方がすごい。B-。

Magnolia

友人から借りたVCDで観る。 病気、麻薬、不倫の罪悪感など、 それぞれ悩みを抱えた人々の人生模様を描いた作品。

う〜ん。悪い映画ではないけど、 死ぬほど暗い(あるいは病的な)わけでもなく、 映像が印象的なほど美しいわけでもない。 中途半端に芸術性を追求している感じ。 少なくともクリスマスに一人で観るべき映画ではない。C-。


25/Dec/2000 (Monday/lundi/Montag)

クリスマス

ロンドンのクリスマスは…、と言えるほど詳しくは知らないが、 とにかく25日はあらゆる店が閉まっている。 地下鉄は動いていないし、バスも走っていない。 夜に外に出ると人影がほとんどない。

今日は寮で夕食が出ないので、 寮の友人たちと一緒にチャイナタウンに行き食事をした。 チャイナタウンの店もほとんど閉まっていたが、 (日本料理屋一軒を含めて)いくつか開店しているところがあったので助かった。 しかし、クリスマス料金を取られた。やるな。

クリスマスはロンドンにいるべきではなかった。 やはり友人の誘いに応じてパリに行くべきであった。


26/Dec/2000 (Tuesday/mardi/Dienstag)

007 Gold Finger

夕方、テレビでやっていたジェームズ・ボンドのGold Fingerを見る。 ボンド役はSean Connery。 オースティン・パワーズを見たあとでこの映画を観るとなんとも笑える。B-。

今日の勉強

ふたたび勉強しはじめる。 年内にベンタムのエッセイを書くこと。 明日もしっかり勉強しよう。


27/Dec/2000 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

Hamlet

夜、Ethan Hawke主演のHamletを映画館に観に行った。

同名のシェイクスピアの劇にもとづいているが、 舞台は現代のニューヨーク。 しかし、英語は`My Lord'とか`Fear me not'とかいう古臭い英語で、 はじめのうちは異様な感じがした。 話の筋は知っていたのでなんとかついていけたが、 ちょっとあの英語を完全に聞きとるのはむずかしい。 オフィーリア役も印象が薄くていまいちだったので残念。C+。

そういえば、今日ひさしぶりに外出したら猛烈に寒いのでびっくりした。 日中の気温は3度くらいだそうだ。夜は2度となっているが、 風が強いのでもっと寒く感じる。

法哲学メモ

欧州人権規約だったか、 あれが今年秋から英国でも効力を持つことになったわけだが、 さっそくいろいろ訴訟が起きている。

一つおぼえているのは、三人息子がいて、一人娘を亡くした親が、 次の子供はぜったいに娘でなければならないというので、 女の子の赤ちゃんを産む権利を勝ちとるために ヘイグかどこかにある人権裁判所に訴えたという件。 これはまだ進行中だと思う。

第三者の精子提供によって産まれてきた子供が、 精子を提供した親を知る権利があるか、 という件も、そろそろ人権裁判所で問題にされるらしい。 なんでも、子供が精子の提供者の情報を得られないことは、 第8条の「私的な家族生活への尊重権」(the right to respect for private and family life)の侵害に当たると訴えているらしい。

この件はjudicial discretionの問題としておもしろいので、 またそのうち考えてみよう。この問題は、ようするに、 この困難な事例に関して判決を出す裁判官は、 いわゆる「裁判官立法」をしているのか、 あるいは、あくまでなんらかの上位の法に従って判断をしているのか、 という問題。

News Memorandum

from today's Guardian

28/Dec/2000 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

円安

日本経済の調子が悪くてデフレが起こっていると新聞で読んだが、 なんと今日ついに1ポンド170円になってしまった。 ついこないだまで155円くらいだったのに。最悪だ。 働け日本人。買物に行け日本人。

初雪を契機とする買物に関する方法論的考察

[Russel Square in White]

ついに雪が降った。今週は英国全域に渡って雪が降るそうだ。

あまりに寒いので、 バーゲンをやっているらしいオックスフォード通りに行き、服を買う。 人混みにもまれながら数時間いろいろ店を回り、 皮のジャケットなどを買った。

服を選ぶのは昔から大の苦手なので、 店をいろいろまわりながら、 なぜ服を選ぶのがこんなに苦手なのか考えていたのだが:-)、 ようするに服について無知なのがいけないようだ。

そもそも、よく考えてみると、「寒いから何か上着を買おう」 というぐらいの決心しかしないでオクスフォード通りに買物に行くのは、 「音楽が聞きたいから何かCDを買おう」 という気持でヴァージンメガストアに行くぐらい無謀なことだ。 (あるいは、 「本が読みたいからブリティッシュライブラリーに行こう」などでもよい)

ロックの場合はとりあえずビートルズとかストーンズとか U2とかブランド物を知っているので困らないが、 これがラテンアメリカ音楽とかノイズとかデスメタルとかになると、 ちょうど服を選ぶのに困るように、 どれを選んでいいのか困ってしまうわけだ。

それでもCDの場合だとだいたい各ジャンルにおすすめのシールが 貼ってあるCDがあるが、洋服の場合はそれすらない。 もちろん店頭に飾ってあるものや、セール中のものはあるが、 それらはふつう、どう転んでも自分には似合いそうにもないものも多いので、 「おすすめCD」ほど普遍的なものではない。

また、店の人に相談にのってもらえばよいのかもしれないが、 無知をさらけだすくらいなら舌をかんで死んだほうがましだとかつい考えてしまい、 店員が親切に話しかけてきても、 「いや、見てるだけです。ほっといてください」 とか答えてそそくさと逃げてしまう。

話がだんだんわからなくなってきたが、 まとめると、音楽について無知だとCD屋に行ってもなかなか選べないように、 服について無知だと服を買いにいってもなかなか選べない(それどころか、 自尊心を深く傷つけられて死にたい思いにかられる)ということだ。

対策としては、やはり、服についてくわしくて親切な友人か、 または特にくわしくはないがセンスのよい友人か、 あるいはまったく服についてくわしくないしセンスも疑わしいが、 「これがいいんじゃない、これとか。うん、それも似合ってると思うよ。 たぶんね。けけけけ」とか無責任なことを言いながら適当に選んでくれる友人と 一緒に行くのが無難なようだ。

ちなみに今回は三番目の人種と一緒に買物に行った気がする。

News Memorandum

from today's Times


29/Dec/2000 (Friday/vendredi/Freitag)

30世紀と22世紀

先日、22世紀がどうなるか考えていたが、 未来を想像するのはかなり難しいので途中で投げだした。 すると、今日のガーディアンに『2001年宇宙の旅』 のアーサー・C・クラークが1000年後の3001年の予想をしている。 主要な予想は、

など。まあ誰にでも適当な予想はできるので、 先日考えていた22世紀の予想を挙げておこう。

まず国際情勢から。無知なのでいいかげんなことを書く。

次は発明。これももちろんいいかげん。 しかし、国際情勢をいいかげんにでっちあげるよりも難しい。

問題はおれが22世紀まで生きているかだが、 交通事故などで死なないかぎり、 おそらく生きていると思う。 2100年には126才になっているはずだが、 医学の発達のおかげでピンピンしているかもしれない。

News Memorandum

from today's Guardian


31/Dec/2000 (Sunday/dimanche/Sonntag)

2000年12月31日の正しい過ごし方

朝4時就寝。

朝8時半起床。朝食を食べたあと、二度寝。

昼12時に起床。いそいそと外出の用意をして、 歩いてトラファルガー広場へ。

13時にナショナルギャラリー入口で某夫妻に会い、中華街で食事。 ごちそうになる。感謝。

15時すぎにナショナルギャラリー入口で某友人に会い、 バッキンガム宮殿の前の大通り(The Mall)でやっている fun fair(遊園地のこと)を見に行く。 かなり危なげなアトラクションもあったが、 おれも友人もchicken(臆病者のこと)なので、 小さな観覧車に乗る。 それでもけっこう恐かった(ボロだから)。

16時すぎに日が暮れたので、 テムズ川に沿って寮に戻る。 途中、サマセットハウスに寄る。 コートールド美術館に寄り、 印象派の絵を重点的に見る。 ドガの「椅子に座って髪を整える女(Seated Woman Adjusting Her Hair)」 のポスターを買う。

17時半に寮に戻って夕食。 そのあと21時まで寝る。

21時半、 ギターを弾いていたら寮の一角で行なわれているパーティに誘われたので顔を出す。 しかしパーティといっても酒を飲むだけなので早々に退散。

22時30分、雨がしとしと降るなか、 友人たちとトラファルガー広場に向けて出発。 23時ごろに到着すると、すでにかなりの人数が集まっている。 警官も相当数いる。 体育で使うような笛(呼び子)を吹く連中がたくさんおり、 鼓膜が破れそうになる。

24時、まわりの人につられてぎゃあぎゃあ騒ぐ。 しかし、カウントダウンも花火もIRAのテロもなかったのでいくらかがっかりする。 臨時に設置された巨大なスクリーンを見ると、 「A Happy New Year from the City of Westminster; Please Leave the Square Now」と書いてあった。

24時半、友人たちの大半とはぐれる。 もう一人の友人と二人で中華街に行き、夜食を食べる。

26時ごろ、オクスフォード通りを通って帰途に着く。 友人を寮まで送ったあと、自分の寮に戻る。


何か一言

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KODAMA Satoshi <kodama@ethics.bun.kyoto-u.ac.jp>
Last modified: Fri Jul 28 07:37:42 2000