第4回日本集団災害医療研究会・抄録集
(一般演題C)


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  抄録集:一般演題A
   〃 :ワークショップシンポジウム

C-13 ドミニカ共和国ハリケーン災害における亜急性期の医療活動

○鈴木秀明(はちや整形外科病院)


 1998年9月22日、ドミニカ共和国(以下「ド」と略す)を襲ったハリケーン・ジョージは、死者249人行方不明75人、負傷者557人、被災者27万7千人、避難者12万人の人的被害を引き起こした。(9月30日災害対策・救援省発表)「ド」政府はハリケーン通過後の衛生状態悪化による感染症の発生を受け、この対策のため、9月30日、 在ドミニカ共和国日本大使館を通じて国際緊急援助隊(医療チーム)の派遣を要請し、次の通り決定した。

(1)派遣目的:今回のハリケーン災害に関し、被害状況の深刻な東部3県の避難所及び病院において、衛生状態悪化に伴う感染症をり患した患者の治療を行うと共に、感染 症の拡大の予防対策について「ド」政府に対して指導・助言を行う。

(2)派遣機関: 平成10年10月8日〜10月21日(14日間)

(3)チーム構成:計5名(医師(団長)1名・看護婦(士)2名・医療調整員1名・業務調整員1名)

 現地到着後、「ド」政府・厚生省との協議から、東部2県での診療活動が決定し、さらに県レベルの協議で、各2ケ所の地域クリニックや仮設クリニックを設営しての活動となり、展開していった。活動の実際は、災害による感染症や傷病者の治療、災害前からの有病者に対する診療の継続、巡回診療による簡単な処置・保健衛生指導であった。

 ここに国際緊急援助隊医療チームの救援活動の実際を報告し、今後の海外での緊急医療・亜急性期のありかたを考察したい。


C-14パプア・ニューギニア国津波災害における医療活動報告

○小井土雄一、浅利 靖1)、中村 建2)、山本 甚3)、今野孝雄4)、大塚 恵 5)、金澤 豊6)、荒井尚之7)、西村満持8)、古屋年章9)、秋山純一9)
○日本医科大学、1)北里大学、2)外務省経済協力局国際緊急援助室、3)久我山病院、 4)我孫子聖仁会病院、5)聖マリアンナ医科大学東横病院、6)長浜赤十字病院、7)第一臨床検査センター、8)東アジア測量設計、8)国際協力事業団


1998年7月17日にパプア・ニューギニア国(PNG)に発災した津波災害に対して、国際緊急援助隊医療チーム(JDR)が派遣され医療活動を行ったので報告する。JDRチームは7月22日すなわち発災後6日目に現地入りした。現地といっても今回の活動拠点ウエワク病院は被災地から150kmほど離れており、後方病院としての役割を担っていた。院内にて現地スタッフと協力し傷病者の診療を9日間行った。89症例の津波による傷病者は1例を除いて外傷症例であった。災害サイクルにおけるphase 1ということで、救急医療を要する症例を想定していたが、症例は骨折症例が大部分を占め、全例全身状態は安定しており、重傷の頭部、胸部、腹部外傷は認められなかった。約3/4が骨折患者であり、特に大腿骨骨折、脛骨骨折、腓骨骨折の下肢の骨折が多かった。日本チームが参加した手術は26件。看護士(婦)の手術介助は38件、看護士麻酔実施・介助が18件であった。手術内容は大腿骨骨折観血的整復術、デブリドメント等であった。phase 1の後期ということで、感染症の台頭する時期であり、創感染が多く見受けられた。ま た、海水を飲み込んで誤嚥性肺炎を合併している症例が8例認められた。しかし、被災地から離れた後方病院であるため、衛生状態の悪化に伴う呼吸器系あるいは消火管感染症などは皆無であった。


C-15 パプア・ニューギニア国津波災害における水質調査について

○金澤 豊、荒井尚之1)、浅利 靖2)、中村 建3)、小井土雄一4)、今野孝雄 5)、山本 甚6)、大塚 恵7)、西村満治8)、古屋年章9)、秋山純一9)
○長浜赤十字病院、1)第一臨床検査センター、2)北里大学、3)外務省経済協力局、 4)日本医科大学、5)我孫子聖仁会病院、6)久我山病院、7)聖マリアンナ医科大学東横病院、8)東アジア測量設計、9)国際協力事業団


 本年7月パプア・ニューギニア国(以下PNG)で発生した津波災害に対して派遣された国際緊急援助隊医療チーム活動中に、被災地後方地域を中心に衛生面の調査を行った。

【方法】市販の水質検査キットを用い、以下の各地区の計10ケ所の飲料水で残留塩素、一般細菌、大腸菌検査を施行した。

1)被災地東隣のアイダペ地区の災害対策本部、ケアセンター、総合病院
2)被災地西隣のバニモ地区の総合病院
3)アイタペより約150km東側のウエワク地区の総合病院

【結果及び考察】  残留塩素は、ウエワク総合病院では本邦の水道法による基準値1.0mg/l程度測定され他が他の地域ではほとんど検出されなかった。一般細菌はウエワク総合病院では検出されず、バニモ、アイタペの病院では基準値以下であった。しかしアイタペのケアセンター、災害対策本部では基準値以上の細菌集落が検出された。大腸菌に関しては、ウエワク総合病院ほとんど検出されなかったが、アイタペのケアセンター、災 害対策本部、バニモの病院で検出された。今回の調査場所は被災地外であり、その地域に とっては平素の飲料水である。また、仮に災害によって衛生状態悪化していたとしても被災前のサンプリングが不可能であり、災害の影響を検討することは困難である。しかし災害救援の最前線であり、被災民が多数避難し衛生状態不良、人口密度増大から感染性疾患が増大する可能性がある。調査の結果から、災害対策本部、ケ アセンターの飲料水には問題があり、殺菌剤の塩素を投与し活性炭で濾過することが必要と思われた。災害時には水質検査キットとともに消毒用塩素と濾過器のdonationを考慮しておくことが必要であると思われた。


C-16 パプア・ニューギニア国津波災害、被災後1週間目のassessment

○浅利 靖、小井土雄一1)、中村 建2)、山本 甚3)、今野孝雄4)、大塚 恵5)、金澤 豊6)、荒井尚之7)、西村満治8)、古屋年章9)、秋山純一9)

○北里大学、1)日本医科大学、2)外務省経済協力局、3)久我山病院、4)我孫子聖仁会病院、5)聖マリアンナ医科大学東横病院、6)長浜赤十字病院、7)第一臨床検査センター、8)東アジア測量設計、9)国際協力事業団


 JMTDRは、パプア・ニューギニア国政府の要望により、被災地より約150km東方の後方病院で医療活動 を行った。活動2日目、被災後1週間に被災状況のassessmentのために調査チームを編成し現地の調査を行った。

【方法】被災患者が多く収容された地域、アイタペ、バニモ地区の災害対策本部、ケアセンター、病院、オーストラリア軍のフィールドホスピタルを訪問し聴き取り調査を行った。

【結果】

  1. アイダペ災害対策本部では、被災死亡者約2000人、ケアセンターに約5000人収容している。医薬品は十分あり、今後伝染病の発生が心配で衛生面の調査が必要とされていた。

  2. ケアセンターは8ケ所設置され、アイタペのケアセンターには104人収容中。看護婦が常駐し医療面のケアーは行われていた。

  3. アイタペ、バニモの病院では、定床の倍以上の患者が収容され、今後の感染症発生が心配されていた。治療上のニードは整形、形成外科の専門医であった。

  4. オーストラリア軍のフィールドホスピタ ルは、15張りのテントで120床のベッドを確保していた。4名の医師で約200名の患者を診療していた。8 /1に撤収予定で撤収後の医療が問題となっていた。

【考察および結論】

 今回の調査ではセキュリティーや交通手段の問題で被災地の中へは入れなかった。交 通、通信手段が不十分で被災後1週間でも情報不足であったが、医薬品などは世界中より集まり極端な不 足状態ではなかった。医療面では発災後1週間で整形外科などの専門医を必要としていた。


C-17 パプア・ニューギニア国津波災害における災害看護について

○大塚 恵、金澤 豊1)、山本 甚2)、今野孝雄3)、浅利 靖4)、小井土雄一 5)、中村 建6)、荒井尚之7)、西村満治8)、古屋年章9)、秋山純一9)
○聖マリアンナ医科大学東横病院、1)長浜赤十字病院、2)久我山病院、3)我孫子聖仁会病院、4)北里大学、5)日本医科大学、6)外務省経済協力局、7)第一臨床検査センター、8)東アジア測量設計、9)国際協力事業団


救援医療活動の中で被災者及び被災民を支える現地の人々に接し災害看護、心のケアについて考察したので報告する。

【方法】1)入院中の被災患者さんに対するアンケート調査。2)現地スタッフへの聴き取り調査。

【結果】ひと家族の平均人数は7.2人で、平均死亡者数は2.1人、負傷者数は1.6人であった。被災患者さんの81.4%の人の家屋が完全倒壊していた。受傷者の75%に骨折がみられ、下肢切断が10例に見られた。被災者の多くが一瞬にして家、家族、自分の身体の一部までも失い、言葉は少なくなり、暗くしずみ、眼の輝きを失い、傷の痛みを訴えることも少なかった。これに対して、教会からのボランティアが一緒に祈 り、歌を歌い、学生ボランティアが身の回りの世話をしていた。また現地の人々が古着を持ち寄っていた。地元の看護婦達も心のケアに関心があり、患者さん達のはなしを積極的に聞いたり、一緒に祈ったりして心のケアを行っていた。

【考察及び結論】津波による恐怖、生活環境の急激な変化による被災民の心の傷は深い様に思われた。これに対して教会、学生のボランティアや、地元の看護婦により災害看護、心のケアが行われていた。パプア・ニューギニア国津波災害では、災害急性期に予想以上に現地の人々による心のケアが行われていた。心の傷を軽減するにはこの災害急性期の心のケアと災害復興期に専門的カウンセリング、リハビリテーショ ンなどのさらなる支援の双方により可能であると考えられた。


C-18 長期化したアフガン難民の現状

○金田正樹、国井 修1)
○聖マリアンナ医科大学東横病院、1)国立国際医療センター


「目的」
 政府は国際平和協力法に基づき人道援助専門家グループHUREX(Humanitarian Relief Experts)を発足させた。このHUREXのシュミレーションスタディーとして約20年に及ぶアフガン難民の現状を調査したので報告する。

「方法」
 アフガン難民約260万人の庇護国であるパキスタンとイラン両国で主に保健衛生について調査した。キャンプの医療施設、医師看護婦の有無、衛生教育、生活環境などについて政府関係者、HNHCR、キャンプ管理者、NGOなどから聞き取り調査すると共に難民自身からもその現状を聞いた。

「結果」
 我々が調査したパキスタン・ナシルバ、カチャガリ難民キャンプでは約14万人の難民が生活していたが、キャンプは一つのコミュニティとしての機能を持っていた。ここはインフラの整備もまずまずで環境衛生、衛生教育、健康管理などの評価では及第点と思われた。これは庇護国、国連機関、NGOなどの連携と活動が効果的に機能しているためと思われた。
 一方、イラン・ニアタク難民キャンプは政府がNGOの活動を認めていないために、その衛生環境は劣悪であった。

「まとめ」

  1. 約20年に及ぶアフガン難民の保健衛生の現状について調査した。
  2. パキスタン側とイラン側との難民生活状況では大きな差を認めた。
  3. HUREXのAssessmentを確立する上でこの調査は有意義だった。


C-19 ニカラグア共和国ハリケーン災害救済国際緊急援助隊医 療チーム活動報告

○高木史江、近藤久禎1)、杉本勝彦2)
○東京大学、1)国立医療・病院管理研究所、2)昭和大学


 1998年10月27日に中米をおそった大型ハリケーンMitchによってニカ ラグア共和国は大きな被害を被った。PAHOの報告によれば、11月10日 までのニカラグア共和国の被災状況は、被災者800、000人、死者1、848 人、行方不明者1、257人、負傷者228人であった。ニカラグア共和国政 府の要請をうけて、日本はニカラグア共和国ハリケーン災害救済国際緊 急援助医療チームを派遣した。

 活動機関は1998年11月14日〜22日。チーム構成は医師3人、看護婦6人、 医療調整員3人。現地でJOCVの医師、看護婦4人と大使館医務官の強力を 得た。

 主都マナグアのNueva Vida地区、グラナダ県のMalacatoya地区とTepalon 地区の3地域で診療活動および調査活動を行った。診療患者数は1120人 (Nueva Vida 463人, Malacatoya 544人, Tapalon 113人)。男性413人 (36.8%)、女性707人(63.2%)であり、年齢別には0才から14才の小 児612人(54.6%)と、女生と小児が目立った。疾病状況はいずれの地域 でも約4割の患者が呼吸器疾患で受診しており、ついで下痢・消化器疾患、 皮膚疾患を多く認めた。外傷は約1%にとどまった。Malacatoya地区と Tepalon地区では8人のコレラ患者が地元医療機関によって診断されてい たが、それ以外にはデング、コレラ、マラリアなどの伝染性疾患の明ら かなoutbreakの兆候は認めれなかった。

 我々が診療を担当した地域では、重篤で緊急性のある被災者は認めら れず、最終的に今回の派遣の主たる活動内容は亜急性期から慢性期に移 行する時期における感染症の監視および治療であった。


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