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KODAMA'S (NEW) WORLD

どこかの森に迷いこんだ旅人たちは、 あちらへ向かったり、こちらへ向かったりして迷い歩くべきではなく、 いわんやまた一つの場所にとどまっているべきでもなく、 つねに同じ方向に、できるかぎりまっすぐに進むべきであって、 その方向を彼らに選ばせたものが はじめはたんなる偶然にすぎなかったかもしれぬにしても、 少々の理由ではその方向を変えるべきではないのである。

---デカルト『方法序説』


昨日 / 明日 / 2016年12月 / 最新 / はてな

この日の出来事


16/Dec/2016 (Friday)

某講義、某忘年会など

少し早めに起床して某予習。朝食、朝刊、髭剃り。

朝、娘を保育園に送り、いったん帰宅してから大学へ。 午前中は某講義。ミルとダーウィン。

お昼、某君らとカンフォーラで昼食。

お昼すぎ、しばらく雑用。メールの返事など。

昼下がり、某演習。部活の体罰。

夕方、しばらく勉強。夜、バスで松ヶ崎に移動し、 某先生宅で飲み会。歓談。

真夜中、大学に自転車をとりに行ってから帰宅。寝る。


16/Dec/2013 (Monday/lundi/Montag)

某講義、The Triffidsなど

定時起床。シャワー、朝食、朝刊。娘を保育園に送ってから大学へ。

午前中は雑用。しょぼんなお知らせ一件。

お昼、購買部でパンとおにぎりを買ってから某支部会議に出席。

お昼すぎ、急いで授業の準備。昼下がり、某講義。まだRule of Rescueの話。

夕方、いろいろ雑用。夜、帰宅して夕食。夜中、娘と風呂。それからまもなく 就寝。よく寝る。

The Triffids, Born Sandy Devotional (1986). 某氏にいただいたもの。80年 代に有名だったオーストラリアのオルタナティブロックバンド。かなりいい。 先日見たBlackeyed Susansはこのバンドに関係しているそうだ。


16/Dec/2012 (Sunday/dimanche/Sonntag)

オンライン研究会、衆院選など

少し遅めに起床。朝食、朝刊。

午前中、投票に行くついでに三人で散歩。と思ったら、投票所は混んでいたの で後で行くことにして六義園そばのフレーベル館へ。娘もアンパンマンにはま りつつある。しばらく公園で遊んでから帰宅。

少し遅めにお昼を食べてから娘と昼寝。

夕方、再び投票所に行って投票してくる。今回わたしは都知事選に関して選挙 権がなかった。

夜、早めに夕食。それから娘を風呂に入れ、某オンライン研究会。

真夜中、食器を洗いながら衆院選の開票結果をテレビで見る。自民党が歴史的 な大勝。


16/Dec/2011 (Friday/vendredi/Freitag)

某講義の準備など

定時起床。ゴミ出し、髭剃り、朝食。娘を保育園に送ってから、研究室へ。そ れから昼下がりまで、雑用と平行してひたすら月曜日の駒場の講義の準備。し かし終わらず。

昼下がり、某ラーメン屋で遅めの昼食。

夕方から某講義。インフルエンザ対策の話。つつがなく終わる。

夜、課題研究論文を無事に提出した院生たちのお疲れさま会に少し参加。ワイ ンをいただく。遅めに帰宅して夕食。

夜中、疲れてすこし床で寝る。それから娘を風呂に入れ、食器を洗う。いろい ろ終わってなくてまずいが、体調もあるので、もう寝ないと。

ソーリー・ワークス

翻訳が出たので紹介しておく(前田正一監訳、児玉聡・高島響子訳)。

タイトルが少しわかりにくいかもしれないが、医療事故が起きたときに患者と その家族に対して迅速に情報開示と謝罪をすることを勧め、またその仕方につ いて解説している本。

他の業種と同様、医療においても組織によるミスの隠蔽というのが問題になっ ている。しかし、医療事故後に事故の事実を隠したり患者や家族に嘘をついた りすると、医療者と患者の間の信頼関係が失なわれるばかりか、民事訴訟や刑 事訴訟に発展して、誰一人幸せにならないという結果が生じる。とりわけ米国 ではこのような理由で生じる民事訴訟が長いあいだ数多く行なわれてきた。

そこで、発想の転換を行ない、医療事故後は院内における徹底した調査を迅速 に行ない、情報開示と(必要な場合には)謝罪と補償を行なうことで、医療者と してのintegrityを保つとともに、医師-患者関係を維持することもでき、訴訟 の費用も節約できる、という考え方が、とくに2000年代になって英米圏で盛ん に言われるようになってきた。本書はそういう流れにある代表的な一冊。基本 的には医療関係者のための本だが、謝ることの重要性についても教えてくれる ので、一般の人が読んでもそれなりにおもしろいだろうと思う。

翻訳はたしか6月ごろから本格的に始めて、こないだまで苦労してやった。ま あわかりやすく訳してあると思う。哲学書ではないので、比較的意訳の部分も 多いが、内容は基本的に正確なはず。


16/Dec/2010 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

真夜中

定時起床。ゴミ出し、シャワー、朝食。

定時出勤。今日も午前中から日が暮れるまで、某院生の論文指導。 提出日が明日なので、集中的にやっている。 もっと早くから積極的に介入しておけばよかった。 レッセフェールや生ぬるく見守っていてはいかん。

夜、帰宅して夕食。買ってきた地デジチューナーを試してみたり。

夜中、メールの返事などいろいろ作業。忙しい。新聞を読んだら寝るべし。


16/Dec/2009 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中

朝、早起き。髭剃り、朝食。

今日も歩いて大学へ。午前中は準備。

お昼すぎから某集中講義三日目。ムーア、プリチャード、ロス、 「義務論」について。内容が少なかったようで、かなり早く終わってしまう。 終了後、しばらく勉強。

日が暮れてから歩いて自宅へ。

夜、近くのおでん屋で夕食。ビールと日本酒。

週刊アスキーを買い忘れていることに気付き、 コンビニを二軒ほど回るが、見つからず。失意のうちに帰宅。

そういえば、昨日、某筋からマフラーをいただく。感謝。

もう寝よう。


16/Dec/2008 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中

朝、定時起床(少し遅め)。シャワー、朝食、地下鉄で定時出勤。

午前中は勉強。お昼、某ランチョンセミナー。 Dignitas Personaeと、ヘイスティングズセンターの本の紹介。 自分を入れて出席者三名。しくしく。

お昼すぎ、某用事。そのあと、某ミーティング。

昼下がり、某生協に不良品交換扱いになっていたウェブカメラを受け取りに行く。 その後、某先生たちと一時間ほど某相談。疲労。

夕方、スーツに着替えて某試問に出席。途中、眠くて死にかける。二時間ほどで終了。

夜、疲れてしばらく動けず。一時間ほど研究室で片付け。 Skypeで家にいる某妻とファーストコンタクトしてみる。それから帰宅。

夕食後、ソファで少し寝る。それからジョギングに行こうとしたが、 ちょうど雨が少し降ってきたので断念。新聞を読み、明日の某講義の準備をする。

あ、某サーバにSSHでログインすることができるようになった。

あ、週刊アスキーを買うのを忘れた。

そういえば、クリスマスカードは昨日書いて、某妻に出してもらった。さんくす。


16/Dec/2007 (Sunday/dimanche/Sonntag)

お昼前

休日にしては少し早起き。シリアル、朝刊。 昨日買った「モカ・エチオピア・アグロインダストリー」という豆で飲んでみるが、 かなり薄いコーヒーができてしまった。失敗。

シャワー。今日は散髪に行かないと。

お昼すぎ、昼食をとってから散髪屋へ。眠かった。 自分は散髪屋が苦手であり、面倒だと思っていることを再確認。 (ブログを見ると、知り合いの男性がみな「散髪に行かないと」と書いているので おもしろい。今日は散髪日和なのか)

帰宅してから夕方まで寝る。 それから某翻訳作業(そういう仕事ばかりやっている…)。

そういえば、昨日、自分より年下の某氏(女性)が、「わたしの主人は…」 という表現を使っていたので、少し驚いた。「主人の対義語は奴隷では」 と思わず言いそうになったが、思い留まった。 家父長制の名残の表現の気がするのだが、別に気にすることもないんだろうか。

「こっ、この偽善者が。 そんな風に常識人ぶって古き良き日本語の言葉狩りするよりも、 某妻に家事を任せきりの自分の態度を自己批判してみたらどうなんだ」

「す、すみません。家事やります…」

夜2

夜、コーヒーを飲みながら、某翻訳作業。一応終了。 そのあと夕食。

面倒だが、義務感からクリスマスカードを書くべし。

真夜中

クリスマスカードを3通ほど書いたあと、某妻と30分弱ジョギングに行く。 最初は北風が寒くて死ぬかと思ったが、 最後の方は体も温まってなんとかなった。

そのあと、ワーキングプアについてのNHKスペシャルを見て、 げっそりしてから風呂に入る。 来年の政治哲学研究会のテーマはこれ関連かなあ。

真夜中、しばらくガーディアンウィークリーを読む。 湯冷めしないうちに寝よう。


16/Dec/2006 (Saturday/samedi/Sonnabend)

すこし寝坊。ゴミ出しができなかった…。

メモ。某氏の書いているようにトゥーリーやシンガーらの議論を理解するのは難しい。 「〜はpersonである」という主張を価値判断と理解したトゥーリーは、 メタ倫理学で言えばムーアとかエアのようなもので、 混乱していた議論を次のレベルに持っていく、 まさにブレイクスルーな知見だと思う。 しかし、英米でも(今度『創文』で紹介するように)いまだに「あの人たちの議論は 精神を患っている人の議論と同じで、共感能力に欠けている」という外在的な批判や、 「赤子を殺すことは殺人であるからいけない」といった(トゥーリーから見れば 論点先取の)批判がなされている。 一方ではシンガーやヴィーチらは、トゥーリーの知見を応用して、 脳死の文脈で「〜は死んでいる」という主張も価値判断だと理解したが、 これはもっと理解されず、倫理学者のoccult doctrineとなっている(と思う)。 このあたり、メタ倫理学の議論をしっかり紹介したうえで、 議論を進める必要があるのではないか。がんばれ倫理学者。

メモ2。倫理的不正と非難。 ある人が倫理的に不正な行為をしたから、 その人を法的に処罰することが正しい、とは直ちには言えない。 法によって処罰することの帰結も考慮しなければならないからだ(ベンタム参照)。 同様に、ある人が倫理的に不正な行為をしたから、 その人を非難することも正しい、とは直ちには言えない。 非難することによる帰結も考慮しなければならないからだ(シジウィック参照)。 このことの実践的意味は、 「正しいことをするにも、いろいろな方法がある」ということだ。 肝に銘じるべし。

メモ3。評判と株価。 評判は株価のようなもので、上がることもあれば下がることもある。 今は底値であっても、そのうちにまた値が上がるかもしれない。 一喜一憂する必要はない。粉飾をしようとせず、 着実に実績を上げていくことだ。

メモ4。ミルの自由論とショーペンハウアーの読書について。 両者とも、他人のfootstepを歩むだけでは真の成長はありえないとしている。 ミルは、強制されてある生き方をするのと、 自由に選んで同じ生き方をするのとでは、その生き方が当人に与える影響は まったく違うと述べている(だったと思う)。 ショーペンハウアーも、思考について同じことを言っている。他人のものを 読んでえたideaと、自分で考えたすえにえたideaは、同じideaでもその 重さが違う、うんぬん。 しかし、われわれは生き方を強制されることに対しては強く反発するのに、 思考に関しては強制されていなくてもつい他人の奴隷になってしまう。 読書をして、その主張を紹介できるほどに暗記すれば事足れりとしてしまう。 人からの教え(とくに英語圏の人々のそれ)をありがたくおしいただいてしまうのだ。 そのような奴隷状態から抜け出し、自分で考える習慣を身に付けること。 ただし、それは他人がすでにあるテーマについて言っていること、 書いていることを無視してよいということでは決してない。 バランスと批判精神が必要なのだ。

夜中

午前中、大学に行き、某発表の準備。 お昼に急いで高田馬場へ。 少し遅刻して某研究会で終末期医療について発表。 夕方までまったりと。

夜、懇親会に参加したあと、山手線で帰宅。 家で湯豆腐などを食べながら焼酎。懇親会でもビールと焼酎。

これで年内の仕事はあと一つのはず。とりあえず今日は寝て、 明日からまたがんばろう。

今日のニュース


16/Dec/2005 (Friday/vendredi/Freitag)

昼下がり

今日もお昼前に起きてしまう。

お昼は同僚の某氏と。カキフライ定食。

昼下がり2

これから某四ツ谷の大学に行き、研究会に参加してくる予定。 なんだか調子が悪いが、外の空気でも吸って元気を出そう。

Always look on the bright side of life... (lyrics here).

真夜中

夕方、某四ツ谷の大学で開かれている国際会議をちょっと拝見してくる。 公衆衛生の発表を目当てに行ったのだが、それほどたいした内容では なかったので、少し早目に退席して、高田馬場な某氏とアトレの喫茶店で歓談。

それから湯島へ行き、研究室の忘年会に参加。 楽しく飲む。二次会は本三の駅前で。また楽しく飲む。 ビール、芋焼酎、酎ハイ、泡盛。泡盛が効いたようで、 すっかり出来上がって帰宅。

今日のニュース


16/Dec/2004 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

夕方

朝起きたが、二度寝してしまい、昼下がりに大学に来る。 いかん、たるんどる。

(できれば)今日やること


16/Dec/2003 (Tuesday/mardi/Dienstag)

真夜中 (午前)

帰ってきてから焼きそばを作り、そのあと少し勉強する。 もう寝た方がよさそうだ。

なんとか起きる。たいへん。

昼下がり

お昼前から医療倫理の勉強会。 英国法の制度の説明と、医師-患者関係のモデルとか。 勉強になる。

集会室でお昼を一緒に食べる。 某先生も訪ねてこられる。

午前中だけで体力を消耗したが、これからさらにミーティング。がんばろう。

夕方にミーティングが終わったあと、急いで某不動産屋へ。 部屋を二つ紹介してもらうが、片方は北向き、もう片方は西向きの部屋。 しかも西向きの部屋には洗濯物を干すベランダもない…。 面倒だが、もう少し不動産を回らないといけないようだ。 今は一番物件が少ない時期なんだそうだ。

購買部で間食用のお菓子などを買ってから研究室に戻ってくる。 メールを二三書き終えると、つかれて動けなくなる。ちょっと寝よう。

夜2

と思ったが、某氏と定食屋へ。正門の側に老舗の定食屋を見つける。 某氏も近く引越しをするそうだ。今回は16件ほど下見に行ってから決めたとか。 引越しの達人だ。

散歩がてら、昨日紹介された部屋をもう一度見に行ってみる。 大通りから少し離れているので自動車の音は問題なさそうかなと思うが、 ちょっと行くと某消防署があるので、ひょっとすると毎晩サイレンの音に うなされる可能性もあるかも、と考えたり。まあ、最悪の場合でも耳栓を すればいいのだが。

子曰、學而時習之、不亦説乎。

夜3

一個仕事が終わった(適当だけど)。あとは金曜日の準備をせねば。

夜中

金曜日の分にも手をつけようかと思ったが、つかれたので帰ろう。 しかし、あと二日しかない…。

真夜中

帰宅。

もう寝なければ…。


16/Dec/2002 (Monday/lundi/Montag)

真夜中 (午前)

人工妊娠中絶の勉強中。晩御飯は海親子丼、納豆。 一合半食べて死にそうになる。

早朝

う〜ん、結局ほとんど徹夜になってしまった。

寝るのが怖いが、ちょっと休もう。 9時に起きて9時半には家を出ること。

なんとか起きる。トースト。

行くべし。

昼下がり

奇跡的にバスに乗り、奇跡的に余裕を持って某大学に着く。 今回も中絶の議論。自己決定、脳生基準の話など。 補講代わりに昼休みまで延長するつもりが、時間通りに終わってしまった。

それからバスに乗って戻ってくる。途中、花屋を探して延々歩く。 探すとなかなかないのが花屋。ようやく一軒見つけて入ると、 ThinkPadの犬にそっくりの黒い犬に出迎えられた。 ひさしぶりに犬とじゃれた。しつけがなっていたが、 さすがに奈良の鹿のようにおじぎをすることはなかった。

某所でスパゲティを食べてから帰宅。眠い。

「中絶と自己決定」考

「ぼくは小心者なのでフェミニストに盾突く気はないんですけど、 この文章どうなんですかね」

「どれどれ」

「胎児は人間であるか否か」とか「胎児にも人権があるか否か」とか「胎児に も人格があるか否か」あるいは「中絶は良いか悪いか」等の論議がある。
この場合に重要なのは、これらの問題設定をするのは人間であり、その結論を 出すのは、その問題を設定している人間であるということである。したがって 結論はその問題を設定した者によってどちらにでも導くことが可能である。故 に、どちらかの自分が導き出した結論を他者に押しつけることは許されない。
また、「中絶は胎児の生命を抹消する殺人だ」といって中絶を否定する主張も あるが、中絶は、出産を望まないのに妊娠している女性が、そのからだを妊娠 前の状態に戻す行為であり、胎児の生命を抹消するために中絶をするのではな い、という事実を忘れてはならない。
いずれにしても、胎児の権利や胎児の生命尊重を論ずることは中絶の核心とは 別の問題である。
中絶の核心は、「胎児の生命尊重か否か」とか「胎児は人間か否か」などでは なく、自分のからだの中で進行する妊娠の継続を中止することを、妊娠の当事 者が選択することを認めるか否かの問題である。それは一言でいえば「女性の 基本的人権を尊重するのか・尊重しないのか」ということである。「中絶に関 する女性の自己決定権を、女性の基本的人権の一つとして認めるのか・認めな いのか」という問題なのである。
女性の自己決定権を認めない者は、中絶だけではなく、妊娠するかしないか、 子どもを産むか産まないか、についても女性の選択や自己決定を認めず、中に は避妊さえも認めない主張がある。

「胎児を人間と考えるか考えないか」「中絶を良いと考えるか悪いと考えるか」 などの問題は、個人の思想・信条の問題であり、本人以外の他者が介入したり 支配することではない。

三輪和惠、「人工妊娠中絶と女性の自己決定権」(斎藤有紀子編著、 『母体保護法とわたしたち』、明石出版、2002年、216-7頁)

「極端な自己決定論者やな。産経やったら血祭りになるぞ」

「またまた、大げさな。しかしそれにしても、 この議論はどこがおかしいんですかね」

「そやな、まず『問題設定をするのは人間であり、 その結論を出すのは問題設定した人間である。 したがって結論はその人が好きなように導くことができる』 というのは、かなり話が飛躍してるな」

「どうしてですか」

「この『したがって』がよくわからん。 問題設定するのはそれは人間に決まっとる。 また、結論を出すのもその人かもしれん。しかし、 だからといってそこから『結論を好きに導ける』というのは話が飛んでるやろ。 たとえば、『直角三角形において斜辺の二乗が他の二辺をそれぞれ二乗したものの和 であることを証明できるか』という問題設定する人がいて、その当人がそれに ついて結論した場合でも、その人は結論を好きに導けるわけじゃなくて、 幾何学の定理に基いて答えを出すわけや。 その結論は間違えるときもあれば正しいときもある」

「そうですね。しかし、上で言われているのは道徳的な問いでしょう。 そういう数学や論理学の問いではなくて」

「その通り。しかし、道徳的な問いやからと言って、 『結論を好きに出せる』という過激な立場を取れるかどうかは問題で、 まずそこを議論せんと、話が飛びすぎてしまうやろ。 考えてみい、『胎児にも人権があるか否か』の代わりに、 『黒人にも人権があるか否か』とか『女性にも人権があるか否か』とか、 『中絶は良いか悪いか』の代わりに『殺人は良いか悪いか』とか 『テロは良いか悪いか』とかいう問いを立てたときに、 『結論はその問題を設定した者によってどちらにでも導くことが可能である』 とはちょっと言えんやろ。ある人が『黒人には人権はない。 だから白人の主人は自己決定によって黒人を自由に奴隷にする権利を持つ』 と結論したら、 『いや、お前、口はさんでなんやけど、やっぱりそれはちょっと間違ってるで』 と意見せなあかんやろ」

「そうですね。『胎児を人間と考えるか考えないか』は個人の思想の問題であると サラっと書いてますけど、これが『脳死体を人間と考えるか考えないか』とか、 さらには『黒人を人間と考えるか考えないか』などに変えたら、 とても個人の思想の問題とは言えませんものね」

「そうや。そして胎児の権利を言う人も、同じことを言いたいわけや。 すなわち、『胎児には人権はない。 だから母親は自己決定によって胎児を自由に中絶する権利を持つ』とか、 と言う人がおったら、『いや、それはやっぱり何かまずいんとちゃうか』 と言いたいわけや。 それを『自分が導き出した結論を他者に押しつけることは許されない』 っていうのは無茶や。 どちらがどちらに『結論を押しつける』かは置くにしても、 まずどっちがより正しいのか議論がきちんとなされるべきやろ」

「しかし、そのときに議論で結論が着くんですかね。 それともデモとか暴力に訴えるしかないんでしょうか」

「いや、道徳の議論にも進歩はあると思うよ。 結論が着くかどうかはわからんけど。 たしかに道徳の多くの問題は簡単に白黒着くわけじゃあないし、 とくに人格の議論は恣意的でどうも論争は迷宮入りしている気もするけど、 しかしシンガーの本を読んでると、 多くの人が参加する議論の力によってちょっとずつ話が進んでる感じはするよ。 なのにそういう努力を無視して、 『道徳はしょせん相対的だから、人のやることに口を挟むべきではない』 というのは、こういうてもうしわけないけど、 あまりに怠惰で安易やろ」

「それにそもそも、道徳が相対的だったら『道徳は相対的だから、 人のやることに口を挟むべきではない』という普遍的な主張もできませんしね」

「その通り。『自分の結論を押しつけることは許されない』という結論も、 やはり押しつけられなくなる。とすると、こういう事を言う人にできるのは、 極端に言えば、 人とはしゃべらずに自分の部屋に引きこもることだけだということになる」

「いや、それは極端すぎるのでは。この筆者が要求しているのは、 『女性の中絶する権利』でしょう。それは認められないんでしょうか」

「もちろんちゃんとした議論があれば認められるけど、 胎児の権利について考えることなく、ただ『女性には権利がある』 というだけやったら認められへんやろ。 『中絶の核心は、「胎児の生命尊重か否か」とか「胎児は人間か否か」などでは なく、自分のからだの中で進行する妊娠の継続を中止することを、妊娠の当事 者が選択することを認めるか否かの問題である。それは一言でいえば「女性の 基本的人権を尊重するのか・尊重しないのか」ということである』 って書いてあるけど、 これってほとんど『われわれの味方か、さもなければテロリストの味方とみなす』 (You are either with us or against us in the fight against terror.) っていうブッシュ流の脅迫と同じちゃうか? だって、胎児にも人権があるかもしれんと思って 中絶に関する女性の自己決定権に疑問を持つ人は、 即座に『女性の基本的人権を侵害する不逞の輩』 と決めつけられるわけやろ? かなわんで。 女性の人権も尊重しつつ、胎児の権利も尊重したい人はどななんねんや。 胎児は女性が自由に処分できるモノかどうか、 まず議論せんとあかんのちゃうんかいな」

「きっと『モノ』だというんじゃないですか、この筆者なら」

「そしたら、なぜ胎児がモノで赤ん坊やわしらはモノじゃないか、 その理由を納得できるように説明してもらわなあかんやろ。 そこから議論が始まるわけや。 思想や信条の自由や言うてダマって中絶することが許されるというのは それこそかなわん世の中や。 ちゃんと道徳的に間違ったことしてないって説明してもらわな」

「そうですねー。ついでに最後にシンガーの文章も引用しておきましょうか。 『中絶反対運動は自らを「生命擁護派(プロ・ライフ)」と称しているが、「女 性が望みさえすれば中絶できる」という主張を擁護する人たちは「生命否定派」 と自称しているわけではなく、「胎児の生存権否定派」と名のってさえいない。 彼らは「選択擁護派(プロ・チョイス)」という名称を好んで使っているのであっ て、中絶問題を「妊娠を継続するかしないかに関する女性の選択権」の問題と して論じているのである。彼らは、「成長しつつある人間が生存権をもち始め るのはいつからか」という問題について明確な立場を取るのを避けようとして いる。これは政治的戦術としてならよいかもしれないが、哲学としてはお粗末 である。中絶問題を(互いに同意した成人間の性的行動のように)個人の選択の 問題として論じることは、胎児がほんとうに問題にならないことをはじめから 前提している。人間の胎児は胎児以外の人間と同じ生存権をもっていると考え る人なら、奴隷制度を奴隷主の自由な選択の問題であるとみなさないのと同様 に、中絶問題を選択の問題だとみなすことはできないだろう』(ピーター・シ ンガー、『生と死の倫理』、昭和堂、1996年、113頁)

「ん、そうや、シンガー正しい。しかし、どうもこの論争のどちら側も、 自分の視点から離れて相手の立場に立つっていうことができへんみたいやな。 片方は胎児の視点からしか、 もう片方は女性の選択という視点からしかモノが見えてへん。 君はベンタムやったらどういうか、ちょっと考えてみる必要があるんちゃうか」

「そうですね」

4時間ほど爆睡する。今日も香港人たちは独力で行動しているようだ。

ゴアは次の大統領選に出馬することを諦めたとのこと。 悲劇の副大統領だな。

しかし、 21世紀になってもまだ100パーセントに避妊できてしかも安心で簡単な避妊方法がなく、 セックスをするたびに毎月妊娠の影に怯えなければならないというのはどういうこと なんだろうか。どれだけセックスしても妊娠の恐れがなく、性病の恐れもないような 世の中だったら、もっとラブ・アンド・ピースな世界になるのではなかろうか。 ならないか。

上海や北京で行なわれている「くじつき領収証」というのはいいアイディアだと思う。 これは、店が経費を水増しするために偽の領収証を作ったり、 領収証を発行せずに売上を過小報告したりするのを妨げるために行なわれており、 客はくじを引きたいから領収証をきちんと請求するのだと言う。

日本でもきちんと国民年金を払ったり、 水道代や電気代を期日までに払うとくじが付いてくるなどのサービスをするといいの ではないだろうか。ひょっとしてもうあるのかな。

夜2

新聞、電話。

When this old world starts getting me down, and people are just too much for me to face
日々の暮らしにつかれ、人と顔を合わせるのがイヤになったときは

I climb way up to the top of the stairs, and all my cares just drift right into space
階段をずっと上って屋上に出ると、 悩みごとはみんな飛び去ってしまう

On the roof, it's peaceful as can be, and there the world below can't bother me
屋根の上はとても平和で、 下界のことは気にならなくなる

キャロル・キングの`Up On the Roof'の出だし。 (米国の)ドリフターズの曲としても知られている。 産経にあった貝原益軒の「天気和暖の日は、園圃に出、 高き所に上り、心ひろく遊ばしめ、鬱滞を開くべし。 時々花木を愛し、遊賞せしめて、其の意を快くすべし」(養老) を読んで思いだした。息詰まったら外に出て深呼吸すること。

イタリアのセベリノ・アンティノリ医師によると、 クローン人間は来年1月にセルビア(ベオグラード)で誕生するそうだ。

真夜中

海親子丼、豆腐、白菜の浅漬。

机に向かっている時間…12.5hr
今日の勉強時間…9.5hr
マルクス係数…0


16/Dec/2001 (Sunday/dimanche/Sonntag)

真夜中 (午前)

「では質問どうぞ」

「昨日なんで関空行ったんですか」

「某痴人を迎えに行くためです。 飛行機が予定より1時間以上遅れてずいぶん待たされました」

「某痴人とは誰のことですか」

「某痴人は某痴人です」

「女性ですか男性ですか」

「今の質問をした人を粛清してください」

「粛清しました」

「はい、では次」

「なんで実哲研の合評会に遅刻してきたんですか。 それも大幅に」

「関空から戻ってくるのに時間がかかったんですが、 実はそのあとフトンの配達を一時間ほど待っていました。 ごめんなさい。このつぐないはかならず」

ハリーポッターを見に行ったって本当ですか」

「はい。某痴人と行きました」

「どうでしたか」

「長過ぎです。かなり疲れます。映像、俳優はAクラスですが、 ちょっと犯人探しの要素がうまく行っていないようでした。 部分的にはかっこいいところが多々あります。 しかしやはり未成年向けの映画でしょう」

「総合評価は」

「B-です」

「タクシーで下宿に戻ったって本当ですか」

「映画館から出たら電車もバスもなかったので泣く泣くタクシーに乗りました」

「ということは某痴人はどこに泊まってるんですか」

「企業秘密です。今の質問をした人も粛清してください」

「粛清しました」

「粛清ハンターイ」

「粛正ハンターイ」

「一言言いたいんですが、 河原町通りの某ま○坂というところで鰻丼を食べましたが、 これがひどい味で。 危険ですのでぜったいに食べに行かないように注意してください」

「起きる。部屋寒すぎ。死んでしまいそうだ」

「昨日入手した本。


16/Dec/2000 (Saturday/samedi/Sonnabend)

誕生日パーティ

昨夜、某スペイン人の友達の誕生日パーティに参加した。 楽しい一時を過ごした気がする。

最近の気候

二三日前まで日中10度前後の暖かい日が続いていたのだが、 昨日あたりから急に寒くなりだした。 今日の最高気温は5度前後。夜は零下2-5度ぐらいになるそうだ。 まだ雪は降っていない。

冬休み

どこの大学も今週の金曜日で授業が終わったらしく、 今日かなり大勢の寮生が故郷に向けて去っていった。 しばらくのあいだ、すこし寂しくなる。

過去の日記

夜中、ひまじゃないけど、かといって勉強する気にもならないので、 ふと過去の自分の日記を読んでみる。

ビートルズが解散してしばらくのあいだは、 ジョージハリソンやジョンレノンが「あのバンドは最低だった」 と言っていたように、 過去の記述を読むのはなんだか気恥ずかしいし、ときに嫌悪感すら感じるので、 調べものがあるとき以外はめったに読み返すことはない。

しかし、過去数年の今ごろの日記を読んでみると、 なかなかおもしろいことを書いているので感心した :-) 以下の所見などは今でも共感できる。 たんに成長してないだけかもしれないが。

それにしても、昔の自分というのは赤の他人とも自分自身とも言えない、 なんだか変な存在である。しかも昔の自分の文章の方が、 今より面白かったりするのでなんだかくやしい。きい。 (97年の今ごろ)

修論のことはなるべく思いだしたくないが、 修論を書いているころの記述も今読むと 気違いじみてておもしろい。

(戦況速報) 17日夜、熟考(CJ)軍の思わぬ反撃に遭い、 4000近くの字数を失なう。 残存字数10000字余りとなり、 第一章の最前線のあたりで一部反乱が起きるが無事鎮圧。

カレーの鍋をぐるぐるまぜていたら、 いつの間にか多量にあった玉ねぎとじゃがいもが姿を消した。 めでたく全体の一部となったのであろう。

この例からもわかるように、 個人は一度社会に属すると、 社会という有機体の分離不可能な一部になるのであり、 社会を個人の総体にすぎないとする還元主義的な社会観は誤っているのである。 (98年の今ごろ)

最近の日記はどうだろうか。 以前にくらべると、最近の日記は気違い度がずいぶん低い気がする。 死んだ魚の目のような文章が多い。 これは、あまり時間がないせいもあるが、 主な原因は、理性的存在者(=良い子)ぶっているせいだろう。

理性的存在者ぶって権威主義的な発言をするようになってはダメだ。 安穏で快適な洞窟から抜け出し、精神を解放すること。 自己批判自己批判。

News Memorandum

from today's Guardian unless otherwise specified.


12/16/99 (Thursday/jeudi/Donnerstag)

真夜中

やっとコピー終わり。とても疲れた。


夕方

昨晩はビデオ屋とコンビニに寄ってから下宿へ。 インスタントの焼きそばを食べる。何年ぶりだろうか。

それから『ザ・ラットルズ』を観る。おもしろい。 音楽もいいし、ミック・ジャガーやロン・ウッドやジョージ・ハリソン なんかも出ていて笑える。 彼らも『モンティ・パイソン』を見て笑っていたのだろうか。B。

『モンティ・パイソン』の第3巻も借りたので、途中まで見る。 だんだん英語がわかるようになってきた。

中島義道の『ウィーン愛憎』を読了してから寝る。 あとがきを見ると、 ずいぶん以前に出版された本の文庫化らしい。 今ひとつおもしろみがなく、 最後まで読むのは疲れた。 しかしまあ、西欧とどう対面するかという問題を考えるときに、 こういう本も読んでおくとバランスがとれてよい気がする。

夜明け前にゴミを出してから寝て、昼下がりに起きる。 農学部で本を返してから大学へ。 中央購買部でちょっと買物。またカードを使ってしまう。


某教授のホームページを更新[updated]。 「悪の哲学誌」を掲載[new]


あ、クモがいるっ。[spider]

ん、なんか標識があるぞ。 [sign] 「ん、クモに注意?」 [warning]

あ、またクモが出たっ。[spider again] あ、二匹もいるっ。[spider again] えいっ、死ねっ。[pow] 死ねっ。[pow]

はあはあはあ。あ、こんなところに家があるぞ。 [house] あ、いつのまにか住宅街に来てしまったようだ。 [house] [house] [house] [house]

あ、なんと城まである。 [castle] しかしまだ建築中のようだ。 [construction]

…いや、こんなことをしている場合ではない。


ようやくオーストラリアの某氏からメイルが来たので、 しばらくメイルのやりとりをする。 それから某読書会を終えた某君と某君と某君と一緒に某所にて食事。

さて。勉強せねば。 あ、またクモが出たっ。[spider again] ええいっ、死ね死ねっ。 [pow] [pow] [pow]


12/16/98 (Wednesday/mercredi/Mittwoch)

真夜中

9000字。しかもまだ全然話が始まっていない。うがあ。

ちなみに昨日の夕ごはんは外食。


夕方

うわあ。寝すぎた。うがあ。


下宿にいると気が狂いそうになったので、 間一髪で部屋を出て大学へ。へうぷへうぷ。

クリスマスカードなどを購入。


ロンブン書くのって大変だなあ。 これはきっと、本ばっかり読んで、 自分で筋道立てて考える訓練をしてこなかったせいだな。 ショーペンハウエル先生もそう言ってます。

へ、へうぷへうぷへうぷ。


真夜中

ようやく10000字突破。わ〜い。わ〜い。わ〜い。

といってもまだ4分の1ではないか。 しかも推敲も遂行しないといけないし。 (←あ。思考回路が壊れてきてる!)

ライオンズの心理的快楽説に関する見解をまとめ中。 ライオンズをやっつけるまでは今日は寝ないつもり。

今日の夕ごはんは某所でカキフライ定食。


12/16/97(Tuesday/mardi/Dienstag)

・昼下がり・

・下宿の部屋に最新鋭の第6ガラクタ部隊が投入される。部屋はガラクタに ほぼ占領されてしまった。おれの部屋、絶体絶命!!

・昨日は高槻で冬期講習の打合せ。その後、実家の方に帰る。掃除など。


・夕方・

・ロック読書会。私物のイースーを持ちこむ(パイプ・イースーで長時間座 るとやはり腰が痛くなる)。そいえば、前にオブン・トスタも持って来たので、 マガリンかバタを買えばモニングを食べに行く必要がなくなる(マンガは読め なくなるが)。


・例のチロルチョコは、最近50円 に値上がりしたらしいが、ついてはこの情報が真実(マミ)であるかどうか調べ てもらいたい、というメイルがわが研究室に舞い込んだ。

・もしこれが真実(マミ)だとすれば、これは全国の小学生、中学生、高校 生、および(ごく一部の)大学生に関わる非常に深刻な問題であり、われわれ (ごく一部の大学生)としては即刻真相を究明する必要がある。そこで、より詳 しい情報を握っている方は直ちにメイルしてもらいたい(駄菓子屋のおばちゃ んがこの任務に最適かと思われる)。


・夜・

・机2脚到着。以前までの事務机に比べると「未来デスク」という感じがする。

・中央購買部で粉末ココアを買って来たが、研究室にスプンがないので適 当に入れると、水のように薄いココアが出来た。…。せせ、先生っ、け、けけ け研究室にスプン、スプン、スプンをっ。


・新型机が来たので、とりあえず配置替えのようなことをしてみた。う〜 む、コンセントの数が問題だよなあ…。


・そいえば、もう授業ないんだよなあ。冬期講習が始まるまで久しぶりに 時間に余裕があるので、この間に死刑廃止論を進めとかないと。


SF。ミシガン大学には、SF(とファンタジー)文 学の研究のコースがあるみたい。SFあなどりがたし。


12/16/96(月)

記載なし。


Satoshi KODAMA
email: satoshikodama-tky[at]umin.ac.jp
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Last modified: Sun Mar 26 18:17:28 JST 2017